打越通信

日記ふういろいろ

幼馴染

2015-01-31 21:54:22 | 日記ふう
親父の仕事の関係で阿蘇、芦北、矢部、玉名と県内を転々とした。
そんな親の転勤で私は幼稚園を中途で辞めた。
そして小学校5年生終了時点で初めての転校を経験することになった。
転校したのはその一回だけだったが、妹たちは小学校や高校で転校を経験していた。
小学校5年生、つまり転校先では6年生から始めるのだが、市内の外れにある小さな小学校だった。
全校生徒が100名にも満たない小学校だ。
6年生は結構多いほうで18名だったように思う。
小学校区といってもかなり狭い地区で、親同士も顔見知りで小学校が中心にあるような地区だった。
転校生というのが珍しかったのだろう、みんなから声をかけられ優しくしてもらった記憶がある。
その中にMという男の子がいた。
Mの家は商店(といっても昔風の駄菓子や米、酒などを販売)をしていて駄菓子を良く買いに行っていたし結構仲良しだった。
転校のせいか、幼馴染というのがいなかった。
小学校は6年生の1年間だったが、私にとってはそこからが幼馴染の始まりのようなものだ。
小学校1年と中学校3年間一緒だった。
私は地元の高校へ進んだが彼は熊本市内の私立高校へ進学した。
彼が住む下宿に遊びに行ったことがある。
なぜそのようになったのかは記憶に無いが、下宿、月極めで契約している食堂、彼が通っていた高校などを案内してくれた。
それが最後で、彼の実家は新幹線の計画上にあり移転を余儀なくされ同じ市内の鹿児島よりに家を建てて移り住んでいた。
親父の葬儀で久しぶりに再会した。
一度彼の家に遊びに行ったことがあるが、年老いたお母さんと2人暮らしをしていた。
彼は母の介護をするため仕事を辞め、結婚もせずただひたすらに母と暮らしていた。
つい数日前、ケータイにショートメールが入ってきた。
メールを交換するたびに何か変な感覚を覚えた。
ショートメールでは文字数が限られているので要領を得ないのだ。
それでケータイのメールアドレスを送ると、結構長文のメールが届いた。
どうも彼の母親は入院しているようで、食事も口からではなく喉に管を通しそこから栄養を入れているようだ。
当然、点滴は入れているようで、主な原因は肺炎だという。
今はもう夜中だというのに、母のベットの横から発信しているようだ。
<もう死にそうだ>という文字をみて激励のメールを送った。
まる一日くらい返信が無く過ぎた。
朝起きてケータイを見ると
<母親が亡くなった>
と一行だけのメールが深夜に送られてきていた。
朝食を食っているときに実家の横の親戚のおばちゃんからケータイに連絡があった。
3人兄弟の長男として長年母の面倒を見てきた彼のショックは大きかったのだろう。
辛くて私に頼ってメールをくれたんだろう。
母親の死は男にとってはとてつもなく辛い(私も経験している)。
通夜は無理として、明日の告別式には誰が(病院が)なんといっても出席することにした。

2015-01-30 21:03:21 | 日記ふう
光の森周辺を散歩しているとやたらと分譲住宅地が多い。
それまで畑だった所にユメタウン光の森が出来、その周辺には大型の団地が出来ている。
十数年前は広大な畑だったところだ。
その隣の熊本市内よりには武蔵丘団地がある。
これも大規模な開発だったようだ。
しかし開発から40数年くらい経ち、高齢化が進み空き家が多いと聞く。
その武蔵丘団地の外側に位置する光の森、菊陽町、合志市にまたがる。
この開発で菊陽町は人口増加率が全国でもトップに位置していたようだ。



真新しい住宅が立ち並び、若き頃の夢のマイホームといった感じだ。
そのニュータウンと大津町との間にはこれまた広大な人参畑や葡萄畑が存在している。
農業従事者の高齢化で後を継ぐ人がいなければ耕作放棄地となるだろう。
そうすると光の森の隣にさらに広大な団地が出来る可能性は十分にある。
熊本市内から十数キロということもあり、熊本市のベットタウンとして十分に可能性はあるのだろう。
武蔵丘は空き家が目立ち、その外側(熊本市中心部より)に新興住宅地があり、いわゆるドーナッツ現象が起きているのだ。
前回NHKでも紹介されたように人口は減少しているのに新築の家が出来、古い団地は空き家が多いという現象がここでも起きている。
そういえば我が打越台団地も26年目を迎え高齢化が進んでいる。
団塊の人たちが多いため65歳以上の人たちが一番多い。
敬老の日の配り物でも70歳以上の人の数は多い。
子供たちは家から出て行き、残されたのは高齢の夫婦だったりしているので、この団地もいずれ空き屋が目立つ幽霊団地になるだろう。
この団地では坂が多くまた階段も多いため、お金を持っている人たちはバリアフリーのマンションに移っていく人も多いのだ。
買った時はバブルの走りの時で、今では土地の値段も半分程度になっている。



