打越通信

日記ふういろいろ

彼岸

2018-03-25 20:31:03 | 日記ふう
彼岸という事もあり祝日と振り替え休暇を利用して実家に帰省した。
仕事を終わり家に戻りすぐに熊本の自宅を目指すが、休日前の帰宅ラッシュと重なったのか太宰府インターまでかなりの時間を費やした。
熊本の自宅には夜の8時半頃着いたが、息子夫婦は妻の実家に行っており帰宅時間は遅くなると連絡が入っていた。
しばしして息子夫婦は帰って来て、夜中まで近況を話し合いその夜の遅くに就寝した。
翌日は朝から割と強い雨が降っいて、少し時間を遅くして実家に向かった。
熊本市内を通るがいろいろと変化を目にした。
新しい家が次々と出来ていて、空き地になっていたところにコンビニが出来ていたりとかなり変化していた。
「「あれ、ここは昔何があったっけ?」これが合言葉のようになってますよ」
と息子の嫁が言っていたがその通りだった。
熊本地震からもうすぐ2年になるが、やっと復興の兆しが目に見える形で進んでいるのを確認したようだった。
実家には昼食時を少し過ぎた頃に到着した。
今回はある程度の時間を費やしてできるだけ両親の遺品関係の整理をすることにしていた。
しかし実家に着くと外回りの雑草が気になるので1時間ばかり庭の草刈をした。
そのうちに整理のついた燃えるごみなどが出てきたので、畑に入りそこで焼却することにした。
ついでに前回伐採した竹が畑に散らばっていたのでそれも焼却することにした。
何しろ竹が草刈機もそうだけど耕運機などを入れるときに一番厄介になるのだ。
そんなことで初日は終わり、翌日は朝から庭にあるガラクタや整理のついた衣類や小物、そのほか雑多なものをクルマに乗せ焼却場に持ち込んだ。



この焼却場もカレンダー通りの休日になるため平日しか持って行くことが出来なかったのだ。
親せきのオジから軽トラを借りようとしたが電話が通じず(どうも留守のようだった)しかたなく自家用車で運ぶ羽目になった。
午前中に3回ほど運び込んだが料金を取られることは無かった。
しかし分別が厳しい都市なのであらかじめ分類して運びこんでも処理場でそれ以上の分別をする羽目になった。
乗用車に乗る程度の廃棄処理だったのであまり整理はつかなかったが少しは進んだのだろう。
家の中の整理は家人に任せ、再び庭の掃除(というか草取り)をしようと庭に出た。
イネ系の雑草が気になっていた。
夏になると背丈以上の草が茂っていたので根の方がかなり繁殖しているのではないかと気になった。
親父が好き好んで管理していた芝はほとんど雑草にやられ姿さえない。
そういえば親父が亡くなって6年が経つ、その前の寝たっきりの状態からは7,8年ほど庭の掃除はほとんどしていないのだ。



思い切って耕運機にエンジンをかけ、庭の一部をかなり深いところまで耕してみた。



思った通り根が縦横に重なり合って張っていた。
耕運機の掘り起こした跡にさらにクワを入れるとさらに深いところまで根がある。
クワを入れ根を掘り起こして取り除く作業をしていたがキリが無い。
午後5時を過ぎ、近所に挨拶をして福岡に向かった。
福岡には夜9時前に到着した。
実家の整理も少しは進んだが、まだまだすべき事が多い。
彼岸と言いながら実家に戻ったのだが、実家の整理についつい時間をとられ墓参りをするのを忘れていたことを福岡に戻ってきて気がついた。
まあ、仏さんも許してくれるだろう。

