打越通信

日記ふういろいろ

西原村コスモス畑

2014-09-30 16:21:36 | 季節の花
朝は通常7時前に起きる。
以前は5時半に起きていたわけ余裕だ。
けど怠けるといけないのでそうしている。
朝起きて朝食を摂りテレビでも見て庭に出て草むしりをする。
庭仕事といっても夏草の草取りにもう1ヶ月しているが終わらない。
まあ少しずつというのもあるのだけれど、約1時間から2時間することもある。
まだ日が出てくるとかなり汗をかくのだ。
庭木の剪定も残っているのでしばらくはそういった作業は朝にしようと思っている。
そんなピーカンの天気の日、妻に電話がかかってきたらしく
「暇だし天気も良いのでドライブに行きましょう」
との事のようだ。
妻がネットで調べている。
コスモスがキーワードのようで
阿蘇のヒゴタイ公園はどうかと言っている。
地図を出して調べてみると、山並みハイウェイを挟んで黒川温泉と変わらない。
時計を見ると11時少し前だった。
ヒゴタイ公園はちょっと遠いのである事が頭に浮かんだ。
ひとみちゃんが我が家に来たのでクルマに乗って出かけた。
熊本阿蘇空港を目指す。
ひとみちゃんの弟さんがコメントで頂いた西原村のコスモス畑なのだ。
去年行ってみたがもう時期が終わっていて全部引き抜かれて耕されていた。
空港の西の端を行く道に出ると広々とした高原のようなところに出る。
それを真っ直ぐに進むとコスモス畑が現れる。
駐車場で協賛金の名目で300円を支払う。



係りの人が
「この道のこちら側から見られたらいいですよ。道の反対側は迷路になってます」
と教えてくれた。
紫外線が一番強い正午前、広い敷地を順路に従って進む。
北の奥には阿蘇の中岳が白い煙を吐いている。
東には俵山が見える。
今日はEOS5DⅡを持ってきた、レンズは24-70mmと70-200mmの2本。



これは良いと阿蘇をバックに阿蘇にフーカスかコスモスにフォーカスか迷った。
両方撮ってあとで確認だ。



空港が近いのでプロペラ機やジェットが絶えず離陸していく。
広大な敷地をぐるりと周り、迷路に入った。
迷路に入る前に喉が渇いたのでみんなで休憩をした。



その時に70-200mmにレンズを変えたのだ。
係りのおじさんが来て色々と教えていただいた。
「今飛んでいるのはプライベートジェットで朝の○○時○○分と・・・・
この敷地は7反4町の広さがあります。約100万本のコスモスが咲いてます。コスモス祭りが淡ると全て引き抜いて次の作物の畑になります。コスモスは全て種から育ててます」
7反4町(字あってるかな?)一応言われたまま書いてみたが、私自身想像もつかない。
ただ歩いて見て回ったので体感はしている。
それより写真を見れば説明も必要ないか・・・。



目で見るコスモスも綺麗なのだが、レンズを通してみるコスモスは素晴らしい。





でも自宅に帰ってパソコンで確認すると、なあんだとなることが多い。
どうだろう?

実家へ

2014-09-29 21:14:04 | 日記ふう
お盆も帰らず、彼岸も墓参りに行ってない。
息子の彼女も福岡から熊本に帰ってきたので彼女を誘って実家に向かった。
妻と3人で楽しい道中だった。
水前寺から城南線と呼ばれる道を進み松橋(まつばせ)から農免道路と呼ばれる道を八代(やつしろ)市に向かった。
「外港に行ったことある?」
と聞くと
「いや~ないです」
行ってみると言うと行ってみたとの返事だった。



外港に行ってみると巨大な貨物船が停泊していた。
地元のおじさんと話をしていると10月18日に8万トンの豪華客船が入港すると言う。
その日は全国花火大会がこの八代市であるようでそれを目当ての入港なのかは分からない。
「ありがとうございます。ぜひその日は来てみます」
こんな感じで情報を得たのだ。
外港からは3つ島、そして遥か彼方には天草諸島が見える。
天気はいいのだが霞がかかったような感じで良く見えない。
出発が遅かったので昼前に実家に戻れるか微妙だ。
3号線の裏道を使い南九州自動車道に乗る、そこからは信号も無い自動車専用道路なのでなんとか昼前にとうちゃこした。



