打越通信

日記ふういろいろ

健康診断

2015-09-30 15:24:04 | 日記ふう
ここ数日曇り空の日が続き、スーパームーンは見ることができなかった。
今日は午後から雨が降り出した熊本地方、朝方は寒い朝だった。
早朝の散歩では突然に出てきた朝焼けにいつものようにカメラを向ける。

ここ数日バタバタとした日々が続く。
まずクルマが入院してしまった。
ギヤを間違え駐車場の壁に前面をぶつけてしまった。
台風の影響で修理が混んでいたようで、やっと代車の用意ができて入院となった。

そしてもう一つが健康診断。
昨年とその前は博多駅前の健診センターのようなところで受けたが、今回は前回と前々回の前に受けていたヘルスケアセンターで再び検診となった。
今回は妻も一緒に健康診断を受けることになった。
しかし彼女は一般検診は初めてのようで
「胃の検査って何するの?」
などと聞いてくる。
バリューム飲んでレントゲン検査、もしくは眠り薬打たれて寝ている間に胃カメラの検査と答えると
「やめた!」
と言ってセンターに電話して、バリューム検査をキャンセルしてしまった。
とは言ってもその他の検査はするわけで一緒に出かけた。
身長体重、視力聴力、肺のレントゲン、心電図、問診など彼女としては初めてのようで楽しそうにも見える。
私の方は毎年のことで代わり映えしない内容だ。
そして採血だ。
今月に入り3度目の採血なのだ。
9月のはじめに主治医のところで採血、同じ日に整形外科で再び採血だった。
右手が痛いので左手で採血、同じ日に10cmも離れていないところに2度の注射だった。
再び同じ左手に3度目の注射だった。
最終的な検査結果は後日のなるが、肺のレントゲン、血圧、視力聴力など問題はなかった。
ただ視力はずいぶんと回復して0.7と0.6だった。
最後のバリューム飲んで胃のレントゲン検査が終わるまで3時間近くかかる。
終わったという開放感と朝飯抜きの腹減ったで少し早めだったが昼飯に出かけた。

あさが来た

2015-09-28 17:48:31 | 日記ふう
起きると南西の方向に丸く大きな月が出ていた。
中秋の名月だ。
すぐに着替えて外に出て散歩を始めた。
しかし月はもう南西の方角に落ちてしまって写真に収める事はできなかった。
かわりに明けの明星が天高く輝いていた。
歩いていると
「おお、今日は早いね!」
といつも会う打越のオヤジに挨拶された。
散歩をしていて数日前から気になっていたことがある。
堤防の上から桜の木を見ていると枝に白いものが気になっていた。
ラジオ体操の帰りに寄り道をしてその木の根元に行ってみた。



やっぱり桜が咲いていた。
確かに視力は回復していたのだ。



打越橋のふもとの花も彼岸花から変っていた。



自宅の庭のアジサイの花も何を勘違いしたのか今頃開花している。
台風の影響で散ってしまったが、今年の百日紅は枝が長く伸び大きく育った。



彼岸花が終わる頃、ひょろひょろと伸びだして花を咲かせる黄色の彼岸花(ショウキズイセン)が咲き始める。
いつもは10本ほど伸びてきて一斉に咲くのだが今年は1本だけだ。
そういえば金柑の花も今年は異常なように白い花を咲かせた。
異常気象なのかな、と思ってしまう。

今日の夜はスーパームーンだ。
はたして見る事ができるのか、それとも明日の朝一か、天気はうす曇り・・・。

まれにみる○○の前回の連ドラ、今日からは「あさが来た」が始まった。
そして一週遅れのじぇじぇじぇ(みる機会が無くすべて見ていなかった)も最(再)終週、とうちゃこも秋の旅が始まった。
早く朝よ来い! と少しばかり元気を取り戻しつつあるのだ!

