打越通信

日記ふういろいろ

オランゴ島

2016-11-30 21:11:18 | 旅行
深夜のフライトだったのでどうも調子が狂ったようで2日目は熟睡でちょっとゆっくり目の朝だった。
セブはどうも雨季の時期のようでホテルから見るセブの街にはスコールが降っていた。
テレビではNHKワールドの放送が見れる。
時差が日本より1時間ほど遅いのだが、その1時間が夜を狂わせるようだ。
まだ夜中の11時だと思っていると日本ではすでに翌日になっているわけで寝るタイミングが狂う。
朝9時に娘がホテルにやってきた。
部屋に入るなり
「今日はできるだけラフな格好してね」
と言う。 
ハーフパンツと上はシャツに薄手のブレーカーを羽織りサンダルを履いた。
ホテルからタクシーを拾い、娘が運転手と値段交渉を始めた。
どうもメータ料金に行き先が遠いようで500ペソを要求してきたようで、娘は100ペソだと言い張る。
ついには運転手もOKと言って交渉は成立した。
1時間ばかりクルマに揺られ、飛行場への島(マクタン島)に入った。
さらに進み港に着いた。
場所はわからないが近くに高層のホテルが立っていた。
運転手が港に入るのにお金を払っていた。
娘は入り口の手前で降りるように言っていたようで運転手にメータ料金と100ペソを払いタクシーを降りた。
すぐに船の切符を買いに出たが、運転手が後を追ってきた。
娘が切符を買うのを見て運転手は仕方なくタクシーに戻っていった。
何があったのかわからないが娘の毅然とした態度だった。



船は両側に竹の筒を付けたバンカーボートと言う船だ。
テレビや写真では見ていたが現物を見るのは初めてだ。
瀬渡し船に乗るように船の穂先から現地の人が竹を渡してくれ、それにつかまりながら乗り込む。
竹の棒で船を押し出港する。



後はエンジンをかけゆっくりと島を離れる。
オランゴ島までは20分くらいで到着する。
港には数十台の三輪バイクが待っていた。



さっそく娘が一人の運転手と値段交渉をしていた。
何か所か回るようでその場所までの距離と待ち時間の交渉のようだ。
バイクは古いスズキのバイクでその横にサイドカーにようなものがついている。
娘はバイクの後ろに乗り、私たちはサイドカーの狭い席に座った。
島の道路は舗装もされてなく、朝方のスコールであちこちに水たまりができていた。
島にはところどころに集落があり、子供たちが珍しそうに私たちの姿を見ていた。



いくつかの集落を抜け<WILDLIFE SANCTUARY>という所に着いた。
どうもバードウォッチングをするようで、現地の案内の人の後を歩いていく。
砂浜のような場所からいきなり長い石でできた道が見えた。



その石の道をスペイン人らしい5人ぐらいの人たちと一緒にわたる。



周りはマングローブの木が生い茂り、広大な環礁地帯が広がっていた。
この世の世界とは思えないくらいの楽園が待っていた。
スペイン人らしき人たちも思わず歓喜の声を上げていた。



200mくらい石を渡ると環礁地帯の真ん中に小屋が見えてきた。
その小屋に上がると案内の人がバードウォッチ用の望遠鏡をセットした。
色々な鳥がいるようで図鑑を取り出して鳥の説明を始めた。
がそれどころではない、この風景の素晴らしさに見とれていた。
案内の人がジャパンバードとかホッカイドウなどと言うので説明を聞いてみると、どうも日本の北海道からこの時期に渡来する鳥のようだ。
名前を教えてもらったが忘れてしまった。
しかしこの風景はなんといっても素晴らしい。

セブの港町

2016-11-29 21:34:53 | 旅行
山間の動物園からセブ市内にクルマは走る。
道幅も広くなり交通量も増える。
運転手はできるだけ先に進もうと頻繁に車線変更を繰り返す。
隣のクルマと接触しそうなくらい近づく。
隣がジプニーであれば顔と顔がぶつかるくらいまで接近する。
クルマも隙あらば先に出ようとするので、いったいこの道は何車線なのか分からなくなる。
一応信号があるので赤信号ではすべてのクルマは止まる(これは世界共通のようだ)。
信号停止しているとさまざまな人たちがクルマ近づいてくる。
ミネラルウォーターや新聞、果物など停車しているクルマのまわりにはそんな人たちであふれる。
中には腕が途中から無い人や、片足がない人たちの物乞いの人たちまで現れる。
そんなときは運転手がドアロックやウインドーロックをかける。
言葉にはしないが<開けたらダメだよ>ってことだろう。



騒がしい街中を通り寺院のまえでタクシーを降りた。
セントニーニョ教会というところだろう。
事前にセブの事は何も調べてこなかった。
行って感じたままに任せよう、それが先入観もなくて良い(いいわけ)。
娘も何かを説明するでもなくただ一緒に歩いてみて感じる、それをわかっているようだ。







