打越通信

日記ふういろいろ

旅の総括(東北)

2020-10-20 19:21:43 | 旅行
朝からパタパタと低空飛行のヘリコプターの爆音、そして数分おきにゴーと大型旅客機の轟音、住みやすい街、福岡の現状だ。
今回の旅行の安全祈願した住吉神社へ無事に旅行を終えた報告に行った。
本殿を出て境内を歩いていると太鼓の音がする。





神主さんや氏子の人たちが神田に集まって神事らしきものを行っている。
鯛やお供えものをささげ、稲刈りをしていた。

さてさて、旅の疲れと燃え尽き症候で完全にダウンしてしまった。
総括を書こうと数行書いては集中力が続かず中断、それの繰り返しだった。

総走行距離は3926kmだった。
お金の方も領収書(ホテル代、ガソリン代、食事代、お土産代など)と高速代(ETC)の概算計算して特別給付金(2人分)内で充分まかなえたと思う。
8泊9日だけど、娘の所に一泊したのでホテルは7泊。
平均で10000円くらい、一番豪華だった新潟のオークラでも素泊まりで8000円もしなかったのでGoToの割引は大きかった。
ガソリン代は給油は合計9回で一回3000円、高速代は概算で35000円、あとは食事とお土産代だった。

スズキの小さなコンパクトカーだけど、クルマのトラブルもなく、意外にも高速走行での安定性も良く、クルマの進化には驚く。
日本海側の国道8号線や7号線もなかなか整備されていて市街地以外は自動車専用道なみで流れていた。
流れに乗って運転していれば煽られたりいやがらせを受けることは無いのでそういうことは一度もなかった。
一番助かったのはナビだった。
道を探すことも、道に迷う事も一切なかったので、これの活躍は一番だったと思う。

日本海を見たい、それが今回の一番の思いだった。
東北の10日間の天気予報も良かった(実際良かった)し、あとは私の体調の不安だけだった。
2日様子を見て思い切りって出ることにした。
出かける2日前に本屋に行き東北関係の雑誌を探すが、九州や四国、中国などの雑誌はあるがさすが東北の雑誌は1,2冊しか置いてなかった。
それをやっとで探し出し地図だけをはぎ取ってあとは妻に渡した。
前日になって、さあ行くよと声をかけるが、はあー!という感じだった。
4日分の着替えと、カメラ(5Dと6Dに標準ズームと望遠ズーム)、妻のB5版のパソコンと外付けHDD、それと仮眠や最悪の場合車中泊も考え寝袋をもって出かけた。
下着や靴下、ポロシャツなどは2,3日おきにホテルの風呂やランドリで洗濯した。
パソコンもやはりスマホでは情報量が違うし、写真のデータを取り込むために必要だった。

そんなこんなで本州縦断は無事に終了したが、日本海という意味では、鳥取と京丹後の間、今回悩みに悩んだ秋田からの101号線(ローカル線で一番人気の五能線)の青森までの間が残ってしまった。
まあそれは次回という事にしよう。

広いと思っていた日本(というより本州)も意外と狭いなという感じがした。
そしてやはり海で囲まれた国なのだとつくづく感じた。
写真やテレビで見るより、実際行ってみてその場の風景と風と音と匂いを感じることが大事なんだと思った。

福岡へ

2020-10-14 21:52:48 | 旅行
さすが岡山まで帰ってくると、それまでの緊張感も新鮮味というのかな、無くなってしまう。
ホテルもチェックアウト近くまでゆっくりと過ごし重い腰をあげた。



このまま福岡を目指しても良いが、少し時間がある。
あまり名所らしいところも行っていないし、岡山後楽園でも行ってみよう。
ホテルからはそんなに時間はかからなかった。
専用の駐車場があるようでそこにクルマを停めた。
正門から入場したが最初にタンチョウが出迎えてくれた。



なぜタンチョウなのかわからないが、そこを抜けると広大な庭園が広がっていた。
庭園のマップを見ながらてくてくと歩く。
池がいくつもあり、奇麗に剪定された松がとてもきれいだ。
平日とあり人は少なく、のんびりとした雰囲気にこちらものんびりと進む。





