打越通信

日記ふういろいろ

うるう日

2016-02-29 21:17:13 | 日記ふう
今年はオリンピックイヤーということでうるう年である。
なので今日はうるう日となる。
うるう年とオリンピックの関係に特別な関係はなく、たまたま第一回のオリンピックがうるう年だっただけと聞く。
そんなうるう年だが、例年より一日多いのでとてもありがたい日でもある。
仕事をしていた頃は一日損した気分だったが、今では一日得した気分になるので不思議なものだ。
そういえばうるう年の計算というのがあって、日数計算や曜日の確定にうるう年判定のコーディング(プログラミング)をしたものだ。
コーディングと言ってもそんな難しい計算ではない。
うるう年の条件は<西暦年が4で割り切れる年はうるう年>ただし<西暦年が100で割り切れる年は平年>ただし<西暦年が400で割り切れる年はうるう年>という条件なのだ。
プログラミングといってもいろいろな言語はあるが、だいたい一行で済ませる事が出来る。
ホームページを作っていた頃、ゴミ出しカレンダーなるモノをjavaで書いたが
((yr%4==0)&&(yr%100!=0))||(yr%400==0)
の一行ですんだ。
そんなうるう日なのだが2月も最終日というのに今日は寒かった。
今日は一日、事務処理みたいな事をしていて夕方5時近くに終わり、妻と二人散歩に出た。
坪井川遊水公園の堤防を歩いていると粉雪(またはアラレ?)が降っていた。



公園内の湿地帯には渡り鳥だと思うが群れがいた。



しばらく歩くとキジがいた。
つがいだと思うが雌の方はカメラから消えてしまった。



ここ数日、熊本市内では飛行船が2日ばかり飛行していた。
熊本城の上空に巨大な飛行船が現れ、最初はどこかのバルーンかと思ったが、よく見ると飛行している(動いている)のでびっくりしたものだ。
全国のあちらこちらで遊覧飛行をしているようでこの2日ばかり熊本市内に現れたようだ。



そしてこれまたとんでもない事を見てしまった。
巨大な鉄塔にかかる送電線に人がいる。



それも一人ではない三人もいるのだ。
いったい何をしようとしているのかわからないが、高所恐怖症の私としてはとんでもない事だった。
さて明日から3月、いよいよ春に向かってばく進だ。

プチ登山

2016-02-28 19:52:51 | てくてく
ここ数日、家の整理やその影響でダウン気味だった。
久しぶりに雲一つ無い絶好の天気だ。
「ピクニックでも行こう」
と言って朝10時過ぎに家を出た。
特に行き先は無かったが阿蘇を目指す。
休日なので国57号線は混んでいる可能性があったので熊本空港方面から南阿蘇方面に出る道を選んだ。
途中、俵山の駅の道「萌の里」が見えたので休憩に寄ってみた。
駐車場は何とか確保出来たが人であふれかえっていた。



目の前に俵山(この時点では手前の山だと)が見えた。
数名の登山者が見えた。
駐車場から草原に刻まれた登山道らしき道を登っていく。



登山道の入り口には<3月6日 野焼きのため立ち入り禁止>の看板が掛かっていた。



とりあえず鉄塔が見えたのでそれを目指して登っていく。
いつもは平坦な道ばかり散歩しているので急な坂に早速足が堪えてくる。
下から見るとそんなに急には見えなかったが実際登ってみるとかなりきつい。
鉄塔まで何回休憩しただろうか。
ただでさえ運動不足の体だ、汗は噴き出して来るし足はガタガタだった。
妻も何とかついてきたがジャケットとセーターを脱いでいる。
手に持ったそれらを私のリックに詰め込んで上を見る。
まだまだ半分にも至っていない。
更に急坂を登る。
目の前に星が出てくるではないか。
そこからはホンの10m登り、休憩をとる、の連続だった。
体力のなさに情けなくなった。



大きな岩がある場所まで登ったがまだまだ頂上が見えない。
子供連れで登っている家族もあり、子供達は楽しそうだった。
子供でも登れるのだからと思うのだが足がついていかない。
妻も帰ろうなどと言い出す。
京都での鞍馬山登山を思い出す。
しかし彼女はこの言葉が出てからが強いのだ。