親父達が住んでいた実家もあるし、どうしようかと考えている。
妻は実家に住みたくないようだし、私としても近所が親戚という事もあり、冠婚葬祭など付き合いがあるので交際費がかなりかかると母が言っていたことを考えると・・・。
息子に任せるか、それとも私が跡に残さないようにするか、家とは昔風に家を継ぐといった観念は今は薄い、でも処分は出来ない。
固定資産税や電気、水道など2軒分の負担は大きい。
さて、どうしたものか、考えさせられる。

鉄砲小路

2015-01-29 20:25:05 | 熊本の風景
朝から午前中はフリーになった。
前回一著に行ったオヤジと病院をぬけて近くの温泉に行くことになっていた。
食事後すぐに外出届けを出し彼を待っていると、なにやら看護士たちともめているようだった。
彼が言うには、脚が悪いので途中こけて骨折でもしたら外出許可がでないという。
彼は病院側からクルマの運転はダメということで病院内においてあったクルマも自宅に持って帰ったようだ。
彼の足では30分以上かかるだろうと思っていたし、この寒さでは帰りに湯冷めしてしまう可能性があるので、彼には申し訳ないが一人で出かけた。
病院の裏口から出て歩いていると、武家屋敷のような佇まいを思わせるような場所に出くわした。
家の敷地がもの凄く広くて、昔風の屋敷がありその横には小屋がいくつもある。
一軒の土地の広さにビックリ、いったい何坪あるのか検討もつかない。
そんな屋敷が通り沿いに何件も続いていた。
もちろんそんな屋敷郡の中には新しい家もあるが、庭の広さに驚くばかりだ。



大きな農機具を保管する倉庫がある。



また、道を隔てた反対側には、牛でも飼っているのか牛舎なのか豚舎なのか酪農をしているのだろう。
広大な一軒屋を囲む庭木、そんな家が永遠と続くのだ。
道を隔てた反対側の小屋の裏にはこれまた広大な畑が広がっている。
鉄砲小路と云うらしく江戸時代に肥後藩主(細川氏)が熊本城から鬼門に当たる地区にこうした鉄砲屋敷を作らせた名残(ネット情報)らしい。



畑には酪農用の家畜に食べさせる草なのか生い茂っていた。
また時期的には早いが人参用の畑なのか、きれいに耕してある。
後ろを振り向くと阿蘇の山々が見える、が中岳の噴火は雲にかかって見えない。
鳥の声が聞こえる。
<ひばり?>と思ったがどうなんだろう。
温泉にゆっくりつかり病棟に戻ると、同じ病室で暮らし退院していった青年から、私があげた退院祝いのお礼という事でみかんと手紙が届いていた。
乾いた喉に、甘いみかんの味は最高だった。

午後からの雨空を見ながら、今日(1月29日)は・・・。
そう13年乗った愛車の車検日なのだ。
夕方、妻が洗濯物を取りに来た。
クルマは愛車でなく新車が来るまでの代車だった。
今日の朝、クルマやさんが取りに来たという。
なんとも切ない気持ちになった。

散歩コース

2015-01-28 19:55:10 | てくてく
手の痛みは残るが自然治癒ならしょうがない。
6時間置きに痛み止めを飲んで対処している。
対処しているというか、この痛み止めの薬、6時間以上間隔を空けなければならない。
服用して感じたことだが、5時間を越えたあたりで痛み止めが切れ、腕をある角度に思わずしてしまうと激痛が走ることになる。
その激痛がなかなか引かなくて再び痛み止めの薬にお世話になることになるのだ。
今日はいろいろとあったが、午前中の空いた時間(約1時間)と午後(約2時間)散歩に出かけた。
右手の痛みには関係ないし、少しでも運動不足を解消する事と考え事だ。
病室にいてもネットをする訳でもなく、テレビなど見る気もしない、読書など出来ないからだ。
毎日、散歩をしてみると、自然に散歩コースが出来る。
1時間コース、2時間コースなどがあり、スタバやミスドは片道30分は計算しないといけないので読書する時間を考えると1,2時間ではどうしようもない。
今日は近くの公園まで、病院の裏門からぐるりと遠回りをして杉並が立ち並ぶ道を歩く。