マゼランクロスという場所に来た。
後でホテルに帰り説明書を見ると、マゼランがこの島にやってきた場所のようだ。
"The Queen City Of South"と呼ばれるようになった起源のようなところだ。
スペインの植民地支配、その後アメリカによる支配、そして一時日本が支配したりと変遷を繰り返した原点だ。
マゼラン上陸とともにカトリック信仰が広まり全土に広がる、とある。



セントニーニョ教会、マゼランクロスの横には市庁舎の重厚な建物がある。



その前の広場ではトラック一杯に積まれたバナナの積み荷が降ろされていた。
娘の歩く方へついていく。
何か賑やかな場所のようだ。
<カルボン市場>という所らしい。
活気があって賑やかなところだが、何せ汚い。



豊洲市場問題で揺れる日本ではとても考えられない風景だろう。
道は埃だらけだし建物は今にも壊れそうな古い建物だ。
威勢の良い親父が
「イズミ!イズミ!イズミ!」
などと掛け声をかけて人込みを縫って歩く。
後ろにいた人が
「エクスキューズミー!エクスキューズミー!エグズミー!エズミー!」
と言っていた。
なるほどねと笑って後ろを振り返ると白人のきれいな女性だった。
私の顔を見て笑顔を返してくれた。



長い長い市場を随分と歩いた。
見慣れない魚や生きたニワトリを数羽足をつかんで持って歩く姿などかなりのカルチャショック(古いかな)を感じた。
セブの古い港街の風景をそれでもかなりワクワクした気持ちで歩いた。

セブ島初日

2016-11-28 22:17:33 | 旅行
娘とは3か月ぶりの再会だった。
こんな町でこんな形で会うなど思いもしなかった。
でもセブが気に入っているようで、物価がかなり安い事、人がフレンドリーで優しい事など元気そうな顔をして多弁になった。
行きつけのレストランに連れて行きたいというので店を出た。
すると<ちゃんとついて来て>と言いながらクルマでごちゃごちゃした道を渡りだした。
クルマが途切れるちょっとした隙に割り込んで道を渡りだす。
クルマに手を挙げて止まってもらう隙にあっという間に道を渡る。



手を挙げたと思ったらジプニーを止めて乗り込んだ。
私たちも乗り込むと目の前にはたくさんの人が珍しそうに私たちを見ている。
娘は財布から小銭を取り出すと隣に座る人にお金を渡していた。
お金を渡された人は隣の人に渡し次々と手渡しで最後は運転手に渡るのだ。
しばらく走ると娘がコインで屋根にあるパイプをカチカチと鳴らしていた。
さあ着いたよとばかりにバスを降りる。
娘が言うにはどこまで乗っても7ペソだそうだ。
1ペソがだいたい2円ちょっと、だから一回乗って14,5円くらいなのだろう。



レストランは一応冷房が入ったちょっとした小屋の雰囲気だった。
メニューは娘に任せ、しばらく話し込んだ。
こちらの一般的な人の月収は2~3万円くらいだから人前で大きなお金は見せないようにすること、あまり気取った服装は目立つので目立たないようすること、スリに気を付けることなどなど、話してくれた。



料理はフィリピン料理のようで見た目には辛そうな料理だが、そうではなかった。
鳥の空揚げのようなもの、焼きナスのようなもの、そしてなんだろう色々な物が入った炒め物?のような料理が出てきた。
食ってみると意外と美味い。
辛さは全くなく、どちらかといえば甘い味付けでかなり濃い味だ。
ライスはポロポロとしたタイ米のようで、日本のねっとりとした米ではない。
しかしこちらの料理にはこれが合っているようだ。
朝食もあまり入らなかったのでこれはおいしく頂けた。
今からどこに行こうかと娘は考えていたようで動物園にいくことになった。
タクシーに乗り約30分ばかり山道に入る。
これまた<ゴミ屋敷>の連続で舗装もしていないようなところをタクシーは走る。
タクシーを降りるとき迎えのタクシーも拾えそうにもない。
娘が運転手と話をして待ってもらうようだ。
動物園の入り口も小銃を持ったガードマが立っていた。



園に入ると気の良いおじさんがついて来て、サルやワニ(アリゲーター)鳥(名前は忘れた)を説明してくれた。



ワニに乗れと言うがとても・・・と思っていると娘がまたがって面白がっていた。
気の良いおじさんが英語で説明してくれるのだが、分かるんだね雰囲気で・・・。
しばらく動物園で過ごし、待たせたタクシーで次に向かった。
書いていると長くなるので、続く。

