打越通信

日記ふういろいろ

秋晴れの散歩

2020-09-16 21:55:34 | てくてく
今では住吉神社までの散歩が多くなり歩数は3000歩程度になっている。
それも休憩をとるため公園での休憩なしでは息が続かない。
公園の花壇では、アバカンサスの花が落ちた葉っぱの陰から鈴虫の音が聞こえる。
小さな公園の小さな花壇から秋の風情を聴くとは思いもしなかった。
田舎より都会の方が鳥や虫たちとの距離が近いことに驚く。

久し振りに青空が高く、秋晴れの空、風もからっとして気持ちが良い。
住吉神社からキャナルシティへ向かう。
いつも通る道だがキャナルシティの2階にあがり、賑やかなテナントショップ街を抜け、連絡通路を通り櫛田神社の裏門に出る。
久し振りの櫛田神社も落ち着く場所に変わりはなかった。



ただ、インバウンドの姿は消え、博多の街の鎮守様に戻った感じだ。
コロナの影響で「博多どんたく」「博多祇園山笠」「放生会(ほうじょうや)」が神事だけで祭りとしての催しはすべて中止(延期)になった。



飾り山笠もここ櫛田神社の山だけが新しくなった。
加藤清正の「清正公虎退治誉(せいしょうこうとらたいじのほまれ)」がこの一年飾られることになる。
参拝をしてしばらく境内のベンチで過ごす。
参拝客(たぶん地元の人たち)が次から次へと参拝に来られる。
腰を上げ川端商店街に向かう。
こちらも久しぶり、何店舗か店が変わったように感じたが、家人は違うという。
川端商店街を抜け、博多駅行きのバスにのり博多駅に向かった。



用事は2点、先ずはお土産屋に行き娘への贈り物を選ぶ。
輸入品屋なのかスパゲティ(パスタ、ソース、タバスコ、粉チーズ)、コヒー、クッキーなど手当たり次第に箱に詰める。
隣のスーパーから「うまかっちゃん(インスタントラーメン)」を2袋買って来てそれも一緒に箱に詰めてもらい送った。
ヨドバシカメラに行き、赤ん坊の写真(数枚選び補正した画像)を2L判でプリントしてみた。
2L版で印刷してみて、良かったら大きく伸ばそうと思ったわけだ。
家に帰りしばらく貼って眺めることにした。

今まで5000歩にも及ばない日々が続いたが、久し振りに1万歩の散歩になった。
良い季節になったので歩く事は続けたいと思う。

下関長府城下ウォーク

2020-07-04 20:31:39 | てくてく
関門トンネルをくぐり下関市内に入る。
ここもトンネルからの道とインターチェンジからの取り付け道路が入り組んでいてわかりにくいところだ。
うろうろしていると海岸線(壇ノ浦)あたりに出た。
海岸線を右に関門海峡を見ながらしばらく走ると長府市街地に入る。
観光会館のような所があったのでそこに駐車した。
会館に入り市内(長府城下町)のマップを手に入れる。
奇麗に整備された川沿いにはかなりの数のカモがたむろしている。
先ずは長府毛利邸を目指す。

ガイドには
<長府毛利家第十四代当主の毛利元敏公が、東京から長府に帰住し、この地を選んで建てた邸宅で、明治三十一年(一八九八)に起工し、明治三十六年六月二日に完成した後、大正八年(一九一九)まで長府毛利家の本邸として使用されました。>
とある。

長い玄関までの石畳を歩き、門をくぐる。



毛利秀元の像が出迎える。



歴史観のある家屋に入るとツルの襖絵が表れる。
さらに中に入ると大広間が広がっていた。



部屋数もかなりあるようで中庭をぐるりと囲んでいる。
二階部屋もあるようだが、資料展示室になっていた。



庭も広く、今の時期は緑がきれいだ。



その一番いいであろうという部屋に<明治天皇御宿泊の間>というのがあった。

<完成直前の明治35年(1902年)に、熊本で行われる陸軍演習を視察する明治天皇の行在所(仮の御所)となり、往路の11月9日と、復路の11月15日に宿泊。>

天皇が泊まられたとはすごいことではないか(それだけで感動だった)。

歴史的長府毛利邸を出て、功山寺というお寺に行った。



毛利家ゆかりのお寺のようで大きな山門が出迎える。
乃木希典(大将)や狩野芳(画家)、高杉晋作(銅像があった)のゆかりあるところのようだ。
お寺を出ていったん駐車場に戻り、クルマで長府庭園に向かった。
園の一番奥に滝があり、その水が流れ池を作る、そのような庭園だった。
今一番のアジサイが所々に咲く。
池の淵に大きなハスを見つける。



