打越通信

日記ふういろいろ

センタープラザ

2015-03-31 22:57:26 | 熊本の風景
週末になるとこの季節、桜を求めて熊本城付近は人でごった返すことになる。
お城付近の駐車場は何処も満車なので辛島町から船場橋の中間のコインパーキングにクルマを入れた。
それもわずか1台しか空いてなかった。



クルマを降りて歩き出すと、今はもう閉店してしまった県民百貨店の白い建物が見える。
その横には交通センター(バスセンター)がある。
歩道橋はあるものの地下街を通ったほうが便利なのだ。
地下街の入口には3月31日で閉店の看板がかかっていた。



中に入ると地元熊本の主要な報道会社のカメラマンたちがウロウロしていた。
この地下街も今日で閉店し今年8月ころから解体が始まるという。
その昔、父に連れられて県南の実家からバス(当時快速バスといった)に乗りここでバスを乗り換えて叔父が住むところまでのバスに乗り換えていた。
今の辛島町公園あたりがバス乗り場だったと思う。



しばらくして交通センタが出来、同じく父とこの地下街でうどんやカレーをよく食ったのものだ。
その当時テレビコマーシャルが流れていた。



哀愁のある曲で<泉の広場で会いましょう・・・ 最後のバスはもうすぐ来るのに、いつまでもいつまでも センタープラザ>だった。
今でも店内では流れている。
学生時代に親は矢部町(いまの山都町)に住んでいた。
新幹線で博多駅でのりかえ熊本駅に着きバスで交通センターまで来た。
当時、赤バス(熊本バス)の乗り場は辛島町ロータリーから世継橋方に少し行ったビルの一階にあった。
交通センターからそこまで重い荷物を抱えながら歩かなければいけなかったことを思い出す。
今では赤バスも交通センターを利用していて赤バス専用のターミナルはなくなっている。



学校を卒業して就職して最初の赴任地が天草の本渡だった。
本渡からも快速バスだった。
熊本駅、次はこの交通センタそして県庁前を経由して熊本空港までのバスだった。
その頃、両親は実家近くの高校の校長宿舎にいた。
再びここでバスに乗り換えたっけ。
国鉄(現JR)を使う場合は熊本駅で乗り換えた。
熊本駅の前に丸い形の2階建てのビルがあり一階がバス乗り場だった。
しかしクルマに乗るようになり、熊本駅もこの交通センタも利用する機会がなかった。
娘が福岡に行くとき、実家の佐世保に帰るなど、たまにしか利用する事はなかった。
まだ熊本事務所があったとき一時バス通勤をしていた頃があった。
その時期は毎日のように33番乗り場を利用したものだ。
隣の乗り場でバスを待つ関係会社の人とバッタリ出会い、センタープラザで一杯などと思いでもある。



そしてセンターボール、県内でも公式レーンを36持ったボウリング場だ。
公式戦を見に来たり練習で何度か投げた事はあるが、公式戦で投げたことは無かった。
そんなボウリング場も今回の再開発で無くなることになってしまう。
46年という一つの時代が終わろうとしている。
そして数年後には新しい時代が始まる。
そんなやって移り変っていくのだ。

人吉

2015-03-30 22:52:20 | 熊本の風景
朝10時少し前、ジロー夫婦が我が家にやってきた。
ドライブでもしようという魂胆なのだが、行き先は不明。
そう前回も不明のまま団地を出て行き先はクルマに聞いてくれという旅だった。
そのときの運転手は私だったが今回はジローさんに任せた。
国道3号線を南下して小川、宮原とやってきた。
そこから五木村(五木の子守唄で有名)を目指すことになった。
途中、東陽村にある石橋公園に立ち寄った。
この地区(東陽村)はその昔に全国に知られた石工を生み出したところなのだ。
<肥後の石工は技術がとても高いと言われ、通潤橋や霊台橋などの歴史的な重要文化財があり、全国の石橋の4割を熊本県が占める>