茶店があったので抹茶と茶菓子で抹茶タイムだ。
入場券を見ると岡山城も入場できるようだ。
重い腰をあげて岡山城への橋を渡る。



岡山城は烏城(うじょう)といわれるように黒っぽい(深い茶色にも見える)城だった。
お城に入り天守閣まで登ってみた。




四方の窓から岡山市内を眺める。
岡山といえば、ままかり、もみじ饅頭(いやいやこれは広島だった)、桃太郎、桃太郎といえばきびだんご、最近ではジーンズが有名になったまちだ。
四国(特に香川)からは瀬戸内の海を隔てて密接に関係しているまちでもある。

岡山後楽園を出て、国道2号線でしばらく進むことにする(別に高速料金をケチっているわけではない)
昼飯に尾道ラーメンでもと思いスマホで国道沿いのラーメン店を調べる。
ラーメン屋が見つかったが、金沢で行った8号ラーメンの看板を見つけた。
なんと2号線に8号ラーメン、いやはやだった。
そうこうしているうちに尾道の街は過ぎてしまった。
じゃあ広島でお好み焼きだと進む。
しかしこのまま進めば広島市内は15時を過ぎてしまう。
道の駅(これは前回来た道の駅だった)でカツカレーを食った。
広島市内を抜け山陽自動車道に乗った。
関門橋を渡り、福岡インターから美野島に無事に着いた。
荷物を下ろし、クルマを立駐に入れ、部屋のドアをあけてテーブルに座った。
ちょうど夜の8時だった。
さっそく娘に無事に着いたことをメールした。

岡山泊で帰路へ

2020-10-13 23:04:10 | 旅行
富山のホテルを出て北陸自動車道で金沢の娘夫婦の家には1時間ほどだった。
海岸近くにある家はまだ新しく、別荘的な作りになっていて快適な生活をしていた。
日曜日だったこともありダンナも在宅で、東北で買ってきたお土産や土産話など話は尽きなかった。
そうこうしていると娘が日ごろお世話になっている近所のオジサン(元漁師とのことで前回は毛ガニをたくさんごちそうになった)とお母さんが、カレイの煮付けとイカの刺身を持ってきてくれた。



朝はあまりまとまったモノを食っていなかったので、娘がついで来てくれたごはんでパクついてしまった。
いやいや、新鮮なイカと肉厚のこれまた新鮮なカレイの煮付けに舌鼓だ。
ひと段落して、娘が「これからどうするの?」と聞くので「高速の休日割(30%割)でできるだけ距離を稼ぎたい」というとうなずいていた。
まったく計画性のない私たちに何とか話をあわせてくれた感じだった。
正午前、娘の家を出るとお母さんと妹さん夫婦が来られた。
皆で記念写真を撮って金沢を後にした。
娘も何不自由なく幸せに暮らせていることが私たちには大変うれしいことだった。
金沢から岡山は470km(5時間半)、さっそくパソコンを取り出してスマホに繋ぐ。
運転を代り妻に岡山のホテル予約をお願いする。
北陸自動車道を福井、敦賀、長浜と進む。
右手にはちらりと琵琶湖が見える。
米原JCTから名神高速道に入る。



さすが日本の大動脈らしく一気にクルマの量が増える。
彦根、大津、京都の看板が見えてくる。
京都ICを過ぎると看板に右ルート、左ルートとある。
なんのことかさっぱりわからず、ナビは左を指示するのでその通りにした。
天王山トンネルの手前からだろうか、4車線の道路が並行して走る。
通常反対車線(つまり登り車線)という事だが、なんとその道路も大阪方面へ同じ方向へ進んでいた。
いやあ、これにはびっくり田舎者には信じがたき光景だった。
さらに看板は複雑になり新名神などの看板も出てくる。
わき見運転するなといわれても無理な状態だ。