孫文から送られた蓮で中国古来の品種のようで貴重なものだろう。

長府を後にして関門トンネルを抜け帰路につく。
関門は昔から交通の要所のようで、歴史的にいろいろな人物が集まるところだ。
菅原道真も長府にゆかり(菅原の井戸)があったようで、この地には二度と帰らない、といった言葉を残したという。
壇ノ浦の戦い以前からの歴史があり、幕末の長州藩の歴史を持つ町だ。

白水大池公園(しろうずおおいけこうえん)

2020-06-21 13:35:10 | てくてく
3日か4日に一度はクルマに乗り市内をうろついたり、福岡市近辺の公園などに出かけそこで運動(散歩)をしたりしている。
クルマのバッテリ充電のためなのだが、今ではそうでもなく、気晴らしが目的だ。
車検とタイヤ交換は今年の初めに終わっていたが、バッテリについては交換時期だった。
オイル交換と同時にチェックしてもらったら完全にダメ(充電できない状態)でオイル交換代(5000円)とバッテリ交換代(1.5万円)がかってしまった。
四国旅行前で結果的には良かった。



白水大池公園には桜に時期に1度来たことがある。
あの時まで白水を「はくすい」と思っていたが「しろうず」とかなり難易度の高い呼び名であることを今回初めて知った。
この辺り一帯(春日から大野城)にはこんな溜池がいくつか点在しているようでその中でも最も大きな池のようだ、
散歩するには一周2kmとちょうどいい距離でアップダウンもない。
池の水はあまりきれいではないが、鯉やカメの姿が見られる。
前回は水鳥たちで賑わっていたが今の時期、その姿はなかった。
休日だったが家族連れとか若い人は割と少なく、ご老人たちのグループ(どうもウォーキンググループ)らしき人たちが多かった。



併設しているグラウンドでは乗用芝刈り機で天然芝の芝刈りがあっていた。
芝の管理には少し興味があるのでベンチに座り心地よい風の中しばらくその様子を見ていた。
十分に休憩をして歩き出すと「星の館」という看板があった。



階段を登って行くと天文台らしき建物がありその前では望遠鏡が設置してあり太陽の観察ができるという。
覗いてみると赤い太陽が見え、12時半と7時20分あたりに噴火しているところがあるという。



そこまでは見ることが出来なかったがカメラで撮れるものか挑戦してみた。
明日(6/21)は部分日食が見られるという。
確かこのブログでも皆既日食の記事があると思う。
6月21日の16時頃から17時にかけて見られるそうだ。
観測用の太陽メガネを売っていたので買って帰った。
しかし今時点で福岡市内は薄い雲が出ていて太陽は隠れている。

話がそれてしまいそうなので、元に戻すが、春日市は結構裕福な市のようで、春日公園やこの公園のように公共の施設が充実している。
そして高層のマンションより戸建ての割合が多いようで住みやすい街のようだ。
水城(みずき)との絡みなどなどあるようで春日、大野城あたりを歴史散策するのも良いのかもと思っている。

薬院から大濠公園

2020-06-17 20:47:56 | てくてく
毎朝、住吉神社への散歩(参拝)を続けている。
朝の6時頃から6時半に参拝を済ませる。
年間に様々な行事が行われているようだが、「お田植え祭」が行われたようで神田には新しい稲が整然と並んでいた。



梅雨だというのにからっと晴れた日が続き、神社や公園のアジサイも疲れ気味のようだ。
薬院から赤坂方面を散歩する。
洒落た店も多く、周りにはこれまた洒落たマンション群がそびえたつ。
大手門付近を歩いていると沖縄料理の店があったので入ってみた。
ランチが700円ほどで食える。
ソーキそばの定食を頼んだ。
沖縄からの食材も2日おきにしか届かないようで、食材の仕入れに苦労しているとのことだった。
料金もリーズナブルなので店は繁盛しているようだ。



ランチだからかもしれないが、本場(シンヤさんちのそば)のような味ではなかった。
それでも沖縄らしくコーレーグースなども置いてあり、雰囲気は良かった。



店を出て舞鶴公園に行き、ベンチで一休みする。
本当に梅雨なのか、からっ風が気持ちよく、昼寝をしてあとは本を読んで過ごした。
ここまで来たらと久しぶりに大濠公園まで歩いてみた。
都心にこんな公園があるって良いよなあ。