昔からある木もあれば、根っこから切られた木(台風などで倒れかかった木を切ったのだろう)などあるが、すぐ横には新しい木が植えられていた。



病院への帰り道、歩道には人が作ったのだろう、獣道(人道?)が出来ていた。
公園の少し熊本市内よりには新興住宅地があり、何人かの人たちが公園まで歩いたりジョギングしたりして出来た道だろう。
午後から再びその公園を目指した。



公園に着くと、可愛い女の子と母らしき人が公園で遊んでいた。
私にもこんな時代があったんだと微笑んで眺めていた。
公園に着くと管理棟の横にベンチが置いてある。
そこで小一時間ばかりゆっくりと読書にいそしんだ。
寒い日だったが西日に暖められ静かな環境で集中する事ができた。
公園のスピーカーから蛍の光が流れ、閉館のアナウンスが流れた。
本にしおりをいれ本を閉じリックサックに本を仕舞い公園を出ようと公園の時計を見ると午後5時に15分ほど足らない時間だった。
西日も落ち再びベンチに戻るのもめんどくさかったので、物産館に立ち寄り塩飴を一袋買って早めに帰棟したのだ。

右腕の治療

2015-01-27 19:31:58 | 日記ふう
朝起きると昨日降った雨の影響かもの凄く濃い霧が出ていた。
今年になって雨の日が多いように思うがどうだろう。
朝5時半起きはいつもの通り、外に出て新鮮な空気を吸う。
濃い霧はこの時間帯でなければ見られないのかも知れない。
朝日が出始めると一斉に消えてしまうのだ。
今日は右腕の診察で他の病院への診察に出かける。
それでいつもと違い、新鮮な空気を吸って、すぐに着替えをして出かける準備を行う。
朝食を食って、病院のロビーで待っていると妻が来るまで迎えに来た。
行く整形外科医院は産業道路に面した熊本整形外科医院だ。
妻の知り合いがこの病院にいる、ただそれだけの理由と同室のおしゃべりおっさんと話をしていてここに決めたのだ。
病院からは私が運転を交代して大きな道路は朝の混雑で渋滞しているかも知れないと思い裏道をひたすら病院を目指す。
やっと病院の駐車場に着くと満車だった、それで第二駐車場に行くとやっと2,3台停められる場所があった。



病院の前には救急車と警察の車両があり、交通事故でもあったのかなと思った。
院内に入ると人で一杯だった。
平日の午前9時を少し回った時間に何でこんなに人が多いのだろう。
骨折やリュウマチなどの患者さん(中にはまだ小学生らしき人も)も多いのだろう。
今入院している病院からの封書を受付に出し順番を待つ。
意外と早く番号を呼ばれ診察室の前に座る。
前に3人くらいいるようで割りとすんなりと診察が回ってきた。
痛めた理由や場所は封書の中に書いてあるようで、いきなり右腕をつかまれ、一番痛いところを押された。
痛い痛いと言いながらも今度は右手の指を順番に押し上げていく。
診察は一旦終了して、レントゲンを撮って来いと言われ、レントゲンの写真を見ながら
「骨には異常が無い様なので、後は自然治癒で良いです」
つまり後は自然に治るので、今まで通りにシップ薬を張り、痛ければ痛み止めを飲め、というだった。
ただそれだけの為に大騒ぎしたわけだ。
痛み出して10日も過ぎようとしているのに・・・と思ったがそれでおしまい。
それでも病院には1時間半くらい居たわけで、妻と昼食を食いに行った。
入院中の病院には午後1時半まで帰棟すれば良いのでまだ時間はたっぷりある。
ある定食屋に入り



私はコロッケ定食にした。



そして妻は、私が最初にそれにしようとしたはまち煮つけ定食にした。
コロッケ定食はコロッケの上にかかったソースが濃い味でどうもいけない。
半分はそのソースで残りの半分はソースをかけていただいた。
そんな定食を食い終わり、まだ時間があったのでミスドでコーヒーを飲んで帰棟したのだ。

