今日は土曜日、平日は人であふれている病院のロビーも閑散としている。
父はすでに一般病棟からリハビリ病棟へ移っていた。
リハビリ室の様子を覗いたがこちらも土日は訓練は休みのようだ。
一般病棟と違い、まだ新しく車いすでの事を考えてなのか広々としている。
病室に入ると父は目をつぶり眠っていた。
ゆり起すと目を開けたので、看護師さんに言って車いすを借りて乗せ、病院内を散歩した。
売店でジュースを買ってラウンジらしき所で冷たいジュースを飲ませると目が覚めたようでポツポツと話をするようになった。
話をしていると冗談なのか本気なのか判断出来ない事を言う時がある。
すこし痴呆が出ているのか?
とも思った。
そして昼と夜を間違えているようで夜中に静かにしていないようだ。
そうこうしていると昼食の時間、決められた席に着き全員で食事となるのだが、どうもこれも苦手のようだ。
食事も残さずきれいに食べる事もあれば、半分くらいしか入らない時もあるようだ。
そんな食事の状況を眺めていたら看護師さんがやって来て
「息子さんですか?」
と話しかけて来た。
「今後の事について介護相談員と話し合いをしたいと思います」
との事だった。
ベッドを起きて車いすまでの移動にについても介護士2名での作業なのだ。
明日からリハビリが始まるのだがどこまで回復するのか心配なのだ。
母も食事が入らない言うので、夜は食事に出た。
食事をしながら
「今まで仕事に一生懸命だった人なので、家で介護をしたい」
と言った。
父はすでに一般病棟からリハビリ病棟へ移っていた。
リハビリ室の様子を覗いたがこちらも土日は訓練は休みのようだ。
一般病棟と違い、まだ新しく車いすでの事を考えてなのか広々としている。
病室に入ると父は目をつぶり眠っていた。
ゆり起すと目を開けたので、看護師さんに言って車いすを借りて乗せ、病院内を散歩した。
売店でジュースを買ってラウンジらしき所で冷たいジュースを飲ませると目が覚めたようでポツポツと話をするようになった。
話をしていると冗談なのか本気なのか判断出来ない事を言う時がある。
すこし痴呆が出ているのか?
とも思った。
そして昼と夜を間違えているようで夜中に静かにしていないようだ。
そうこうしていると昼食の時間、決められた席に着き全員で食事となるのだが、どうもこれも苦手のようだ。
食事も残さずきれいに食べる事もあれば、半分くらいしか入らない時もあるようだ。
そんな食事の状況を眺めていたら看護師さんがやって来て
「息子さんですか?」
と話しかけて来た。
「今後の事について介護相談員と話し合いをしたいと思います」
との事だった。
ベッドを起きて車いすまでの移動にについても介護士2名での作業なのだ。
明日からリハビリが始まるのだがどこまで回復するのか心配なのだ。
母も食事が入らない言うので、夜は食事に出た。
食事をしながら
「今まで仕事に一生懸命だった人なので、家で介護をしたい」
と言った。
さてさて今日は今から実家へ帰らなければならない。
入院している父の看病のためなのだ。
昨日母からの電話では、ここ両日中に一般病棟からリハビリの病棟へ移るようなことを言っていた。
そんな母も看病疲れが出てダウンしてしまったのだ。
無気力な時や、落ち込んだ時に良く本を読む。
高校時代に夢中になって読んだ太宰治。
今年は生誕100年の記念の年。
二冊手にして、両方とも買った。
看病しながら読もうと思う。
入院している父の看病のためなのだ。
昨日母からの電話では、ここ両日中に一般病棟からリハビリの病棟へ移るようなことを言っていた。
そんな母も看病疲れが出てダウンしてしまったのだ。
無気力な時や、落ち込んだ時に良く本を読む。
高校時代に夢中になって読んだ太宰治。
今年は生誕100年の記念の年。
二冊手にして、両方とも買った。
看病しながら読もうと思う。
ムシムシとした暑さに逆戻りした熊本地方、午後からは雨になる予報。
ちょっと熊本駅に用事があり、ぶらぶらと白川沿いを歩いていると、選挙のポスターが・・・。
そういえば明後日は衆議院の選挙だった。
テレビでも政見放送をやっている。
麻生さんの「政権担当能力」と言う言葉もなんとなくむなしく聞こえるし、鳩山さんの「政権交代」と言うのもあまり響いて来ない。
何かで目にした「自民不満、民主不安」と言う文字が頭に浮かんだ。
まあ今回は民主党の圧勝に終わるのだろう。
自民党の党首は責任を誰も取らなかった、しかし今回の鳩山さんは政権公約が実現できなければ議員を辞めるとまで言っている。
政治の世界なのでホントかどうかは疑問だが、そこが麻生さんとの違いのようだ。
麻生さんも今回は自分の判断で解散をしたわけだし、政治生命を賭けてでも今度の選挙には勝つくらいの覚悟が欲しかった。
これまた何かに書いてあったと思うが、あの村山富市さんの一言。
「政権政党が変わろうが政治は変わらない」
いよいよ夏休みも残りわずか、駅も人で一杯だろうと思ったがそうでもなかった。
切符売り場も混んではいなかった。
切符売り場に並んでいるとこんなものを発見。
日帰りグルメツアーのトップはなんと天草だった。
天草と言ってもJRで行けるのは三角(みすみ)までなのだ・・・?