湯の児の福田農園に行き息子の彼女の観光だ。
そこで「甘夏マーマレード」を彼女の両親へのお土産として買った。
それから市内のナポレオンと言う洋食屋へ向かった。



「魚のプロバンス風」
が美味しいよ、と言うと彼女もそれにした。
美味しい美味しいととても気に入ってくれた。



それから水俣で有名な<みき最中>を買いに行った。
御両親への水俣のお土産だ。
さあ実家だ、昨日ここに住んでくれているジュンに電話したら、庭すごいことになってるよと言っていた。
草刈り機の燃料が無いようで草を刈ることができないようだ。
早速、家の中は彼女らに任せ草刈り機の燃料(混合油)を買いに行った。
それから伸びきった夏草を草刈り機で約1時間刈り込んだ。
ある草を刈り込んでいると蜂の巣があったのか蜂は一斉に飛んできた。
急いで逃げたのだ。
だからそれまでで終了したのであとはジュンに任せることにしたのだ。
芝生の管理は難しいが、もうここまで雑草にやられると一度耕運機で芝を取り、除草剤をまいて再度貼り直すしかないのかな、などと思った。
彼女らは母が残した食器を貰ってもらうため品定めだった。
母も食器が好きだったようで深川焼きのような高級そうな食器が食器棚に所狭しとあるのだ。
彼女も熊本に帰り両親とは別に暮らすようだし、せっかく母の趣味の食器を貰ってもらおうとの考えだ。
目を通した食器を新聞紙に包みダンボールに入れ実家を後にした。
いやいやその前に祖父、祖母、親父、母の墓前にお参りだ。
<盆も彼岸も来れなくて申し訳ない>
そんな思いで実家を後にした。

曲がり角

2014-09-28 18:30:30 | 日記ふう
背広を脱いで1ヶ月ちょっとだ、親友のジローさんから町内会復帰へのメールが届いた。
<○○月○○日、町内会の回覧板の処理、○○月○○日、老人会の秋刀魚の日、僕行けないのでケンちゃん頼む>
まあ、親父の死、それを追うような母の死、曲がり角は何度も経験してきたが、今度の離職は私にとって大きな曲がり角なのかも知れない。
確かに曲がり角の先にはストレスのない素晴らしい世界があった。
まるで天国のような世界があった。
ストレスからの開放は同じ人間なのかと思わせているようだ。
ひとみちゃんが言うには
「ケンさん、顔が優しくなって、ちょっとふっくらしてるでしょう」
などと言われる。
確かに体重は復活しているのだが、裕福でないおっさんにとっては収入が無いのが怖い。
しばらくは失業手当をあてにして暮らすとして、さあ本題だ。

今日はジローさんの命令通り、朝は7時起床した新聞を読んでいると家の目の前の調整池でスコップの音がするのだ。
慌てて着替えて帽子と軍手を持って調整池に行くと団地の人たちが調整池に溜まった泥をかき集めていた。
今日は団地の清掃の日だったのだ。
遅れたので約30分の作業をした。
清掃を終わり慌てて公民会に向かった。
公民館では町内会長のセイのオヤジとノボルのオヤジが回覧板の配布準備をしていた。
パソコンを使って資料を印刷し、各団体からの配り物を卓球台に乗せ順番に取っていく。
今月は16部で多いそうだ。



ノボルのオヤジとそれを1部ずつ取って行き回覧の一冊ができる。
打越町は5つの班がありそれを組みに分けている。
組長さん分の回覧を作るわけだ。



各戸配布の分もあるので一覧表を見ながら戸数分の枚数を回覧の冊子と一緒にビニールの筒に丸めて入れる。
9時からはじめて11時くらいまでかかったようで、一旦私はクルマを取りに自宅へ戻った。
駐車場にクルマを取りに行く、ケイのオヤジとばったり
「ケイさん、俺会社辞めて今プータロウ状態だ」
などと挨拶だ。
クルマで公民館に行き組長宅への配布だ。
私が運転し会長が配る。



後ろでノボルのオヤジが組長宅と名前を確認してセイのオヤジに渡し、セイのオヤジがポストに入れていく。
町内の細い路地をわがパッソは駆け巡ったのだ。
久しぶりの町内役員としての仕事だった。



約900戸のわが打越町、久しぶりに町内を駆け巡り思った。
博多までの通勤と仕事、やっと地に根付いた活動、曲がり角の先にはそういう事が待っているのかもしれないな。
親友のジローさんに感謝するのかも知れない。

九十九島遊覧

2014-09-27 17:04:18 | 写真投稿
佐世保に入り時間を気にしていた。
息子の彼女は初めての佐世保なので九十九島遊覧船に乗せるために来たのだ。
やはり出航は10時だったようで切符を買う間も無く乗船した。