氷川の川原には子供連れの家族が水遊びをしていた。
気温はかなり高くなり初夏のような陽気、水遊びもしたくなる陽気だ。
菜の花と桜がどちらともほぼ満開だった。
さあ休憩のそこそこに急な坂道をグイグイ登り大通峠を越え五木村に来た。
問題の川辺川ダムも建設中止が決まり中途半端な状態な状況だった。
ダムに振り回された子守唄の村をあとに人吉市に向った。
途中ナビで人吉市内の飲食店を探すがナビの検索は五木村を探していた。
すでに人吉市内に入っているのに検索は五木村を探している、まったく操作が難しい。
ひとみちゃんが持ってきたタブレットで「ほうらい茶屋」を見つけた。
ジローさん運転のクルマはとりあえず人吉駅に向った。
妻が降りて観光案内所に行き人吉市内の観光地図をもらってきた。
上村うなぎも考えたが、食べログを見ていた妻が店員の評判が良くない(過去のブログで私も書いた
らしく、私も同じ意見だったので違う店に向った。



前回熊本市内で一緒に行った「ほうらい茶屋」だった。
私は前回と同じ荒炊き定食にした。



皆さんそれぞれに定食を頼み賑やかな昼食だった。
さすが本店、同じ定食でも刺身は新鮮だし魚の量が多いのだ。



食事も終わり、近くの青井阿蘇神社に行った。
蓮池には蓮はまだ無く、鴨が2羽泳いでいた。



こちらの桜もほぼ満開のようで桜を入れて一枚撮った。
なんといっても萱葺き屋根が目に入る。
なんといっても国宝なのだから相良氏の功績は後世に多くを残したわけだ。



そんな境内を見回しているとなんと放し飼いにされた鶏を発見した。
そして鳴き声が懐かしい感じだ。
この鶏も国宝なのかと思わせるような鳴き声だった。
しばらく境内を散歩して、人吉インターを目指し高速で山下りをして無事に自宅まで帰ってきた。
ジローさん夫婦と久しぶりのドライブ、運転はジローさん任せでのんびりと車窓を眺めることが出来た旅だったのだ。

母の三回忌

2015-03-29 19:12:51 | 日記ふう
2年前の今日は桜も早く咲きもう散り際だった。
今年の桜は遅いようで、今日の時点でもまだ満開とはいかないだろう。
母の三回忌は母の葬儀をした会場を借りて行った。
身近な親戚だけでひっそりと行った。
実家や遠くに住んでいる叔父叔母にも声をかけず、身近な親戚と身近に住む人たちだ。
さすがにお坊さんは実家にあるお寺さんからわざわざお越しいただいたのだ。
今回の法要に当たっては私が入院中だったので、妻とも密接な打ち合わせなどできず行き届いた内容ではなかったのだ。
お坊さんの手配、法要の場所の設定、呼ぶ人を誰にするかなど決めはするが実行がなかなか進まなかった。
連絡先も父の兄弟、母の兄弟、私の兄弟、妻の兄弟だけなのだがなかなか連絡がつかないのだ。
連絡がついても積もる話がありつい長話になってしまう。
つまり1時間や2時間では到底済まず3日係りの作業になってしまった。
当日は快晴の晴れの天気だった。
熊本駅に佐世保からの妻の兄貴夫婦を迎えに行く。
会場にはすでに集まっていて喫茶店のような場所で皆お茶を頂いていた。
何組か葬儀があっているらしくそれが終わり、会場の一室を借りてお経が始まった。
30分くらいでお経も終わり、同じ建物の上の階で会席料理だった。



料理の始まる前に私が挨拶を行い、妻に挨拶をまわした。
今回の会の実質的に行ったのは妻だった。
母が亡くなる数日前に母の妹(叔母)が家にやってきて3人で近くの公園に花見に言ったときの話をした。



桜の花を見て姉妹で思い出話をしたようでそんな事を言っていた。
私の知らない世界を妻が語ってくれた。



そんなことで会食が始まり、1時間ばかりで会は終わり集合写真で終わった。
妹たちもここで別れるようで、私たちは佐世保からの義兄夫婦と自宅に戻った。
自宅で喪服を着替えお茶で話が盛り上がる。
熊本駅まで兄夫婦を送りついでに熊本城に行ってみた。