岡山は左だよ、しかしここでもナビは名神を進めと指示する。



茨木を過ぎると吹田JCT、巨大な迷路のようなJCTをナビの指示通り、無事に中国自動車道に入れた。
えっと思う間もなく、右手に万博で有名になった太陽の塔が見える。
さらに進むといつの間にか宝塚(つまり兵庫県)に入っていた。
神戸JCTで山陽自動車道に入り、三木、加古川、姫路、赤穂と進み岡山ICで高速を降り、あともナビ任せでホテル到着は6時半だった。
着いたホテルはまたもや同じ系列のホテルだった。
青森、仙台、富山とこれで4連続、よっぽど気に入ったのだろう。
広さもきれいな浴槽も普通のビジネスホテルの息苦しさとは違う。
さっそく夜の岡山の駅前の繁華街に食事に出た。
しかしどの店も「地域振興クーポンは使えません」の張り紙。
駅の食事処も同じ張り紙が貼ってあった。
どうも岡山では制度利用の遅れがあっているようだった。
唯一駅内のコンビニ(スーパーかな)に使える張り紙があり、今夜の食糧、ビール、明日朝のサンドイッチやおにぎり、缶コーヒーなど2000円ちょっと分を買ってホテルに戻った。
残念、岡山。
ママカリ食いそこなった(いやいや自腹で食えば良いものを、クーポンをあてにするからいけない)

富山経由で帰路へ

2020-10-12 13:34:15 | 旅行
仙台から再び東北自動車道に乗り南下する。
蔵王や福島市などの看板があるが、高速からの眺めは単調だった。
チョコレートやお菓子をポリポリしながら、缶コーヒーやたまにはコーラなど飲み、テレビや音楽も飽きてきてラジオなどをたまに聞く。
やはり地域せいなのだろうか、温泉施設で熊が出没し従業員が襲われた、という地域ニュースが流れる。
九州では聴かないニュースに驚いた。
サービスエリアで休憩をとりながら、家人と運転を代わる。
一日のうちで30分でも一時間でも代わってもらうと大変ありがたい。
家人も高速の運転にも慣れてきたようで平均スピード(100km前後)で進む。
郡山JCTから磐越自動車道に入る。



しばらく走ると右手に会津磐梯山が見えて来た。
猪苗代湖は反対側なのだが、ちらりと見えるだけで全景は見ることはできなかった。
磐梯山SAで休憩と運転交代のため立ち寄る。



お土産品コーナーには、赤べこや起き上がり小法師などユーモラスな人形、会津漆器や会津木綿など伝統ある工芸品もある。



お土産品の一角に喜多方ラーメンのコーナーがあった。
さっそく土産をゲットして先を急ぐ。



磐越自動車道はいよいよ山に向かって進む。
険しい山々が見えてくるのだが、長い長いトンネルが続く。



越後山脈を貫くトンネル技術のすごさを感じる。
トンネルを抜けると新潟市に入る。
磐越自動車道から北陸自動車道で富山には午後7時ちょっと過ぎに着いた。
ホテルは青森、仙台と同じ系列のホテルで家人がかなり気に入ったようだ。
広さも同じ広さでバスもきれいなホテルだ。
さっそく食事に出た。
富山駅は北陸新幹線の開業もあり真新しい駅になっていた。
駅前には路面電車が走っていた。
東北、北陸では姿を消してしまったがここ富山では活躍しているようだ。



さっそく居酒屋に入り、名物のホタルイカの沖漬け、一夜干しを注文する。
かなりコクがありこれはうまい。
ここでも地域振興クーポンが使え不足分だけ支払った。
さあ明日は娘に会って帰路に着く予定だ。

岩手県から宮城県へ

2020-10-11 16:08:29 | 旅行
仙台市内には午後7時前に入った。
盛岡ICから仙台は190kmほど東北自動車道は順調な流れで時間通り(2時間半程度)だった。
ホテルは仙台駅前で昨日青森で泊まった系列のホテルだった。
ただ広さが30平米とかなりゆっくりできる部屋だ。
仙台は仕事で何度か来ているので駅前の通りや国分町あたりは知っているつもりでいた。



しかし駅前の様子がどうも違う。
違うはずだ東口だった。



新幹線口に行きアーケードをテクテクと店を探す。



国分町まで歩いたが家人が気に入るような店はない。
駅に戻る途中に牛タン専門店を見つけ入る。



やっぱり牛タン、分厚さが違うし、柔らかい。
九州の焼き肉屋で食う牛タンとは違う味だった。



笹かまぼこや寿司など食って例の地域振興クーポンで支払をする。
ホテルに戻り、明日の計画を立てる。
名古屋まで670km(8時間半)はちょっときつい、富山508km(6時間)かあ。
やはり娘たちあって帰ることにする。
仙台からだと、どうしても新潟経由が妥当なのだろう。
日光経由や飛騨高山経由でもきつい距離になってしまう。
下呂温泉や飛騨や高山のホテルを探すが、やっぱり土曜日は空いていないようだ。
目的地を富山にしてホテルを家人に任せた。
翌朝ホテルで朝食を済ませ、しばらく仙台市内をドライブした。
松島まで行こうかと思ったが、家人もあまり興味が無いようだし私も一度行ったことがあるのでパスする。