しかし既に乗客は満杯状態なのだ。
満員の乗客に手を振りながらの慌ただしい乗船だった。
船は鹿子前のはしけを離れ九十九島へと出かけた。
船内はとても混み合っていたが一階二階は船内での遊覧ができるのだが3階4階はデッキになる。



肌寒い日だったので彼女から息子のパーカーを貸してもらった。
船の案内はスピーカーから流れる。
日本語に英語、韓国語に中国語だった。
船内は日本語でない言葉が飛び交っていた。
海は内海なので穏やかな海だ。
妻と結婚して以来の九十九島遊覧船なので数十年ぶりだった。



息子の彼女、あゆちゃんも感激した様子ではしゃいでいた。
あの頃の私たちと面影が重なる。



島は99ではなく200以上もあるようでその中の一部を回る。
こんな絶景なのだが基地の町としての指名もあるので、あまり知られることが無かったなどとボランテイアのおじさんが言っていた。



船は入江の奥深くまで行きUターンをする。
そういえばその昔もそうだったよね、などと思いが浮かぶのだ。
約1時間の九十九島の遊覧船の遊覧、言葉より写真かな。

嬉野温泉

2014-09-26 18:26:55 | 小旅行
佐世保の妻の実家から嬉野温泉まではクルマで一時間程度だった。
義理の兄が乗ったプリウスの後を追うのだ。
西回り自動車道の波佐見を過ぎ有田で自動車道を降り一般道だ。
しかしこのプリウス一般道もなんのその、時速80から90kmで進んでいく。
5人乗ったわがパッソいかに軽快かも知れないが速すぎてついて行くのも必死だった。
嬉野のホテルに着くと運転していたのは明石から来ている私たちと一回り若いジゲキ君だった。
そりゃそうだろう、義理の兄もクルマの運転は粗いが若い運転にはかなわないだろう。
そういえば私もここ数年、新幹線通勤でクルマの運転はほとんどしていない、運転の感覚のようなものが少しは戻ってきたが、同乗者によれば粗いそうだ。
まあそんなことはどうでもよくて、数年前、義理の父の7回忌もここ嬉野温泉だった。
大正屋というここ嬉野で一番の老舗の旅館だった。



今回はホテル桜という結構近代的なホテルだった。
そこの支配人は義理の兄夫婦が住んでいる近所の人で次兄と同級生の方だった。
当然妻も知っておりいろいろと無理も利くのかもしれない。
私も何度か会って酒を交わしている。



部屋は4階で私と息子、それと2番目の義理の兄さんだった。
部屋に着き一休みして嬉野温泉の散策に行った。



ホテルの裏側が「シーボルトの湯」と命名された公衆浴場だ。



その前で記念写真を撮り温泉公園といわれる公園を散策した。
長崎街道の宿場町として栄えたところだ。
シーボルトもその昔ここ嬉野温泉に宿場し温泉に浸かったのだろう。
公園を散策し赤い橋を渡り町中に出た、娘が
「このお店入ろうよ」
と言うので皆で入った。



なんとも懐かしい駄菓子屋さんで懐かしい商品があった。
娘と息子の彼女は駄菓子を一杯買いあさっていた。
足湯も町のあちこちにあるようで散策していると豊玉姫神社という所にきた。
もう薄暗くなりかけている。



神社には白いなまずのオブジェがあった。
日本3大美白の湯ということでこの神社は美白をお願いする神社のようだ。
特に女性人は願いが強かったようだ。
ホテルの戻り夕食だ。



佐賀和牛会席ということでメインの料理は佐賀牛のステーキだろう。
会席料理にビールの旨いこと、それから全員でカラオケに行き嬉野の夜を満喫したのだ。
翌朝起きてみると次兄は温泉にいっているようでいなかった。
私もホテルの10階にある温泉に浸かった。
部屋に戻ると妻からケータイに連絡があり食事に行こうとあった。
ホテル2階のレストランでバイキングの食事だった。
それから再び街中散策。



息子の彼女と足湯に浸かった。
足湯も気持ちがよく温泉に入っている雰囲気だ。
ホテルで解散し国道34号線で博多に向かった。
途中385号線で背振山を越えた。
これまた凄い道だったが那珂川町から美野島を目指した。