湖畔のコヒーショップで一休みして地下鉄に乗って帰った。

早朝の散歩

2020-05-27 20:27:33 | てくてく
早朝の散歩はまだ肌寒く、パジャマの上から靴下とウインドブレーカーを着て出かける。
通りは人影もなくがらんとしていて日中の通りとは違った姿を見せている。
近くの公園で一休みする。



公園の芝生一体にはシロツメクサ(クローバー)がはびこっている。
数年前にはわずかな範囲だったけど、今年に入り群せいはすごいもので広範囲にわたっている。
芝生から見るとえらい迷惑な雑草となるが、クロバーでおおわれると他の雑草が生えにくく雑草対策となるから不思議だ。
季節も春5月からいよいよ6月の梅雨に季節になるとしている。



アジサイがほころびかけていていよいよという感じだ。



その中にバラの花も同居していて春の花々の中でも際立って目を引く。
住吉神社までの早朝の道をゆっくりと歩く。
境内に入りお参りをするが人影はない。
何事にもしばられることのない自由な日々を送っている。
ストレスのないゆったりとした時間がしばらく続くことになる。
さて朝食をして何をして過ごそうかと考える貴重な時間だ。
早朝の散歩は一日の始まりの大切な時となりつつある。

運動不足の解消に

2020-04-26 19:42:04 | てくてく
熊本にいる義理の弟にメールを入れた。
今は疎遠になりつつあるが、子供同士がまだ幼かったころはキャンプにゴルフ、釣りにと仲の良い義兄弟だった。
甥っ子の亮(鹿児島で居酒屋を経営している)の事も気になっていたのだが、やはり鹿児島でも県を通じて自粛の要請が来ているようだ。
やはり緊急事態宣言は感染者の少ない鹿児島でも例外では無いようだ。

このところ娘が良くやってくるようになった。
同じマンションの棟違いに住んでいるのだからそんなに遠慮はいらないのになあ、と思っていたら、私が仕事に出ているときはしょっちゅう来ていたようだ。
私の巣ごもりが原因だったわけだ。
3人で昼飯を食って、散歩に出かけた。
美野島から竹下駅にかけて那珂川沿いに遊歩道のような道が整備されている。



川沿いには川べりを進む道と堤防の道と2種類の道があり、川べりの道には休日という事もありワーキングやジョギングの人たちでにぎわっていた。
堤防の道には人影もなく閑散としていた。
新緑の季節に変わった堤防の道をのんびりと散歩した。
木々と小鳥たち、道沿いにはハナミズキの花やツツジの花、名も知らない花が咲きほころんでいた。



立ち止まっては写真に収める。
竹下駅を過ぎたあたりで(ここで道はとだえていた)橋を渡り、向こう岸を歩く事にした。
割と暖かい薄曇りの気候、途中の自販機で飲み物を買いしばらく休憩にした。
2時間ばかりの散歩中に考えた事は、お好み焼き(焼きそば付き)か鍋(できれば水炊き)かという事だった。
やはり2人と3人では料理の内容が違ってくる。
<豚肉は昨日大量に買ったのがあるし>とスーパーに寄りキャベツと焼きそば麺と魚粉パウダーを買って帰ったのだ。

小戸ウォーク

2020-01-20 20:53:29 | てくてく
正月から20日が過ぎ、風邪気味な体調も少しは良くなってきたような気がする。
知人と話をしていると、その方も同じ症状のようで、風邪気味なのかアレルギーなのか良くわからないと言っていた。
まさにその通りで、良くなったかと思えば鼻水と喉の痛みが出る、その繰り返しなのだ。
「バカは風邪ひかない」と昔の人は言うが、それじたいもう古いのかもしれない。
新型コロナウイルスなど世の中で騒がれているように、ウイルスの世界なのだからどうしようもない気がする。
少し体調が戻ってくると、休日も暇でしょうがない。
家人といろいろ話をしていく中で、小戸(福岡県福岡市西区にある地名)にある中華料理屋の話になった。
あれは福岡県糸島市にある産宮神社にお参りに行った後、今宿駅で下車し、海岸線をトコトコと歩き、腹を空かせ入った食堂だった。
カジュアルな中華料理屋というより居酒屋風のアジアンキッチンといったが良いのだろう。
「あそこでビールでも飲みたいな」
と家人が言う。
さっそく博多駅に出かけ地下鉄空港線に乗り込んだ。
姪浜駅で下車してくてくととお店まで歩いた。



店はまだ若い(30代から40代くらいの)男性たちがやっている。
前回はランチセットだったが今回は、ビールにハイボール、料理はチャーハンとよだれ鳥にした。
まあ感じのいい店で味もそんなに悪くない。
ちょっとした遠くの街でちょっとした店を見つけたという満足感だった。
さて店を出て前回(今宿から海岸線を歩く)からの続きに出た。
先ずは明治通りから小戸公園を目指す。
広い公園はさすがに真冬とあり駐車場はがらんとしていた。
整備された公園を行くと、港のような所に出る。