春ブラ

2018-03-18 21:14:44 | てくてく
久しぶりの休日、朝から部活と一週間分の食料品の買い出しだった。
ここのところ週末になると早めに起きて部活(練習場)に出かける事が日課(いやいや週課かな)になっている。
調子の方は相変わらずひどいものだ。
本格的に振り始めたのが去年の5月くらいからだから、もうちょっとで1年になる。
しかし何の進展もない、それが現実でかえって下手になっているかもとの不安の方が強い。
夢を追うのはまた違ったことなので、それは経験値から嫌というほどわかってはいるがこうもギャップはあると空しいものだ。
そんなこともあり昼前からぶらりと散歩に出かけた。
朝から晴天だったが昼前から雲が出てきて肌寒くなってきた。
天神は相変わらず人が多い。
家人が珍しく家電量販店に行きたいようで付き合った。
どこに行くかと思えば電子ピアノの売り場だった。
私には全然興味が無いのだ、家人は興味深く販売員の説明を受けていた。
今住むマンションにも娘が持ち込んだ電子ピアノがあるし、自宅(熊本)にはどデカいピアノとエレクトーンがあるのになぜなのか家人に聞いてみた。
コンパクトなのが一番のようで、それに月に一度の調律も必要ないというわけだ。
本気かどうかはわからないが値段を見る限り、冗談だと信じたかった。
ぶらりと岩田屋に入った。
日よけ用の帽子が欲しかったので、紳士服売り場で見て回った。
見るだけのつもりがついつい店員に捕まり買う羽目になってしまった。
どうせ買うつもりでいたので少し高かったが買うことにした。



紳士服売り場で時間を潰し、本屋に向かった。
本屋で時間を潰し、遅め昼食をとり大濠公園まで歩くことにした。
お堀の前ではカモやバン(かな?)に家族連れが餌をやっていた。
福岡城跡地の石垣を上ると平和台球場跡地に出た。



さらにのぼり梅園に来たが、もうすでに梅の季節は終わろうとしていた。
しかし公園内のさくらの木にはつぼみが今にもはじけそうな雰囲気でたくさんあった。
遠目にも木々全体がピンクがかっていた。
来週にも一気に咲き始めるのだろう。
大濠公園まで歩き池のほとりで一休みした。
その途中でもこの公園内にも外国人らしき人が多いのには驚いた。
街中にはちょっと変わった服装をしている人や刈り上げ頭にサングラスといったスタイルを良く見かける。
結局、重たいカメラをリュックに詰めて持っては来たが写真を撮ったのは数枚だった。
護国神社から赤坂、薬院、白金、清川と歩いて自宅に戻った。
歩数計は17000歩を超えていた。
春ブラは少し早かったようで来週末くらいからが良いようだ。

3652

2018-03-16 20:09:04 | お知らせ
<ブログの開設から 3,652日>と<記事数全3393件>という表示を管理画面から教えられた。
4年に一回はうるう年があるので3652日は納得できる。
つまりブログを書き出して10年になるわけだ。
書き出した理由は、沖縄に転勤になった親友のためと同時に娘が独り立ちし福岡に旅立った事、甥っ子のジュンが遠く東京に就職で行った事がきっかけだった。
引っ越しで沖縄に一緒に行った時、パソコンの設定をしているとき何気なく「打越通信」という名前を付けたのが始まりだった。
あれから10年、何が変わったのかわからないが記録としては残っている。
それが良い事なのか悪い事なのかはわからないが、それぞれに思い出を残す、ただそれだけ。
それと確実にあれから10歳は年をとった事は間違いない事実だろうと思う。
義務教育の頃は「長距離走」と「作文」が大嫌いだったのだけど、まあそれが、こんなにも長く続くとは思いもしなかった。
だいたいは書きっぱなしで誤字や脱字に脈絡もない文章などひどいものだが、続くものだ。
レイアウトもそのままだし、書いたら見直すことはたまにしかない。
近頃はパソコンを開くこともあまりなくなり、この先どうなるのかわからないが、あまり力むこともなく淡々と記録を残していくのかもしれない。
書いて考えをまとめる、これは確かに良い事のように思う。
だから考えがまとまってきたら書くかもしれないし、まとまらなくてもダラダラと書くことで何かがまとまるかも知れない。
まあ、あまり難しい事は考えないでログを残すようにしようとは思っている。
この先また10年、どうなるかは今からなのだ。