佐世保へ

2014-09-25 14:42:35 | 小旅行
いつもはメモ帳で書いて新規投稿に貼り付けていたのだが、ここ数回は新規投稿から直接書いていた。
パソコンがまだ正常でないのだろう、やっと書いたのにと思ったらなぜかポップアップのような画面が出てきて記事が消えてしまうのだ。
バックアップの復元にも残っていないようでしょうがないので書き直しなのだ。

翌朝は6時半に娘のアパートに集合し4人で美野島を出た。
百年橋通りから東比恵のファミレスで朝食を採り、博多駅東のランプから都市高速に乗った。
「あみちゃん、まるでゴーカートに乗ってるみたいだよ」
と声をかけると彼女は移り行く景色に目を丸めていた。
博多湾のかなり高いところを都市高速は進む、そしてヤフオクドームや福岡タワーの真横を進む。
朝早いのでクルマもそう多くは無く都市高速から今宿バイパス(202号線)に入る。
唐津道路(497号線)に入り、これが西九州自動車道になるのだろうか、今までは唐津で道を見失い迷走していたのだが今回はそのまま真っ直ぐに道が出来ていた。
終点まで行くと彼女がスマホで202号線を探してくれた。
まったくの自動車専用道路でコンビニなど無かったので休憩のためコンビニに寄った。
202をしばらく進むと伊万里の街中を走る。
ここまでくれば佐世保はもうそこだ。
202から498号線で国見山の登山道だ。
山頂でしばらく休憩してこの山を下れば佐世保の街中に入る。
時間を見ると9時半を少し回ったところだった。
とりあえず彼女に街中をクルマで案内し米軍基地やSSK(佐世保重工業)など案内し鹿子前(かしまえ)に向かった。
時計を見ると10時ちょっと前、みんなに
「急げ!」
といって遊覧船に飛び乗った。



10時の出航に30秒前で間に合った。
乗船が約1時間、それから佐世保の三ヶ町、四ヶ町と呼ばれるとても長いアーケードを案内した。



すると彼女知り合いがいるらしくお店に入りいろいろと情報を聞いていた。
「お店は玉屋に移っていてそこにいるらしいです」
と言うので行ってみた。



その知人に会って喜んでいる。
昔、彼女にとってその方は店長さんで可愛がってもらったそうだ。
娘は熊本から高速バスでこちらに向かっているので佐世保駅前のバスセンターに行く。
グッドタイミングで娘が降りてきた。



駅の高架下にあるチャンポン専門店に入り、それぞれに食事を摂った。



食事を終えて妻の実家までは20分程度、何とか法事を終え皆で墓参りに行き、それから嬉野温泉に向かった。

続く。

IKEA

2014-09-23 16:33:49 | 日記ふう
家をゆっくり目の10時過ぎに出た。
小雨の降るあいにくの天気だった。
義理の母の7回忌のため前泊のため福岡に行く。
平日のため高速道路は割引が無いので料金は平常料金なので国道3号線を北上することにした。



しかし息子の彼女との待ち合わせに間に合いそうも無いので八女から高速に乗った。
待ち合わせの時間に15分ほど遅れて着くことが出来た。
朗らかな笑顔の彼女を乗せて福岡の街をクルマでブラブラとうろつき、食事をして
「IKEAでも行ってみる?」
と聞くと
「行きます。行きたいです!」
と無邪気な笑顔が返ってきた。



国道3号線を再び北上すると<IKEA>の巨大看板が目に入った。
この前下関からの帰り見かけた看板だ。
だだっ広い駐車場にクルマを置き、これまただだったぴろい店内に入る。
IKEAにはウイークリーに入っていた頃一度きたことはある、今回は2度目ということになる。
店内に入りまずはショールームがある2階に上がる。



いろんなモノが展示してあるのだが、1Kから2LDKや3LDKなどの部屋の大きさによる提案型の展示が面白い。
マンションを意識した展示なのかバルコニーの使い方などのプレゼンも面白いと思った。
小物の使いかたや収納の仕方など、私も面白いと思ったが、妻と彼女はさらに細かい所を見ているようで一つのブースを抜けるのに時間がいくらあっても足らないようだ。
家具の置き方しだいで同じスペースを広く使う方法など、なるほどと思わせる工夫があるのだ。
「おかあ、我が家も考えないといけないね」
と妻に問いかけると
「そうね、帰ってから考えようね!」
などと言っている。
近いうちに熊本に帰ってきて暮らしする彼女も、いろいろ参考になったようで
「大変参考になりました」
などと笑顔で答えた。



