親父の仕事の関係で阿蘇、芦北、矢部、玉名と県内を転々とした。
そんな親の転勤で私は幼稚園を中途で辞めた。
そして小学校5年生終了時点で初めての転校を経験することになった。
転校したのはその一回だけだったが、妹たちは小学校や高校で転校を経験していた。
小学校5年生、つまり転校先では6年生から始めるのだが、市内の外れにある小さな小学校だった。
全校生徒が100名にも満たない小学校だ。
6年生は結構多いほうで18名だったように思う。
小学校区といってもかなり狭い地区で、親同士も顔見知りで小学校が中心にあるような地区だった。
転校生というのが珍しかったのだろう、みんなから声をかけられ優しくしてもらった記憶がある。
その中にMという男の子がいた。
Mの家は商店(といっても昔風の駄菓子や米、酒などを販売)をしていて駄菓子を良く買いに行っていたし結構仲良しだった。
転校のせいか、幼馴染というのがいなかった。
小学校は6年生の1年間だったが、私にとってはそこからが幼馴染の始まりのようなものだ。
小学校1年と中学校3年間一緒だった。
私は地元の高校へ進んだが彼は熊本市内の私立高校へ進学した。
彼が住む下宿に遊びに行ったことがある。
なぜそのようになったのかは記憶に無いが、下宿、月極めで契約している食堂、彼が通っていた高校などを案内してくれた。
それが最後で、彼の実家は新幹線の計画上にあり移転を余儀なくされ同じ市内の鹿児島よりに家を建てて移り住んでいた。
親父の葬儀で久しぶりに再会した。
一度彼の家に遊びに行ったことがあるが、年老いたお母さんと2人暮らしをしていた。
彼は母の介護をするため仕事を辞め、結婚もせずただひたすらに母と暮らしていた。
つい数日前、ケータイにショートメールが入ってきた。
メールを交換するたびに何か変な感覚を覚えた。
ショートメールでは文字数が限られているので要領を得ないのだ。
それでケータイのメールアドレスを送ると、結構長文のメールが届いた。
どうも彼の母親は入院しているようで、食事も口からではなく喉に管を通しそこから栄養を入れているようだ。
当然、点滴は入れているようで、主な原因は肺炎だという。
今はもう夜中だというのに、母のベットの横から発信しているようだ。
<もう死にそうだ>という文字をみて激励のメールを送った。
まる一日くらい返信が無く過ぎた。
朝起きてケータイを見ると
<母親が亡くなった>
と一行だけのメールが深夜に送られてきていた。
朝食を食っているときに実家の横の親戚のおばちゃんからケータイに連絡があった。
3人兄弟の長男として長年母の面倒を見てきた彼のショックは大きかったのだろう。
辛くて私に頼ってメールをくれたんだろう。
母親の死は男にとってはとてつもなく辛い(私も経験している)。
通夜は無理として、明日の告別式には誰が(病院が)なんといっても出席することにした。
そんな親の転勤で私は幼稚園を中途で辞めた。
そして小学校5年生終了時点で初めての転校を経験することになった。
転校したのはその一回だけだったが、妹たちは小学校や高校で転校を経験していた。
小学校5年生、つまり転校先では6年生から始めるのだが、市内の外れにある小さな小学校だった。
全校生徒が100名にも満たない小学校だ。
6年生は結構多いほうで18名だったように思う。
小学校区といってもかなり狭い地区で、親同士も顔見知りで小学校が中心にあるような地区だった。
転校生というのが珍しかったのだろう、みんなから声をかけられ優しくしてもらった記憶がある。
その中にMという男の子がいた。
Mの家は商店(といっても昔風の駄菓子や米、酒などを販売)をしていて駄菓子を良く買いに行っていたし結構仲良しだった。
転校のせいか、幼馴染というのがいなかった。
小学校は6年生の1年間だったが、私にとってはそこからが幼馴染の始まりのようなものだ。
小学校1年と中学校3年間一緒だった。
私は地元の高校へ進んだが彼は熊本市内の私立高校へ進学した。
彼が住む下宿に遊びに行ったことがある。
なぜそのようになったのかは記憶に無いが、下宿、月極めで契約している食堂、彼が通っていた高校などを案内してくれた。
それが最後で、彼の実家は新幹線の計画上にあり移転を余儀なくされ同じ市内の鹿児島よりに家を建てて移り住んでいた。
親父の葬儀で久しぶりに再会した。
一度彼の家に遊びに行ったことがあるが、年老いたお母さんと2人暮らしをしていた。
彼は母の介護をするため仕事を辞め、結婚もせずただひたすらに母と暮らしていた。
つい数日前、ケータイにショートメールが入ってきた。
メールを交換するたびに何か変な感覚を覚えた。
ショートメールでは文字数が限られているので要領を得ないのだ。
それでケータイのメールアドレスを送ると、結構長文のメールが届いた。
どうも彼の母親は入院しているようで、食事も口からではなく喉に管を通しそこから栄養を入れているようだ。
当然、点滴は入れているようで、主な原因は肺炎だという。
今はもう夜中だというのに、母のベットの横から発信しているようだ。
<もう死にそうだ>という文字をみて激励のメールを送った。
まる一日くらい返信が無く過ぎた。
朝起きてケータイを見ると
<母親が亡くなった>
と一行だけのメールが深夜に送られてきていた。
朝食を食っているときに実家の横の親戚のおばちゃんからケータイに連絡があった。
3人兄弟の長男として長年母の面倒を見てきた彼のショックは大きかったのだろう。
辛くて私に頼ってメールをくれたんだろう。
母親の死は男にとってはとてつもなく辛い(私も経験している)。
通夜は無理として、明日の告別式には誰が(病院が)なんといっても出席することにした。