恐怖の牡蠣小屋

2018-03-12 20:44:59 | 日記ふう
クルマを運転していると
「薬院の駅から六本松の道で行こうか」
助手席から指示が出る。
左だ右だとうるさく言う。
福岡に来て2年になろうとしているが大まかな道はだいたい頭に入っている。
ちょっと走ると海に出るし、海以外の方向に向かうとするとすぐ山に入ってしまうほど福岡の街は広くはない。
スモール都市とかコンパクトな街と言われる所以だ。
佐賀平野や筑後平野並みの広さがあれば、もっともっと広がりのある都市になるのだろうがしょうがない。
コンパクトな街ではあるが道は割と広く、走りやすい。
細かな路地までは詳しくはわからないが大通りについてはそういう認識だ。
だから一度通った道は頭に入りやすい。
博多駅で人を拾って途中でまた一人拾って糸島方面に向かう。
隣に座った人は親切心から道を指示するのだろうが良い迷惑なのだ。
そういえばこの頃、助手席に座る機会が多い。
家人の運転についつい口を出すことが多い。
なぜかというとクルマが横揺れを起こすのだ。
原因は視線がすぐ近くを見ていて、おまけにハンドルを握りしめて運転している
「もっと行き先の先の方を見て、ハンドルの遊びは何のためにあるの?」
言っても治ることは無い。
それと先の事を考えてないため、次の交差点を左折しなければならないのに延々と右車線を走っていていざ左折となりあわててしまう。
何度言ってもわからない、なぜだろう。
まあ話が違う方向に行ってしまうので元に戻す。
立場変わって運転する身になれば
「うるさいな、道は知ってますよ」
と心の中では思っているが言われるままに運転をする。
そういうときは赤信号で止まっているときにナビに行き先を入力してしまうのだ。
あとはナビに言わせることにする。
「へーえ、こんな道があるのか」
「ここに出るのか」
となるわけだ。
途中で一人拾って糸島に向かう。
正式にいえば糸島のちょっと手前、だからまだ西区になるのかな。
海釣り公園の手前に牡蠣小屋はあった。



時間的には少し早い11時半ころだったが広い牡蠣小屋は半分くらい埋まっていた。
それぞれに牡蠣や野菜、ハマグリやサザエなどなどを買いパチパチと元気よく熾きた炭火にかける。



時期的には少し遅いのかなかなか殻が開かないようで、拾い上げてへらでこじ開ける。
それでも一人当たり1kgから1.5kgも牡蠣がある。
無心に食った。
ハマグリやウインナ、海老など食う。



皆さんビールに酒、運転手の私だけノンアルコールなので食うことに専念した。
これがいけなかったようだ。
前置きが長かったのはそういうわけで。
牡蠣小屋を出た後は気分が悪くなり、嘔吐に○○で大変だった。
早朝(午前3時)からの部活動だったり土曜日の仕事だったりと体調が良くなかったのだろう。



それでも運転手として酒蔵や土産物屋、物産館周りをした。
眠気もありそういう時は駐車場のクルマの中で熟睡だったりトイレに駆け込んだりと忙しかった。
それでもナビの言う通り運転して無事に返って来たのだからすごいものだ。

2018-03-08 21:46:47 | 買い物
靴を買った。
ちょっと高かったけど前に履いていた靴と同じメーカーの同じ靴だ。
仕事でもちょっと街歩きでも使えるように今回は濃いめの茶色にした。
社会人になってビジネス用の硬い革靴は最初の1年くらいしか履かなかった。
どうも脚のふくらはぎに違和感があるため苦手だったように思う。
当時からソフトビジネスシューズのような靴があったのでそればかり履いてきた。
フォーマル用の革靴は、確か結納返しとして今は亡き義理の親父に買ってもらった高級の革靴がある。
結婚式や法事とか正式な場ではそれで通したのであまり履く機会が無い。
だから今でもきれいにして保管している。
ソフトシューズの方はいろいろなメーカーの靴を履いてきた。
靴底の減りの早かったり、靴先がはがれたり、底に穴が開き雨水が入り込んだりと様々だった。
最悪は滑りやすい靴だった。
普通の道ではそうでもないが、タイル張りのちょっと気取ったビルのコンコースなど特に雨の日はつるつると滑ったこともあった。
前に買った靴はちょっと高かったがそれらすべてに良好だった。
もうかなり長い間履いている、と言ってもあまり歩くことも少なかったし仕事を辞め履く機会もなかったと言えばそうだけど、ちょっとしたリハビリがてらの散歩ではこの靴が良かったので良く履いていた。
今通勤は徒歩で15分程度(2km弱くらいの距離)だがそれを2往復している。
昼休みもてくてく歩いて自宅で済ませている。
現場に出向いたり、倉庫(自宅までの中間くらいの距離)に出たりしているので毎日ほぼ10,000歩前後はあるいている。
毎日の事だし歩きというのは基本的な事なので靴はとても重要だと思うようになった。
ジョギングをしていた頃もジョグ用の靴はいろいろと買った事がある。
メーカーにより様々な工夫がされていて、クッションを重視する靴や土踏まずのところにフィット感(押さえつけ)を与える靴など様々だった。
そしてサイズも様々で特に幅サイズが豊富だった。
でも結局はアシックスの平凡な靴が一番良かったように思う。
ウォーキングシューズ(結局ビジネス用として履いているが)も私にとってはこれが一番履き良かった。
色違いだが形も同じで背広にもジーパンでも合う色にした。
今回の長崎ウォークで初おろしだったが全然違和感もなく問題なかった。
まあ、ファッション性をとるか機能重視の快適さをとるかはあろると思うが、日々の基本的なアイテムなので重要なモノなのだろう。