娘との再会

2016-11-25 23:16:20 | 旅行
釜山からのフライトは4時間ばかりかかっただろうか、機内には小型の液晶がフライト情報を流していた。
釜山を出て機は台湾の東をフライトしていた。
機内食はピラフのような軽い食事が出た。
しかし韓国風の味付けでにおいがあまり好きでなく半分くらいしか入らなかった。
眠くはなかったが持ってきたウォークマンで音楽をかけ聞き入っていた。
少し眠りに入ったのだろうか気が付いたらセブへの滑走に入るのだろう韓国語で何かアナウンスが流れていた。
英語の次に日本語(韓国風)でアナウンスがあった。
セブ国際空港はあまり新しい空港では無いようで、ちょっとレトロな感じだ。
しかし驚いたことに通路のあちらこちらに小銃を抱えた警官らしき人たちが立っていた。
入国申請は割と簡単に済んだ。
空港を出るとちょっとした広場があり、出迎えの人たちが大勢紙に名前を書いて声をかけてきた。
タクシーの勧誘から声をかけられたが何を言っているのかわからないので無視して、旅行会社の出向かえを探した。
私の名前を呼ぶ声がしたので手を挙げると何やら小柄なおじさんが近づいてきて手を引かれた。
私と妻の名前を確認してどこかに連絡を入れていた。
しばらく待っていると一台のトヨタのワゴンが来てそのクルマに乗り込んだ。
待合場所(といってもただの広場のようなところ)には普通だったら市内方面への電車やバスの乗り場の案内板があるのだが、そんなものは一切ない。
無いはずだエアポートエキスプレスなどと言う大型のバスなど最初からないのだ。
トヨタのタクシーやちょっとしたワゴン(トヨタ、三菱、スズキ)しかいないのだ。
迎えに来たクルマには運転手と日本語が話せる優しそうなおじさんが乗っていた。
市内まで1時間半くらいかかるという、その間にセブでの注意点などの説明があった。
外を眺めていると大きな橋を渡っていた。
そしてヘッドライトに移される光景をみて驚いた。
うす暗くてよく見えないが<ゴミ屋敷>が立ち並ぶ中を走っている。
もう真夜中なので家々の電燈は消えて暗くなっていた。
これはものすごい所に来てしまったようで一気に気持ちが落ち込んだ。
しばらく走って来ると高層ビルが立ち並ぶ地区に入ってきた。
ホテルに着いたのは何時だったろうか、20数階建ての高層のホテルだった。
案内の人が荷物を持ってくれホテルのカウンターで手続くをしてくれホテルのカギを渡してくれた。
帰りの日時を確認してホテルの部屋に無事着いた。



翌日は娘は午前中は用事があるようだったのでゆっくり目に起きた。
ホテルを出て周りをブラブラしてみた。



街中には小型のバス(ジプニー)が列を組んで走っている。
タクシーはトヨタのVIOSという小型のセダンが走っていた。
大きな道でもこのジプニーとやらが人を荷物のように沢山載せて沢山走っている。



道を横断しようにも信号はあるのだが横断の方法がわからない。
信号は変わってもクルマの途切れることはなく、台湾やシンガポールでは人よりクルマが優先だと聞いていたので怖くて渡ることができない。
ホテルの部屋に戻りネットで地図を出し娘との待合場所を確認する。
割と近くのようだがタクシーも怖いしあのバス(ジプニー)に乗る勇気もない。
1kmちょっとなので歩くことにした。



しかし道を横断するには必死なのだ。
今だ!と一気にわたるしかない。
そして大通りに道だけどきちっとした歩道など無い。
そして道はいろいろな物が落ちていて汚いのだ。



歩いていると<ゴミ屋敷>のような家(店?)が延々と続いている。
口を開けて唖然とするしかない状況の中をてくてくと歩く。
道端に鶏を放し飼いにしているところがあった。
大通りのすぐ横で鶏が数羽いて<コケコッコー>と鳴いている。
完全なカルチャーショックだった。
何とか娘ととの待合場所(JYスクエアモール>に着いた。



モールにマックがあったのでそこに入りアイスコーヒーを頼んだ。
ブラックを頼んだのに甘いコーヒーが出てきた。
しばらくして娘が元気な姿を見せた。

アジアンパワー

2016-11-25 09:50:20 | 旅行
実は今年の9月から娘が語学留学のためフィリピンに行っている。
期間中に一度は様子見に出かけようと妻と話をしていた。
会社からなんと有給の許可が出て、慌てて旅行会社に計画をお願いした。
セブまでの航路は関西、成田からしかなく、それもなかなか席が取れないという。
二人分の航空券とホテルを何とか今回の日程の中で確保することができた。
ただし、福岡からはLCCのエアープサンで釜山まで行き乗換となる。
韓国からセブは人気路線のようで便数も多く何とか確保できた状態と旅行会社は言っていた。



まあ航空会社に不安はあるがコスト面を考えると致し方ない。
準備はほとんどする時間もなく、ネットでパラパラと調べたほか、娘からいろいろと情報は入っていた。
お金もそんな多く持って行っても使いきれないそうだし、服装も立派に見える服は絶対ダメだと聞いていた。
だからサンダルにジャージで良いのかとも思ったが、さすがにズボンだけはジーンズにした。
妻も買い物にでも行くような服装で出かけた。
福岡からは午後4時発だったので当日は余裕をもって出かけた。
福岡、釜山間はほぼ満席の状態で航空会社が韓国なのでほとんどが韓国人、日本人は数名といったところだった。
フライトは約40分ちょっと無事に着いた。