青葉城公園(仙台城跡)に向かい伊達政宗騎馬像など見て回った。
城跡からは東北で唯一の政令指定都市で最大都市だ。
午前中は仙台で過ごし、午後から富山を目指す。

北三陸へ

2020-10-10 14:55:01 | 旅行
朝は6時頃に目が覚め、朝食まで時間があったので近くの青い海公園まで散歩した。
三角屋根の展望所らしきものがあるがまだ営業はいていなかった。



青森の朝は雲一つない晴天で海も穏やかですがすがしい朝だ。
海岸沿いの公園ではラジオ体操(全国的だな)をしていた。
ホテルに戻り朝食(せんべい汁など郷土料理もある)をとりホテルを後にする。
東北自動車道をそのまま仙台でも良いが、八戸からは東北道へ接続する八戸自動車道もあるし八戸へ向かう事にする。



八食センターが有名らしく行ってみることにする。
中に入るとかなり広い市場になっていて、海産物を中心に郷土の名産品が並んでいる。
食堂もたくさんありせんべい汁の看板も見られる。



買った海産物を焼いて食える店、新鮮な寿司屋など時間があれば楽しめるところだが。
白人の家族連れが多く、最初はロシア人かなと思ったが、近くに三沢基地があることを思い出した。
八食センターを後にして、ここまで来たら北三陸に行かなければならない(しかし時間が気になる)。
ナビに久慈をセットする。
北三陸の海岸線に出るが工事中でなかなか進まない。
東日本大震災から9年、まだまだ復興は終わってはいない。
長々と防潮堤が出来ていて海岸線は見えない。
三陸自動車道路(復興道路)もまだ全線開通はしていないようで所々工事中のようだった。



久慈駅に到着する。
JR八戸線、三陸鉄道のリアス線の最終駅だ。
三陸鉄道の久慈駅舎に入ると「あまちゃん」で有名になったうに丼の垂れ幕が目立つ。



今日は完売の文字も見え、あまちゃんのポスターもあちこちに貼ってある。
久慈駅を出て小袖アマセンターを目指したが工事中で通行止めになっていた。
迂回路もあるようだが先を急ぐことにした。
海岸線の国道45号線を走っていると、少し開けた場所があったのでクルマを停めた。



日本海とは違う絶景があった。



しばらくその絶景を眺める。
ナビに仙台をセットし宮古の手前から山道に入る。
山道経由で盛岡から東北自動車道に誘導するようだ。
しばらく走ると龍泉洞という看板が見える。
日本三大鍾乳洞の一つらしく、ホテルが何件か並んでいた。
山道を走っていると並行する川の色が違う事に気づく。



緑っぽい青というか龍泉洞の鍾乳洞からの水なのか不思議な光景だった。
早坂トンネルという長い長いトンネルを抜け盛岡の街に入る。
東北自動車道をひたすら仙台を目指し走る。



車窓からは岩手山が見えた。

青森で見上げる中秋の名月

2020-10-09 16:40:24 | 旅行
時間は午後3時を少し回った時間だった。
津軽の金木(太宰治記念館)に行こうか、竜飛岬まで行くものか悩んだが時間的に無理はしない。
市内の津軽海峡フェリーターミナルに行く。





着いたばかりのフェリーからは大型トラックが何台も降りて来た。
しばらくその様子を見ていると、本土と北海道はクルマのトンネルは無いのだ。
新青森駅(新幹線の駅)に行ってみた。