降りてきた登山服に身をつつんだ中年の女性がいた
「頂上まであとどのくらいかかりますか?」
と聞くと2時間くらいはかかるという。
指を指す頂上は遙か彼方の山だった。



とりあえず今登っている山(丘?)の頂上まで行ってみることにした。
頂上付近は稜線を歩くような感じで割と平坦だった。
石を積み上げたケルン(とういのか?)を見つけた。
とりあえずこの山の頂上らしい。
「ここまでがきついんですよね」
と言って一人の男性がその先の頂上を目指して登っていった。
しばしそこに寝ころんで休憩だった。
下りは足の置き場を確認しながらゆっくりと降りた。
時計を見ると13時40分、つまり2時間の登山だったわけだ。



物産館で弁当を買って頂いた。
美味かった。

3年

2016-02-24 21:45:14 | 日記ふう
早いものでクルマの一年点検がやって来た。
私が入院中に妻が気に入って買ったクルマである。
3ヶ月、6ヶ月、そして一年、買ったときに3年パックと呼ばれるサービスに入ったので点検料金は無料でオイル交換までしてもらえる。
このクルマも買った当時はあまり気に入らなかったが、乗っているうちにだんだんと良さもわかってきた。
買った当時に一番に思ったのはハンドリングの良さだった。
1.2Lというエンジンにも力不足を心配したが安定した走りに安心している。



そして一番のびっくりポンは燃費だろうね。
以前のクルマはガソリン食いで実家や福岡(約100km)に行くには往復で4000円くらいのガソリンを入れていた。
しかしこのクルマは3000円入れても半分程度で往復できるのだ。
まあ以前のクルマがガソリン食いだったって事もあるのだが、これが一番大きい。
ナビにも重宝している。
特に知らない町などでは右折左折のポイントをコンビニのなどで知らせてくれるのが良い。
そして右折レーンや左折レーンのような優先レーンを前もって知らせてくれるのが良い。
フルセグもかなり広範囲で受信でき受信出来なくなると自動的にサーチしてくれ便利だ。

おっと!クルマの話ではなく、点検は2時間で終わり、ちょうど夕食時間となった。
久しぶりに妻を連れて熊本に事業所があった頃の食堂に行ってみた。
店の前にはクルマが2台ほど縦列駐車出来るスペースがある。
いわゆる町屋といわれる作りの店で、熊本市細工町(古町)にある店だ。
久しぶりに店内に入るが昔とは全然変わっていなかった。
親子でさえている店で、若奥さんが対応に出てきた。
「私、覚えてますか?」
と聞いてみたら覚えていてくれた。
いつも昼飯はここだった。
熊本事業所が閉鎖になって1.5年間博多通勤をした、会社を辞めて1.5年だから3年ぶりと言うことだ。
小学生だった女の子も今は中学生だという。





「はい!懐かしい味ですよ」
と今度は大奥さんが持って来られた。
今は穏やかな日々が続いているが、いろいろな事があった3年間だ。
月日が経つのも早いものだ。
しかし、こうして変わらない世界もある。
ほっとする時間だ。

鳥の狙いは

2016-02-23 21:06:27 | 日記ふう
今日は一日雨の予報だった。
確かに小雨が降って日差しが無かった。
ちょっとした買い物に出たついでにレンタルショップに寄ってみた。
こんな日は音楽でも聴きながら本でも読もうと思ってのことだ。
レンタルショップなど久しぶりだった。
選んでいると妻が3枚も持ってきたため1枚しか借りれない。
ハービー・ハンコックを選んだ。
料金を払おうとする妻が手を挙げて呼んでいる。
「10枚で1000円だって!」
と言う。
もう一枚ハービー・ハンコックを借り、リー・リトナー、バド・パウエル、ジョージ・ベンソンを手にした。
洋楽ばかりではと思い、徳永英明と大橋純子を借りた。
そういうわけで今日は音楽三昧と読書で一日を過ごした。