歩きつかれたので飲食ブースで一休み。
これまただだっ広いブースでアイスコーヒーなどで一休みだった。



1階はセルフサービスコーナーになっていてここで品物を買うのだが、コストコのような巨大倉庫になっている。
そこで気に入った商品を黄色い袋に入れて買うのだ。
でも小物はそれでいいのかも知れないが大きな商品はどうするのだろう?
と考えたが、そこで時間切れになった。
国道3号線を百年橋通りから美野島まで帰り娘のアパートで一休みし、息子が会社から帰ってくるのを待って近くの居酒屋でしばし語りあった。
明日は朝6時半に博多を出て佐世保を目指す事にした。

お土産

2014-09-19 09:40:54 | 買い物
喜多方ラーメンを食って久しぶりに街中に出た。



産文会館のビルは取り壊しが進み現在は地下の部分の撤去作業をしている。
そういえば県民百貨店も無くなってしまうという話だ。
だからそのビルも取り壊されることだろう。



一方肥後銀行の本社ビルの建設が進んでいる。
まったく対照的だ。
久しぶりに下通アーケードだ。
佐世保の義理母の法事のため福岡経由で出かける予定なのだ。
佐世保への土産を何か買わなければならない。
熊本の名産を探すがなかなか見つからない。
妻とあれが良い、これが良いなどと話をするがまとまらない。



しょうがないので熊本城の城彩苑に向かった。
馬刺しやからしレンコンなどあるが福岡に一泊するので時間的に無理なのだ。
それで熊本ワインに入り、少し高級な菊鹿というワインを試飲した。
白ワインなのだがスーとした清潔感のあるワインなのだ。



結局、それを贈答用に1本と私たちが飲むために1本買った。
そしてフジバンビの黒棒を買った。

そういうわけで今から福岡を目指すのだ。

喜多方ラーメン

2014-09-18 17:15:59 | 食事
今日も朝からバタバタしていた。
起きてくると妻がテレビがおかしいという、音声は正常に流れているのだが、映像が安部首相の顔が出ていて静止画像で雨が降った状態だった。
そしてもうひとつは私のケータイの電源が入らなくなってしまった。
電池切れかと給電するのだが給電することすらできない、こりゃダメかもと思った。
なんだかんだと手続きは済んだのだが、今度は払いこみ用紙が送ってきやがった。
期限までに払い込まなければ保険証の返却をしてもらうことになるよ!と脅しつきなのだ。
役所仕事はこういうものなのか、手続きはややこしくて請求だけはすばやい。
自動引き落としの手続きとこれまでの支払いのため郵便局に行った。
自動引き落としの書類はその場で金融機関の確認を受け郵送してやった。
今までの分はゆうちょのATMに案内され振込み用紙をATMに差込み通帳から直接支払いができた。
そんなことできること自体はじめての経験だった。

前置きが長くなったが今日はそんなことではない。
県民百貨店にあの<喜多方ラーメン>がやって来る。
そんな事務手続きがあるのでついでにじゃないけども県民百貨店に出向いた。
じつは仙台に出張したとき、たぶん少し寒くなりかけてきた晩秋の夜、ホテルへの帰りこの喜多方ラーメンをすすった。
そのときの薄いスープと絶妙な麺に感動した記憶があるのだ。
まあ、その場の雰囲気とかあったと思うのだけど、とんこつにマーユというラーメンしか食ってなかった熊本の人間が薄味(醤油、塩、鶏がらかな?)の昔ながらの味に翻弄されたわけだ。
会場に行くとえらい年を召されたおばさまたちとおじさまたちで一杯だった。
妻は日本一のナポリタンというのを頼んでいた、私は当然<喜多方ラーメン>だ。



妻の<日本一のナポリタン>というのが出てきた。
ナポリタンとはイタリアンでなく日本料理なのだ。
だから世界一でなく日本一なのだ、納得した。
でもトマトソースが利いていてうまい、だけどハンバーグは要らないだろう。
麺は普通のスパゲッティ麺ではなくうどんのようなふと麺だった。
まさしくナポリタン、そう思った。



そしていよいよ<喜多方ラーメン>うすいスープをいただく。
あっさりとした感じだ。
そして麺は割りとふと麺のちじれ麺だったが麺とスープの愛称は良いようだ。
あの時(仙台での)とどうなんだろうと思ったがあの時の味では無かった。