8部咲きくらいだったろうか、もの凄い人でクルマも渋滞だったが雰囲気だけは味わえたのだろうか。
熊本駅を5時23分のサクラで兄夫婦は帰っていった。
桜の季節と母の思い出、桜を見ると母を思い出す、これからも続くのだろう。

春のランチ

2015-03-27 21:54:03 | 食事
退院して2度目の通院だった。
入院していた頃、朝日に照らされさびしそうに立っていた木々だった。
今では嬉しそうに咲きほころんで賑やかそうだ。
本来ならこの桜に見送られて退院の予定だった、しかし1ヶ月近く早く退院してしまったのだ。
主治医とは会話だけでの確認だった。
検査結果は前回出ていたので病院も元の病院に主導権は移り、薬の処方もそこに任されることになる。
結果、薬はほとんどなく無くなり、この病院への通院もあまり意味が無いようだ。
別れ際、担当だった医師が病院を去るようで次回から新しい医師に変るような事を言われる。
つまりもうこの病院に来ることは最後になるのかも知れない。



ウォーキングや軽いジョギングをしていた風景を写真に撮った。
ある方の写真を思い出しながら同じ場所から撮ってみた。
珍しく阿蘇山の噴煙は真っ直ぐ上に向って上がっていた。

時計を見ると11時半前だった。
自宅団地のジローさん夫婦と今日はランチをする約束をしている。
前回の焼肉屋でのランチのとき、ジローさんお勧めの店があるらしく、そこに12時に待ち合わせの予定だ。
場所はそう遠くなく、かつて妻がピアノの教師をしていたとき通っていた教場への道と第一空港線と交わったところにある。
念の為か妻がナビに探させている。
待ち合わせの15分前にお店の駐車場に到着したが、すでにジローさん夫婦は到着していた。



隣にクルマを停め店に入る。
まだ新しい店のようで名前は「ほうらい茶屋 熊本店」という店だった。
中に入るとジローさん、予約していたようで個室に通された。



メニューをみるとランチが1000円で選べるのだ。
9種類のメニューがありそこから選べる。
私はあら焼き定食にした。



他には天ぷら、ミックスフライ、生姜焼き、牡蠣フライ、サイコロステーキ、焼肉、チキン南蛮などだ。



それぞれに料理が来た。
メインのほかに刺身、茶碗蒸し、サラダ、飲み物などが付く。
このお店、じつは熊本県の南に位置する人吉が本店のようだ。
このボリュームと質でこの値段だからすごい得した気分だ。
ジローさんとひとみちゃん、そして妻と私の四人でのランチ、いろいろな話で盛り上がりついつい長居してしまった。
その間にお店は満席状態なのだ。
そこでジローさん夫婦と別れ、図書館に行き読み終わった本を返し新しい本を借りてきた。

熊本城の桜3分咲き

2015-03-25 21:04:26 | 桜前線
昼からの陽気に誘われて熊本城に行ってみた。
歩いていこうかとも思ったが、買い物などあるのでクルマで出かけた。
熊本城の駐車場には沢山のクルマ、そして観光バスが停まっていた。
すこし寒いくらいの気候だったが天気は晴れていて最高の観光日和だろう。
そして春休みもスタートしたのか子供たちの姿も多かった。
クルマを降りて熊本城の周りをEOS6Dをぶら下げて歩いてみた。



二の丸広場では今週末からの祭りの出店のテントが張られていた。



その横の大きな木の下では弁当を広げて、早くも花見なのかな?
一組のカップルが和服姿で写真撮影をしていた。
熊本城でよく見かける光景だ。



駐車場から熊本城入口までの道も結構人が多かった。
二の丸広場から植物園、加藤神社と歩いてみた。
熊本の桜の開花から3日ほど経つのか、桜はまだ2分から3分咲きといったところだろう。
御幸坂を坪井川まで下ってみた。



坪井川沿いの道にはすでに出店が出ていて営業をしている。

坪井川には真っ赤な鯉も泳いでいた。
桜もまだまだ今からが本番のようで今週末から来週初め頃が見ごろになりそうだ。
城彩苑をぐるりとひとまわりしてみたが、どうも外国の方が多いようだ。
会う人たち恰好は日本人と変わらないが喋る言葉が中国系のようだ。