晴歩雨読

2015-01-26 18:38:59 | 日記ふう
今日は朝から激しい雨になった。
傘を持ってきているのだが、雨の日は外に出たくない。
今日は割りとフリーな時間が取れる日なのだが部屋で読書に集中することにした。
実はもう10日以上も経つが右手を痛めてしまった。
痛みに耐えられなくなり主治医と連絡を取ってもらい鎮痛剤を処方してもらっている。
毎晩の事だが夜中に痛みが出て、あまり寝れない状態が続いている。
夕べも夜の10時過ぎには眠りについたのだが痛みが出て、時計を見ると12時を少し回ったところだった。
痛み止めは6時間以上服用をあけなければならない。
だんだんと服用する時間が狂ってきて昨晩は12時過ぎになってしまった。
そして今日は朝6時半から採血だった。
いつも5時から5時半には目が覚めるのでなんとかなったが、昼間に睡眠不足になり一日中生あくびが出る。
朝7時に痛み止めを飲む、すると30分位して痛みが消えていく。
この痛み止めを飲むと非常に眠くなる、読書をしていると睡魔が襲ってくる。
昼食になる頃には決まったように痛みが出てくる。
昼食と痛み止めの薬により更に眠気が襲ってくる。
そんな睡魔と闘いながらの読書、さらに部屋にいるとおしゃべりな同居人がいるので棟内の別の場所を探し、静かな環境を求める。
しかし、そこにも話を求めていろいろな人たちが来るので読書どころではなかった。



さて、なぜ右手に痛みが出たのか考えてみた。
一つはなれない手書きでの作文、そしてもう一つは体力測定での握力検査。
体力が一番落ちていたときだったので利き手の右腕に何らかの負荷がかかったのかも知れない。
特に体力測定での握力検査、これが原因と思われる。
しかしあまりにも長い期間痛みが取れないので主治医と相談し、明日、整形外科(別の病院)を受信することになった。
妻の知り合いに整形外科の先生をしている病院があるので明日受信する予定だ。
晴歩雨読、なかなか雨読の方は難解だと思い知らされた一日だった。

植木まつり

2015-01-25 20:29:27 | 熊本の風景
朝9時15分、病院のロビーで新聞を開いて見ているとケータイがなった。
ロビーを出て目の前に妻と娘が乗ったクルマがあった。
妻と運転を変って、先ずどこに行くか聞いて見ると、朝飯がまだだという。
途中ミスタードーナッツに寄り、彼女らは朝セットとやらを、私は屋外のテラスで本を読んで過ごした。
小一時間ばかりゆっくりとして、さあ、どこに行くか?
今日は博多から帰ってきた娘もいるので、彼女の好きな温泉に行くことは決まっていた。
お昼にはまだ早いじかんだった。
昨日のテレビニュースで流れていた催しを思い出して<植木まつり>と言うと、娘がえらくのってきて行くことに決定した。
会場への道はもの凄い渋滞していた。
それでもなんとか駐車場にクルマを停め、会場に向う。
朝の10時半すぎだったけど、もうすでに買い物を済ませ帰ろうとする人たちもぱらぱら見かけた。
毎年のように出かけているが今回は40周年と云う記念の年だそうだ。
クヌギやみかんの木や盆栽から高さ4,5mもある立派な庭木などもある。
ある庭木には800万円の値札がついているものもあった。



でも流石、女性人たちはそんなのにはまったく反応せず、もっぱら食への思いが強い。
各地域の食材を見てまわる。
熊本の名産もたくさんある。



いきなり団子に豚足。



からしレンコンに阿蘇のとうきび(とうもろこし)などさまざまな食が並べてある。



なぜか海産物まである。
そう天草や芦北は海産物が豊富だし、山間の五家荘からは山女の塩焼きなどを売っていた。
当然われわれも昼食時ということで各自それぞれ買い求めた。



私と娘は紫がかったおこわ(名前は忘れたがシソやシラス?がはいっていた)、私は馬筋の煮込んだもの、妻は肉まん(阿蘇の赤牛?)を買ってきた。
当然それだけでは足らず山菜おこわを追加した。
お腹一杯になり、そのあと温泉に向ったのだ。

フリーな一日

2015-01-24 20:56:57 | 日記ふう
昨日、同室だった息子と同じくらいの青年が退院して行った。
2週間くらい一緒の部屋で寝泊りした仲だ、礼儀正しく、正直な人柄で好感を持てた青年だった。
退院祝いにちょっとしたプレゼントをした。
そして同時におっさんらしき人が入ってきた。
さあ、今日からはどんな療養生活になるのやら、何せ話かけが多いので何をするにも集中できそうもない。
先ずは静かな雰囲気を作れるよう努力したいが、気が思い。