釜山国際空港は巨大な体育館を半分に切ったような簡素な空港だった。
セブへのトランジット(トランスファーと言うのか)は私たちだけのようで出発ロビーで止められてしまった。
そこで問題が発生した。
どうもケータイを飛行機の中に置き忘れてしまったようだ。
docomoのサービスなのか国内を離れるとdocomoからのメールが頻繁に入り、めんどくさいので電源を切る操作をした。
「ケータイ、プレーン」
と韓国人スタッフに指をさして言うが通じない。
ケータイはダメだな
「フォーン」
で何とか通じた。
スタッフは慌てて機内に行きケータイを持ってきた。
初っ端からこれでは先が思いやられる。
機内食が出るからと妻は昼食を軽めにとったようで
「お腹がすいた」
などと言う。
円はペソにいくらかは両替したが、さすがに韓国では使えないだろう。
空港内にはファストフード店が何店かとセブンがあった。
セブンにはサンドイッチや弁当(韓国風)が置いてあるが買うことがで出来ない。
カフェで
「クレジットカードOK?」
と聞いてみた。



OKと言うのでサンドイッチにコーヒーを2つ買って妻に渡した。
そうこうしていると夜の8時過ぎだというのに、ゲートから大量の中国人が入ってきた。
出発ロビーは大量の中国人観光客で埋め尽くされる。



いくつかのゲートには<北京>や<上海><香港>などの文字が見え、搭乗手続きが始まると大量の中国人たちがゲートの中に消えていく。
それが何度も何度も繰り替えされるのだ。
中国の人たちのパワーはお隣韓国でも全開だった。
そんなにぎやかな空港に約4時間待たされた。



やっとセブ行きの登場案内が開始された。
ほとんどが深緑色のパスポートを持ったコリアンだ。
赤いパスポートを持った人はパラパラと数名だけだった。
大統領が大変なことになり、経済も危機状態に入った韓国だけど、セブ行き観光客には関係ないようだ。



機は無事に釜山を離れセブを目指した。

脊振山系

2016-11-20 21:11:25 | 小旅行
ここ2週間土曜出社が続いた。
休みは週のうち1日だけだった。
特に仕事が忙しいということでもないのだが、近年まれにみる2週間だった。
そういうわけで実家にも熊本の家にも帰ることなく休日を過ごさなければならない。
マンションの大規模改修工事も私たちが住むB棟は足場の解体も終わったわけだが、娘が部屋を借りているA棟の方は今から足場の解体工事が始まる。
せっかくの日曜日だが、今日も解体工事が朝から始まり、足場を解体する金属音が響き渡っている。
職場の隣に座る先輩同僚から糸島の○○寺あたりの紅葉が綺麗だと聞いた。
しかし福岡方面からかなりの行楽客で渋滞する、という情報を聞いていた。
福岡に来て、一番に娘が連れて行ってくれたのが糸島だった。
それから糸島が気に入って暇があるたび何度も出かけている。
会社の同僚も糸島から通っている者も数名いて
「良いところでしょ!山の方もいいですよ。白糸の滝もあります」
と言う。
そういえば糸島には何度も出かけているが海を見に行っていて、山の方はほとんどない。
そんなわけで朝から糸島に出かけることにした。
国道202号線で糸島に向かう。
途中で行き先をセットするのだが○○寺が出てこない。
雷山というのを聞いていたが寺の名前までは覚えていなかった。
瑞梅寺という看板が見えたのでその方向に上ってみた。



瑞梅寺ダムの横を進み、駐車場のようなものが見ええた。
山は深く、この先はどうも行き止まりのようだ。



駐車場には数台クルマが停まっていて、駐車場にある看板を見ると遊歩道が整備されている。
山頂は井原山とあった。
ここにクルマを停め遊歩道を使って登山をしているようだ。



目的の紅葉もボチボチという感じで、五家荘の山全体が燃えるような紅葉はなかった。
登った道を引き換えし、白糸の滝を目指した。
山道を登り、右折ししばらく走ると駐車場が見えた。
結構観光客が来ているようで駐車場には多くのクルマが見える。
白糸の滝は駐車場のすぐ近くだった。
観光名所のようで食事処や売店(ヤマメの塩焼きや団子)が立ち並んでいた。



かなり高いところまで登ってきたようで滝の反対側を見ると、糸島の市街地や遠くには能古島や志賀島が見える。
白糸の滝を後にして
「早く帰ろうよ」
と妻がいう。
時計を見るとまだ11時だった。
そのまま佐賀に向かうことにした。