防災フェア

2015-09-26 21:21:47 | イベント
町内会の会議でも「こんな催し意味が無い」とか「実際災害が発生したとき避難通路が使えないから意味が無い」とか比較的批判的な意見が多かった。
しかし中には「こんな機会に体験するだけでも意味がある」という意見もあったのは事実だ。
災害に対する考え方は自助と共助とあるという。
自助とは災害が発生したとき自分で備え対応する事、そして共助とは町内や地域でともに備え対応することとある。
災害が発生し、良くテレビなんかでヘリコプターや自衛隊などに救出される映像が流れる。
しかしそういった特殊な救助で助かる人の割合と言うのは数パーセントに過ぎないそうで、自助や共助で助かる人の割合が大部分だそうだ。
まあそういう事であるならば、人の意見は分かれていても出かけてみる価値はありそうだ。
打越町では5つの班に分かれて、朝9時の爆竹を合図に5つの集合場所に集まり、一時避難場所の高平台小学校に集合となる。
我が5班の集合場所は打越公園だ。



集合場所にはマーのオヤジにフナコイのオヤジ、それに一軒隔てたお隣のお父さん、そして3人の子供を連れたおかあさんが集まった。
少ないけど皆で小学校まで歩く。
途中で津浦(高平校区第1町内)と合流する。
小学校に着くと各く町内から少数ではあるが集まっていた。



緊急車両もずらりと並びあまり好きでは無いパトカーまで来ていた。
興味を持ったのは自衛隊の装甲車?だった。



分厚い鉄板に簡素な室内、初めて運転席に座ってみた。
それだけでも来たかいがあった。
各町内ごとに整列し開会式だの挨拶だの始まった。
これがいけないのだ、何かというと儀式になる。
それから町内ごとに別れ体験学習を行う。









こんな事が有事のときに役に立つかどうかは別にして、災害への意識付けには良い経験だったかも知れないと思った。

手の痛み3

2015-09-25 20:32:00 | 日記ふう
朝から雨だ。
昨日の話だ。
手の痛みで起きたのは朝の3時半だった。
一度はリビングに降り新聞を取るため外にでた。
雨が降っていたので2階の寝室に帰り再び眠り込む。
しかし5時半には再び起き出し新聞を読む。
6時半前、携帯用のラジオを探したが見つからず、ネットで「らじる らじる」を呼び出しラジオ体操をすることにした。
当然カーテンを閉めて外から見られないようにするのだ。
さて、手の痛みの続きで診察に出かけた。
病院内は平日だと言うのにかなり混んでいた。
待たされると思ったが以外と早く呼び出された。
白髪担当医と再び会話だ。
「特に異常は無いようだし、痛み止めの薬はまだありますか?」
と聞いてきた。
痛み止めはよほどの事が無い限り飲んでいないのでまだ十分にある。
それより手の痛みのほうが心配だが、特異な病気では無いとのことだった。
つまり自然に治癒するので心配ないと言うことだった。
それで通院は終わりということ、痛みが引かない時は再び受診となった。
会計を待つ間、壁にかかった担当医の一覧を見つけた。
私の担当をしてくれた先生が載っていたのでみてみると、なんと院長先生だった。
経歴を見るとスポーツ医、手専門の整形、形成の先生だった。
初診の日、痛かろうと自らギブスを作り包帯を巻いていただいた、あの先生が・・・。
唖然となったがそんな先生の診察なら心配ないだろう。
痛みとの戦いは続くわけだがこれで心配は吹き飛んだ。



今日も痛みで4時近くに起きた。
前日の夜は息子達が来て一緒に夕食、そのあと午前様近くまで話で盛り上がったのだ。
暖かい朝だったのでハーフパンツと半袖でいつものコースを歩く。



休憩場所の住宅展示場で一休みし、北熊本駅を見ると青ガエルが3番線に入線していた。
今日は出番のようだ。
ラジオ体操も結構手を振り回す動作が多い。
痛みが激しかったときからすると随分と動かせるようにはなってきていた。
しかし今日はもっと大きく振る事ができたような気がする。
ラジオ体操が終わるとメンバーの一人の女性からお菓子を頂いた。