湾の外(いやいや風が強く湾内のようだ)には小型のヨットが何十隻も出ていたが、風が強くあまり外には出られないような風景だった。
誰もいない公園の遊歩道のような所を歩く。



目の前に能古島が現れた。
風邪の治りかけの状態で寒い海べりの冷たい風にあたって良いものだろうかと思ったが。
「海の風に当たれば元気になる」
と言っていた海釣りの好きだったオヤジの言葉を思い出した。
でもやはりもう少し穏やかな季節に来た方が良いようだ。
福岡タワーまで歩くつもりだったが、なぜかマリノアシティに来てしまった。
しばらくモールに入り体を温めてバスに乗って帰った。

ps
この頃JAZZも一休みしYoutubeを見るようになった。
昔聞いて(たぶんCM)独特な声と、これ誰だっけとずーっと気になっていた曲を探していたが、見つけた。

Ave Maria - Aaron Neville


こんな時はうれしいものだ。
さっそくアマゾンからダウンロードする。
しかしMP3なのでCDを探しに行く。

今はトーマス・レットを探している。

吉野ケ里ウォーキング

2019-10-08 19:26:58 | てくてく
せっかくの10月の休日、運動不足を補うためウォーキングに出かける。
クルマで出かけるか電車に乗って出かけるか迷ったが電車で出かけた。
博多駅から各駅停車で鳥栖で乗り換える。
しかし乗り換えに1時間ばかり時間が出来た。
鳥栖駅を出て近くをブラブラするとJ1のサッカーの試合があるようだった。
ブラブラとスタジアムまで行ってみる。
サガン鳥栖とFC東京の試合があるようだ。
試合前の雰囲気だけ頂いてJRの陸橋を渡っているとななつぼしがやってきた。
あれれと思っていると私たちが降り立った7番ホームに停車した。
佐賀行きの各駅停車の発射時間までまだ30分以上あったが改札を入りななつぼしが停車するホームに向かった。



遠目には何度も見ているが近くで見るのは初めてだった。
停車しているだけでドアは閉まったままだった。
時間調整しているのかしばらくすると警笛を鳴らし発車していった。
長くなりなりそうなのでこれくらいにして各駅停車の電車で吉野ケ里公園駅に着く。

公園までは700mくらいだろうか、田舎道の稲穂が並ぶ道を歩く。
あまりの晴天で帽子を持ってくるのを忘れたことを悔やんだ。
吉野ケ里はもう数十年ぶりだった。
確か人骨の入った瓶が発見されたころに来た以来だ。
正面玄関には立派な建物がありその昔の頃とは全く違っていた。
切符(460円)を買って中に入る。
すぐさま案内人の人が来られてパンフを頂く。
笠帽子(無料貸出し)がありそれを受け取って地図を見ながらしばらく案内をしてくれた。
地図を見ると縦長に広大な敷地があるようだ。
園に入り右手から回ることにした。
各エリアが村になっているようで竪穴式の家が立ち並ぶ村にやってきた。



その一つの住居に入る。
半地下の住居で夏は涼しく冬は暖かいからだと案内人の人が言う。
火起こし場の上に竹で編んだすのこのようなモノがある。
ここで火をおこすので火柱が飛ぶのをこれで抑えるためだという。
発掘して柱の位置など正確に再現されているという。



高床式の蔵や祭場なども再現されていてこれぞ弥生時代の村の再現だった。
しばらく歩くと北墳丘墓(きたふんきゅうぼ)に来た。



むかし来た時に展示があっていた「人骨の入った瓶が発見された」場所だった。
ここも立派な建物が建っていて、発掘されたそのまま(本物)展示されていた。
発掘された品々も膨大な量のようで瓶などに至っては今での修復(バラバラになった破片をつなぎ合わせて)作業がされているという。
これだけの量が発掘され邪馬台国の古代ロマンが眠っている。



弥生時代は中国では三国志の時代だという。
戦が嫌になった結構位の高い人たちが朝鮮半島を渡ってきたのではないかといわれているそうだ。
公園はかなり広い。



その広大な公園の草むらに寝ころび空を眺める。
邪馬台国の卑弥呼、どういう人だったのだろうか。
現代の今にまでもその名前が伝えられる人物だ。
横で寝ころぶ家人が云う
「何か懐かしい気分、私、卑弥呼の生まれ変わりかもよ」
古代へのロマンが一気に・・・。