それでも数ある日本の観光地の一つとして熊本を選んでくれるのだから感謝しなければいけないのかも知れない。
その人たちも、今週末の花見の様子を見るとビックリするだろうな、などと思いながらの散歩だった。

実家をあとに

2015-03-24 22:29:12 | 日記ふう
朝7時、少し遅めの起床だったが熟睡ですがすがしい朝だった。
前日コンビニで買ったサンドイッチとコーヒーで朝食をとり、作業服に着替えて草刈機のエンジンをかけた。
草刈機は2台あり先日使ったのとは別のに混合油をいれてヒモを引く。
何しろここ2年ばかり使っていないのでエンジンがかかるか心配だったがなんとか起動した。
2時間ばかり畑や家の周りの雑草を刈ったが二日ばかりの作業では到底終わるはずも無い。
妻は実家の布団をすべて日干しをし、部屋の中からいらないものを持ってきては庭で焼却する。
本家のオジがやってきて山に行こうという。
オジの軽トラに乗り祖父、親父と引き継がれた山を見に行く。
オジと親戚関係が所有する山の境界線を確認する。
親父から聞いてはいたが久しぶりに行ったので木が大きくなり様子は一変していた。
境界線の杭を確認して、電力会社が今度伐採する木々を見てまわる。
我が家(まだ相続はしていないが)の木も何本か白いテープで印が付けられていた。
送電線も延岡の工場の専用電線のようで今は使われていないようだが、太陽光発電が盛んになり、この地域で発電した電力を送ることになり送電が始まるようなことをオジが言っていた。
一時間ばかり山に入ったがイノシシの被害があちらこちらに見られた。
石垣を壊したり、竹の子をほじくった跡などが見られた。
実家に帰り、後片付けに入る。
刈った草をレーキで集め畑の隅に捨てる。
妻が燃やした燃えカスを敷地内の畑にばら撒き、水をかけて消化を確認する。
戸締りを確認して実家の玄関に鍵をかけたのがちょうど正午だった。
国道に出たが海が見たくて海岸線を走る。
きれいな海が見えるリアス式海岸を走っていると沖には白い帆を広げたうたせ船が何隻も見える。
佐敷という場所に出た。
うめのやという料理屋で妻は初めて来るのだろう、メニューを見ながら高いなどとつぶやいていた。



500円の昼定食を見つけそれにした。
これで500円というような顔をして満足そうだった。
自動車道から八代、海岸線を走る道路にでてしばらくは順調に走っていたが橋の上でバッタリと渋滞になってしまった。
しばらくすると緊急車両(パトカー、消防車、救急車)が何台も来る。
下り車線はまったくクルマが途絶え事故があったようだ。
エンジンを切り外に出てみたが橋の先のカーブで事故のようだ。
ちょうど家の影になり現場は見えないが赤色灯が見える。
しばらくするとペリコプターが来て現場付近に着陸してすぐに飛び去った。
何台かのクルマはUターンして別の道を急ぐのだろう引き返していった。
クルマに戻りテレビで高校野球を見て過ごした。
一時間ばかり待たされやっとクルマが動き出した。



現場付近には大型トラック、正面衝突した小型車が原型をとどめないような形で推し戻されたのだろうか標識に後部をぶつけて止まっていた。



そしてしばらく走ると小型の箱型のトラックが横倒しになっていた。
いったいどういう状況なのかしばらく考えたが良く状況が分からない。

自宅には事故の影響で午後5時頃に無事着いた。
入院中にお世話になったポケットWiーFiを送り返さないといけない。



期限は今月25日までなのだが何せ返す先が札幌なので早めに梱包してポストに投函した。

癒し

2015-03-22 23:28:50 | 日記ふう
実家に泊まるのはいったい何年ぶりだろうか?
母の一周忌のとき以来となれば1年ぶりか、そう思いながら6時には目が覚めた。
サンドイッチとコーヒーで簡単な食事、その後実家の整理を行う。
家のすべての窓をあけ空気を入れ替える。
9時過ぎになり本家に挨拶に行った。
一時間ばかり話をして墓参りに納骨堂に向う。