今日と明日はフリーなので朝9時15分に妻が迎えに来た。
クルマに乗り込むなり、娘が福岡から帰ってくるそうで、10時10分に交通センターに迎えに行くことになってるようだ。
交通センターの近くのコインパーキングにクルマを入れる。
本来ならミスドかスタバでゆっくりとコーヒーを飲んで、小一時間ばかり本でも読んで過ごそうと思っていたが予定が狂ってしまった。
交通センターの地下街に入り喫茶店を探す、この近くにはミスドやスタバはない。
しかたなくマックに入ることにした。
日本マクドナルドは中国での鶏肉の取り扱いの問題、異物混入問題など企業としての責任問題を抱えるファストフードチェーンである(書かなくても誰もが知っているか)。
昔、ヤスのオヤジとランチをしてコーヒーはマックによく行っていた。
ママ友たちで賑わっていた。
当然、まだ小さな子供たちも一緒にいて、ハンバーなどを食っていた。
<こんな小さな子にマックの味を覚えさせて良いのか?>などといらぬ心配をしていたっけ。



そこで娘と合流して、娘が通っていた病院へ向う。
待ち時間が4時間とか5時間とかかかる病院だ。
予約を入れ、さあ昼飯だ、と思ったが誰もどこに何を食いに、などと考えていない。
クルマを玉名市方面へ走らせ、この方面に来たとき良く行っていたドライブインらしき食堂に入った。



私はレバー定食。



娘は焼肉定食。
妻は貝汁定食を注文する。
先週も外食(回転すし)だったが、病院食と比べればかなり味が濃い。
毎日毎日、味の薄い、野菜中心の料理に慣れ、久しぶりの外食にそんな感じを受けた。
そんな事をしていると、あっという間に時間になり、病院へ戻る事になってしまった。

春の気配

2015-01-23 19:44:27 | 季節の花
別に入院していることを隠している訳では無い。
年賀状には<ただ今、休養中>とだけしか書いていないし、連絡があっても聞かれなければ言う必要もないのだ。
だから入院している事を知っているのは家族はもとより、妹夫婦に親戚の中の叔父だけである。
いやいや、このブログを見ていただいてる人たちがいた。
親友のジローさんには、妻伝えでジローさんの妻のひとみちゃんから耳に入ったのだろう。
もう一人のグッチには言っていない。
そのうち町内会にも知れ渡ることだろう。
妹夫婦にてっちゃん(叔父)、ジローちゃんにさきちゃん(元お客さん)が見舞いに来てくれた。
テラちゃん(ご近所)もブログをみてケータイに励ましのメールが来た。



話は変るのだけど、先日の体力測定の握力検査で右腕(手首から肘まで)を痛めてしまった。
最初は筋肉痛だと思ったが、痛みが腕の中ほどから痛み出し、筋を痛めたようだ。
もう一週間過ぎても痛みは取れないし、夜中に痛み出して寝れない事もあった。
早速、看護士経由で主治医に連絡してもらい鎮痛剤を処方してもらうことになった。
利き腕が右手なので、食事やモノを書くのが辛い。
ただ安静にしていてもズキズキと深い痛みがくるものだから寝られないのだ。
来週から1月も下旬に入る。
来週は血液検査もあり、その結果が気になる週になりそうだ。
今日は前日フリーではない。
その間、提出物の作文などあり忙しい一日だった。
明日から休みに入るのである程度の区切り(利き手が痛いが)をつけた。
ただ、朝の一時間ばかり病院を抜け出し散歩をした。
朝6時半、病棟を抜け出し田園地帯を軽く歩く程度だ。
朝夕は冷たい風が吹いているが、太陽が姿を出すとぬくもりを感じる。



春の気配が少しだけ、そう少しだけ伝わってくることもある。
その気配を一番に感じるのが植物なのだろう。
草花も元気一杯に春を待っているのだろう、いきいきとしている。

今日はいろいろあった日だったが、それは次回にでも書きたいものだ。

冬の雨

2015-01-22 20:21:12 | 日記ふう
今日の午前中はフリーなのだが、冷たい雨の中ウォーキングも何か気乗りしないし、頭も冴えないので読書もあまり・・・。
そうこうしていると前回一緒に温泉に行ったオヤジが再び現れて、今日も行こうとなった。
このオヤジ、脚が悪くて杖を常に持たないと正常に歩くこと出来ないのだ。
今日は私も体調が良くなく、一度は断ったのだが子供のように再び誘ってくるのだ。
しかたなく彼のクルマを運転して温泉施設を目指す。



開館は午前10時、すでに駐車場はクルマで一杯だった。
その温泉施設は今週の木曜日も男性に限り半額、皆そんなこと知っての事だ。



熊本市内に住んでいる人でそんな事を知ってる人は少ないので、この町内の人たちかも知れない。
券を買って脱衣場に行き湯船をみるとジイサン達で一杯だった。
そんな中、湯船につかると冷たい体にほどよい湯加減でまったりとする。
前回のお湯は少し温めだったが、今日はほどよい湯加減だった。
洗い場に行き、頭と体を洗いあがった(普通は体を洗って湯船につかる)。
どうもこのオヤジとタイミングを取るのは難しい。
しかし常に目を光らせていなくては、転んでケガでもされたらたまらない。
温泉から上がり、自動販売機で牛乳を飲む。
風呂に入るとさっぱりとした気分になり生き返るのだ。