何故だろうと思ったが、あまり考えないことにした。

秋の空

2015-09-23 20:27:51 | 日記ふう
秋分の日は昼の長さと夜の長さが同じ日だと云われている。
そういえばここのところ夜明けが随分と遅くなった。
夏の日には5時前には明るくなっていたような気がする。
朝が白々と明るくなるのが5時40分過ぎくらいからだろうか。
右手の痛みで夜中に起きることが多い。
睡眠を阻害されているわけでも無いが夜中に起きることがよくある。
帰省中の娘はシルバーウィークともあり友達と街に出かけ遅い帰宅なのだろうか、3時半に痛みで目が覚めた。
いつもなら再び寝るところだがリビングで物音がしたので起きてみた。
帰省中だというのに顔もあまり会わせない、こんな時ぐらいか・・・。
「毎日、こんなに早いの?」
と驚いた顔をする。
冷蔵庫に行きアイスコーヒーを飲みながら娘との会話だ。
4時過ぎになると新聞が来るので取りに出る。
娘は自分の部屋に戻り今から睡眠のようだ。
新聞を読みながらストレッチを行う。
5時半過ぎから明るくなるので外に出てウォーキングをはじめる。
コースはいつものコース、だが外はまだ暗い。



だんだんと東の空が明るくなる。
朝焼けが始まる一瞬が好きで毎朝早起きしてるようなものだ。
しかしだんだんと寒くなり、昨日は寒くて5kmほど走った。
寒くて走らないといけない状況になってくるのだ。
新聞の天気予報では今日は雨、しかし雨は降っていない。
暖かい朝だった。



朝焼けは東からと思っていたが違っていた。
西の空から朝焼けは始まる。
白鷺のねぐらには数羽が眠っている。
しかし夜明けとともに一羽二羽と飛び立って行く。
ラジオ体操が始まる頃には朝日が昇り、空にはイワシ雲が広がる。



南の方角には熊本城が見える。
一番気に入っている場所だ。
さて今日でシルバーウィークも終わりだ。
5連休と続く年はこの先11年後とラジオは云っていた。
毎日が連休のような日々だが、娘が帰って来られるのはこんな時くらいだ。
そんな娘は夜の8時過ぎの新幹線で帰っていった。
帰省していた頃の今は亡き両親の気持ちが良くわかるようになった気分だ。

ラジオ体操指導 なんと81歳!

2015-09-21 21:12:47 | people
いつものように壷井川遊水公園でラジオ体操を終えた。
「あんた写っとらんばってん、荒木さんからタイ!」
と言ってヨネさんからDVDを一枚貰った。
荒木さん?
DVDのラベルを見ると「みんなのニュース」とある。
町内役員会で話をしていたヤツだ。
9月10日放送とある。
そしてTKUのロゴが印刷してあった。



家に帰りさっそくパソコンに入れ再生してみた。
なんとラジオ体操の指導員のヨネさんを取材した内容だった。



観終わりTKUのホームページからアナウンサー、彼のページにBlogがあったのでチェックしてみた。
記事の中に壷井川遊水公園でのラジオ体操の写真入の記事が2つあった。



ラジオ体操に来るメンバーの名前を知っているのはヨネさんを含め3人程度、それも打越町の人なのだ。



そのほかの人は顔もあまり知らないし、当然名前も知らない人ばかりなのだ。
そういえばこの前の雨の日、ラジオ体操のみんなはどこに行ったのか探していると東屋に集まっていた。
遅れて参加した私を
「打越の○○さんです」
と紹介されたっけ、そのときカッコイイトレーニングシャツを着ていた人が彼だったのかも知れない。
となりで体操をして一言二言会話をした覚えがある。
彼がヨネさんを見つけ出し取材をしたのだろう。



番組の内容は良く取材してあり、ヨネさんのありのままが紹介されていた。
ヨネさんも飾りの無い人なので取材もしやすかったのではないだろうか。
しかし歳が81歳とは知らなかった。
知り合ってもう十数年になる。
町内会で知り合ってラジオ体操でも仕事が忙しかった時期を除けば長い付き合いなのだ。