清掃の行き届いた納骨堂の前には紅梅が咲いていた。
天気の良いし小高い岡に立つ納骨堂からの眺めも最高だった。
ウグイスの鳴き声も聞こえなんとも癒される。
祖父、祖母そして両親の眠る墓前に手を合わせる。
昼食を摂りに市内に出かける。
地元を売り出そうとチャンポンが名物になりつつある。



さすがその雰囲気かうまいチャンポンだった。
先日母を亡くした幼馴染に電話を入れると家にいるとの事だったので出かけた。
線香をあげしばし話をして実家に戻った。
時間を見ると午後三時を過ぎていた。
日の経つのも早いもので、それから妻は家の中の整理を行う。



いらない物は庭にBBQ用の台を持ち出し火を点け燃やす。
私は畑の草刈をするため草刈機のエンジンをかける。



先ずは川沿いのあぜ道に向うが草が背の高さまで生い茂っていた。
前回草刈したのは3年も前のことだ。
川沿いの道を刈り、畑の野中を刈るが時間切れ。
暗くなりそして寒くてなってきた。
3時間ばかりの草刈だった。
久しぶりに畑に出ての作業、なつかしくもあり今は亡き両親のことを思い出す。
まさか2泊するとは思ってもいなかった。
実家の風呂は故障していて使えない。
温泉と晩御飯に出かけ、2日目の夜を迎えることになった。

春分の日

2015-03-21 22:59:43 | 日記ふう
いつものように朝5時起き、新聞を取りに庭に出ると今のも雨が降りそうな生暖かい朝だった。
ゆっくり目に食事をして準備をする。
今日は春分の日、彼岸の中日ということもあり実家に向う。
お墓参りと実家の整理、母の三回忌の準備などもあるわけだ。
念のためというか試験的な意味もあり、レンタルのポケットWi-Fiとパソコンも持って出た。
八代に近づき妻に
「お昼、どこにする?」
答えが返ってこないのでいくつか候補を私が挙げた。
その中の一つに妻が反応したので八代から左折して球磨川を渡った。
それから球磨川を沿うように219号線で上流を目指した。
私が入院中に妻が一目惚れしたクルマだ。
割と長い距離を私が始めて運転する。
排気量が少ない割には車体自体がそう重くないのでパワーに関しては問題ない。
ハンドル周りについているスイッチ関係がよく分らないがフルセグやラジオの音量、チャンネルの切り替え、ギヤのシフトダウンやアップについてはなんとかOKだが、クルーズコントロールについては一般道だったので今回は試すことが出来なかった。
途中道の駅で休憩だった。
球磨川沿いに桜の木があったがまだつぼみが膨らんだ状態で今にも開花しそうな雰囲気だった。



道の駅からしばらく走ると荒瀬ダムだ。
全国でも珍しいといわれる、解体して撤去中のダムなのだ。
ダムとしての機能はもうすでに無く、開門されダム本体の解体を行っていた。
球磨川沿いをしばらく走ると右折して球磨川を渡る。
トンネルを抜けると芦北町に入る。



久しぶりの大野温泉センターなのだ。
田舎料理のバイキング、駐車場にもクルマが多く、店内もかなりの人で賑わっていた。



思い思いに料理を取る。



鶏飯に鶏汁、煮付けにサラダ、天ぷらどれをとっても美味い。
途中で叔母の家により、実家に戻ったのは夕方だった。



庭も木々もきっちりと剪定されていた。
早速、隣に剪定のお礼にお土産を持ってお茶を頂いてきた。
約一時間ばかり世間話をして落ち着いたところだ。
持ってきたポケットWi-Fiとパソコン、うまい具合に電波をとらえネットへの接続が出来た。
今、そのパソコンからの更新なのだ。

通勤の風景

2015-03-19 21:51:07 | 日記ふう
なんだか体調がよろしくない。
だるい感じだ。
雪が降る寒い日が続いたり、いきなり5月なのかと思うような日だったり、それが原因なのかもしれない。
それとも鼻水が出たり、夜中に蕁麻疹らしきものが出て痒くて寝れない日などもあり、アレルギーかもしれない。