目を休めるために庭に目をやると鳥たちが集まっている。
最初は近くの電線にとまり何かを狙っている様子。
するとキンカンの木にとまりキンカンをついばんでいた。
今住んでいるこの地は、その昔、鬱蒼(うっそう)とした小山だったそうで、丘のてっぺんには小さな城があったと聞く(地元の爺様から)。
木々を切り倒し住宅地として開発され約90戸の団地になったと聞く。
新築当時からそうだけど鳥の声がうるさいくらいに聞こえるところなのだ。
山鳩や雀を始め、珍しい鳥が良く庭にやってくる。



キンカンも年により当たり年とそうでない年があり、今年は当たり年のようでたくさんの実がなっている。
キンカンの木を植えたが良いが一度も収穫をしたことが無い。



毎年、鳥のえさになっているようだ。
妻に言わせると毎年の事のようで、様々な鳥が来て食べていくそうだ。



一度ついばみ始めると警戒心が薄れるのだろう、サッシを静かに開けカメラを向けても気づかないようだ。
そして花壇を見ると、植えたばかりのカリフラワーが無惨な事になっていた。
枝だけになった姿があった。



その先には今にも咲きそうな花が咲き始めていた。

芝焼き

2016-02-22 21:49:00 | 日記ふう
2階の部屋の整理もだいたい終わり、あとは掃除と仕事をしていた頃の資料関係の整理だけになった。
防虫ネットの交換も4枚換えて終わった。
今日は朝から1階のサッシを見て回り、破れかかった3枚の交換をした。
昼食をとりに近くのラーメン屋で食事をし、ホームセンターに向かった。
カーテンレールの曲がったモノもあり、交換用に買った。
物置も見に行ったがかなり大きなものだったのでサイズをメモして帰った。

今年は暖冬のせいか例年ならば庭の芝も完全に枯れているはずだが、今年の芝は所々に青く枯れきっていない。
時期的にはそろそろ芝焼きをしエアレーションの頃となる。
天気を見ると夕方から雨になる予想になっている。
カセットコンロ用のガスとバーナーを取り出して芝焼きをする事にした。
風向きを確かめながら少しずつ焼いて行く。
あまり煙を立てると近所からクレームが来るので、お隣の洗濯物など確認をした。



10月末に短く刈り込んでいたためなかなか火の勢いが無い。
例年だとちょっと火を入れるとそこから火が回り焼けるのだが、今年はバーナーで焼いていかないといけない。
カセットを2本使い、少し残ったが今日はここまで終了した。
あとはエアレーションをして目土を入れて春を待つ事にする。

家の整理

2016-02-21 20:31:35 | 日記ふう
福岡日帰りの影響か朝から体がだるかった。
いつも通りの時間に起きたし、天気も非常に良い。
朝から上空には数機のヘリコプターが飛んでいた。
どうしようかと迷ったがやめにした。
人が多いだろうし、道路は規制がかかっているし、歩いて行っても良いがマラソンのコースがわからない。
一番の理由は参加する知人がいないのだ。
知人がいないわけでは無いがゼッケン番号でもわかれば良いにだが、聞きそびれたのだ。
昨日行った福岡の知人に久しぶりにメールを送った内容は、熊本城マラソンへの参加不参加の事だった。
同じ日に北九州マラソンもあるのだが、両方とも抽選に外れたとの事だった。
そのついでと言ったら悪いがお母様のご逝去を知り、昨日のお参りとなった。
下関の友はどうも北九州マラソン(地元だからね)を走る。
知人と言えばそれくらい・・・いやいやもう一人いたが、それこそゼッケン番号を聞けば良かった。
そういうわけでちょっと前から家の中の整理を行っているので続きをする事にした。
とくに2階に3室ある部屋の整理だ。


ん!