でも喜多方ラーメンを守っていることは違いないようで、熊本や博多のラーメンとは違う文化をいただいたのだ。


Windows7

2014-09-17 17:24:06 | パソコン
Windows7のパソコン、キーボードが狂ったパソコンだ。
それで小型のキーボードを買ってそれで入力をしていたわけだが、そのキーボードをパソコンの中に入れていて誤って上から押してしまい液晶を壊してしまった。
キーボードもだめで液晶もダメとインもだめでアウトもだめ、しかしパソコンは正常に動いている、なんとも奇妙な状態になってしまった。
モニターを買ってくることも考えられるが、はたしてどうすか・・・。
実は8月13日から15日にかけての間違ったWindowsUpdateのプログラムのせいかWindows7のパソコンもWindows8.1のパソコンもウイルス感染してしまった。
8.1のほうはサポートセンターからの指示でリカバリーを実行し再生したのだが、7の方はCDからインストール。



Windows7のパソコンはネット端末みたいなものでインストール自体はそんなに時間はかからなかったのだがWindowsUpdateがものすごかった。
丸々1日掛りというか夜中にUpdateを掛けたままだった。

そういうわけでWindows7のパソコンにデータとしてはほとんどなく、メモリー(1GB)を取り外し中古パソコン屋に行った。
同じ型のパソコンがあれば良いのだけどと思いながら見ていくとFMVで型番が近いのがあった。
いくらか?と聞くと16,800円と言う。
早速買った。



我が家にはWindows8.1、Windows7、WindowsXPと娘のMACがあるがWindowsXPは福岡の娘のアパートに置いたまま、Windows8.1では動かないソフトがあるためどうしてもWindows7以下のパソコンが必要なのだ。
買ってきて各種ソフトのインストールやWindowsUpdateを行う。
そのパソコンで今書いているのだ。



メモリーは1.5GB(抜いた1GBを再度差した)、ディスク容量にいたっては80GBだから前のパソコンよりスペック的には大きい。
裕福では無いサラリーマン、いやいやもうサラリーマンではないので、おっさんにとって手痛い買い物だった。

ありがとう

2014-09-16 19:47:28 | 日記ふう
昔、朝の連テレ小説で
<ありがとうって伝えたくて~>
いきものがたりが歌ってたのがあってたんだ。
あれは水木しげるの妻の物語だったと思うのだが。
極貧の中から右手一本で漫画を書き続け、世の中に認められ成功した話だ。



今日は朝からハローワークに出かけた。
9時頃だったろうか。
駐車場も長蛇の列で、近くのコインパークも一杯だった。
時間が指定されているので市立図書館にクルマを置いて少し距離のあるところを歩いた。
館内も人であふれていたが事務処理は割とスムースに運び1時間弱で終えた。
今日は何の日か、当然頭に入っている。
クルマを走らせていると花屋が目に入った。
駐車場にクルマを入れ
「誕生日の花を1000円分ください」
と言った。
1500円分でこれくらいですと言うのでそれにした。
毎年そうしてる訳では無い。
数年に一度の事なのだ。
今年はいろいろとあり「ありがとう」そして今後もよろしくとの意味だ。
家に帰り妻に花束を渡すと
「ありがとう」
と一言、花瓶を出して飾っていた。



年に1回はどうしてもある誕生なんだけど、今年は私自身きつかったし、それを支えてくれた妻にはどうしても感謝したかったのだ。

黒川温泉

2014-09-15 21:52:29 | 熊本の風景
娘が再び温泉に連れて行けと言う。
クルマに乗り込み約1時間半、着いたのは黒川温泉郷だ。
今では全国的に有名になってしまったところだ。
阿蘇五岳のカルデラを突き抜けやまなみハイウェイをしばらく走ると右折する。
それからしばらく走ると黒川温泉郷だ。
最初に妻を連れてきたとき
「えっ!ちょっと寄っていこうよ、雰囲気が良い」
などと感じた場所だ。
それはそれは都会の喧噪とかけ離れた場所なのだ。
町、いやいやそれはど田舎の一集落の山間の村に一本の川が流れる場所なのだ。
はじめてくる娘の目にも妻の感覚と同じ印象があったのだろう。
「良いね!良いね!」
などと言っている。
娘、何を感じたか



「あそこ、入ろう!」
私たちは何度か来ているので、娘の直感に任せた。
ここ黒川温泉郷は数十軒の温泉旅館が一体となり一軒の旅館が一つの部屋のような雰囲気を作り上げている。
有名になったので阿蘇地域や熊本の温泉地とは1割ほど高いといわれている。
娘が選んだ湯、中心地から少し離れた場所だった。