駅前に目をやると大々的な工事をしていた。
新幹線開業へむけての駅前広場の整備工事だ。
政治の世界も世の中も、大きく変わろうとしているのか?
ちょっと熊本駅に用事があり、ぶらぶらと白川沿いを歩いていると、選挙のポスターが・・・。
そういえば明後日は衆議院の選挙だった。
テレビでも政見放送をやっている。
麻生さんの「政権担当能力」と言う言葉もなんとなくむなしく聞こえるし、鳩山さんの「政権交代」と言うのもあまり響いて来ない。
何かで目にした「自民不満、民主不安」と言う文字が頭に浮かんだ。
まあ今回は民主党の圧勝に終わるのだろう。
自民党の党首は責任を誰も取らなかった、しかし今回の鳩山さんは政権公約が実現できなければ議員を辞めるとまで言っている。
政治の世界なのでホントかどうかは疑問だが、そこが麻生さんとの違いのようだ。
麻生さんも今回は自分の判断で解散をしたわけだし、政治生命を賭けてでも今度の選挙には勝つくらいの覚悟が欲しかった。
これまた何かに書いてあったと思うが、あの村山富市さんの一言。
「政権政党が変わろうが政治は変わらない」
いよいよ夏休みも残りわずか、駅も人で一杯だろうと思ったがそうでもなかった。
切符売り場も混んではいなかった。
切符売り場に並んでいるとこんなものを発見。
日帰りグルメツアーのトップはなんと天草だった。
天草と言ってもJRで行けるのは三角(みすみ)までなのだ・・・?
駅前に目をやると大々的な工事をしていた。
新幹線開業へむけての駅前広場の整備工事だ。
政治の世界も世の中も、大きく変わろうとしているのか?
朝に夕にだいぶ涼しくなってきた。
昼間もジメジメしたところも無くカラッとしている。
夏祭りが終わり、いきなり秋になったようだ。
8月のあたまから色々な事があり<仕事の悩み(これは誰でもある)、親の事など>などさまざまな事がイッキに押し寄せていた。
そんな中、いつもは夏祭りの総括のケイのオヤジが、親の初盆で忙しいようで
「ケン!今回は夏祭りの総括をやれ!全責任者としてお前に任せる」
と言うのである。
8月21日(金)は沖縄・奥武島から8名の島ちゅうとジロー、ヒトミさんが来て歓迎会。
夜の10時には公民館へ移動して、それから2組に分かれて夜の町へ。
それはグッチとセイのオヤジに任せ、残った方々と公民館で飲んでいた。
しかし明日は朝から夏祭りの準備と本番なのだ。
「明日本番なので今日はこれで失礼します。明日は徹底的に飲みましょう」
と言ってノボルのオヤジと公民館を後にしたのが朝方の2時頃だったろう。
翌日は朝6時に公民館に集合し機材の運び出し。
私は沖縄・奥武島の人たちとジローちゃんの実家へ行った。
ビールを飲みながらランナーさんやノリさん、ヤスさん、ハルーさんたちと話が弾んだ。
セイのオヤジはこちらでは「ホワイト・スネーク」と呼ばれている、と言う話をしていたら、ランナーさんが沖縄では
「それは白ハブだな」
というので
「毒なし白ハブ」
とあだ名がついてしまった。
「ハブの天敵はマングース」
という事で、グッチのあだ名は
「マーグッチ」
という事になってしまった。
缶ビールを数本飲んで現場に帰ろうとしたが、ジローちゃんが朝飯を食っていけというのでお相伴にあずかった。
話は尽きないのだが、携帯に現場のグッチから連絡が来た。
「ケンちゃんどこに居るとな、早よ来んな」
沖縄・奥武島の皆様は今からヒトミさんの実家へ104歳になるおばあさまに会って長寿の恩恵を受けるそうだ。
舞台の設営やテントの設営、音響のセットなどで午前中にはある程度まで進んだ。
今回は住民会の方々や子供会の方々の応援も多く、スムーズに設営が進んだ。
午後からいったん家に帰り、それまで状況をblogに上げ、シャワーを浴びて着替えてすぐに現場に帰った。
総括として、また沖縄・奥武島からの人たちのお世話をしなければならないので、音響の説明をツネのオヤジとノボルのオヤジにしたのだ。
ひと段落して椅子に座っているとオヤジたちが良く行くスナックのママが夏祭りに
差し入れを持って来てくれた。
それでママに
「今夜11時くらいから15名ばかり行くけど、良いね?安くして?」
と言ったら頷いていた。