夕暮れのランタンと月

2018-03-02 22:33:16 | 写真投稿
小高い丘を下り中島川に出た。
まだ上流の方だったようでランタンの姿は無い。
もう時間的にも夕方の6時を過ぎ暗くなるはずだったのだがまだ明るかった。
去年は雪が舞う寒い記憶があり、もう今の時間は暗い闇の中だったような気がする。
それに比べ、今日はまだ明るく寒さも去年とは比べ物にならないくらい暖かい。
例年にない寒い冬だったが今日だけは和らいでくれた。
眼鏡橋の麓に着くとベンチに座り込んで暗闇がくるまでゆっくりとすることにした。
観光客らしき人々がまだ明るいなか写真を撮っているが、こんなもんじゃないよと声をかけたくなった。



<刻々と変わる夕暮れの深い青空(群青色というのかな)をじっと待つのだ>
と心の中で思いつつもやはり体が動いてしまう。
満月ではないが今日は月が出ていた。



変わりゆく紺青色と赤いランタンと月、良いではないかと気持ちばかりが先に出る。



眼鏡橋付近も人が多くなってきて暗くなるにつけ人々の声も大きくなってくる。
川面に降りて水面すれすれにカメラをセットし何枚か撮った(たしか去年も同じことをしたような)
それを見てかどうか知らないが隣の女の子も同じような事をしていた。



眼鏡橋を離れ中央公園に行ってみた。
こちらの会場では二胡の演奏があっていた(たしか去年と同じだ)
巨大なモニュメントを見上げると月が見える。
ビルと重なりこれはこれでまた絵になるのかもしれない。
中央公園から再び中島川に戻り浜んまち商店街に向かった。
賑橋付近が好きで、ランタンの中を進む路面電車を狙ったがうまい写真は取れなかった。





浜んまち商店街から新中華街に向かうが、平日だというのに人であふれかえっていた。
そうか仕事帰りの人たちもいるわけだが、いやいやそういうわけではないようだ。
建ち並ぶ店の一つで長崎名物の<よりより>を土産に買った。
新中華街を人にもまれて湊公園前まで来た。
公園内から勢いのある音が聞こえてくる。
遠目に蛇踊りが見えた。
しかし人が多くて公園内にはとても入ることは出来ないようであきらめた。
時計を見るとすでに7時半を過ぎていた。
新中華街から横道に入り路面電車で長崎駅に向かった。
駅ビルの売店でちょっと豪華な弁当を買って8時半の博多行のかもめに乗った。
自宅には11時頃だった。
<長崎ぶらぶら>とか<長崎さるく>とかうたい文句はなかなか良いが、これに乗ってはいけない。
長崎は坂の街なのだから・・・
去年のような脚の痛みに悩まされなかっただけでも良い。
やはり健康が一番だ。
歩数計は26,000歩(ただの歩数ではないそ)を超えていた。