青森駅とはかなり離れた場所だった。
真新しい立派な駅だった。
在来線の駅とは直角に接続していた。



再び青森駅近くの青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸で時間をつぶした。



本物の青函連絡船(八甲田丸)の中に展示があり、青函連絡船が活躍し時代を作った歴史展示やビデオ放映などあり、有意義な時間だった。




船底には本物の貨物車やジーゼル車両の展示もあり驚きだった。



展示上を後にホテルに向かった。
なんと青森駅のすぐ近くのホテルで新しいホテルだった。



チェックインするなりGoToキャンペーンの地域共通クーポン2000円(2人分)をくれた。
本人確認が必要とのことで私と妻の免許証を提示し確認していた。
なるほど、コロナ対策(宿泊履歴のため)を兼ねているわけだ。
素泊まりの予定だったが朝食(1000円)を2人分追加した。



部屋はデモレートツインで24平米の広さがあり、浴槽がかなりきれいなホテルだった。
さっそく駅前のアーケイドに出て店を探した。
空を見上げるとちょうど中秋の名月(10月1日)が出ていた。
青森で見られる感激だった。



居酒屋に入り、まぐろ刺身、貝みそ焼き、カニチャーハンなどなど、目的地、青森まで来たことを2人で乾杯だった。
会計時に家人が「これ使えますか?」と尋ねると、使えるという。
6000円分の食事代が4000円で済んでしまった。
ホテル代の35%割引と、食事券一人1000円の恩恵を受けた。
ホテルに戻り、風呂に入り、明日からの予定を立てる。
土日を利用して高速で距離を稼ぐことにするが、娘のいる石川県に立ち寄るか、名古屋、神戸あたりに泊まり直接福岡に戻るか思案した。
とりあえず仙台を目指すことにして、ホテル予約は家人に任せた。

いよいよ青森に入る

2020-10-08 16:09:34 | 旅行
十和田湖からナビは国道102号線を選ぶ。
森の中をしばらく走ると左手に川が流れている。



ブナの森が続き、その他の木々(中には白樺か?)の森の中を進む。



奥入瀬渓流の看板を見つけ、今ここが奥入瀬(おいらせ)なのだと知った。
リックを担いだ人たちが散策(ウォーキング)を楽しんでいた。
しばらく走るとホテルや別荘らしき街並みが見えてくる。
結構なリゾート地のようだ。
奥入瀬渓谷を過ぎると国道は103号線に代わり峠道を進む。



あれれ、もう紅葉が始まっているではないか。
10月に入ったばかりだというのに紅葉時期のはしりなのだろう。
車窓から紅葉の風景を撮るが光が足らないのか画像が流れてしまう。



途中途中でクルマを停めて写真に収める。
八甲田山を右手に見上げながら峠を越えると地獄沼という場所に着いた。



クルマを降り池を見ると硫黄の匂いと青い水だ。



ここも紅葉が始まっていて、池(いやいや底なしの沼)に映える紅葉も見える。
先には八甲田山系の山が見え、今でも噴火しているようだ。
カメラを持った方や、観光客らしき人たちが十人ほど人たちが見入っていた。
ただ沼の中や周りには硫黄の噴火口があり立入禁止になっているとのことだった。
近くには八甲田ホテルやキャンプ場や酸ヶ湯温泉などの看板があった。
地獄沼を後に国道を走っていると八甲田ロープウェイの駅が見えてきた。
平日に運行しているのかわからない、横目に先を急いだ。
岩木山展望所があり駐車する。
いつの間にか青森市内に入っていた。



降りて西の方向を眺めると堂々とした岩木山が見える。
クルマは市街地に入り、青森駅に着いた。

秋田から十和田湖へ

2020-10-07 15:57:28 | 旅行
朝早めの起床だった。
連日の移動の疲れはあったが、熟睡できているので回復もできている。
秋田から青森への移動は割と短いのでホテル予約は朝食付きだった。
朝食まで1時間以上の時間があったので近くの千秋公園(久保田城跡)へ散歩に出た。





二の丸跡から入り表門、佐竹義尭銅像、胡月池など回る。
やっぱり東北、朝はかなり温度も低く寒い。
ホテルに戻り朝食をいただく。

さて今日は白神山地の左側の海岸線を走るか、国道7号線を弘前経由で青森に入るか、十和田湖経由で入るか。



ホテルを出てしばらく走ると、米どころ秋田の黄金の穂が輝いていた。



八郎潟の広大な農地はすでに稲刈りも終わっていた。
能代市を過ぎ、大舘市内に入りナビに十和田湖をセットした。
ナビは凝った道が好きなようでなんでこんな道を案内するのか?と思うことが多い。
今回もそうなのだろう、林(というより森)の中を進む。