そうこうしているとジローの奥さんのヒトミさんのところに行っていた沖縄組が帰って来たのだ。
さっそく音合わせを行う。
今回持ってこられたのは、直接サンシンからラインでアンプに入れられるモノだった。
おまけに二つのサンシンのうち一つは6シンだった。
気を使っていただいたようで、ありがたいと思った。
そしてエイサーを踊るシンヤさんとマーちゃんが準備を始めた。
「本当はエイサー用の服があるけど、今回は簡易服」
だそうだ。
そして頭には紫の帯を巻く。
準備が終わり記念写真を撮った。
またチョンダラーのランナーさんは頭に網の袋をかぶり、近くにいた子供達を笑わせている。
そして2009年夏祭りが始まった。
島歌のときチョンダラーのランナーさんが
「ケンちゃん、これを叩いて舞台の上まで行こう、後をついてくる」
と言うのである。
パーランクーで使った手太鼓を持ってサンシンの音にあわせて手太鼓を叩きながら舞台まで上がった。
ランナーさん舞台の上で道化ていた、それも狂ったように・・・。
周りから笑い声が聞こえる。
これも良い思い出になった。
そして盆踊りのうちわ抽選である。
後で聞いた話では300本用意したのだが足らずに60本追加し、うちわがすべて無くなったと言う。
と言う事は400から500人、いやいやもっとと言う人までいたのだ。
いずれにしても昨年いや例年よりはるかに多い事は明らかだった。
副会長のノボルのオヤジの閉会宣言が終わると、自然と涙が流れてしまった。
終わったという開放感と、ひょっとするとこれが最後の打越町の夏祭りになるのかという思いがこみ上げて来たのだ。
沖縄の人たちと公民館に移動しての住民との交流会、皆ハイテンションだった。
気がついたらえらく腹がへっている。
そういえば昼のマカナイも夜のバザーも何も食っていなかった。
何人かの人が「ハイ」と言って生ビールを置いていってくれただけなのだ。
隣に座ったシンヤさんも腹がへっていると言う。
キヨコを読んでカレーを数杯盛ってもらうと、数人の人がキヨコからもらって食っていた。
ヒトミさんの弟さんを紹介された。
ヒトミさんに似て誠実そうで真面目そうな方だった。
「blog見てますよ。もっとインテリな感じの人かと思いました」
と言われ、なんとも恥ずかしいやらなんやら。
沖縄・奥武島の皆様も町内役員や老人会、子供会の応援してくれた人たちと積極的に交流しているようだ。
夜11時になり宴はお開きになった。
沖縄・奥武島の人たちはここ公民館に布団をひいて寝てもらう事になっているのだ。
タクシーを3台呼んでスナックへ。
後はヤスさんとノリさんの島歌で夜は更けて行く。
ママが
「3時までよ!」
と言うが、結局3時半だったのだ。
再びタクシーで公民館へ、家に帰って眠りに着いたのは4時頃だった。
結局、この二日間付き合ったのはノボルのオヤジと私だけ・・・。
翌日は8時半から撤去作業。
これまた大勢の人で撤去するので一時間ほどで現場は終了。
ただ公民館の倉庫に整理しながら収めるのでそこで時間がかかってしまった。
ジローちゃんからは10時過ぎに準備が出来た連絡が入り、ノボルのオヤジと、グッチと阿蘇観光に出かけた。
熊本ICの近くのコンビにで最後のお別れ。
ランナーさんがお別れの杯ならず、缶ビールをくれた。
ノボルのオヤジに目をやると、飲めと言っている。
後の運転があるのだ。
あけてランナーさんと乾杯。
そして、ヤスさん、ノリさん、マーちゃん、キーちゃん、ノーリーさん、シンヤさん、ジローちゃんと硬く熱い握手をしたのだ。
今回の夏祭りに準備段階から参加していただいたすべての皆様と、祭に参加していただいたすべての皆様。
そしてはるばる遠い沖縄・奥武島より素晴らしい演舞、演奏をして頂いた8名の方々、本当にありがとうございました。
終わって4,5日経つが、夏祭りと沖縄・奥武島の人たちとの交流会が終わり、祭り後の空しさなのか脱力感と言うのか、blogを書く気にもなれないのだ。
しばらくは気力が戻るまで書けないかも知れない・・・・。
昼間もジメジメしたところも無くカラッとしている。
夏祭りが終わり、いきなり秋になったようだ。