子供達が巣立ってしまい、1部屋は私の寝室、1部屋は妻の寝室になっていて、和室の部屋は物置になってしまっている。
とりあえず私が今使っている寝室にウォークインクローゼットがある。
たんすが二棹置いてあり、それはどうしようも無いので押し込んであるモノや天袋に詰め込んだものを引っ張り出し整理することから始めた。
そして妻が使っている洋間から娘のひな祭りで使う雛人形用具、息子の武者人形などダンボール箱を移動した。
使っていない机、タンス、カラーボックスなどを庭に出した。
電気のこを取り出して分解した木々をゴミ捨て袋に入る大きさに切断して燃やすゴミにした。
そこまでは昨日まで終えたのだ。
この家に住んではいるが2階に上がる事は寝る以外ほとんど無い。
特に妻が使っている部屋と和室は扉を開けると一つの部屋になるように出来ている。
家具を取り払うとかなり広い空間が2階に出来るのだ。
その2部屋をここ数日かけて整理している。
すべてのモノをそこから私が使っている寝室に、そしていらない物の廃棄だ。



今日はサッシの虫除け網の張替えを行う。
ホームセンターに網を買いに行き破れた網を張替えだ。
2階は3ヶ所すべて張り替えた。
ついでに出窓やサッシのレールを掃除する。
何年も掃除していないのでもの凄く汚い。
綺麗になった2階の部屋を見ると新築時代の面影が少し見えてきた。
あと何日かは整理が続く事になりそうだ。
地下の駐車場に物置も買わなければならないだろう。
出来るだけ身軽にしておきたい、と思っている。

雨の博多

2016-02-20 22:37:10 | 日記ふう
雨の中、9時過ぎに家を出て博多に向かった。
友達の家は東区和白にある。
予定の時間より2時間ばかり時間が出来たので妻が博多駅に行こうという。
和白だと福岡インターで降りた方が早いのだが、妻の言葉で太宰府インターで降りた。



高速を降り国道に入ると割と混んでいて時間が無くなっていく。
博多勤務時代によく行っていた焼き肉屋に入り昼食をとった。
そうこうしていると時間になり、国道を千早、香椎方面に進む。
彼の家(マンション)には何回か行っているのだが、どうも覚えきれない。
ナビにセットし、案内されるがままに進む。



このあたり(といってもどのあたりなのか?)は確か淳(甥っ子)の大学進学で下宿を探し回った記憶があり懐かしいところだ。
しばらく行くと海の中道へ左折しろという。
しばらく走るとどでかいマンション群が見え目的地が目視出来たのだ。
あとは空き地に適当に駐車しマンションに向かう。
何棟かあるマンションのどこだっけ、と思いながら連絡を入れる。
1号館の○○○号室と返事が返ってくるので玄関に行き番号を呼び出す。
ホント何回来ても覚えきれないところなのだ。
奥さんも今日は休みのようで、笑顔で迎えて頂いた。
早速、仏壇に向かってお参りをした。
亡くなられてちょうど一ヶ月、私もそうだったが彼にはかなり堪えているようだった。
その後の法事の事や相続手続きの事など話は尽きない。
あっという間に2時間が過ぎ彼のマンションをあとにした。
妻の要望を聞き博多駅に向かった。
駅前のコインパーキングにクルマを入れ、ヨドバシカメラに向かった。
オーディオコーナーに行き、ネットワークプレイヤーを見ていた。



ちょうど店員が来て話をしていると、いきなりUSBを取り出して音を鳴らしてくれた。



FALC音源のリー・リトナーだった。
雑踏の中、しばらく聞いていたが確かに音は良いようだ、しかし良く分からない。
熊本では現物を聞くことが出来ない。
現物を聞いたのは初めてだったがそこそこの音はしていた。
そのあと妻のショッピングにつき合い、約2時間ばかりブラブラとした。
駐車場の料金は1200円、高いなあと思いながらも博多の町ではそんなものだろうと思うしかなかった。
帰りの高速、雨も上がり、明日の熊本城マラソンは良い天気に恵まれそうだ。