朝5時から6時起きは続いている。
天気がよければ公園に行きジョギングをしている。
一週1.8kmをその日の体調にもよるけれど、一週で終わりにしている。
体調には波があることは分っているので体調が悪い日もすぐれてよい日もそれで終わるようにしている。
あまり無理をせず走りたくなったら(波に関係なく)距離を伸ばすことにした。
走り終わって公園を歩いていると鴨の連中とバッタリ出くわした。



公園の堤防の方から公園の中にある池を目指して出勤している。
いったい何羽いるのだろう、おそろいでなんとも奇妙な歩き方だ。
池の上を優雅に泳いでいる姿とは想像も出来ない。
約一時間ばかり公園にいる。
だから時間的には朝の7時半から8時くらいの時間帯だ。



坪井川の横の道は市内に向う通勤のクルマで渋滞をしている。
脇にそれる近道(バス通り)があるがこの時間帯は一方通行になり進入は禁止されている。
しかし10台に1台位だろうか、右折して進入するクルマも見かける。
かつて通勤で利用していた時間帯のバスだろうか、熊本電鉄のバスが右折して行く。
バスだけは進入禁止では無いようだ。
公園を平行して走る熊本電鉄の電車、これもかなりの人が乗っている。
ただし市内方面に向う電車だけは・・・。

高架走行開始

2015-03-14 17:51:07 | 熊本の風景
朝起きて新聞を取りに庭に出ると雨が降っていた。
今日の朝の散歩は中止だなと思ってコーヒーを淹れ新聞を読む。
そうか今日は在来線の高架走行開始の日なのだと思い出し颯爽と着替えてクルマで自宅を出た。
上熊本駅までは5分もかからない。
どうしようか迷ったが熊本駅を目指した。
幸い土曜日だし、この時間帯(7時前後)は渋滞が無い。
熊本駅の新幹線側の駐車場にクルマを停め駅舎に入った。
通勤時に毎日来ていた場所だ。
白川口よりJQカードで改札を抜け新しい上りのホームに向う。



駅の構内にもホームにもJRの関係者が多い。
始発からの切り替えでいろいろと点検事項もあるのだろう。



8時1分発の電車に乗った。



運転席にも運転手のほかにもう一人乗り込み確認をしている。
発車まで少し手こずっていたがなんとか走り出した。
レールの切れ目が気にならず、電車はスーといった感じで走り出す。
3分くらいで上熊本駅に到着した。



上熊本駅で降り、外に出てみた。
木をふんだんに使った駅で、風除けも木ならばホームの足元も木が使ってあった。
上熊本駅前では記念の式典があるのだろう、関係者が忙しくしていた。



下りの電車に乗り込み外を眺めていると新幹線と同じように熊本城がはっきりと見える。



新幹線が隣を通過して行くが熊本駅にすべての列車が止まるため、新幹線はあまり速度も出ていないためシャーという音で通りすぎていく。
残念ながら下りの列車は高架駅でなく、今までの在来線の1番ホームに到着した。
熊本駅ではさらに高架工事が行われ何年か後にはすべて高架が完了する。
高架走行の一部だったけど、新しい上熊本駅も見れたし、実際乗車も出来たわけで、新しい熊本の幕開けを体験できたのだ。



新幹線の下の線路(今までの在来線)には立ち入らないようにロープが張られていた。
在来線と新幹線の乗り継ぎは一旦一階まで降りなければならないのが少し不満であるがいずれどうにかなるのだろう。

春めき桜

2015-03-13 21:28:12 | 桜前線
杉並木公園の駐車場にクルマを停め、豊肥本線と杉並木との道を三里木駅方向に歩いてみた。





沿線には春めき桜(足柄桜)が咲いていた。
入院中にこの桜の事は知っていた。
都築紡績熊本工場の跡地に出来た富士フイルム九州工場内に植えられた桜だ。
今日は天気も良いしEOSも久しぶりに手に持った。





寒い日が続いた後なので心配していたが満開とはいえないがかなり咲いていた。



まだつぼみがたくさんあり、これからが見ごろだろう。
ソメイヨシノより一足早い桜、日中は暖かくて一足早い春を満喫した。


震災から4年

2015-03-12 22:56:47 | 日記ふう
今日は通院のため朝早くから病院に向った。
特に問題なく診療は終わった。
病院ではまだ入院中の連中( 2人)と話をした。
退院から9日も過ぎているので棟内は随分と変わってしまったようだ。
そして私と同じように退院して通院して来ている入院時同室だった。
しばらく話をして元気そうな彼と別れ、薬をもらい病院をあとにした。