海老津駅へ

2019-09-09 19:51:24 | てくてく
福岡に引っ越してきてから、間もないある日、北九州にJR在来線で向かった。
その時に海老津駅に停車した車窓から見た風景に何かを感じた。
きれいな街並み、海老津という独特な名前だったからなのだろうか、興味を持っていた。
福津から宗像と割と何もないところをJRは走る。
海老津付近になると一気に町が開けて、えっという雰囲気だった。
それが引っかかっていたのだろう。
クルマで出かけた。
国道3号線でナビが案内する方向に向かうと山の中腹あたりにこじんまりとした海老津駅があった。
この付近の地理のあまり詳しくないので(まあこれが良いのかも)興味しんしんと言ったところだ。
新興住宅地のようで街並みがきれいだった。
この辺りは福岡市と北九州市のちょうど真ん中(北九州に近いかな)でようするにベットタウンといったところかもしれない。



駅に行き「岡垣町」のパンフレットをもらってきた。
フルーツが特産のようで季節の果実が旬カレンダーで描かれていた。
駅は山の中腹にあるが海岸線がきれいなようで海水浴場など観光名所があるようだ。
いちど国道3号に出てうろうろするうちに、となり町の宗像に来てしまった。
ナビに海老津港を入力してクルマを走らせた。
海岸線に出るとツーリングのバイクがずらりと並び並んだ海岸線に出た。
ちょうど昼飯時で何か食いたいとホテルのロビーに行ってみた。
満員のようで昼食にありつけるまでは1時間ほど待たなくてはいけないようだ。
しょうがないので海岸線をドライブした。
やはり美しい国「日本」それを実感する。
沖に島が見える。
割と近い島なのだがナビには島が出ていない。
きれいな海岸線を走っているとその島がだんだんと近づいてきた。
なんと世界遺産(宗像神社とその周辺というのかな)の大島だった。
へぇーとその道を進むと前回昼食を頂いた「駅の道むなかた」だった。
この付近の地図が少しづつ実感としてわかってきた。


新しい時代を前に

2019-04-08 20:51:13 | てくてく
新しい元号の発表は、キャナルシティの地下2階のバックヤードと呼ばれるところでそこで働いている人から聞いた。
初めて聞いた時は「えっ」と思わず声に出してしまった。
「漢字はどう書くんですか」
と聞くと
「命令の令、号令の令です」
そこで初めて「令和」を知ったわけだ。
冷たい感じを受けたが、翌日からパソコンの壁紙にその漢字を張り付けている。
漢字や読みは別にして「R」は予想していた通りだったようだ。
私自身は忘れていたが数日前に私がそう言っていたようなのだ。
新しい時代がもうすぐ近くまで来ている。
そういうわけで平成最後の4月ももう一週間が過ぎようとしている。
今年に入ってなかなか帰省も出来てなく、熊本にも実家がある水俣にも帰れていない。
今週も土曜日の夕方から会合のようなモノがあり、せっかくの連休も身動きがとれない。
土曜日は17,000歩、日曜日は14,000歩ほど歩いた。
昼前に自宅を出て、天神や中州あたりの風景を探しながらてくてく歩く。
途中で昼食をとり歩き疲れたらカフェで冷たいものでも飲む、そんな感じだ。
今日は近くのスリランカカレーの店に行った。



辛いスープカレーが今からの季節は良い。
腹いっぱい食って散りかけた川沿いの道を歩くと、まだ桜の花が咲いている。
風が吹くといっせいに花吹雪となる。





川沿いのカフェ(いやいやパブ)に入りハイボールを頼む。
今年に入り少しずつアルコールを飲むようになった。
しかし飲むとすぐに眠たくなるのでコップ一杯が限度になってしまった。
歩き疲れた体に春の風と冷たい飲み物は最高に良い。
ほろ酔い気分で再び歩く、そんな日々を送っている。

今日熊本のひとみちゃんから動画が送られてきた。
団地の有志で花見をしている動画だった。
打越台団地の公園の桜も満開のようで懐かしく拝見した。
もうそろそろ熊本に帰ってこいと言われているようだ。

新春初詣博多ウォーク

2019-01-04 21:59:13 | てくてく
正月三が日に博多にいることは初めての事になる。
二日目に熊本から佐世保経由で福岡に戻り、かなりの距離を運転した疲れもあったが朝起きてみるといい天気だった。
博多の街で三社参りというとどこになるのか考えた。
一番近いのは住吉神社、櫛田神社となるが筥崎宮、宗像神社に宮地嶽神社もある。
太宰府天満宮もあるが、あそこは学問の神様と外国人観光客の観光地化しているので今日はパスしよう、などと考えていて、せっかく天気も良いし、とりあえず一番近い住吉神社に行くことにした。
距離的には1kmあるか無いかなので10分も歩けば着いてしまう。