8月のあたまから色々な事があり<仕事の悩み(これは誰でもある)、親の事など>などさまざまな事がイッキに押し寄せていた。
そんな中、いつもは夏祭りの総括のケイのオヤジが、親の初盆で忙しいようで
「ケン!今回は夏祭りの総括をやれ!全責任者としてお前に任せる」
と言うのである。
8月21日(金)は沖縄・奥武島から8名の島ちゅうとジロー、ヒトミさんが来て歓迎会。
夜の10時には公民館へ移動して、それから2組に分かれて夜の町へ。
それはグッチとセイのオヤジに任せ、残った方々と公民館で飲んでいた。
しかし明日は朝から夏祭りの準備と本番なのだ。
「明日本番なので今日はこれで失礼します。明日は徹底的に飲みましょう」
と言ってノボルのオヤジと公民館を後にしたのが朝方の2時頃だったろう。
翌日は朝6時に公民館に集合し機材の運び出し。
私は沖縄・奥武島の人たちとジローちゃんの実家へ行った。
ビールを飲みながらランナーさんやノリさん、ヤスさん、ハルーさんたちと話が弾んだ。
セイのオヤジはこちらでは「ホワイト・スネーク」と呼ばれている、と言う話をしていたら、ランナーさんが沖縄では
「それは白ハブだな」
というので
「毒なし白ハブ」
とあだ名がついてしまった。
「ハブの天敵はマングース」
という事で、グッチのあだ名は
「マーグッチ」
という事になってしまった。
缶ビールを数本飲んで現場に帰ろうとしたが、ジローちゃんが朝飯を食っていけというのでお相伴にあずかった。
話は尽きないのだが、携帯に現場のグッチから連絡が来た。
「ケンちゃんどこに居るとな、早よ来んな」
沖縄・奥武島の皆様は今からヒトミさんの実家へ104歳になるおばあさまに会って長寿の恩恵を受けるそうだ。
舞台の設営やテントの設営、音響のセットなどで午前中にはある程度まで進んだ。
今回は住民会の方々や子供会の方々の応援も多く、スムーズに設営が進んだ。
午後からいったん家に帰り、それまで状況をblogに上げ、シャワーを浴びて着替えてすぐに現場に帰った。
総括として、また沖縄・奥武島からの人たちのお世話をしなければならないので、音響の説明をツネのオヤジとノボルのオヤジにしたのだ。
ひと段落して椅子に座っているとオヤジたちが良く行くスナックのママが夏祭りに
差し入れを持って来てくれた。
それでママに
「今夜11時くらいから15名ばかり行くけど、良いね?安くして?」
と言ったら頷いていた。
そうこうしているとジローの奥さんのヒトミさんのところに行っていた沖縄組が帰って来たのだ。
さっそく音合わせを行う。
今回持ってこられたのは、直接サンシンからラインでアンプに入れられるモノだった。
おまけに二つのサンシンのうち一つは6シンだった。
気を使っていただいたようで、ありがたいと思った。
そしてエイサーを踊るシンヤさんとマーちゃんが準備を始めた。
「本当はエイサー用の服があるけど、今回は簡易服」
だそうだ。
そして頭には紫の帯を巻く。
準備が終わり記念写真を撮った。
またチョンダラーのランナーさんは頭に網の袋をかぶり、近くにいた子供達を笑わせている。
そして2009年夏祭りが始まった。
島歌のときチョンダラーのランナーさんが
「ケンちゃん、これを叩いて舞台の上まで行こう、後をついてくる」
と言うのである。
パーランクーで使った手太鼓を持ってサンシンの音にあわせて手太鼓を叩きながら舞台まで上がった。
ランナーさん舞台の上で道化ていた、それも狂ったように・・・。
周りから笑い声が聞こえる。
これも良い思い出になった。
そして盆踊りのうちわ抽選である。
後で聞いた話では300本用意したのだが足らずに60本追加し、うちわがすべて無くなったと言う。
と言う事は400から500人、いやいやもっとと言う人までいたのだ。
いずれにしても昨年いや例年よりはるかに多い事は明らかだった。
副会長のノボルのオヤジの閉会宣言が終わると、自然と涙が流れてしまった。
終わったという開放感と、ひょっとするとこれが最後の打越町の夏祭りになるのかという思いがこみ上げて来たのだ。
沖縄の人たちと公民館に移動しての住民との交流会、皆ハイテンションだった。
気がついたらえらく腹がへっている。
そういえば昼のマカナイも夜のバザーも何も食っていなかった。