番組を見ながらあらためて思うことだが、随分と歳の離れた先輩だけど元気の良さには驚かされる。
今日は敬老の日なのだが、歳の差なんか関係ないように思えるのだ。

朝焼けの桜島

2015-09-20 20:09:42 | 小旅行
ホテルは錦江湾に面した13階建ての結婚式が行われたところだった。
朝5時半に目が覚めると明けの明星が見える。
桜島の方向だがまだ暗くて金星だけが目立っている。
部屋はホテルの6階だった。
カーテンを開けると白々と明るくなり、目の前に朝焼けに桜島が姿を見せた。
妻を起こし指を差すと驚いたように飛び起きた。
ケータイで何枚も写真を撮っていた。



すぐに着替えてホテルを出て海岸の方に歩いて出かけた。
海岸は綺麗に整備されていてウォーキングをする人、ジョギングをする人、なんと釣りをする人で賑わっていた。



海岸縁を朝焼けに染まる桜島をみていると山の稜線がとても綺麗だった。
桜島の右奥には大隈半島、左奥には霧島の山々が見える。
桜島ももくもくと煙を上げている。
錦江湾に浮かぶ朝焼けに染まる桜島を見ているとさすが鹿児島にいることを実感する。



しだいに朝日が顔を出す。
ゆっくりと歩きながら桜島を見ているとラジオ体操の歌が聞こえてくる。
周りを見回すとあちらこちらでラジオ体操の準備をしているようだ。



中年の男性の近くに行き体操をすることにした。
女子高校生なのだろうか女の子2人も加わってきた。
雄大な桜島に登る朝日を見ながらのラジオ体操、こんなことがあるもんだと気持ちも高まる。
中年のおじさんにお礼を言って散歩の続きだ。
鴨池陸上競技場や鴨池野球場などある公園を散歩しホテルに戻った。

7時を回ったところだったのでレストランに入りバイキングだった。
量的に多いかなと思ったが何のことは無い、さつま揚げや玉子焼きなどお替りだった。
部屋に戻り最上階の大浴場でゆっくりと朝風呂に入る。
目の前の桜島を眺めながらの温泉はこれまた結構なものだった。
錦江湾を沖縄からのフェリーだろうか大型の船が接岸しようとしている。
チェックアウトは11時だったのでしばらく部屋でゆっくりとした。
帰りはゆっくりとオレンジ鉄道で海を眺めながら帰るのも良いね、と妻と話をしていると、娘が帰ってきているという。
あわててネットで予約をいれ12時40分のさくらで鹿児島を後にした。

ゆくさ おじゃったもした

2015-09-19 23:00:41 | 小旅行
シルバーウィークの連休初日とあり混雑を予想しネットキップは指定席を取った。
自宅を10時前に出たが市内の道は混んでいた。
通常は10分くらいで熊本駅まで着くが37分の電車にギリギリになってしまった。
駅に着きキャリーバックとカードを妻に渡し発券機でキップをとるように頼んだ。



駅の駐車場にクルマを入れ急いで新幹線口の構内に入ると混雑していた。
妻に頼んだものの、はたして無事にキップを受け取れたか心配だった。
妻を捜しているとなんとキップを手にして近づいてくるでは無いか。
急いで改札を抜け下りのホームに向う。
なんとか間に合った。



列車は1時間もしないうちに鹿児島中央駅に着いた。
改札を抜けると<ゆくさ おじゃったもした>の看板が目に入る。
看板の下には<ようこそいらっしゃいました>と日本語の解説があった。
隣の県だけどさすが鹿児島(かごんま)らしい歓迎だった。
式は14時からだったが記念撮影などあり13時15分まで会場に行かなければならない。
妻はノドがかわいたとか何か食べようと子供のように駄々をこねるのだ。
しかし妻の手を引き、タクシーに乗り込み結婚式があるホテルに向った。
ホテルのロビーもかなり混雑していて妹たちや義理の弟たちがどこにいるのか見等もつかない。
妹から電話があり新郎の控え室を教えてくれた。