木曜日になるとまた誘ってくるのかと思うと複雑なところだ。

読書

2015-01-21 20:51:58 | 日記ふう
昼の時間帯で1時間から2時間、昼食を外で摂るとしたら3,4時間の時間を作れることになる。
土日は最大時間内で自宅に帰るので帰棟後の時間帯だけになるので散歩は難しい。
そんな長いフリーの時間が作れれば、散歩に出るか、読書をするかになる。
今日も朝から雨がパラリと落ちていた、こんな日は病室で本を読むことになる。



弁当箱(文藝春秋)のような分厚く少しお堅い本もあればノンフィクションや小説もある。
時間が無いときや、読みつかれた時など漫画でリフレッシュすることも多い。
病院のディルームには地元新聞と○旗が置いてあり、○旗を読んでるモノは誰もいない。
一日何回かディルームを通るので新聞が置いてあれば、時間をかけて読むようにしている。
しかし何せ地元紙なのでほとんど読むところは無い(おくやみ欄くらいなものおだ)。
本館の待合室には朝日新聞も置いてあるが、どうも一面を飾る記事は他の新聞とは違うのだ。
一時期は○旗よりすごいといわれ、誤報記事を長年謝罪も無く謝りもせず、自国に対して多大な負を垂れ流した新聞だ。
今ではネット版ですべての新聞は閲覧できるので各新聞社の色合いというか論調が比較できて面白い。
活字世代(ネット記事も活字だが)というのか活字を読むことが苦痛ではなく、逆に好きな世代なのだ。



漫画も大人の漫画もあれば子供が夢中になる本もあるので面白い。
今は「美味しんぼ」や「釣りバカ日誌」などを読んでいる。
それにカタログ類も本といえば本だ。
妻がスマホと云えば、スマホに関するカタログや雑誌を読むし、妻がクルマが欲しいといえばクルマ屋をまわりカタログを集めて、クルマを比較する本などと併せて見たりしている。
まるで自宅にいながら私をコントロールしているかのようだ。
今は平行しながら3つの本を読んでいる。
弁当箱のような本、分厚いだけで内容は数ページで終わるのでそこでしおりを入れるようにしている。
小説などは時間があればあっただけ、きりが無い。
それでも時間に縛られているのでスピンがあればそこでスピンをいれ本を閉じる。
スピンが無い本は、私の場合ダブルクリップを使うようにしている。
紙のしおりはリックなどに入れて持ち運びするときに本から離れてしまうことがあるからだ。

そういえばもう一冊、妹が持ってきたミスドやスタバ用の「とんび」の方もページ数としてちょうど中ほどまで読み進んだ。
この小説の最大の山場(だろう?)の<秘すれば花>という段階まで読み進んでいる。
その後は、当然読んでないのでどういう展開を見せるのか、それはそれで楽しみなのだ。

入院生活

2015-01-20 20:36:07 | 日記ふう
入院生活も今週で1ヶ月と2週間になる。
国立病院で2週間、こちらの療養所で1ヶ月が経つことになる。
国立病院ではほとんど寝て暮らしていたので、退院の残り数日で立ち上がり歩けるようになった。
私が始めて父の乗った車椅子を押した時の感触、息子もそれを感じたのかもしれない。
「あっ!おとうが歩いている!」
と息子が言ったそうで、後から妻から聞いた。
あの頃から比べれば随分と体力も回復したが、まだまだという感じでいる。
この数日、朝夕の寒いこと、そういえば今日は大寒だそうだ。



日々の生活もだいぶ慣れてきた(というか安定してきた)。
朝は5時前に起きる、全館に電気が点るのは6時半きっかり、それから深呼吸をしに外に出て軽いストレッチをして歯を磨き顔を洗う。
8時から朝食、今日のように午前中がフリーなときは外出届けを出して、散歩に出る。
散歩といっても考え事をするには良い時間なのだ。
今日は何も考えないと決めた日には携帯ラジオを聴きながらになる。