何人かの人が「ハイ」と言って生ビールを置いていってくれただけなのだ。
隣に座ったシンヤさんも腹がへっていると言う。
キヨコを読んでカレーを数杯盛ってもらうと、数人の人がキヨコからもらって食っていた。
ヒトミさんの弟さんを紹介された。
ヒトミさんに似て誠実そうで真面目そうな方だった。
「blog見てますよ。もっとインテリな感じの人かと思いました」
と言われ、なんとも恥ずかしいやらなんやら。
沖縄・奥武島の皆様も町内役員や老人会、子供会の応援してくれた人たちと積極的に交流しているようだ。
夜11時になり宴はお開きになった。
沖縄・奥武島の人たちはここ公民館に布団をひいて寝てもらう事になっているのだ。
タクシーを3台呼んでスナックへ。
後はヤスさんとノリさんの島歌で夜は更けて行く。
ママが
「3時までよ!」
と言うが、結局3時半だったのだ。
再びタクシーで公民館へ、家に帰って眠りに着いたのは4時頃だった。
結局、この二日間付き合ったのはノボルのオヤジと私だけ・・・。
翌日は8時半から撤去作業。
これまた大勢の人で撤去するので一時間ほどで現場は終了。
ただ公民館の倉庫に整理しながら収めるのでそこで時間がかかってしまった。
ジローちゃんからは10時過ぎに準備が出来た連絡が入り、ノボルのオヤジと、グッチと阿蘇観光に出かけた。
熊本ICの近くのコンビにで最後のお別れ。
ランナーさんがお別れの杯ならず、缶ビールをくれた。
ノボルのオヤジに目をやると、飲めと言っている。
後の運転があるのだ。
あけてランナーさんと乾杯。
そして、ヤスさん、ノリさん、マーちゃん、キーちゃん、ノーリーさん、シンヤさん、ジローちゃんと硬く熱い握手をしたのだ。
今回の夏祭りに準備段階から参加していただいたすべての皆様と、祭に参加していただいたすべての皆様。
そしてはるばる遠い沖縄・奥武島より素晴らしい演舞、演奏をして頂いた8名の方々、本当にありがとうございました。
終わって4,5日経つが、夏祭りと沖縄・奥武島の人たちとの交流会が終わり、祭り後の空しさなのか脱力感と言うのか、blogを書く気にもなれないのだ。
しばらくは気力が戻るまで書けないかも知れない・・・・。
前日は午前様、沖縄からの人たちと夜の街に繰り出して、家にたどり着いたのは4時頃だったろうか。
翌日は8時半からやぐらの解体やテントの撤去を終え、10時半頃からノボルのオヤジとグッチとで奥武島の人たちと阿蘇観光に出かけた。
ジローちゃんの奥さんのヒトミさんも行くと言う事を妻に話したら
「私も行きたい」
と言うので一緒に出かけた。
総勢15名で3台のクルマに分乗して阿蘇へ向かう。
ランナーさん、お土産に馬刺しを買いたいと言うので、大津にある馬刺し専門店へ。
持って帰るのも大変なので航空便で送る事にされたようだ。
大津から立野にかけてクルマの量が増え渋滞に巻き込まれてしまった。
熊本市内から阿蘇までは空いていれば50分くらいで着くのだが・・・。
ジローちゃんから昼食はぜひ熊本ラーメンを食わせてやってくれと言われていたので、途中ラーメン屋で昼食をとる。
立野から先はクルマの量は多かったが渋滞は解消した。
しかしそれまでの渋滞でかなり時間を取られてしまい予定が厳しくなってきたのだ。
色々と計画はしていたが、そういう訳もあり急いで阿蘇中岳の火口を目指した。
中岳山頂に着くと熊本市内とはうって変わって爽やかな風が吹いていた。
世界一のカルデラ、火口までいける火山はそうは無い。
観光案内の方が
「こんなに火口がくっきりと見える日は珍しい」
と言っていた。
沖縄の人たちも壮大な阿蘇に感激されたようだ。
「標高はどのくらいあるの?」
と聞かれるので高岳を指さして1592m(肥後の国)と説明した。
「えらく語呂がいいね。それに合わせて山を削ったっじゃない」
とシンヤさんの答え。
土産用として硫黄が売ってあった。
「沖縄には持って帰れないらしい」
「爆弾の原料になるらしい」
奥武島の人たちの会話である。
観光案内の方に頼み、全員で記念写真を撮った。
紹介しよう
左後ろから
キーちゃん、マーちゃん、ヤスさん、ランナーさん、ハルーさん、シンヤさん、妻、私
左前から