住吉通りから境内に入ると、いきなり長蛇の列ができていた。
三日恵比須に並ぶ行列だった。
本殿に回るとパラパラと行列ができている程度でそれほど混んではいなかった。
参拝を終えどこに行こうか考えた。
櫛田神社は例年会社で参拝するので、まだ参拝したことのない筥崎宮に行くことにした。
住吉神社から博多駅に向かって歩いた。
筥崎駅で電車を降り筥崎宮まで住宅街を歩く。



途中で祭りの準備にような雰囲気になっていて、何があるのかと思っていると「玉せせり」という祭りがあるようだ。
時間的にはまだまだ(13時から)のようだったので先に本殿に参拝することにした。



鳥居をくぐり中に入るとかなり広い境内だった。
かなり広いので人数は多いのだろうが混んでいる様子には見えなかった。
しかしいざ参拝となると行列ができていて並ぶ羽目になる。
国道までのかなり長い参道には出店がずらりと並んでいて、話に聞いてきた放生会の事を思い出した。
国道に出て、さてと思い天神まで歩いてみることにした。
巨大なショッピングモールがあり、そこで一休みして那の津通りを天神方向に向かう。
途中で横道に入ると古い町並みがあった。



電信柱の住所を確認すると「神屋町」とある。
歴史を感じる街並みだったが正月という事もあり人の姿はなかった。



がらんとした通りを抜け那珂川沿いを天神に向かう。
昼飯時だったのでいつも行く福ビルの地下に入った。
いつも行くレストラン「EST」はついに閉店してしまっていた。
天神ビックバンとやらでこのビルも取り壊しになるのだろう。
仕方ないので立ち食いすし屋に入り寿司をつまむ。
再び福ビルに戻りCDを10枚ばかり借りた。
眠気が出てきたのでコーヒーでも飲もうとジャズ喫茶に行ってみたが開いていなかった。
渡辺通りのすぐ横の細い路地を歩いて自宅を目指す。
大通りから一歩入っただけだがそこは古い店が軒を連ねたところだった。
大通りの賑やかさとは裏腹に、一歩中に入ればこんなに違うのかと驚きだった。
やっと自宅に戻った時には夕方5時近くになっていた。
歩数はなんと1万9千歩をこえていた。
正月早々から日々かなり動き回っているような気がする。
まあ、それだけ元気になったってことだろう。

春ブラ

2018-03-18 21:14:44 | てくてく
久しぶりの休日、朝から部活と一週間分の食料品の買い出しだった。
ここのところ週末になると早めに起きて部活(練習場)に出かける事が日課(いやいや週課かな)になっている。
調子の方は相変わらずひどいものだ。
本格的に振り始めたのが去年の5月くらいからだから、もうちょっとで1年になる。
しかし何の進展もない、それが現実でかえって下手になっているかもとの不安の方が強い。
夢を追うのはまた違ったことなので、それは経験値から嫌というほどわかってはいるがこうもギャップはあると空しいものだ。
そんなこともあり昼前からぶらりと散歩に出かけた。
朝から晴天だったが昼前から雲が出てきて肌寒くなってきた。
天神は相変わらず人が多い。
家人が珍しく家電量販店に行きたいようで付き合った。
どこに行くかと思えば電子ピアノの売り場だった。
私には全然興味が無いのだ、家人は興味深く販売員の説明を受けていた。
今住むマンションにも娘が持ち込んだ電子ピアノがあるし、自宅(熊本)にはどデカいピアノとエレクトーンがあるのになぜなのか家人に聞いてみた。
コンパクトなのが一番のようで、それに月に一度の調律も必要ないというわけだ。
本気かどうかはわからないが値段を見る限り、冗談だと信じたかった。
ぶらりと岩田屋に入った。
日よけ用の帽子が欲しかったので、紳士服売り場で見て回った。
見るだけのつもりがついつい店員に捕まり買う羽目になってしまった。
どうせ買うつもりでいたので少し高かったが買うことにした。



紳士服売り場で時間を潰し、本屋に向かった。
本屋で時間を潰し、遅め昼食をとり大濠公園まで歩くことにした。
お堀の前ではカモやバン(かな?)に家族連れが餌をやっていた。
福岡城跡地の石垣を上ると平和台球場跡地に出た。