信号もなく、民家もなく、当然コンビニや道の駅など無い。
<後で調べてみると秋田県道2号線、別名:樹海ライン(全長46km)という道だった>
かなりの距離を走り、やっと十和田湖の看板が見えてきた。
湖畔まで降りてみるが全景がわからない。
湖畔をしばらくドライブすると、アウトドアの人たちがクルマを停めてカヌーを組み立てたり、テントを用意したりしていた。
リタイア後の趣味といった感じなのか、その年代の人たちだった。
十和田湖の全景を見たかったので、スマホの情報を見ながら展望所を探す。
御鼻部山展望台が見つかりクルマを停める。



薄曇りの天気なので波もなく落ち着いた雰囲気だった。
ナビは国道102号線で青森を指示していた。

きりたんぽの夜(秋田)

2020-10-06 17:45:58 | 旅行
日本海の海岸線は続くが、なかなか駐車する場所もなく過ぎていく。
晴天で海も穏やかでコバルトブルーの海が続く。
ちょっとしたパーキングがあったのでクルマを停める。
海岸にそって遊歩道があったので行ってみた。



目の前には目をみはるばかりのブルーの海が広がり、水平線が真一文字に線を引かれていた。
灯台がありそこまで遊歩道はあるようだが、途中の東屋で海を見て休憩した。



眼下に目を向けると、これぞ好ポイントと思われる磯で釣り糸を垂れている人たちがいた。
ふかせ釣りをしているようで、この辺りでは何を狙って釣っているのだろう。
チヌ(クロダイ)やクロ(メジナ)といった九州とは違う対象魚なのだろうか?
あとでネットで調べてみると「羽後三埼灯台」という山形県と秋田県の県境の所だった。



秋田県に入り、にかほ、由利本庄と進むと、前方にうっすらと男鹿半島が見えてきた。
秋田市内には16時頃に着き、ホテルでしばらくゆっくりとして夜の街に繰り出した。
ホテルは秋田駅の近くにあり、とりあえず駅に向かった。



割とこじんまりした駅で、駅前のバス乗り場はまるでイカ釣り漁船の集魚灯を思わせる風景だった。
秋田に来ればきりたんぽを食う。
駅前にそれらしき(というかそのもの)の店があるので入る。
玄関を入ると秋田の田舎風の凝った作り。



席に座りメニューを見るときりたんぽにしょっつる鍋、ガッコにジュンサイちょろぎなどなど。
まるでよその国に来た感覚で、スマホを取り出し調べていた。
モンペ姿の秋田こまちにメニューを説明してもらう。
しょっつるとは(塩汁)という意味の事、ガッコとは(漬物)いぶりガッコが有名のようで大根やその他野菜をいぶしたモノを言うらしい。
ハタハタのしょっつる鍋もよろしいのではないかなと思ったが、やっぱりきりたんぽ鍋は食うべきだろう。
運ばれているきりたんぽ鍋の量からするととても一人では食いきれない量だった。
モンペ姿の秋田こまちを呼び、きりたんぽ鍋を一人前ときりたんぽを2本追加して注文した。



しばらくビールでも飲みながらお通しを食べていると、鍋を抱えたこまちがやってきた。
火を点け鍋が出来上がるまで紙芝居が始まった。
きりたんぽ鍋が生まれるまでの物語だった。
店内には秋田民謡が流れていて、三味線に合わせ世の中の事を面白おかしく歌っていた。
はっと気が付いたが、これは沖縄の三線民謡の雰囲気だ。
汁がうまく野菜がうまい。
きりたんぽは一本のお米の量が多く、さすがに二人で3本は食いきれなかった。
それでも秋田の純朴な味に満足だった。
ホテルに戻り、最終目的地のホテルの予約をして就寝した。

日本海を北上

2020-10-05 17:17:02 | 旅行
次の目的地を決めるのは私の役割で、ネットで走行距離を測り目安にする。
一般道で一日200kmから300km、高速は500kmが一日で移動できる限界かな。
目的地が決まればホテルを決めるのは家人の役目となる。
ツインで広さが20平米から30平米、一泊2食付きだったり朝食だけ、利用者のコメントなど見ているようだ。
食事つきは時間制限があり特に夕食付きは19時までのチェックインだったりするし、朝食も時間が制限されるためチェックアウトが遅くなる、だから敬遠する。
ホテルに着くなり明日のホテルを予約して食事に出るようにする。