ノーリーさん、グッチ、ノボルさん、ノリさん、ジローちゃん、ヒトミさん、モモちゃん
間違っていないことを願おう・・・。
時計を見るとすでに2時半を過ぎている。
4時までに高速に乗らないと6時の飛行機に間に合わない。
観光もそこそこに裏道を飛ばして熊本ICへ向かう。
何とか間に合った。
そしてお別れである。
底抜けに明るい沖縄・奥武島の8名の皆さまと再会を約束したのだった。
翌日は8時半からやぐらの解体やテントの撤去を終え、10時半頃からノボルのオヤジとグッチとで奥武島の人たちと阿蘇観光に出かけた。
ジローちゃんの奥さんのヒトミさんも行くと言う事を妻に話したら
「私も行きたい」
と言うので一緒に出かけた。
総勢15名で3台のクルマに分乗して阿蘇へ向かう。
ランナーさん、お土産に馬刺しを買いたいと言うので、大津にある馬刺し専門店へ。
持って帰るのも大変なので航空便で送る事にされたようだ。
大津から立野にかけてクルマの量が増え渋滞に巻き込まれてしまった。
熊本市内から阿蘇までは空いていれば50分くらいで着くのだが・・・。
ジローちゃんから昼食はぜひ熊本ラーメンを食わせてやってくれと言われていたので、途中ラーメン屋で昼食をとる。
立野から先はクルマの量は多かったが渋滞は解消した。
しかしそれまでの渋滞でかなり時間を取られてしまい予定が厳しくなってきたのだ。
色々と計画はしていたが、そういう訳もあり急いで阿蘇中岳の火口を目指した。
中岳山頂に着くと熊本市内とはうって変わって爽やかな風が吹いていた。
世界一のカルデラ、火口までいける火山はそうは無い。
観光案内の方が
「こんなに火口がくっきりと見える日は珍しい」
と言っていた。
沖縄の人たちも壮大な阿蘇に感激されたようだ。
「標高はどのくらいあるの?」
と聞かれるので高岳を指さして1592m(肥後の国)と説明した。
「えらく語呂がいいね。それに合わせて山を削ったっじゃない」
とシンヤさんの答え。
土産用として硫黄が売ってあった。
「沖縄には持って帰れないらしい」
「爆弾の原料になるらしい」
奥武島の人たちの会話である。
観光案内の方に頼み、全員で記念写真を撮った。
紹介しよう
左後ろから
キーちゃん、マーちゃん、ヤスさん、ランナーさん、ハルーさん、シンヤさん、妻、私
左前から
ノーリーさん、グッチ、ノボルさん、ノリさん、ジローちゃん、ヒトミさん、モモちゃん
間違っていないことを願おう・・・。
時計を見るとすでに2時半を過ぎている。
4時までに高速に乗らないと6時の飛行機に間に合わない。
観光もそこそこに裏道を飛ばして熊本ICへ向かう。
何とか間に合った。
そしてお別れである。
底抜けに明るい沖縄・奥武島の8名の皆さまと再会を約束したのだった。
沖縄の人たちの演奏と演舞のあとは盆踊りの後半。
公園内には知らない間に人が溢れんばかり。
各バザーも順調に売れているようだ。
そして「塩もずく」もシッカリ売られていたのだ。
舞台ではラムネの早飲み大会で盛り上がっていた。
今回、役員はおそろいのTシャツに名札をぶら下げた。
沖縄の方達も独自に名札を付け、少しで交流がうまく行くようにとの考えなのだ。
そして盆踊り大賞の発表。
おばあちゃんと盆踊りに来ていた小さな女の子に決定。
商品は折りたたみ自転車だった。
うちわ抽選にはこの人だかり。
300本以上用意したうちわはすでに配り終わっていたそうで、今回の来場者はいったい何人になるのだろう。
うちわ抽選会をもって夜8時過ぎ、本年度の夏祭りは無事に終了したのだった。
音響セットとか貴重なものだけ公民館運び、その後は公民館での交流会。
当然沖縄からの8名の方々も参加し11時過ぎまで楽しい時間を過ごした。
その後、夜の街に出て午前3時過ぎまで飲み明かしたのだった。
沖縄の方々、お酒強い・・・・。
公園内には知らない間に人が溢れんばかり。
各バザーも順調に売れているようだ。
そして「塩もずく」もシッカリ売られていたのだ。
舞台ではラムネの早飲み大会で盛り上がっていた。
今回、役員はおそろいのTシャツに名札をぶら下げた。
沖縄の方達も独自に名札を付け、少しで交流がうまく行くようにとの考えなのだ。