30分くらい歩いてスタバのコーヒーを読みながら、読書タイムになる(病室ではなんだかんだと集中できないのだ)、1時間ばかり読書にふけり、昼食の為に病棟に戻らなければならない。
午後1時45分からいろいろなカリキュラムのようなものが2時間ほどある。
午後の4時くらいから5時半くらいの1時間は読書したり提出物の書き物や私なりの日記(ブログに書けない、今日あった出来事をメモするような感じだ)などをして過ごす。
午後6時半には病室に戻り、読書や前記の続きを行う。



8時からいよいよパソコンの時間になり、ブログを書く。
だいたい夜の9時頃に開放されて読書の続きやテレビの時間になる。
10時半から11時頃には就寝といった生活だ。
読書や提出物などするには集中する時間が必要で、パソコンでテレビやネットをする時間は1日のうちで1時間から多くて2時間程度、それもまとまった時間ではなく空いた時間でニュースや他の方のブログのチェックなどとなってしまう。
読書にとっては不要なものだし、病院内ではまわりが騒々しいし、看護士たちが体温だ血圧だなどと煩くてしょうがないのだ。
そんな毎日の生活ではあるが、この際、休養と思ってじっくりと体の回復と今後のことを考えることになりそうだ。

パソコン生活

2015-01-19 20:25:53 | パソコン
入院生活には欠かせないと思って病室に持ち込んだパソコン。
最初はワンセグでテレビを視聴しようとした、が博多駅近くパソコンショップで1000円もしないタイプのヤツだった。
自宅では信号をきれいにキャッチしてくれていたやつだ。
しかし、この病院の病室では受信電波の検索が始まり、なかなか受信電波をキャッチできず使い物にならなかった。
それで息子に頼んで家電量販店にワンセグチュウナーと店員に言って5000円から1万円程度のモノを買うようにお願いした。
息子も訳が分らないようなので店員と話をすると置いてませんと返事が返ってきた。
すぐに私が良くかよう中古パソコン店に行くように言うとそれから返事が無かった。
買ってきたのは同じ製品で3000円弱のチューナーだった。
なんとかインストール(話せば長くなるので)出来、早速選曲を始めると熊本市内の放送(地デジ)がすべて受信できた。
今の世はワンセグの解像度や音質をよくしたフルセグ(12セグ)の時代だがワンセグでも十分に楽しめる。
ネットで番組表はチェックできるのでこれでテレビの機能は果たせるわけだ。

そしてインターネットのほうだが、娘が札幌のレンタル専門店をスマホで見つけ3ヶ月契約で娘のクレジット払いで手配してくれた(もちろんそのお金は私持ちだ)。
3ヶ月で1.7万円ほどしたがしかたない。
しばらくして我が家宛にemobile製のポケットWiーFiルーターが着き、妻と娘が病室に持ってきた。
娘がその前にスマホ(docomo)の電波が悪いと言っていたので圏外の可能性があるなと心配していた。
そのポケットWiーFiルーター、USBの口が無いではないか。
説明書を読んでいくとポケットWiーFiルーターとパソコン間はWi-Fiで接続するようになっていたのだ。
パソコン側の無線LANのスイッチを入れ検索をかけると非常に強い電波がつかまった。



送られてきたパスワードを入力するとネットに接続できた。
しかし設定が悪かったのだろうか、パソコンを立ち上げるたびに復旧(一旦接続状態を更にしてつなぎ直しをしないといけない)しなければならないので不便は感じている。

テレビとネットが出来れば私としては問題ない。
しかし・・・。

さらば愛車

2015-01-18 20:38:03 | 日記ふう
昨日はクルマを買いにまるまる一日かかってしまった。
実は本命を買うため午前中にトヨタの販売店に行き、車種を言い最低限度のオプションを入れて見積もりを出してもらった。
トヨタではコンパクトカーの中でも一番手ごろな車種なのだ、だがその価格を見てビックリした。
「もう最終段階で結論を出さないといけないので、値引きを入れた額で再見積もりを・・・」
と頼んだ。
当然、ヒントを出しながら先方もなんとなく分ったようだった。
価格差も言ったはずなのに、まったく分らずやの石頭の担当だった。
まあ、そんなことで午前中は無駄な時間を費やしてしまった。
契約を済んで、一旦家に帰ったが着替えだけ持ってクルマで病院の駐車場に止めたのだ。