控え室でしばらく団欒をしているとチャペルでの結婚式が始まった。
それから披露宴が始まり午後7時過ぎやっと終わった。
披露宴が4時間近く続いたのだ。
さてどうするかなと思っていると義理の弟が部屋を取っているとの事だったので泊まることにした。
部屋に入り最上階の大浴場に行き一風呂浴びてやっとゆっくりした時間が出来たところだ。
長時間の結婚式でさすがに疲れた。
詳しい事は明日にでもするとして寝ることにする。

そういえば

2015-09-18 18:21:17 | 日記ふう
明日は甥っ子の結婚式で鹿児島に行かなければならない。
妻はヘアースタイルがどうのこうの、私は一眼カメラのフラッシュやその他もろもろの買い物がある。
久しぶりに熊本市内のアーケードに出た。



出たはいいけれど街中は
「ドーカイ!ドーカイ!」
の掛け声とラッパと太鼓の音でうるさいのなんの・・・。
そういえば藤崎宮秋の例祭が始まっていたのだ。
毎朝の早朝ウォーキングをやっているが祭囃子は今のところ聞いた事がなかった。
さすがに朝からは練習しないのだろう。
過去の私のウォーキング・ジョギングは夕方から夜にかけてだった。
公園でラッパの練習をしていたね、昔は・・・。
日曜日が追い馬になるのかな、多分鹿児島にいるかも知れない。
街中はそういうことでえらく賑やかだった。



買い物を終え家に帰りふと封筒を発見した。
そういえば国勢調査の通知が来ていたようだ。
資料を取り出して中を見るとインターネットでの回答になっている。
それも期限は9月20日の日曜日までだ。
さっそくネットを開いてIDとパスワードを入力する。



内容に従って回答を入力する。
しかしね、セキュリティとかいうヤツは大丈夫なのだろうか?
そんなオジンくさい事を考えながらもなんとか終了した。
ついでに明日のキップ予約もしておこう。
そういえば国会も安保改正で揺れにゆれている。
だけど何で参議院でこんなに揺れているのだろう。
衆議院の可決の時はどうだったんだっけ、忘れてしまった。
国論も新聞(報道)も真っ二つに割れてしまった。
そういえば普天間じゃなくて辺野古移設の件も割れている。
9月15日の地方紙(地元紙)と全国紙(読売新聞)の社説での取り扱いはまったく逆の立場だった。
地方紙では辺野古埋め立て用の土地採取場所(全国に数箇所あるが)が御所浦と書き反対運動する写真入りの記事が出ていた。
国の圧力に負けてはならないと地方紙は云う。
普天間がある宜野湾市の市長は早く危険な状態を脱するためにはいったい知事は何をしているのかと全国紙は知事の柔軟な姿勢を問い質している。

「そういえば」と思い出すが、そのときは熱くても「どうだったっけ」と忘れてしまう。
そんなものなのかな・・・。

手の痛み2

2015-09-17 21:59:11 | 日記ふう
右手の痛みでギブスをつけて一週間になる。
服を脱いだり着たりすると不便だし、食事の時に箸が持ち辛い。
最悪なのが風呂だ。
特殊なラップ(少し厚めで粘着力がある)でギブスの上からぐるぐると巻きつけ、レジ袋の大き目のヤツですっぽりと被せ輪ゴムで止めるわけだ。
湯船よりシャワーのほうが良いだろうと体を洗うのに苦労した。
そんな大変な一週間が過ぎ、病院へ行った。
前回すでに今日の診察の予約はとってある。
ところが受付を済ませ番号札をみるとかなり後の番号だった。
診察室の横にモニターがあり順番が表示してある。
私の担当医は人気があるようで15名ほどの順番待ちである。
病院のあといろいろと用事があり妻と彼女が一緒だった。
ちょうど昼飯の時間だったので病院内のレストランで食事をしながら順番を待った。
1時間経てどまだまだ順番は回ってこない。
1時間半過ぎた頃やっと順番がまわってきた。
診察室に入るが担当医はいない。
しばらく待たされやっと担当医が来た。
パソコンの画面(血液検査の結果)を観ている。
しばらく観ているが黙っている。
看護士に包帯を取るように言い、看護士が包帯をはさみで切り一週間ぶりにギブスが取れた。
痒いところをさすっていると医師がいきなり握りこぶしを作るように私の指を丸める。
「少しまだ腫れているね」
といって看護士に再びギブスをはめ包帯を巻くように指示をした。