メール

2016-02-19 21:32:25 | パソコン
困ったものだ。
紀伊国屋webから本を買おうと思ったのだけど、メールアドレスを登録しろと言う。



ケータイのメールアドレスを登録するのだが、メールが送られてこない。
送られてこないので会員登録できないでいる。
そういえばネットキップの時も、楽天トラベル(ホテル予約)の時も確認メールが送られてこなかった。
ケータイはdocomoなのだがiモードメールがどうもおかしいようだ。
友達がケータイから安いスマホに切り替えたのだが、メールはGmaileを使っていた。
「どうもdocomoにはメールが届かない」
と言っていた事を思い出す。
仕事を辞めてから通話とメールはケータイと決めていたのでパソコンには登録していなかった。
登録していなかった訳では無く、ブログをやっている関係でgooメールとGoogleのGmaileのフリーメールを使っていた。
gooメールはいつの間にか有料になり自然に使用が出来なくなった。
しばらくはGmaileを使っていたが何かのメンテが入ったのか(まだ調べていない)調子が良くない。
そのGmaile(パソコン)からケータイにメールを送信してみたがUnknownで帰ってくる。
ケータイからのメールは問題ない。



どうもケータイの設定なのかめんどくさいので、JCOMからの資料を取り出してメールアカウントの登録をした。



JCOMのホームページからメールセットアップツールをダウンロードしそれを起動して・・・。
めんどくさいが何とかアカウントは作成出来た。
ところがWindows7にはメーラーが入っていない。
何てっこったの状態で、WindowsLIVEメールのダウンロードをした。



登録したアカウントを設定し何とかメールは開通したのだ。
でも、パソコンでのメールはあまりしたくないのが本音だ。
ウイルス感染の一番はメールから、というのは誰もが知っての通りだからだ。
WindowsXPも今のところ何の障害もなく動いている。
ウイルス対策ソフトなど入れていない。
当面はWindows7でメールは行う。
紀伊国屋の会員登録も済み、早速本の注文をした。
紀伊国屋の会員登録時にはメルマガやお知らせは<しない>に設定したのだが・・・。
楽天のメール攻撃にはへきへきした記憶がよみがえる。
楽天相手には捨てメールアドレスがどうしても必要になる。
JCOMのアカウントも確か10個ほど無料追加出来たはずだ。
そうこうしていると早速、福岡の友達からメールが届いた。
テスト用に送ったメールに返信が来た。
どうも年の初めにお母様が亡くなられたようだ。

そういう訳で、明日は朝から福岡まで行くことになった。

復活の予感

2016-02-18 22:36:04 | 日記ふう
用事があり菊陽町に来た。
寒の戻りで寒い日が続いたが今日から再び暖かくなるという。
朝の内は寒かったが日差しが出て昼前には暖か日になった。
春の日差しの中、早咲き桜が三里木の駅から富士フイルムの工場沿いにあるので見に行った。
横には豊肥本線が通っていて大津街道の杉並木が並ぶところだ。
しかしまだ早かったようだ、つぼみもまだ出ていなかった。
去年はこの近くの病院に入院(療養)していたので良く散歩したところだ。
その先には芝生の公園がある。
物産館に温泉施設、そして広大な芝生の公園がある。
ここがホントに気に入っていて、散歩するもよし、ジョギングするもよし、公園でひっくり返って昼寝するも良いし、リラックスするにはいい場所だ。





公園を散歩していると梅が咲いていた。
白梅と紅梅が並んで咲いていた。
まだまだ3分咲きといったところだろうか。



公園では家族連れがシートを広げてピクニックのようだ。
時計を見ると正午を過ぎていた。
物産館に入って弁当を探した。
店内には1年前と同じカントリウエスタンが流れていた。
変わってないな。



おにぎりと煮しめとミネラルウォータを買って公園のベンチで頂いた。

じつは用事とは検査のことで血液検査その他検査だった。
異常は無かった。
ただ血圧が少し低めで、上が100前後、下が70前後だった。
それが原因で血流が悪く、右腕の痛みがなかなかひかないのだろうか。
まあそれも随分と良くはなってきている。
そして気力の方も良くなっていているように思う。
良い日、悪い日が交互だったがそれも改善してきている。
ここ一年半は何にも縛られず、完全に自由な時間を過ごすことが出来た。
ストレスの無い日々がこんなにも良いものかを実感した。
この一年半ですっかり若返った、そう実感する。
そろそろ次のステップを考えようと思うようになってきたのだ。