新潟は大きな街で、港の近くにタワーのような建物があり行ってみた。
展望台に上がり日本海方面には佐渡島がうっすらと見え、港には佐渡島行きのフェリーが接岸してる。



山手のほうには信濃川が流れ、会津方面の山々が見える。

さあ、新潟を離れ国道もここから8号線から7号線に変わる。
村上市から鶴岡市に入りやっと山形県(東北)に入る。
新潟は南北に長くやっと東北地方に入った。
しばらくは海岸線を走る。



後方には佐渡島がくっきりと浮かび上がる。
日本海を眺め、所々に集落が点在してる。
家の作りも独特な作りで、海からの潮風(塩害)などを考えた家が立ち並ぶ。
鶴岡を過ぎ酒田に入る。



酒田の道の駅に入るとさすが庄内平野の米どころ、米や芋煮の土産品が並んでいた。
客の言葉も東北弁が飛び交い何を言っているのか半分はわからない。





北の方面には鳥海山、東方面には羽黒山や月山が見える。
海の青い色から黄金の稲穂が続く風景に変わる。

新潟へ

2020-10-04 16:48:15 | 旅行
娘の家を8時半に出た。
国道8号線に出てひたすら走ることにする。
片道2車線の道を順調な速度で進む、だが北陸に入りトラックの量が多いのには驚く。
速度を固定していても、トラこック同士の追い越しなどでスピードを落とすことになり厄介だった。
富山県の市街地(富山市)に入るとさすがにスピードを落とさざる負えないが、郊外では80km前後で流れている。
滑川、魚津、黒部と進み、宇奈月温泉の看板が見える。



山手のほうには雲に隠れた北アルプスの山々が連なっていた。
朝日町付近から海岸線に入り日本海が見えてくる。
コンビニも道の駅もしばらくはなく、だたただクルマを進める。
新潟県に入り糸魚川市に入る。
数年前、大規模な火災が起きたところなのだが、国道からはそれらしき形跡も見られず、復興したのかもしれない。
親不知(おやしらず)という海岸線絶壁の難所に入る。
土砂崩れ防止の策の中を走るのだが、海岸線は絶壁になっている。
交通の要所を抜けると派手な看板の道の駅があった。
マリンドリーム能生という道の駅に入り昼食にする。
かにや横丁にはズワイガニが並んでいて安いもので1600円、高いカニは3000円とか10000円とかの値段がついていた。





そこで買って湯がいでもらいテーブルで食えるようになっていた。
鮮魚センターに行くと魚介類が並んでいて、それを焼いてくれるようだ。



イカとアワビ、ホタテを焼いてもらい、カニ入りおにぎりとモズク汁で昼食とした。
人がざわついていたので何かなと思ったら、双子の芸人(タッチ?)のようだった。
海岸線を走っていると左手に佐渡島が見えてくる。
上越市、柏崎市を抜けやっと新潟に入った。
高層ビルもありかなり大きな都市のようだ。
ホテルは信濃川沿いにあるホテルオークラ(ちょっと高級)でチェックインしてもう外に出る元気もなかった。



コンビニで買ってきたサンドイッチとおにぎりで夕食を済ませ、早めに就寝した。

石川へ

2020-10-03 23:23:12 | 旅行
朝はゆっくりと朝風呂に入り、朝食を食べ、ホテルをチェックアウトしたのが10時半だった。
京丹後から金沢までは距離的にそんなにないと思っていたのでゆっくりした時間になったのだ。
宮津市に入ると、日本三景の一つと言われる「天橋立」の看板が見える。
看板に従って進むと土産屋や旅館が立ち並び、観光地の雰囲気になる。
橋立のふもとに着いた。
橋立を渡る時間もないしビューポイントを探す。
割と近くに看板を見つけクルマを進める。
細い道を進むとおばちゃんが出てきてここに停めろという。
500円を払い登り口はどこかと聞くと50mも離れていないとことだった。
ロープウェイとリフト同じ代金だというので料金を払いリフトに乗る。
結構長い距離を登り展望所に着いた。