さらにのぼり梅園に来たが、もうすでに梅の季節は終わろうとしていた。
しかし公園内のさくらの木にはつぼみが今にもはじけそうな雰囲気でたくさんあった。
遠目にも木々全体がピンクがかっていた。
来週にも一気に咲き始めるのだろう。
大濠公園まで歩き池のほとりで一休みした。
その途中でもこの公園内にも外国人らしき人が多いのには驚いた。
街中にはちょっと変わった服装をしている人や刈り上げ頭にサングラスといったスタイルを良く見かける。
結局、重たいカメラをリュックに詰めて持っては来たが写真を撮ったのは数枚だった。
護国神社から赤坂、薬院、白金、清川と歩いて自宅に戻った。
歩数計は17000歩を超えていた。
春ブラは少し早かったようで来週末くらいからが良いようだ。

長崎ウォーク

2018-03-01 22:09:47 | てくてく
長崎に着いたのは12時半を過ぎていた。
博多駅を10時過ぎだったので2時間とちょっと、かもめは787系(リレーつばめで使われていた列車)だった。
駅に着き先ずは食事をしようとグラバー亭近くにある四海樓に向かう。
路面電車に乗ろうとSUGOKAのカードを読み取らせようとするがエラーになってしまう。
長崎の路面電車にはたしか去年も乗ったようだが交通系のカードが使えなかった事は忘れていた。
しかたなく乗り込んで立っていると目の前の席が空いた。
隣に立っていた女性(長崎の美女)が
「席が空きましたよ、どうぞ」
と声をかけてくれた
「いやいや、まだそんな年ではないですよ。それよりレディーファーストでどうですか」
というとくすっと笑って、年は同じくらいかな、腰が痛いので立っていた方が楽なんです、などと気さくに応えてくれた。
四海樓にちゃんぽんを食いに行くと言ったら、この電車ではいけないので築町という電停で乗り換えになる、降りるとき運転手さんに乗り換えであることを伝え券をもらう事、乗り換えの電車は降りた電停の反対側で待つことなどなど丁寧に教えてくれた。
築町で降りて石橋行の電車に乗り換えた。
まさしく長崎の美女が言った一言一言が的確に当たっていた。
四海樓はやはり行列が出来ていた。
目の前の国際埠頭には大型の客船が見える。
店内にも外国人観光客らしい人たちが多くいた。



並ぶこと30分くらいだったかやっとちゃんぽんにありつけた。
街中のちゃんぽんとは一味違うクリミーな味がちゃんぽん発祥の店の味だった。
これとは別に食欲旺盛で皿うどんも頂いた。
こちらは少し濃い味の、これまた絶品の味だった。
四海樓を出て大浦天主堂まで歩いてみた。
天主堂は工事中で工事用のシートで覆われていた。
天主堂の付近から横道に入る。
狭い道を軽乗用車が向かってくるのだが、道幅がぎりぎりで道からはみ出してよけてあげないと通れない。
良くまたこんなところをクルマで通るものだと驚いた。
右手の神社、左手にお寺、そして教会がある「祈りの三角ゾーン」という所に来た。



地図を見るがどちらに行ったらいいのかわからないが、とりあえず細い道を階段を登り下りしながらやっと電車通りに出た。
オランダ坂や唐人屋敷跡など地図を見るだけではそんなに遠くはないが坂道が足に負担になる。



オランダ坂の横にある東山手十二番館で一休みして再び坂を上る。
行き交う人たちに道を聞きながら人一人がやっと通れるような道をただただ歩いた。
思案橋に出て坂本竜馬の像があるという風頭公園に向かうことにした。



お寺の横に「幣振(へいふり)坂」というのを見つけた。
何の事前知識はなかったが方向的にはここだろうとその道を行くことにした。
しかしそこは急な階段が続き、周りは広大な敷地全体がお墓だった。
グラバー亭からかなりな坂を上り降りして脚はすでにガクガクになっている。
途中で腰掛け石が置いてありそこの座っていると一人のご老人が来られたので行き先を尋ねた。
方向も道もあっているようで、親切にも一緒に行ってもらうことになった。
坂の下に自宅があるようで毎日散歩でこの坂を上られているようだ。
さすがに膝が笑うとはこういう事、ご老人もそんな私を笑われているのかどうかわからないが親切に休む私を待ってくれた。
長崎の話をたくさんしてくれた。



やっとの思いで風頭公園に着いた。
凧揚げ広場が目に付いた。
そしてしばらく歩くと坂本竜馬の銅像があった。
銅像は長崎湾の出口の方を向いていた。
しばらくそこで休憩だった。
石碑には司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の一節がきざんであった。
それから再び歩きだし亀山社中記念館に向かう。
しかし時間はすでに5時を過ぎ、記念館は閉館になっていた。
竜馬のぶーつ像を探す。