当然初めて来るところなのでナビを使った。
大きなダムやドングリ村などを通り、川上峡に出た。
少しは紅葉も見えたが、まだ早いのかボチボチといったところだった。
佐賀市内に入り佐賀駅近くの商店街(細いアーケードだったと思う)を探したが記憶違いなのかそんなにぎわいのある商店街は見つからなかった。





コインパーキングにクルマを停め、しばし駅近くをブラブラして昼食を食べて後にした。
脊振山系も今までは長崎に帰るとき長崎道がふもとを通り、新幹線通通勤時は長いトンネルでくぐりぬけていた所だ。
険しい山かと思っていたが割とフレンドリーな山だった。
また機会があれば散策したいと思った。

大きな月を求めて

2016-11-15 20:57:07 | 日記ふう
スーパームーンとやらを求めて退社後ビルを出て博多駅前に行ってみた。
前日は雨で月を眺めるような気象条件ではなかった。



博多駅はイルミネーションが始まっていた。
駅全体がイルミネーションで輝いていて駅に向かう人たちは足を止め写真を撮っている。
これでは月を探すところの話ではなくなってくる。



しばらくはこのイルミネーションも続くのだから今ではなくてもいいのかな、と思いながらやっぱり写真を撮ってしまう。



月を探してみたがまだ早いのだろうか明かりすら見えなかった。
しばらくイルミネーションを眺めて、陥没事故のあった場所に行ってみた。



歩道には係員が数名たち異常がないか監視していた。
現場は博多駅か歩いて数分のところ、駅からのイルミネーションも事故現場で途切れていた。
舗装された道ははっきりと分かれていた。
交差点には真新しい信号機が立ち、交差点には何事もなかったように人々が歩き、クルマが流れていた。
近くのビルも電気が戻り、通常通りのオフィスビルになっていた。
テレビに映っていたコンビニはまだ工事用の養生シートがかかったままで、電気はついていたが営業しているのか不明だ。
あっという間の復旧作業にびっくりしたが、月を眺める雰囲気ではなかった。
空を見ているうちに再び陥没ではたまったもんじゃない。

甘木水の文化村

2016-11-14 20:52:33 | 小旅行
秋月の大渋滞から早く抜け出そうと町を出た。
渋滞は秋月に向かう方向だけで、一方通行になった町からはスムースに出ることができた。
まだ時間は1時ちょっと過ぎだったので英彦山に行くことにした。
国道500号に左折せよとナビがいう。
国道に出てしばらく走っていると通行止めの看板が出ていた。
クルマの姿がほとんどないので不思議に思っていたが、そういうことだったのだ。
引き換えしいったん秋月に戻った。
国道386号に降りるため走っていると広大な公園のような場所が目に入った。
公園の木々が真っ赤に紅葉している。
「行こう!行こう!」
と妻がいうので駐車場にクルマを置き公園を散歩した。



公園の入り口には大きな輪っかが出迎えてくれた。
近くの少年たちがサッカーボールを蹴って輪っかを超えられるかと挑戦していた。



公園の池近くには真っ赤に紅葉したモミジが太陽の日を受けきれいだった。
公園にある木々も赤く紅葉してここだけ別世界のようだった。
しかしこのような広大な公園、甘木もお金持ちの自治体なのだ、と思ったが今は甘木は朝倉市に名前を変えていた(合併したようだ)。
道を隔てた先にはこれまたきれいに整備された公園の入り口のようなものがあった。



中に入ると見上げるほどの階段が待っていた。
何だろうと高い階段を上ってみた。



先には近代的な建物がある。
展望所と矢印の看板が見えたので行ってみた。



なんと下にはダム湖が見え、その先には筑後平野が広がっていた。
建物の中に入るが人ひとりいない。
大相撲の写真や資料が展示してあり、場違いな展示に不思議な感じだった。
どうもここは寺内ダム関係の施設のようで、ダムの説明が写真付きで紹介されていた。
誰もいない近代的な建物、維持費も大変だろうな、とつい思ったが、ダムだから・・・?
この付近には江川ダム、そしてこの寺内ダムと大きなダムが2つもあるようで、福岡市の水がめになっているようだ。
深い山に囲まれた古い山城といい、巨大なダムといいこの辺りにかなり興味を持った。
帰り、朝倉あたりで(たぶん3連水車)では多くの人が行楽を楽しんでいた。

秋月鎧揃え

2016-11-13 20:41:57 | Weblog
再び紅葉を求めて英彦山を目指す。
ナビに道案内を任せ国道3号を左折して朝倉方面を目指す。
助手席に乗った妻が突然
「秋月城に行こうよ」
と言い出す。
ここもまた紅葉の名所のようで、福岡では人気の場所だという。
英彦山は右折なのだが直進で秋月を目指す。
細い路地のような道に入り、ナビの案内で秋月城跡に着く。
しかし前のクルマが突然バックしてきた。
駐車場が空いて無いようでバックしているのだろう。
横の民家に駐車料金300円の立札が見えた。
民家にクルマを入れると、おじさんが出てきてここに停めろを合図をする。
「12時頃に甲冑を着た武者行列が上がってくる」
と言っていた。
最初は何のことを言っているのだろうと思ったが、どうも「秋月鎧揃え」という行事があるようだ。
時計を見るとまだまだ行列には時間がある。
少し山の方に歩いてみると堀と石垣が見えた。
ここが秋月城跡のようだ。
秋月中学校の正門に人だかりができていたので行ってみた。