血液検査の結果は特に異常は無いようで、特にCRPというところをみていたのだろう。
炎症が激しい場合に値が高くなる(後で調べた)ようでその数値は異常が無かった。
肝機能、コレステロールなどほとんどの数値が正常でナトリウムの値が低かったがこの程度では問題ないだろう。
医師は再び看護士にギブスをつけるように指示し痛み止めとシップ薬の処方を書いただけだった。
結局まえに行ったほかの整形外科と変らない診断だ。
2週間後に来るようにとの事で診察は終わった。
処方箋を持って薬屋に行く。
シップ薬を多めに10個ほど貰った。
これだけは市販薬よりかなり安い(1袋7枚入りで70円)ので多めにもらった。
病院を終え3人で次の用事に出かけたが看護士が包帯をきつく巻いていたので痛みが出た。
痛み止めを飲みその場を凌いだが自宅に戻りすぐに包帯をとりギブスも取ってしまった。
一週間ギブスをはめて苦労をしたが何の進展も無く、結局シップを貼り一皮一皮むけるように腫れがひくのを待つしか無いようだ。

おめでとう

2015-09-16 22:41:56 | 食事
新しく出来た娘は休みの日になると必ずといっていいほど我が家にやってくる。
式の準備のためいろいろと打ち合わせや作業を行っている。
昼前になると
「おとうさん、おかあさん、さあ行きましょう」
と言って私たちを連れて行ってくれた。



ホテル日航の裏手にある洒落たビルに連れられて来た。
エレベータで4階まで上がる。



その一角にレストランはあった。
窓際の席に通され、外を見ると熊本城が展望できる。
あいにくの雨模様だが室内は賑わっていた。
予約していたようで席につくなり飲み物と前菜が出てきた。
そう、今日は妻の誕生日なのだ。
息子と彼女が妻の為にフランス料理をセッティングしてくれたのだ。
あいにく息子は仕事のため来れなかったが、彼女が料理や雰囲気を写真に撮って息子に送っているようだ。



濃い目のかぼちゃのスープに魚料理、妻は赤ワインに彼女は生ビール、私はウーロン茶で過ごした。
前菜のサーモン、濃厚なかぼちゃのスープ、鯛のムニエル風料理は魚のうまみを上手く引き出した料理だった。



肉料理は豚のロース、香ばしい香りとかりっとした食感、そしてしっかりとしたソースでバランスがとても良い。
この頃アルコールを飲まない分料理の味が楽しめるようになった。
最後のデザートが出てくる頃には妻にメッセージが届いた。
店からの粋な計らいだった。



デザートを食べる頃には妻の顔もワインがきいてきたのか赤らんでいた。
そして若夫婦からプレゼント、シャネルの香水だった。
なんとも嬉しそうな妻の赤ら顔をみて微笑んでいるのだった。
しかしね、四捨五入すると・・・。
言いはしなかったが言葉に出たのは
「おめでとう」
の一言だった。

災害

2015-09-14 21:26:44 | 日記ふう
連日のように災害のニュースがテレビで流される。
朝から色々と野暮用がありお昼前に自宅に戻る。
妻が用意してくれた昼食を食べようとテレビをつけるとNHKのトップニュースで阿蘇山の噴火のニュースをやっていた。
そういえば今日の天気は晴れとの予想だったがうす曇の天気だった。
ひょっとすると噴火の影響か? と思ったが熊本市内からは東に40km以上も離れている。
関東に住む親戚からはニュースを観たのだろう、メールが入っていた。
噴火の様子を映し出す映像は確かにもの凄いものだった。
草千里辺りではもの凄い迫力だと思うが40km以上も離れたところでは遠くの山に噴煙が見えるくらい。
実際外に出て阿蘇方面を眺めたがうす曇の影響か噴煙は見えなかった。
ある用事があり久しぶりにリュックサックにノートパソコンを入れ持って行かなければならない事になった。
いつも入れている一眼レフカメラを取り出すと・・・。