昨日と違う晴天に絶景の風景だった。



股のぞきが礼儀のようでカメラを持っての股のぞきはかなりのテクニックがいる。
どうだろうか、うまく撮れたのかな。
クルマに戻り先を急ぐことにする。
正午を過ぎ、スマホで石川までの距離と時間を調べる、
250㎞、高速で3時間近く、一般道で5時間半と出る。
この先も、舞鶴、小浜、美浜、敦賀ときれいだろう海岸線があるはずだ。
一般道を敦賀まで行くことにした。



間違いはなく、きれいな海岸線が続いていた。



敦賀市に入ると巨大なクレーンがいくつも並んでいる。
北陸新幹線の京都ルートの工事だった。
敦賀から北陸道に乗り、娘の住む家に5時半に着いた。
結局、行きたかった東尋坊、永平寺、一乗谷はすべてパスした。



着く早々に海岸線に行き、みんなで日本海に沈む夕日を眺める。
前回来た時に話題になった地元ラーメン屋、カレー屋の話になり。
ラーメンを食いにみんなで出かける。
8号ラーメン(国道8号線からとった名前だそう)という店に行く。
あっさりラーメンと餃子、チャーハンを食う。
豚骨に慣れた九州ラーメンとは違う旨さがある。
あまり食欲がなかったが、これだけは完食してしまった。
今日は泊めてもらうことにして、明日のホテルの予約をした。

夕暮れの丹後半島とサル

2020-10-01 22:01:33 | 旅行
うす暗くなった絶壁の海沿いの道を進む。
行きかうクルマもほとんどなく、まだ夕方7時前というのに暗くなるのが早い。
トンネルを抜けしばらく進むと
「サルがいる」
と家人が言うのでクルマを停める。



目の前のガードレールに海を眺めているサルの姿を見つける。
クルマを降りて写真を撮ろうとすると数匹の猿が一斉に山のほうに逃げていく。
いやはやびっくりだ。
ドライブレコーダを確認すると確かに4,5匹のサルを確認した。

<丹後半島北部地域には少なくとも8つのニホンザルの群れが確認されており、サルによる被害は農作物だけでも、全体で年間約1千万円に及ぶとの報告もあります。>

というネット情報がある。
群れだったので十数匹いたのかもしれない。





夕暮れの海岸線もきれいだった。
小雨も降りはじめ視界も悪くなる。
ホテルの場所もわかりにくいところにあり、探すのに苦労する。



やっと見つけ出しチェックインする。
4階建ての部屋数の少ないリゾートタイプのホテルのようだ。
部屋は落ち着きのある部屋で、海岸線の近くにあるようで潮のかおりと波音が聞こえる。
部屋のベランダには露天風呂用の浴槽があった(温泉があるので必要ない)。
温泉に入り熟睡だった。

感激の丹後半島

2020-09-30 21:32:01 | 旅行
娘のいる石川まで行ってみようと家人と話し合う。
でも12時間かかるということで、途中で一泊することにする。
私として一度は行ってみたい京丹後地方で一泊して石川を目指すことで合意する。
ナビに京丹後市(ホテルの電話番号)をセットすると、なぜか山陽自動車道を選んできた。
中国道と思っていたが意外だった。
休日(日曜日)ということで高速料金の割引も効くし、ホテルもあっさりと予約できた。
吉備SAで給食と給油をする。
それからは山陽道を降り中国道、京丹後までの専用道などナビが指示する。
赤穂、加古川、姫路などナビに現在地が表示される。
京丹後市に着いたのは16時半近くだった。
チェックインの19時までまだ時間があったので丹後半島を一周することにする。
半島に入ると絶景の連続でなかなか先に進めない。







絶壁の道を恐る恐るクルマを進めるが路肩にクルマを停めため息をつきながらシャッターを押す。
すべてをここに紹介できないのは残念。
走っている伊根の舟屋群の看板を見つけた。
行ってみると小さな入り江に船小屋が並んでいた。



これはまたいい風景だ。
夕暮れと小雨が降りだし、情緒が増してきた。



ここだけかと沖合を見るとさらに船小屋が並んでいた。
感動的な丹後半島に時間が気になりナビにホテルをセットする。
ナビは半島一周する道ではなく、今来た道を引き返せとという。
再び半島の絶壁の道をうす暗い中進むことになる。