中学校の運動場では弓の大会のようなものがあっていた。
射手たちが一列に並んではるか先にある的をめがけ弓を弾いていた。
かなり大きな大会のようで多くの射手が横に並び、その後ろに順番を待っていた。
時間もたっぷりあるので今日はここでのんびりと過ごすことにした。



黒門といわれる場所があった。
たぶんお城への入り口にあたる所だろう。
門をくぐり垂裕神社(黒田長興を祀った神社)に行ってみた。
大きな木々が境内にはあり、周りは鬱蒼とした山の中だ。
神社を降りて城下を歩いてみた。



武家屋敷らしい面影が残っていたが、今は観光地としての面影が強かった。
周りを見渡すと高い山で囲まれた盆地のようだ。
街の中を川が流れていた。



紅葉した木々と清流が良い感じだった。
そろそろかなと思って城跡に戻ろうとすると、細い路地のような道はクルマで大渋滞していた。



法螺貝の音がするので行ってみるとすでに「秋月鎧揃え」の武者行列は始まっていた。
甲冑を着た地元の人々が雄たけびをあげ行進していた。



その周りには多くの観光客が集まってカメラを向けていた。
思わぬ行き先変更で山奥の山城に来てみたが、黒田藩(官兵衛)のゆかりの地と知り驚いてしまった次第だった。

パワーを感じた日

2016-11-10 20:14:32 | 日記ふう
朝起きてアパートを出る。
空には相変わらずヘリが舞っている。



陥没事故から3日目になるが相変わらずハエがたかるように舞っていた。
事故現場の映像は阿蘇山頂のライブカメラと同様にNHKのホームページにリアルタイムで映されていた。
陥没事故の現場の映像には都市機能のライフラインの切断断面が堂々と映されていて、セキュリティを暴露していた。
空飛ぶヘリもこの際さいとう感じで現場とは関係ないだろうと思われる場所でホバリングなどして、いったい何をしているのやら。
昨日は同僚たち4人と居酒屋で飲んで帰った。
アパートに帰ると妻はすでに布団に入り眠りについていた。
起こさないようにテレビをつけアメリカ大統領選の報道を見た。
民放に出演していた木村太郎(元NHK特派員)が
「間違いなくトランプが選ばれるだろう」
と断言していたが、その通りになった。
テレビでは今回の結果について、クリントンは計算しつくされた言動に対し、トランプは暴言もあったが彼自身の言葉で訴えていたことが大きかったのではないか、といった解説があっていた。
トランプ優勢が伝えられるにつれ株価は1000円近く暴落していた。
一夜明けて株価は一斉に1000円以上も反発、いったいどうなっているのやら。
ちょっとした用事で今日は駅近くの建物に出向いた。
用事が終わったので事故のあった博多口のほうを歩いてみた。



事故現場近くまでは行けそうな雰囲気ではなかったので駅ビルの3階まで行ってみた。
大屋根のちょうど下あたりだったけど、多くの人が集まって事故現場の写真を撮っていた。



ちょっとした観光名所のようになっている。
あれだけ大々的に報道されてはこれも仕方ないのだろう。
けど今回の事故も分単位の素早い対応で人命に関する被害はなかった。
その対応についてネットでは称賛の声すら上がっている。
埋め戻しの対応も素早く、わずか数日で元に戻そうと全力で頑張っている。
政治的システムはいかに精巧に高度になっても歪が出る。
それを根本から見直そうと人々が立ち上がる。
一方では地震災害や今回の陥没事故のような不慮の事故にも真っ向から立ち向かう、人のパワーを感じる。
この数日、そんなことを考えて過ごしていた。

陥没事故

2016-11-08 20:24:45 | 日記ふう
朝出かける前にNHKのニュースで「博多駅付近で道路陥没」という言葉を耳にした。
気になってはいたが、通勤途中も何事もなく会社に着いた。
ドアを開けると同時に
「どうでしたか?」
と聞かれた。
何のことか、と思ったが陥没事故の事のようだった。
さっそくネットで調べてみると、何とも大規模な陥没事故だった。
場所は駅を隔てて反対側のすぐ近くだった。
ネットで動画を見てみると陥没する様子が映っていた。
まさか中国や韓国でもあるまいし、日本でこんな事故が起きるわけがないと思ったわけだが、事実はそうだった。
仕事場のビルは何事もなかったので仕事を始めていると、いきなり皆のケータイに異常音が鳴りだした。
開いてみると、避難勧告のエリアメールだった。
一人だけ遅れて呼び出し音が鳴っていた。
ソフトバンクのケータイだった。
それから事務所はあわただしくなり、現場近くのスタッフたちが事務所に詰めかけた。
どうも現場近くにビルは退去命令が出され、ビルに入ることが出来なくなったようだ。
停電になりエスカレータやエレベータ、電燈が止まってしまった。
それに倒壊の危険もあるそうで、避難してきたのだった。
ビルの上の階に行って外を見ると、5,6台のヘリコプターが飛んでいた。
仕事のほうは特に影響もなく、昼休みや午後3時、そして夕方になると再びヘリの爆音で騒々しくなった。
メディアの中継時間が来たのだろう。
時間帯によって空が騒々しくなる。
空港も近いせいかもしれない、頻繁に飛んでいた。