茂った林の中にあるようで自然の中の温泉のようだ。
料金を払い、妻と娘と別れて男風呂へ行く。
洋服を脱ぎ湯船に向かう。
先客は一人、林に囲まれた露天風呂だった。
川のせせらぎをを聞き、林からこぼれる日にさほど熱くない温泉につかる。
先客も上がって私一人の貸切状態だった。



湯船につかり林からの空を見上げる、至福のひと時だ。
そんな時間をすごし<女どもは時間かかるのだろうな>などと思い、喫茶が出来るようなところがあり<ビールありますか?>と聞くとあると言う。



至福の温泉に至福のビールなのだ。
そんな至福の時間を過ごしていると
「おとう!どこにいると!」
娘のこえだった。



初めて黒川温泉に来た娘のために温泉郷をぐるりと散策したのだった。

敬老

2014-09-14 21:48:01 | 日記ふう
全国で100歳以上のご老人が58,820人もおられるという。
新聞の欄だ、熊本県内でも1,273人という。
今や65歳以上の人たちは、人口の25.6%の約3,296万人にだそうなのだ。
いろんなメディア(新聞、テレビ)で取り上げている少子化高齢者問題だ。
まあ、そんな難しい問題ではなく、敬老の贈り物を打越町内会でもしている。
配り物としてお茶と町内会長の手紙を配るのだが・・・。
ここ数年町内会の役員でありながら役員活動をまったくしていないのに敬老の配り物をせよと命令がきた。
町内では70歳以上の人にお茶と自治会会長の手紙(内容を見てジローちゃんは笑っていたが)を配るのだ。
打越町は大き分かれて5つの班に分かれる。
私たちの班はその中の5班にあたる。
その班の中を4つの組に分かれているのだ。
ジローさんは2組、私は3組、だから私が配るのは3,4組というわけでジローさんが持ってきた。



ここ数年町内会の会合も出てないし、イベントにも出ていないのだ。
久しぶりに団地の中を歩く。
妻に応援してもらいながら、この家だなどとチャイムを鳴らす。
出てこられた昔の有志は、はっきり言って歳を召されていた。
でも、昔の面影がある顔で
「ありがとう!」
と暖かい笑顔で答えられるのだ。
その瞬間思ったのは、この団地も26年を迎えるのだが、若いころの彼らを知っているからだと思った。
私もいずれ(まだまだだが)敬老を迎えるのだろう。
しかしこの団地に子供の声は聞こえなくなってしまった。

この配りもの私たち役員でなく、子供会の小さい子供たちが配った方が良いのかな?

関門へ

2014-09-13 11:47:52 | 小旅行
朝4時、ケータイにセットしていたアラームが鳴る。
起きて下関の同僚を起こす。
昨日お土産としていただいたパンをかじりながらミネラルウオーターで流し込む。
支度をして部屋を出て駐車場に行き駐車料金700円を払ってクルマに乗り込む。
美野島商店街を抜け百年橋通りを走る。
201号線を右折して福岡インターで高速に乗る。
関門橋を渡る頃、朝が白々と明けてきた。
下関インターを降り一般道に出るが道が分からない。
同僚に言われるままクルマを走らせ彼の家に着いた。
同僚が言うにはスマホを娘のアパートに忘れて来てしまったらしい。
「宅急便で送ってやるよ」
奥さんに挨拶しながらそんなことを言った。
彼が彼の家と土地を案内してくれた。
かなり広い土地と何棟かのアパートがある。
固定資産税が凄いようで家賃収入だけでは賄えないような事を言っている。
彼の家を出て再び下関インターを目指す。
関門トンネルの矢印があったのでそちらに向かった。
料金所で150円を払う。
初めて通るのでワクワクする。



案外と短いのにはびっくりしたがトンネルを出ると門司港だった、これにもびっくりだ。
仕事で何十回来ただろう。
懐かしいので港の方まで行ってみた。



港の広場ではラジオ体操をしていた。
時計を見ると6時半を少し回ったところだ、門司港を後にして、これまた懐かしい199号線で小倉を目指した。
小倉で仕事をしていたときにみんなで昼食に行った店がある。
199を左折してその店に行ってみた。