嵐も去って

2016-02-17 22:04:39 | 日記ふう
青ガエルの大嵐が去ってひっそりとした北熊本駅だ。
公園を散歩していると落とし物があった、カメラのレンズのキャップだった。
あれだけの人が来たのだからキャップや場合によってはレンズフードなんかも落ちていたりする。
さすがにカメラやレンズなどの落とし忘れは無いだろう。
青ガエルも倉庫の一番奥にいて、今は新しい電車(銀座線)の車両が一番前に置かれていた。
2両編成が2台あって、この前藤崎宮線にも入線するのを見たことがある。
青ガエルにはずいぶんと歩かされた。
そしてカメラでもいろいろと悩まされたモノだ。
この後も何かイベントがあるたびに会えるだろう。



学生時代に2年半ほど渋谷の東急東横店でバイトしたことがある。
バイト先は相模鉄道だったが、東急デパートの備品(ショーケースやパネルなど)の管理をするバイトだった。
出勤は10時半頃だったが、昼はほとんど仕事が無く、閉店からが仕事で、各売り場にショーケースを配るのが仕事だった。
昼間は倉庫の整理や倉庫から送ってくるショーケースを屋上や1階のコンコースに運ぶのが仕事だった。
夜が遅かったのでいつも最終だった。
最終に乗れなかった時はバイト仲間と新宿のディスコで夜をふかしたものだった。
渋谷の東横線の駅は扇を重ねたような駅舎だった。
そこに青ガエルがいたのかは記憶にない。
新しいステンレス製の電車だったと思う。
友が目蒲線(だったと思う)にいたので遊びに行くとき乗ったのかもしれない。
その東横店の3階に銀座線の駅があった。
銀座や浅草に遊びに行くときは銀座線、友に会いに行くときは東横線、新宿へは山手線、アパートに帰るには井の頭線と渋谷は本当に便利な駅だった。
2,3年前に東京に行ったとき、渋谷は大きく変わっていた。
東横線の駅も解体中だったし、周りには高層ビルが建ち並んでいた。
今後もオリンピックを迎え大きく変わるのだろう。
青ガエルがいたのかは記憶に無いが、その反対側にいた銀座線の車両は覚えている。

青ガエルから変わる今度の車両もそんな渋谷を思い出させてくれる。

銀河鉄道のように

2016-02-15 15:18:53 | 写真投稿
午後3時過ぎカメラを持って北熊本駅方面に散歩に出た。
青ガエルのラストランの日だった。
駅への道から青ガエルの姿が見えた。
建物の隙間から大勢の人、そこに入線してきた青ガエルの頭が見え停車した。
北熊本駅は人であふれかえり、とても近くに行く雰囲気ではなかった。
大勢のカメラを持った人々、地元テレビ局の取材陣などでごった返していた。
北熊本駅の前には警察車両が2台停まっていた。
最後の青ガエルを遠くで眺めることにした。
 
夜、最後のラストランを見届けようと外に出た。
最終駅の北熊本駅は人が多いだろうと、打越駅で最後を見送る事にした。
駅への道を歩いていると最終列車が上熊本駅に向かっていた。
駅には人が一人いた。
そのあとアベック風の2人組が、そして幼い子供を連れた家族が来られた。
折り返しの北熊本行きの最終便がやって来た。
キーという音とともに駅に停まった。
プシューと音とともに扉が開いた。
静まりかえった駅に青ガエルのコンプレッサーの音が鼓動のように聞こえた。
「北熊本駅行き最終便が発車します」
いつものワンマン運転ではなく、後部に乗った車掌の声が響く。
車内はすし詰め状態だったがみなさんおし黙っていた。
それぞれの思いをかみしめるように・・・。
ゆっくりと打越駅を出て暗闇に消えていった。
最後の青ガエルを駅に残った8名は静かに見送った。