夕方近くになって管理会社のほうから通達が来た。
上下水の使用制限に関する通達だった。
トイレを制限されてしまった。
夕方会社を終えビルを出た。



いつもの風景だったが、高架下を出て駅の反対側に出た途端、いつもは明々と電気が点いたビルが暗く不気味な光景だった。
キッテビルやJRJPビルにも明かりは見えずひっそりとしていた。
駅も混雑しているだろうなと思いながらてくてくと帰った。



全国で地下鉄工事は行われているのになぜこんな事故が起きてしまったのだろうか。
ライフラインの障害や周りのビルの安全性など賠償額も大きくなるだろう。
緊急工事で埋め戻すと言っているが、それだけでホントに大丈夫なのだろうか。
そんな気がしてならない。

実家へ

2016-11-07 20:44:00 | 日記ふう
久しぶりに良い天気で目が覚めた。
11月はこれからいろいろと予定が入り忙しくなるし、12月に入ればあわただしくなる。
年内は予定が立てにくいので、久しぶりに実家に帰ることにした。
常に気にはなっているのだが、親たちが住んでいた家のことだ。
もう空き家にしてしまって5年くらいなる。
前回、夏草刈りで帰って以来帰っていない。
博多のアパートから大宰府インターをめざし、九州道に乗り込む。
最初の基山パーキングに立ち寄ると緊急車両(消防車)がずらりと並んでいた。
今日(11月5日)は「津波の日」だそうで、どこかで訓練でもあるのだろう。
制服に身を包んだ人たちでパーキングはにぎわっていた。
九州道も益城インターからは片側通行になっている。
しかし前回とは違う下り車線だった。
きれいに整備され、今は前回通った上り車線の工事が行われていた。
実家にはちょうど正午頃についた。
市内に昼食を食べに行き、実家に帰った。
庭を見るとすでに草が・・・。



前回きれいに刈ったつもりだったが、わずか2か月でこのありさまだ。
今日は庭木の剪定や部屋の整理などしようと思っていたのだが、このありさまに愕然となった。
仕方なく庭に出て、伸びきった草を根っこから引き抜きにかかった。
大きな草だけ引き抜いて、あとは草刈り機で再び刈った。
前回のように大きく伸びてはいなかったので1時間ばかりで作業は終わった。
家の中も親父たちが住んでいたままの状態で、片づけるといってもどこから手を受けて良いのかわからない。
そういいながら、もう5年近くの時間が流れている。
住まないと家は傷むよ、と言われるが、今のところ特に変わりはない。
しばし家の中を掃除したり、窓を開けて空気を入れ替えたりした。
ここに住んだのは小学校1年間と中学、高校の7年間だけだった。
親父たちが亡くなって空き家になってしまったが、帰ってくると何故か心落ち着く場所になっている。
都会の喧騒とは違い、空気の透明感、時間の流れ、土の匂いがそう感じさせるのかな。
維持するにもお金と労力がかかるのだが、打つ手もなく、しばしこの状態にしておこうと思う。
戸締りをして、息子夫婦が待つ熊本市に向かった。

改修工事の終了

2016-11-04 20:36:53 | 日記ふう
大規模改修工事もやっと終わりかけている。
足場を解く作業が開始され、あっという間に足場がなくなった。
足場の解体はかなりうるさかったようで、キンコンキンコンと一日中響き渡っていたようだ。
私たちのマンション(棟)が先に工事が終わったようで、隣に住む娘の棟はまだ黒いシートで覆われたままだ。
ここに入居したのが3月の終わりで工事が開始したのが6月だった。
入居していきなり足場が出来て、落下防止の黒いシートが張られた。
何とも落ち着かない日々だった。
食事をしているすぐ横を、工事関係の人たちが通っていく。
真夏の暑い中でも窓は開けることができない。
足場があるのでその足場をつたわって不法侵入が出来てしまう。
そのためか監視カメラがあちこちに設置された。
いたるところに夜は絶対に窓を開けない事、といった張り紙が貼られていた。
真夏の蒸し暑い夜が続き、クーラーが活躍した夏だった。
世間では暑い夏だったといわれたが、私にとってはとても寒い夏だったようだ。
やっと足場が解けたと思ったらいきなり寒くなってきた。
何とも・・・。
ペンキの匂いからも解放される。
外見は素晴らしく新しくなったのだが、住んでいる部屋は相変わらずだ。
汚くはないが狭い。
今回の工事にはこれは入ったいなかったようだ。