今朝はとても寒い朝だった。
空を見上げると変った雲が広がっていた。



クルマには霜が降りて全体が真っ白になり、ボディカラーが白になった感じだった。
寒い中、ご主人さまをひたすらお待ちしてましたと言いたげな感じを受けた。
早速エンジンをかけ社内を暖めることもあるけど、フロントガラスの霜を取り除かねばならない。
エンジンの調子も悪くないし、走りもそこそこ、四駆なので足回りなど強固に作ってあるので、あと10万kmくらいは全然大丈夫なのだ。
ある程度霜が溶けかかったのでタオルでフロントガラスの前面を拭いた。
そのまま家に帰ろうかと思ったが、あるスーパーの美容室で散髪をしなければいけない。
多分10時からだろうと、駐車場に停めていると、自動ドアが開き、人が出入りしているではないか。
早速中に入り美容室に入ると営業をしていた。
先客は一人だけ、私が2番目の客のようだった。
なんとこのスーパー、名前が変った事は知っていたのだが、営業時間が1時間早くなり、朝9時からの開店だという。
待たされることも無く30分くらいでカットは済んだ。
その足で自宅に戻ったら散髪した頭を見て妻が驚いていた。
営業時間が朝9時からに変ったんだってと説明すると納得してくれた。
それから雑用や風呂に入ったりしていると帰棟の時間が迫ってきた。
帰り道(いや行く道)に妻が、最後かも知れないよなどと言う。



病院で降ろして去っていくクルマ、13年間の長い間、本当にありがとう、などと涙が出そうになった。

クルマ

2015-01-17 21:27:28 | 買い物
実は私が入院する前からクルマの買い替えをどうするかといった話を妻としていた。
今乗っているクルマも13年目の車検が近づいているからだ。
走行距離は15万キロ、切り替えで四輪駆動になるクルマだ。
そのメーカーには今乗っているクルマはもう無いのだ。
メーカーに言わせれば「政策としてエコカーを推奨しているようで、その方向になっているという」。
それではとメーカーに今のクルマの車検の見積もりを聞いてみると、なんと33万円するという。
私の知り合いの修理工場ではその半額の値段で出ていた。
<本気でいっているのか!もう電話はいらない!>と言って電話を切った。
あまりにも自己中心的でユーザーの気持ちが分らないセールスだったので、それとそのメーカーにはこれといって気を引くような車種が無い(前回取り上げたPHEVとやらがそうだったが満タン充電しても60kmと行動範囲が狭いし、充電設備もまだまだ普及していないし価格も400万円を超える値段だった)。



ある日、息子が全国産車が掲載されクルマの専門誌なるものを持ってきた。
何日かその本を読んでいたが、これはといったクルマは無かった。
今流行のハイブリッド車、電気だけの車に、当然ガソリン車、クリーンジーゼル車、おまけにあのトヨタが無償で特許を公開した水素車などさまざま、スマホの新技術と同じでどうも過渡期のようだ。
用途別に考えても、軽自動車からスポーツカーに渡り様々な車種(用途別というか)があり、今乗っているクルマを中心に考えているとSUVというカテゴリーになる。
日産のジューク、ホンダのヴェゼル、マツダのCX-3などが考えられる。
妻に各クルマの寸法と今乗っている寸法を測らせた(当然カタログとネットでだ)、するとやはり今のクルマより大きい。
私なりに考えが進むとマツダのCX-3などが良いのかなと思ったが発売は4月頃との事だった。
ホンダのヴェゼルを見に販売店に行き実車を確認すると、後部座席が広く、荷物スペースも十分、早速見積もりを出してもらい説明を受けた。
話をしていくうちに最初出た見積もりがだんだん下がり(別に私が何を言ったわけでもなく最初のグレードでオプションも何も変っていない)30万円ほど下がり270万円となった。



妻に言わせれば今のクルマも乗り回しが良くないらしく、ある日このクルマが欲しいといってきた。
何の変哲も無いコンパクトカーだったのだ。
見積もりはすでに出ていて、今日初めて試乗してみた。
確かに静かでちょっとサスが硬いが良く走るし安定性もある。
それからだ、本格的な商談に入った。
もう一声が欲しい、というと5万円引いた値段が出た(ここまでは作戦通りだが、もう少しは引き出せるかなと思ったがここでやめたのだ)。
その値段を確保した上で、クルマにとって必要なものが無いと言ってたたみこんだ。



ETCとドライブレコーダーもう一つはナンバーの取得だった。
するとセールスが考え込んでしまい、上司に相談に行ったのだろう、しばらく待たされた。
妻にドライブレコーダーは無理かもしれない、ETCは見積もりミスを認めるから大丈夫だろうと話としていると、ほんとにそうの通りの見積もりが出てきた。
相手にまだ余裕があるのは分ってはいたがそれで契約することになった。
私の本意ではないが、妻がそれで喜ぶになら、入院して苦労をかけてることへの恩返しな訳だ。
そしてクルマへの予算の半額近くで買えたわけだ。