熊本城下

2016-02-14 19:20:15 | 熊本の風景
<1800年代初め、細川家の指物師として京都より熊本へ。長崎家長男伊太郎が「静観堂」の屋号で道具屋を営む。 1872(明治5)年、学制発布を受けて、長崎家次男、次郎が書店を開業。
当時、人力車で教科書を配布したという。
「熊本県内の子供へ、一人残らず教科書を届ける」を使命としていた。>



ネットを探せばそんな歴史が見られる。



10年くらい前か、カメラをぶら下げ新町、古町あたりをブラブラした時期があった。
長崎次郎書店を始めこのあたりは熊本城下の雰囲気が残る場所として記憶に残っている。
妻と界隈を散歩した。



派手な提灯やのぼりが目につく、玩具問屋のむろやがある。
町内会の行事で使う肥後ごまを買いにジローさんと来て以来だ。
今の時期はひな人形が店の看板だろう。
店の中央に江戸時代の古地図が張り出してあった。
熊本城下を絵にした地図だった。
熊本城を中心に、新町、古町、山崎町などの町名が並ぶ。



地図の上の方を見ると、打越橋、永浦橋、瀬戸坂などの名前が載っていた。
熊本城下からは離れた場所だがこの地図には記載されていた。





ちょっと脇道に入れば昔懐かしいお店や青桐通り、吉田松花堂などあり面白い。
長崎次郎書店の復活は熊本城下を紹介する一つのポイントにならないだろうか。
こんなポイントをいくつか作り、熊本城下の観光ルートを作ればこれまた面白いと思うのだが。

長崎次郎喫茶室

2016-02-13 20:59:25 | 熊本の風景
生ぬるく暖かな雨の朝、ちょっとした用事で町中に出た。
用事も終わり、てくてく歩いて新町に来た。
創業明治7年、今年で144年にもなる熊本市内でもかなり古い建物だ。
一時期閉店していたような雰囲気だったが、近頃復活したようだ。
町中の本屋さんとしてオープンしていた。
この近くを通るたびに妻は2階の喫茶店が気になっていたようだ。
建物自体は国の有形登録文化財になっていて熊本では知らない人もいないだろう。
先ずは1階の本屋に入ってみた。
こじんまりとした店内だが、洗練された本が並んでいた。
一般の本屋のような週刊誌や漫画が並び、立ち読みの人が立っている雰囲気では無い。
目的はここではなく2階の喫茶店なので、そこで読むための月刊誌(文藝春秋)を買った。





本屋の横に階段があり、森鴎外の小倉日記の一節が飾ってあった。
明治32年に熊本に来た森鴎外が池田停留所で列車を降り、この本屋を訪れた時の事が書いてあった。
階段を登り店内に入ると、薄暗い店内に窓からの日差しが指している。



入り口には日本で一番古いオルガンが置いてあった。
とてもレトロで落ち着いた雰囲気だった。
細長い店内で窓側の席が良い雰囲気だったが空いてなかった。
軽食も出来るようだったのでナポリタンを頼んだ。



買ってきた雑誌を読んでいると、窓の外からゴロゴロと市電の音が聞こえる。
何とも落ち着いた雰囲気で居心地が良い。



ナポリタンの味もなかなか気が利いていて、普通の喫茶店とはひと味違う。
森鴎外もこの店に訪問しているが、熊本に赴任した夏目漱石も訪れている。
明治32年と言うと夏目漱石も熊本に赴任していた。
森鴎外は小倉に赴任し出張で熊本に来たと言う。
この二人、この地で合う事は無かったのだろうか?
などと遠い昔に思いを伏せる。



帰り際に、壁に掛かった色紙が目に入った。
ここ数年、ノーベル賞を期待されている村上春樹の色紙だった。

ケン

2016-02-12 18:22:29 | 公園の犬達
公園を歩いていると妻からケータイに連絡があった。
「公園で催し物があっていて、ケンがテレビに出てるよ」
と言う。