娘は工事が始まってから姿を消した。
帰ってくるのは12月に入ってからの予定だ。
大規模改修工事が終わる予定の次の日だ。
それまで空き部屋になる。
そうしているうちに一年が過ぎて行くのだ。

紅葉にはまだ早かった

2016-11-03 20:25:48 | 小旅行
このところ休みのたびに天気が良くなく博多近辺でくすぶっていた。
今日は朝から肌寒さで起きた。
いやいや、肌寒いどころではなく、一気に冬が来たような朝だった。
カーテンから朝日が差し込んでいたので天気は良いようだ。
妻より先に起きてネットで紅葉の情報を探してみたが、まだ早いようだ。
検索を妻に任せ、朝の準備に取り掛かる。
ここのところ乾燥ボックスに眠っているEOS5D2とEFレンズをバックに入れた。
ジーンズにシャツ、ジャンパーを探すが無い。
そうか熊本に置いたままだった。
仕方なくウインドブレーカーをひっかけてアパートを出た。
妻がさっそくナビに入力している。
ナビに任せ百年橋通りから201号線に出た。
篠栗町を過ぎると左折の指示が出る。
細い山道に入り、呑山観音寺(のみやまかんのんじ)の看板が現れる。
山肌を眺めるがまだまだ紅葉の気配さえない。
駐車場に着くと割と多くのクルマが停まっていた。



高野山真言宗の流れの寺のようで鬱蒼たる杉木立の中にあり、由緒ある雰囲気があった。
境内には数多くの石仏が置かれていて、手厚く手入れされていた。



信仰が深いのだろう、どの石仏にも手編みの帽子が乗っいた。
紅葉はまだまだ早いようで、今日のように冷え込む日が数日来ないとダメなんだろう。
お参りを終え、さて先をどうしようか迷ったが、とりあえず八木山峠に向かった。



途中に展望所のような場所があり、そこで休憩を入れた。
飯塚市内を抜け田川を目指す。
大きな川(筑後川)をわたり田川の街中に入る。
看板に北九州の看板が見るので左折して北九州を目指した。
しばらく走っていると大きな山が右手に見える。
山のてっぺんが削り取られた場所が見える。
そうかと思いナビに登録した。
国道から右折してこれまた細い山道を登る。
着いた先は「平尾台」だった。



山のてっぺんなので外は冷たい風が吹いていた。



園内を走るトロッコバスに乗って園内を一周する。
しかし風が冷たく約20分のコースも寒くてたまらなかった。



寒い中でも壮大なカルスト台地が見える展望所までしっかりと目に刻んだ。
平尾台から行橋(刈田)に降り、小倉市内に入る。
門司港まで、と思ったが時間的にちょっと無理だろう。
国道10号線から3号線に入り、一路福岡を目指した。

ウルトラ7

2016-11-01 22:19:29 | パソコン
せっかくメモリーを1GB×2枚に差し替えたんだけど、動作は遅くなるしパリティエラーで止まってしまう。
やはりジャンク品なのでしょうがないのかとあきらめていた。
買った中古屋に持っていき状況を説明すると、あっさりと交換してくれた。
再度差し込んで動作を監視したが、ネットを開いたままちょっと席を立ったところで、再び青い画面にパリティエラーが出ていた。
メモリー診断をかけたが特に問題はない。
何せ古いパソコンにWindows7Pro(32bit)をディスクごと入れ替えているのだから少々の不具合は覚悟はしていた。
メモリーを買うときもCPUのクロック数に合わせて買ったのだが、いったい何がいけないのか。
せっかくのルンルン気分が、コノヤロー状態に変わった



再びメモリを512MB×2枚に差し替えてみる。
タスクマネージャーを見ると1GB内で割と余裕を持って動いている。
1GB×2枚を差し替えてみると、メモリ使用量がみるみる上がってしまっている。
CPUの使用量も100%に張り付いたまま、これでは動作が遅くなるのは当たり前だ。



<svchost.exe>とやらが以上にメモリを圧迫している。
会社のパソコンで経験したあれと同じなのかな。
またもやウルトラ7のお出ましだ。



<msconfig>から<Windows Update >と<Windows Defender>の二つのサービスを切ってみた。
まあ、そこそこに動くようにはなった。
パリティエラーのほうはメモリ使用量と関係しているのかわからないが、今のところ出てはいない。
しばらくこの状態で様子を見ることにする。
しかし<Windows Defender>を切った状態でウイルス対策ソフトも無い、いわゆる丸腰の状態で動いているので危ない状態だ。
そろそろ新しいmacでも検討しようかな・・・。