液晶が割れていた。
阿蘇山の噴火で噴石が・・・そんな事は無い。
右手の痛みで一眼レフカメラなど使える状況ではない。
リュックサックに入れたまま連れ回し、何かにぶつけたのだろう。
ああ、思わぬ災害が我が家にも来てしまった。
保険には入っているが液晶となると保険はおりないだろうな。

彼岸花

2015-09-12 18:09:37 | 季節の花
堤防の道沿いに彼岸花を見つけた。
もうハーフパンツに半袖シャツでは寒くて、長袖のジャージに着替えた。

ここ数日、朝のテレビでは茨城や宮城の大雨のニュースを放映していた。
まるで東北の震災の時のような映像だった。
今回、町内会の集まりで市の防災担当の人が来て講習会があった。
テレビで映される孤立した人たちをヘリコプターで救出される映像を見ながらあの講習会の話を思い出す。
逃げ遅れて災害にあった人の38%以上の人が「まさか自分が災害に遭うとは思わなかった」と答えるという。
<正常化の偏見=事態の深刻さを低く考え、自分を落ち着かせようとする心理的特性>だそうだ。
避難勧告が出ても避難しない理由、私も多分そう行動するだろう。
そして今日は都心での地震のニュースが流れていた。
地震は突然来るが台風や大雨はある程度予想される。
予想されるが行動は別ということだ。
熊本市内も白川という天井川が流れている。
他人事では無い、「まさか自分が災害で死ぬとは思っていなかった」では笑い話にもならない。



さて右手のギブスのおかげで不自由な生活を送っている。
箸も持てなくなったので左手を使って器用に食べている。
さすがに文字は書けないが、食事その他はなんとかなっている。
妻は幼稚園の時まで左利きだったそうだが両親の教育方針で右を使うようになったそうだ。
今私の前で左手で一緒に食事をしているがどうも私の方が上手いようだ。
日常生活の中でも左利きの人に不利なものを発見(発見というか実感だ)した。
たとえばカメラ、どのカメラ(コンデジ、一眼)もシャッターは右についている。
一番大事なシャッターを利き手の反対の手で切らなければならないわけでそれだけでも不利のように感じる。
そしてパソコンもそうだ。
今のノートパソコンはフルキーボートの右にテンキーがついているタイプのヤツがある。
あれは使いづらい気がするがどうなんだろう。
マウスにしてもそうだけど、まあマウスは左に持ち帰ればなんとかなるか。
クルマの運転は特に問題は無い。
しかし乗り降りの時に気をつけないと痛い事になるので注意している。
パーキングブレーキが左なのでこればかりは助かっている。
ギブスで固定するするのが良いのかは良くわからないが、今のところ痛みも腫れも変らないようだ。
変ったのは季節の花と朝夕の冷たさぐらいか・・・。