昨日は東日本大震災から4年目の日だった。
その日は門司港の海運会社(当時担当だった)の社内打ち合わせで博多に向った日だった。
別にどうでも良い打ち合わせだったが、リレーつばめのラストランということもあって無理やりに会議を作ったのだ。
プロジェクトメンバーは十数人、体制の確認と各自の持分の確認だったと思う。
会議は2時間ほどで終わり、会議室から事務所に帰ってくると、同僚の一人が
「関東は大変なことになってますよ」
と言う。
電話で栃木のユーザーと話をしていた同僚が電話が終わってそうつぶやいたのだ。
そのときはたいした事では無いと思い、博多駅に向った。



ラストランでは無いが博多発18時前後のリレーつばめだったと思う。
家に帰りテレビのニュースを見てその惨事に唖然となった。
津波が家をなぎ倒し、クルマは津波から逃げようと猛スピードで走っていた。
それから翌日には福島第一原子力発電所のニュースが流れていたっけ。

翌日は九州新幹線の全線開業だったが開業イベントはすべて中止になり、テレビのコマーシャルは無くなり公共広告機構のコマーシャルが流れていたっけ。
あれから4年か・・・。
そんな事を書きながら昨日は深夜に至り眠ってしまった。
阪神淡路大震災そして東日本大震災と、いつ何が起こってもおかしくないという事だけは分っているつもりだけど、そればかりはどうしようもない。
その後が大事なんだと考えるしかないようだ。

2015-03-10 20:22:24 | 日記ふう
ここ2日ばかり朝起きて頭がすっきりしない。
昨日の朝は雨だと分っていたので8時過ぎまで寝ていた。
朝飯食って郵便物の整理にかかった。
水道代、ガス代、電気料金などの請求、銀行からのお知らせ、生命保険からや自動車保険などの証書、
固定資産の払い込み用紙(自宅と実家分)などいるのかいらないのか判断をしながらシュレッダーにかけて整理した。
郵便物にも重要なものとそうでないものとがありごちゃ混ぜになり困ったものだ。
国民年金や社会保険関係など重要か判断できないものもあり苦労する。
午前中一杯でなんとか整理したがシュレッダーゴミが袋一杯になってしまった。
昼寝などここ数年しなかったが今日は知らず知らずのうちに寝てしまった。
夜の寝つきは良いのだが夜中に起きてしまったり、寝てても夢を見たりで寝起きが良くない。
昨晩は眠剤を飲んで寝たので今日は寝起きがすっきりだった。
寒い中おきて公園に向った。



雪がちらつき風も強かったので公園を一週して帰ってきた。
午前中は本を読んで過ごし、私立図書館に向った。
次に読む本を探さないとなんとなく落ち着かないのだ。



今読んでいる本は、ロバート・B・パーカー、十数年前に読んでいた本で、最近さっぱりだったのだが、久しぶりに図書館で見つけ2冊ほど借りてきて読んだ。
あいも変わらずストリーは同じだし何を言いたいのか分らない本だが暇つぶしには良いのだろう。
ブームは過ぎたが、妹が持ってきた「半沢直樹」も読んだ。
倍返しというヤツだ、なんとも都合の良い展開で、しまいには脅しで自分の地位を得るという、なんとも後味の悪い内容だった。
皆さん痛快だと思うのかも知れないが何かイビツで嫌だった。
図書館も昔は良く借りて読んでいたが久しぶりだったので図書カードを作りなおした。
図書館も広く浅くしか本を置いてないので私のような作家を中心に読む人間にとっては幅を作りしか活用できない。
もっと読みたかったら古本屋を探すしかないのだ。
1時間ばかりいろいろな作家の本を読み3冊ばかり借りてきた。
面白いかどうかは自分次第というところか・・・。