資さんうどん大里店、24時間営業なので店に入ってかしわそばを食った。
何とも懐かしい味だった。
国道3号線で小倉の街を抜ける。
しばらく走ると戸畑や若松という看板が目に入る。
黒崎駅前に出た。
結構大きな街のようでびっくりだ。
いつもは高速なので町の雰囲気とかは味わえない。
国道3号線も整備されていて片道2車線、ところによっては3車線になっていて全くの自動車専用道路になっていて走りやすい。
黒崎を抜け折尾、水巻を抜け遠賀川を渡る。
途中で給油して赤間、宗像、古賀を抜けて百年橋通りから娘のアパートで一休みだ。
彼のスマホはベッドの上にあった。
あったよと連絡すら出来無いのには参った。
時計を見ると9時半だった。
5時間半のドライブだったことになる。
スマホをハンカチでくるみレジ袋で縛ってコンビニに行ったが、箱に入れてくださいと言われたのでそのままもって帰ることにした。



福岡市内をしばらくブラブラとドライブして標識をを頼りに鳥栖を目指す。



鳥栖筑紫野線という道に出た。
これまたすばらしい道で、鳥栖のアウトレットの横を抜け鳥栖から久留米に入った。
久留米から国道3号線を探すが迷ってしまった。
約30分ほどウロウロしたがやっとの事で3号線を見つけ熊本を目指した。
自宅に着いたのは14時頃だった。
家に帰りスマホが入るような箱を探し宅急便で下関に送った。
走行距離460kmのクルマ旅だった。

送別会

2014-09-11 16:41:55 | 日記ふう
事務手続きでハローワークへ行ったり今日は銀行、明日は郵便局や区役所など毎日忙しくしている。
毎日一日中パソコンの前に座っていた時期とは違い、今はパソコンの前に座ること自体があまり無くなってしまった。

そういうわけで有志が開いてくれた送別会からの話だ。
当日は朝からハマさんからメールが来た。
「下関からの○○が午後3時くらいに来るのでそれに併せておいでよ」
との連絡だった。
それで朝風呂に入り10時半頃にパジェロIOで出かけた。
途中、植木でいつも良く買っている馬刺屋さんでハマさんにお土産として300gの馬刺を買った。
当然保冷剤と遮熱用のパックに入れてもらった。
今は国道3号線も整備されているし熊本から広川(久留米の手前)までは道が空いている。
かえって高速の方がクルマが多いので国道3号を広川まで走った。
久留米は以外と渋滞するので広川から高速に乗った。
やっぱり高速はクルマが多い。
広川から久留米までは2車線だけど道幅が狭いのし80kmの制限区域なのだ。
久留米を過ぎれば片道3車線の広い道になる。
でも鳥栖から長崎道、大分道からの合流したクルマで再びにぎやかになる。
いつも降りる太宰府インターなのだがそこをパスし福岡インターを目指した。
福岡インターで降り201号で3号線に出た。
ハマさんのマンションは和白にある。
3号線から海の中道やマリンワールドに続く道に入る。
しばらく行くと左折なのだが入るポイントが分からない。
通り越してしまったみたいで途中で携帯で道を教えてもらった。
ようやく彼のマンションに着いた。
和白は志賀島に続く半島の付け根に当たる。
JRの西戸崎線と西鉄の新宮線の両方の駅があり便利なところだ。
そして海も近いし潮の香りがするとても良いところなのだ。
そこでしばし休憩をして下関からの同僚を待つ。
下関からの同僚が着き、再びクルマで美野島の娘のアパートを目指す。
箱崎の巨大倉庫が立ち並ぶ道を通り3号線に出た。
娘のアパートの駐車場にクルマを置いて博多駅まで歩いた。


居酒屋は駅前の「ひさきゅう」といったお店で、前の博多事務所があったすぐ裏手の店だった。
メンバーは拠点は違うが下関から2名、門司から一名、そして今回幹事をしてくれた博多の中堅の同僚、そして先輩のハマさんの6名だった。
会が始まると皆さんお土産を持参しているようで、どら焼きや下関名物のふくの加工品などいただいた。
私は熊本の郷土のデパート鶴屋で買ったくまモングッツを渡した。
私が買って重宝している小銭入れ、それだけではと妻が選んだあと一品だった。
近況報告のようなものをして、ワイワイと盛り上がった。
一次会を終えもう一件行こうとなり、デイトスのこれまた「ひかり」に行った。
午後も10時を過ぎ、終電近くになったのでお開きとなった。
下関からの同僚を泊まってもらおうと誘ったが一人は帰っていった。
下関からの同僚と娘のアパートで夜遅くまで飲んだ。
拠点が違う3人の同僚(いや元同僚か)の暖かさにありがたかった夜だった。
再びの再会を誓い合ったのだ。

続く