長崎ウォーク

2018-03-01 22:09:47 | てくてく
長崎に着いたのは12時半を過ぎていた。
博多駅を10時過ぎだったので2時間とちょっと、かもめは787系(リレーつばめで使われていた列車)だった。
駅に着き先ずは食事をしようとグラバー亭近くにある四海樓に向かう。
路面電車に乗ろうとSUGOKAのカードを読み取らせようとするがエラーになってしまう。
長崎の路面電車にはたしか去年も乗ったようだが交通系のカードが使えなかった事は忘れていた。
しかたなく乗り込んで立っていると目の前の席が空いた。
隣に立っていた女性(長崎の美女)が
「席が空きましたよ、どうぞ」
と声をかけてくれた
「いやいや、まだそんな年ではないですよ。それよりレディーファーストでどうですか」
というとくすっと笑って、年は同じくらいかな、腰が痛いので立っていた方が楽なんです、などと気さくに応えてくれた。
四海樓にちゃんぽんを食いに行くと言ったら、この電車ではいけないので築町という電停で乗り換えになる、降りるとき運転手さんに乗り換えであることを伝え券をもらう事、乗り換えの電車は降りた電停の反対側で待つことなどなど丁寧に教えてくれた。
築町で降りて石橋行の電車に乗り換えた。
まさしく長崎の美女が言った一言一言が的確に当たっていた。
四海樓はやはり行列が出来ていた。
目の前の国際埠頭には大型の客船が見える。
店内にも外国人観光客らしい人たちが多くいた。



並ぶこと30分くらいだったかやっとちゃんぽんにありつけた。
街中のちゃんぽんとは一味違うクリミーな味がちゃんぽん発祥の店の味だった。
これとは別に食欲旺盛で皿うどんも頂いた。
こちらは少し濃い味の、これまた絶品の味だった。
四海樓を出て大浦天主堂まで歩いてみた。
天主堂は工事中で工事用のシートで覆われていた。
天主堂の付近から横道に入る。
狭い道を軽乗用車が向かってくるのだが、道幅がぎりぎりで道からはみ出してよけてあげないと通れない。
良くまたこんなところをクルマで通るものだと驚いた。
右手の神社、左手にお寺、そして教会がある「祈りの三角ゾーン」という所に来た。



地図を見るがどちらに行ったらいいのかわからないが、とりあえず細い道を階段を登り下りしながらやっと電車通りに出た。
オランダ坂や唐人屋敷跡など地図を見るだけではそんなに遠くはないが坂道が足に負担になる。



オランダ坂の横にある東山手十二番館で一休みして再び坂を上る。
行き交う人たちに道を聞きながら人一人がやっと通れるような道をただただ歩いた。
思案橋に出て坂本竜馬の像があるという風頭公園に向かうことにした。



お寺の横に「幣振(へいふり)坂」というのを見つけた。
何の事前知識はなかったが方向的にはここだろうとその道を行くことにした。
しかしそこは急な階段が続き、周りは広大な敷地全体がお墓だった。
グラバー亭からかなりな坂を上り降りして脚はすでにガクガクになっている。
途中で腰掛け石が置いてありそこの座っていると一人のご老人が来られたので行き先を尋ねた。
方向も道もあっているようで、親切にも一緒に行ってもらうことになった。
坂の下に自宅があるようで毎日散歩でこの坂を上られているようだ。
さすがに膝が笑うとはこういう事、ご老人もそんな私を笑われているのかどうかわからないが親切に休む私を待ってくれた。
長崎の話をたくさんしてくれた。



やっとの思いで風頭公園に着いた。
凧揚げ広場が目に付いた。
そしてしばらく歩くと坂本竜馬の銅像があった。
銅像は長崎湾の出口の方を向いていた。
しばらくそこで休憩だった。
石碑には司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の一節がきざんであった。
それから再び歩きだし亀山社中記念館に向かう。
しかし時間はすでに5時を過ぎ、記念館は閉館になっていた。
竜馬のぶーつ像を探す。



ここにきて再び坂道を上り下りしてやっとの思いで探し出した。
さてさてこれで一応の目的の第一弾は終わった。
坂道を下りランタンの待つ街中に繰り出す。