青カエル

2015-03-08 21:14:00 | 熊本の風景
今朝方の2時半頃に目が覚め、一時間ばかり起きていた再びベットに入り熟睡だった。
起きたのが7時半、夜中に起きた分遅かった。
今日は天草パールラインマラソン、応援に行こうかと思ったが明日から天気が悪くなるようで今日のうちに走っておこうと断念した。
朝飯を食って壷井川遊水公園に向い公園内を一週軽いジョグで走った。
しっかりとカウントして今日は1232歩だった。
1.8kmだからそんなモンだろう。
200歩から300歩あたりがくるしかったのでそのあと500歩をインターバルで2本踏んだ。
公園の端で北熊本駅に目が行った。



ホームに人だかりが出来ている。
公園の堤防を降り、北熊本駅に向い改札を抜けホームに行って見た。
多くの鉄道ファンがカメラを構えて青カエルを撮っていた。
なんだろうと思ったら、青カエルのさよなら(引退)セレモニーのようだ。
5101Aと5102Aが連結している。
いつもは別々に単体で運行しているので連結しているのは始めて見た。



プーと警笛を鳴らし北熊本駅を電車が出て行く、しばらく行った先で折り返してきた。
カメラマンはその姿を撮っているのだ。
しかし私としてはカメラに目が行ってしまう。
EOS7Dや70DなどCANON製が多いようだ。



カメラマンの一人が言うには沿線にもカメラマンが張り付いているようで、このあと上熊本駅までのさよなら試乗があるのだろう。
知っていれば一眼を持ってくればよかったと思ったがポケットにデジカメを入れていて良かった。



帰り際には4台の電車のスナップまで撮れたのだ。
今月内で1台の青カエルが引退するようだ。
3月はこんな別れの時期でもあり、熊本市内では在来線の高架運行が14日だったけ始まるのだ。

熱中

2015-03-07 21:20:35 | 日記ふう
朝5時起きは続いている。
昨日は少し遅く6時だった。
坪井川遊水公園での散歩は続いている。
昨日から軽く走ってみた。
自宅から遊水公園の駐車場入口まで500mくらいだろうか、ストレッチをかねて歩く。
小雨が降りそうな寒い朝だ。
公園の駐車場入口から軽めに走り出してみた。
ジョギングを始めた頃からもう何年経つだろう、初心に帰ったつもりでゆっくりと走った。
一週1.8kmというのは走り出した頃に計測した数値なので確かだと思う。
右足カウントで1265歩だった。
そして今日再び走ってみた。
今日は自宅を6時前に出たので走っている途中でラジオ体操組と出会ってしまった。
だけど遠めだったので挨拶も無しだ。
走っていると後ろから足音が聞こえる。
若い男のランナーだった。
次は若い女の子だ。
軽く抜かれて大きなお尻がだんだんと小さくなっていく。
まあ、今は無理は禁物だと自分に言い聞かせ一週を走り終えた。
あと一週くらいの余裕はあるが、ここでやめるのが良いのだ。
百歩ごとに左手の指を折っていく、今日は1370歩だった。
昨日と100以上の差がある。
数え間違いか、歩幅の違いだ。
明日また数えよう。

自宅に戻ると妻が朝飯を用意してくれていた。
しかし妻は体調がすぐれないようで再びベットに戻った。
新聞を見ながら見たい番組の予約録画をセットして、コーヒーを入れ本を取り出した。
図書館で借りてきた本だ。
読み始めると夢中になる性格なのだ。
昼になったが妻は起きてくる様子もないようなので、外に食べに行こうか迷った。
近くの物産館のようなところに行き、弁当とサンドイッチとパイを買った。
妻のベットにサンドイッチとパイを持って行き、弁当を頂いた。
テレビもネットも妻の言葉も無いので、ついつい2冊目に突入してしまった。
午後4時頃、やっと妻が起きてきた。
買ってきたサンドイッチも手をつけておらず、晩飯を妻とどうしようか考えた。
ケンチキなら入るかもしれないと妻が言うので3ピースとサラダを買いに出た。



フライドチキンなど何年ぶりだろうか。
再び本を読む。
妻も本を読み出し、気がつけば夜中の11時半だった。
規則正しい生活をするためには睡眠が必要だ。
今日は食事以外は充実した一日だったようだ。