そして盆踊り大賞の発表。
おばあちゃんと盆踊りに来ていた小さな女の子に決定。
商品は折りたたみ自転車だった。
うちわ抽選にはこの人だかり。
300本以上用意したうちわはすでに配り終わっていたそうで、今回の来場者はいったい何人になるのだろう。
うちわ抽選会をもって夜8時過ぎ、本年度の夏祭りは無事に終了したのだった。
音響セットとか貴重なものだけ公民館運び、その後は公民館での交流会。
当然沖縄からの8名の方々も参加し11時過ぎまで楽しい時間を過ごした。
その後、夜の街に出て午前3時過ぎまで飲み明かしたのだった。
沖縄の方々、お酒強い・・・・。
そしていよいよ沖縄・奥武島の方々のサンシンの演奏が始まった。
沖縄らしいサンシンの音に会場は包まれる。
そしていよいよエイサーの踊りが始まった。
本来は旗頭、大太鼓、締太鼓で構成されるそうだが、今回はパーランクーの二人で踊る。
踊り手はシンヤさんとマーちゃんのお二人さん。
バックではサンシンの音が鳴り響く。
勇壮なエイサーの踊りに、会場の人たちは驚きの表情だった。
先祖の霊を供養する行事。
500年の歴史を持つエイサー、沖縄の盆踊りなのだ。
チョンダラーのランナーさんの登場。
エイサーには欠かせない道化師。
京太郎とも呼ばれているらしい。
そしてノリさんとヤスさんの島歌が始まった。
本場沖縄の言葉で歌われるので内容はサッパリわからない。
あっという間に30分の沖縄民謡の演奏は終わった。
アンコールではヒトミさんの島歌とジローちゃんのサンシンで締めたのだった。
続く。
沖縄らしいサンシンの音に会場は包まれる。
そしていよいよエイサーの踊りが始まった。
本来は旗頭、大太鼓、締太鼓で構成されるそうだが、今回はパーランクーの二人で踊る。
踊り手はシンヤさんとマーちゃんのお二人さん。
バックではサンシンの音が鳴り響く。
勇壮なエイサーの踊りに、会場の人たちは驚きの表情だった。
先祖の霊を供養する行事。
500年の歴史を持つエイサー、沖縄の盆踊りなのだ。
チョンダラーのランナーさんの登場。
エイサーには欠かせない道化師。
京太郎とも呼ばれているらしい。
そしてノリさんとヤスさんの島歌が始まった。
本場沖縄の言葉で歌われるので内容はサッパリわからない。
あっという間に30分の沖縄民謡の演奏は終わった。
アンコールではヒトミさんの島歌とジローちゃんのサンシンで締めたのだった。
続く。
音合わせも終わり後は本番を待つばかり。
今回サンシンと沖縄民謡を担当していただくノリさんとヤスさん。
緊張した中にも余裕の表情だ。
午後4時半、バザー開始。
そしていよいよ夏祭り開始、沖縄の人たちの紹介。
彼らからのお土産としてちんすこうが約100名に配られた。
盆踊りが始まった。
子供達の笑顔が輝いている。
続く。
今回サンシンと沖縄民謡を担当していただくノリさんとヤスさん。
緊張した中にも余裕の表情だ。
午後4時半、バザー開始。
そしていよいよ夏祭り開始、沖縄の人たちの紹介。
彼らからのお土産としてちんすこうが約100名に配られた。
盆踊りが始まった。
子供達の笑顔が輝いている。
続く。
前日の沖縄・奥武島の人たちとの交流があり、いよいよ夏祭り本番を迎えた。
朝6時に公民館に行くと奥武島の人たちはすでに起きていて、交流会の後の夜の熊本の街の話で盛り上がっていた。
そしてこんなものを発見してしまった。
エイサーの衣裳のようだ。
徐々に人が集まって来て、機材の運び出しだった。
夏祭り用にやぐらの機材やテントなど運び出す量は半端では無い。
しかし毎年のこと、人は集まってくれるし、手際も良い。
私の担当の音響も何とか音が出るところまで出来た。
会場の設営も午前中でだいたい出来上がり、後は奥武島のサンシンの人達との音合わせを出来るところま来たのだ。
さてさて、ここまでが現在の状況、本日中にこの後の報告が出来るかわからないが、沖縄の人たちは酒が強い・・・・無理かも知れない。
朝6時に公民館に行くと奥武島の人たちはすでに起きていて、交流会の後の夜の熊本の街の話で盛り上がっていた。
そしてこんなものを発見してしまった。
エイサーの衣裳のようだ。
徐々に人が集まって来て、機材の運び出しだった。