あわてて公園内の遊具がある場所に」行ってみた。



遠くにケンの姿を見つけたので名前を叫んでみた。
ちょうど横に子連れの親子がいた。
男の子が振り向き私を見る。
近寄って行ってケンの頭をなでた。
飼い主とは顔なじみで散歩の途中でちょくちょく会う。
しかしお名前は知らない。
「近頃、ボランティアで見ませんね」
といわれてしまった。
そうなんです、ラジオ体操も町内会の活動もいまいち動きが悪い。
さすがに<冬眠中です>とは言えない。



「あらあ~!この犬<ケン>って言うんですか。この子も<ケン>なんですよ」
と子連れのお母さんが言う。
<ケン>と<ケン>、私もケン。
そういえば過去にもこんな事があったよね。



2010年のクーとケン

あの頃は飼っていたクー(ポメ)と変わらないぐらいの大きさだった。
その一年後に再会するとクーよりあるかに大きくなっていた。
早いな、もう7年前の話だ。
クーは死んでしまったが、ケンとは長いつきあいなのだ。



オスの秋田犬で8歳?。
おとなしく、あのうるさかったクーにも堂々とした態度を見せていた。
テレビの事を飼い主に聞いたら
「<あ>のつくモノを持って来いと言うのでこいつを連れて行った」
と言う。
そうだよね、秋田犬だもんね。

いよいよ青ガエル

2016-02-11 17:54:25 | 写真投稿
EOSD6を持って家を出た。
このところの晴天が続き、すがすがしい朝になった。
青ガエルのラストランまで今日を入れて4日と迫った。
明日から天気は崩れるような事を言っていたので春の陽気は今日が最後だろう。
坪井川遊水公園へ歩き出す。
公園の遊具がある場所ではテレビ局が来て何か催しモノがあっていた。
朝早くから多くの子供連れで賑わっている。
さてさて、どこを歩こうか考えたが春の陽気でまだ目が覚めていない。
しばらく公園内のグラウンドのベンチに座り金峰山を眺めていた。
あの山のてっぺんから青ガエルは撮れるのか考えた。
数日前登ったときは霞がかかって市内方面はあまり見通しが良くなかった。
無理だろう。
考えがまとまらない内に北熊本駅に行ってみた。
まだ早いのかほとんど人もいなく、つい最近出来たショップも誰もいなかった。
ただホームにはテレビ局のカメラと音声、そしてもう一人がグループになり取材をしていた。
ブラブラと沿線を歩き、カメラを持った人に話かけてみた。
若い青年だったが地理的に詳しくないようだったので<先ずは乗ってみたら>と言っては見たがその後どうなったかはわからない。



打越橋付近でうろうろしているとオジサンから声をかけられた。
通過時間を聞くので、北熊本駅と上熊本駅の発車時刻を教えた。
ただ臨時ダイヤになっているので参考にと付け加えた。
結局、午前中はほとんどシャッターを切ることも無く自宅に戻った。
昼食を食って坪井川の堤防に座り込み、春の陽気に気持ちが良い。
堤防に寝ころびしばし昼寝だった。
踏切が鳴り出し目が覚めた。



コンデジで数枚撮り上熊本駅まで歩くことにした。
坂を登り池田駅の上に出た。
ここは人気があるようで高級なカメラが数台セットされていた。
それを横目に上熊本まで歩く。
結局、一度もシャッターを切ることなく上熊本駅に着いた。
さすがに疲れたので青ガエルに乗って帰る事にする。
しかし小銭が無く、財布には1万円札が1枚だった。
コンビニで買い物をして小銭を作った。
乗客も多いのかなと思ったがそうでも無かった。



ただ、運転手の他に1名、熊本電鉄の社員が乗っていた。
いつもはワンマン運転なのだが、今日からは2名体制のようだ。



北熊本駅に着き降りた。
藤崎宮行きの電車にも2名が乗り込んでいた。
てくてく歩いて打越橋に戻ってきた。



打越橋の踏切にも熊本電鉄の社員らしき人が立っていた。
そういえば歩いていて青ガエルの警笛が異常に聞こえた事が数回があった。
撮り鉄さん達のマナーの問題のようだ。
家に帰り着くと、妻から
「一日中良く遊ぶね!」
と言われてしまった。