手の痛み

2015-09-09 20:58:37 | 日記ふう
今年の1月だったか右手に痛みが走り苦しんだ。
握力検査で力を入れすぎ腱を痛めた事が原因だったと思う。
痛みで一日中痛み止めを飲んでいた。
特に夜中に痛み止めが切れてあまりの痛さに飛び起きることもあった。
痛み止めの薬は胃に負担がかかる(胃袋に穴があく事も)ため6時間以上服用を空けなければならない。
薬が切れるのもその時間帯と同じなので寝る時間と起床時間を考えながら服用していたことを思い出す。
当然そのときも整形外科に行き診察はしてもらった。
私なりに腱鞘炎と思っていたが医師からは病名に関して何も無い。
レントゲンを撮り骨に異常が無いということでシップ薬と痛み止めが処方されるだけだった。
ひどい痛みは1ヶ月ほどでとれた。
脚の方はウォーキングやジョギングで少しずつ筋力をつけるようなことをやっていた、しかし手のほうは運動らしいものはしていなかった。
それで痛みが薄れたいた状態でダンベルで筋トレを始めた。
それと昔やっていたボウリングを始めた。
最初はハウスボールの軽いので3ゲームほど投げていたが、物足りなく思い、16ポンドの競技用のボールで投げるようになった。
これがいけなかったようで再び右の指先から肘、肩までの筋を怒らせてしまったのだ。
ほんとにバカだった。
それで再び違う整形外科に行った。
同じようにレントゲンを撮られ念のためにリュウマチの検査(血液検査)をしたが両方とも異常なしだった。
処方されるのはシップ薬と痛み止めだった。
何回かそこに通ったが指の腫れはひかず肘や肩まで痛みが続く。
暖めたが良いのか冷したら良いのか、シップして刺激を与えるのが良いのか、ストレッチや運動をしたほうが良いのか安静にしていた方が良いのか、医師に尋ねるが返事は無い。
ネットで手の専門医を調べると近くにあったのでそこを受診した。



問診表に過去2回の受診結果と現在の状況を書いて出した。
医師との受診の前にレントゲンを先にとるという。



しばらくして診察室に入ると右手のレントゲン写真が2枚出ていた。
しばらく待たされ白髪の医師が写真を見ている。
何も喋ろうとしないので経過を説明した。
「僕は16ポンドを投げるけど、あなたは何ポンドを投げるの?」
と聞いてきた。
握力測定やボウリングでこんな事になることは無いと言う。
どうも腱鞘炎では無いのかも知れない。
なんとかという可能性があるのでギブスで一週間固定するという。
病名は聞き取れなかった(聞き取れたのかも知れないが難しい名前だった)。
血液検査のため採血された。



見た目にはいかにも重症の患者になってしまった。
食事をするにも風呂に入るのにも大変な日々が始まったのだ。

女心と秋の空

2015-09-08 20:57:12 | ジョギング
季節の変わり目というのだろうか、猛暑の夏からいきなり寒いような秋になった感がある。
9月に入ってからも気候の変動というのか大気が不安定というのか安定した日が少ない。
朝からの雨ともなるとなんだか一日がもったいないような気がする。
前回の町内役員会で、朝からのラジオ体操組みと話をしていると、ラジオ体操のテレビ取材があったそうだ。
前から話は聞いていたがラジオ体操の参加者に近くのテレビ局のアナウンサーという方が時々参加されていると言う。
その関係なのだろう。
雨のためか取材の日には私はいなかったので具体的にはわからない。
ただTKUの「みんなのニュース」という夕方の番組ということだけはっきりしているようだ。
すでに放映されたのか、まだ放映されていないのか、没になったのかはわからない。
話がそれてしまったが、朝の散歩が出来ないときはクルマに乗って運動公園のパークドームに向う。



完全にドームになっているので全天候というわけだ。
陸上競技の特徴というのか自然に習っていてそうなるのか皆さん台風と同じ左回りが原則のようだ。
一週400~500m(ドームの内側と外周)をもくもくと歩く。
同じ場所をもくもくと歩くので退屈になる。
そこで少し走ってみる。
4週から5週も走ると息が上がる。
それを3本くらい、右手の痛みも加わるのでそのくらいで止めている。



午後から晴れた日には菊陽町の杉並木公園に出かける事もある。
ここには広大な芝生の広場が道を隔てて2つある。
菊陽町はなかなか豊かな町のようで公園内の芝生の管理も行き届いている。



坪井川遊水公園の人海戦術ではなく大型の機械で芝刈りが行われている。
この日も芝刈りが行われていた。
ここには遊歩道が完備されていてそのコースを一週すると1kmになるようになっている。
台風の影響で倒れた木々の運び出しや、折れた枝の後片付けが行われていた。
女心と秋の空と良く云われるが、不安定な気候の時はそんな感じで過ごしているが、早く安定した秋晴れの日が続く事を願っている。