夏祭り用にやぐらの機材やテントなど運び出す量は半端では無い。
しかし毎年のこと、人は集まってくれるし、手際も良い。
私の担当の音響も何とか音が出るところまで出来た。
会場の設営も午前中でだいたい出来上がり、後は奥武島のサンシンの人達との音合わせを出来るところま来たのだ。
さてさて、ここまでが現在の状況、本日中にこの後の報告が出来るかわからないが、沖縄の人たちは酒が強い・・・・無理かも知れない。
ついに沖縄県南条市奥武島から8名の島んちゅうの人々が来た。
福岡空港に9時前に着きレンタカーで熊本入りしたそうだ。
熊本城を見学、本丸御殿にかなり興味を持たれたようなのだ。
お城の見学者数ナンバー1の首里城を去年抜いてしまった熊本城、沖縄の人たちにも新鮮に映ったようだ。
そして熊本の暑さにへき癖だったようだ。
この人、マーちゃん、一所懸命に泡盛を注いでくれる。
これが奥武島の泡盛の飲み方だそうだ。
言葉も沖縄そのもの、彼らも熊本弁は興味を持っていた。
しかしサンシンが出るとまったくの沖縄ペース。
サンシンと沖縄民謡を聞くとやはり異国気分なのだ。
そしてジローの奴ついにサンシンを取り出して弾き始めた。
そしてヒトミさんがなんと島歌を歌い出してしまった。
いやはやであった。
福岡空港に9時前に着きレンタカーで熊本入りしたそうだ。
熊本城を見学、本丸御殿にかなり興味を持たれたようなのだ。
お城の見学者数ナンバー1の首里城を去年抜いてしまった熊本城、沖縄の人たちにも新鮮に映ったようだ。
そして熊本の暑さにへき癖だったようだ。
この人、マーちゃん、一所懸命に泡盛を注いでくれる。
これが奥武島の泡盛の飲み方だそうだ。
言葉も沖縄そのもの、彼らも熊本弁は興味を持っていた。
しかしサンシンが出るとまったくの沖縄ペース。
サンシンと沖縄民謡を聞くとやはり異国気分なのだ。
そしてジローの奴ついにサンシンを取り出して弾き始めた。
そしてヒトミさんがなんと島歌を歌い出してしまった。
いやはやであった。
いよいよ「打越町夏祭り」が明日になった。
自治会では子供会に呼びかけて、子供達に夏祭りのポスターを書いてもらっている。
前回の日曜日役員達で手分けして街中に貼って回ったそうだ。
あいにく私は実家に帰っていたので手伝いは出来なかった。
掲示板には恥ずかしいかな、私の作ったポスターが貼ってあった。
自治会では子供会に呼びかけて、子供達に夏祭りのポスターを書いてもらっている。
前回の日曜日役員達で手分けして街中に貼って回ったそうだ。
あいにく私は実家に帰っていたので手伝いは出来なかった。
掲示板には恥ずかしいかな、私の作ったポスターが貼ってあった。
夕方7時頃、ゆうパックの配達の人が重そうに配達して来た。
なんと塩モズクが入った缶が4個なのだ。
沖縄奥武島のジロー様からだった。
明日から熊本に来る奥武島の人たちから打越自治会に、心ばかりのお土産なのだ。
事前にジロー様から連絡は入っていたが、まさかこんな大きな缶とは思っていなかったのでびっくりなのだ。
奥武島のモズクは有名らしく、携帯で何度か話をしたシンヤさんの家で奥武島の海に網を張って栽培と言うか生産しているそうだ。
そのうみんちゅのシンヤさん、泳げないうみんちゅらしい。
明日会えるのが楽しみだ。
その事を公民館長のルミの女親分に連絡を入れたら
「袋に入れて1袋100円で売ろう!売って彼らの旅費の足しにしよう」
となったのだが、どうなるのやら・・・。
なんと塩モズクが入った缶が4個なのだ。
沖縄奥武島のジロー様からだった。
明日から熊本に来る奥武島の人たちから打越自治会に、心ばかりのお土産なのだ。
事前にジロー様から連絡は入っていたが、まさかこんな大きな缶とは思っていなかったのでびっくりなのだ。
奥武島のモズクは有名らしく、携帯で何度か話をしたシンヤさんの家で奥武島の海に網を張って栽培と言うか生産しているそうだ。
そのうみんちゅのシンヤさん、泳げないうみんちゅらしい。
明日会えるのが楽しみだ。
その事を公民館長のルミの女親分に連絡を入れたら
「袋に入れて1袋100円で売ろう!売って彼らの旅費の足しにしよう」
となったのだが、どうなるのやら・・・。