ここにきて再び坂道を上り下りしてやっとの思いで探し出した。
さてさてこれで一応の目的の第一弾は終わった。
坂道を下りランタンの待つ街中に繰り出す。

海峡ウオーク

2017-05-30 21:11:08 | てくてく
唐戸市場を出て少し歩くと赤間神社がある。
下関側からこの海峡を赤間関と呼んでいたようで、平家と源の戦い(壇ノ浦の戦い)で亡くなった安徳天皇を祀る神社だ。





幼くして入水したことにより、竜宮城を模した竜宮造とある。
さすがに赤い水天門は何とも竜宮城を思わせるつくりになっていた。



拝殿の横には平家の墓や耳なし芳一の堂などがあった。
てくてく歩いて関門橋の真下に来た。
このあたりが一番狭いところなのだろう、海峡を行きかう船が次から次へと通っていく。
何せこの海峡では戦事が多い。
壇ノ浦の戦いから武蔵小次郎の戦い、下関戦争(馬関戦争)など長州人らしい。
この狭い海峡で外国船に砲撃を実施したのだから攘夷思想の激しさがうかがえる。
壇ノ浦には源平合戦の像の横には長州砲が並べてある。
道を隔てた反対側に海峡トンネル(人道トンネル)がある。
今回で2回目になるがこのトンネルで九州に渡ることにする。
エレベータで地下まで降りる。



降りた場所からトンネルが始まる。
長さ約800m位のトンネルだが当然人しか通れない。
自転車やバイクは押して通らなければならないが人だけは無料で通れる。
自転車やバイクも確か数十円程度の料金だったと思う。
当然中間点が県境になる。
門司側もエレベータで地上に出ることになる。



そこからはノンフォーク広場になっていて遊歩道が整備されている。
それをてくてくと門司港駅まで歩くことになる。
門司港レトロ広場では催しものがあっていて多くの人たちで賑わっていた。
下関駅から歩きっぱなしでさすがに催しものなどどうでも良かった。
門司港駅に着いたが、今は工事中で大きな袋がかぶせてあり全容は見れない。



駅のホームに入り電車に乗って小倉を目指した。
続く・・・。

下関ウォーク

2017-05-29 21:22:50 | てくてく
怪獣のような名前だったが思い出せない。
北九州チームの試合のチケットがあったので出かけることにした。
試合は午後3時のキックオフなので少し早めに行って海峡付近を散策しようと思った。
博多駅のチケットショップで小倉までの切符を買った。
ホームに上がるとすぐにソニックがやってきた。



青のソニック(883系)だったが座席がゆったりとして快適だった。
ひとまず小倉駅に到着し、さて、どうしようと思っていたら「下関」行きに電車が来た。
つい飛び乗ってしまった。
下関も久しぶりだし駅から唐戸市場まで歩くことも良いのかもしれない。
門司を過ぎ海底トンネルに入る。
しばらくトンネルが続き明るくなって行く。
九州から本州に入った瞬間だ。



しばらく走ると下関駅到着した。
駅の雰囲気がちょっと昔と違うではないか。



駅前の歩道橋(人工地盤というらしい)に上がると新しい駅舎が出来ていた。
その昔、放火事件があり旧駅舎(門司港駅と並ぶ面持ちのあった駅)が燃えてしまい仮駅舎のころに仕事で来ていただったのでこれにはびっくりした。



晴天の歩道橋を下関タワーの方面に歩き出す。
なぜこんなタワーが必要なのか分からないが、とりあえず下関のシンボルなのだ。
そのタワーを横目に海べりの出た。



海響館の手前の広場と沿岸には海上自衛隊の輸送船が接岸していた。
防災訓練のようなものがあっているようだ。
カモンワーフは多くの人で賑わっていて、2階にある寿司屋も行列が出来ているだろうと思ったら意外と空いていた。
新鮮な寿司を思い切り食うが、さすがにここは全皿100円ではないため1000円の皿などもあるので注意が必要だった。
窓の外には門司港行の連絡船がせわしそうに出入りしている。
さて、どうしようか、連絡船に乗って渡るか、それとも海底トンネル(人道)で渡るか考えた。
隣の唐戸市場を見ると日曜日だというのに市場が空いているようだった。



中に入ると各店では海鮮丼や握り寿司の販売があっていた。
店には多くの人が群がっていて活気があふれていた。
そんな光景を見ながら海底トンネルがある場所まで歩くことにした。
続く・・・