打越通信

日記ふういろいろ

北の都

2017-07-30 21:09:52 | 日記ふう
暑い日が続いいる。
週末の金曜日はとうとう眠れずにウトウトしたまま朝を迎えてしまった。
そう書くと暑さのせいで眠れなかったように聴こえるがそうではない。
クーラーが苦手という訳ではないが、寒くてしょうがないくらいだ。
低血圧でガリガリの体形の人間にとっては夏用の布団でくるんでもいつの間にか震えているのだ。
寝る前にタイマーを入れて眠るのだが、いつのまにかクーラーはつきっぱなしになっていることがある。
同居している人がトイレに起きた時にでもつけるのだろう。
そんな同居人が何を思ったのか北九州に行こうという。
こんなに暑いからちょっとでも北の方に行けば涼しいといった発想なのかもしれない。
いやいやそうではなくて、サッカーの試合などを見に何度か小倉や門司港に行くうちにどうも気に行ったようなのだ。
私としては仕事で長期にわたりホテル住まいをしながら苦い思い出のある地だったところだ。
電車で行くか、クルマで行くかと問うてみると「暑いからクルマ」と即答だった。
一眼レフカメラを用意し、クルマに乗り込む。
音楽(アシュケナージ)を聴きながら助手席でくつろぐことが出来た。



クルマは飯塚、田川経由で小倉の街中に入る。
勝山公園内の図書館に駐車した。
ここだったら駐車代が浮くかな、との考えだったが甘かった。
図書館利用に限り1時間内での利用条件だった。
まだ早い時間だったので図書館で時間を潰し、クルマを移動し街中のコインパーキングに入れた。
目的は「松本清張記念館」と「マンガミュージアム」だった。
街中の居酒屋(夜は)のような食堂で食事をとった。
本当は名物の「糠味噌炊き」が目的だったがいつも行く店は閉まっていた。
固い固いハンバーグだったが腹が減っていたせいか完食だった。



小倉駅の新幹線口に向かう。



マンガミュージアムは初めてだったが若者に人気のようで賑わっていた。
すっかり秋葉原のようにコスプレした若い女の子たちも見受けられた。



ビル全体がマンガ(いやいやアニメだ)一色に包まれた異常な世界だった。



ビルの最上階まで登ってみた。
そこはシアタールームのようでマッピングによるイベントがあるようだが今日は何もないようだった。
5階が漫画ミュージアムのようで入場券(400円)を払って中に入ってみた。
郷土出身者の松本零士の生い立ちなどが展示されていた。
作品も展示があり、「宇宙戦艦ヤマトより」は代表作で誰でも知っているが、私としては「男おいどん」に親しみを感じた。
学生時代に貸本屋で借りて良く読んでいた。
年代別に漫画の歴史が展示されているコーナーがあった。
サザエさんの初回本、鉄人28号にエイトマン、巨人の星など懐かしい本の展示もあった。
その先は図書室になっていてかなりのマンガ本が読めるコーナーになっていた。
読みたい本を探すのが面倒なのでパソコンで何冊か調べてみた。
蔵書室と出てきて展示コーナーには無いようだった。



しばしそこで時間を潰し、外に出た。
北の都(九州の)は涼しいどころか漫画で熱いように盛り上がっていた。

夢のような話

2017-07-28 21:12:48 | 日記ふう
博多に出てきた理由の一つに子育ても終わり親の介護も終わり、やり終えた末の解放というのもある。
やっと子供たちが巣立ち、やっと解放されたかと思えば親たちの介護が待っていた。
今まで愛情を持って育んでくれた両親の老いていく姿は辛いものがあった。
両親の介護を巡って夫婦仲は最悪の状態まで悪化したのは言うまでもない。
親父の後を追うように母が亡くなり、3年間ばかりは何もする気が無くなってしまった。
体調を崩し長期入院、そして療養だった。
ふと気づいてみると一年一年と状況は様変わりをしていた。
子育てと両親の介護も終わり、気が付けば長男の結婚という新しいステージが始まっていた。
就職の話があったとき、この先2,3年は気楽に遊ぶつもりで福岡に出てきたのだった。
仕事がきつければすぐにでも辞めても良いし、面白くもなければ辞める事はできる。
そんな気楽な気持ちで福岡に出てきたわけだ。
仕事が無くてもすぐに困ることは無いし、再び働く気が出れば働くも良いし、とりあえず前に進んでみようと思った。
ふたたび社会に出てみると、これまた一風変わった組織だった。
郷に入らば郷に従えの言葉もあるようだが、朱に染まれば・・・という言葉もある。
嫌で嫌でしょうがなかったが月日はあっという間に流れてしまっている。
この先どうするのかははっきりと決まっているわけではない。
しかし福岡にこの先住むという選択肢はないだろう。
熊本に戻り近所の仲間たちとワイワイと楽しんで暮らすも良いし、実家に戻り自然豊かな緑と海の中、読書と音楽とゴルフに釣りという田舎暮らしも捨てがたい。
そんな些細な夢を見ながら天神の街中を歩いていると家具屋の店頭に引き込まれる。



熊本の自宅を改装し、またまた実家の内装を全面的にやりかえるでも良い、そんな光景を思い浮かべながら家具を見るのは楽しい。
デザインだけでなく、しっかりとした家具はやはり高い。
高いがそれなりの価値はありそうな気がする。
家の図面(改装後の)も引かなければならないが、それに置く家具も需要なものになる。



などと言ってはみたものの、先立つものが無ければ絵に描いたなんとかだ。
はかない夢で終わるのか実現できるのか・・・それは誰にもわからない。
当の私にもわからない。


体質

2017-07-27 21:10:45 | 日記ふう
軽い食事制限をしてはいるが量はそんなに少ないわけではない。
夏バテすることもなく、朝からもパンを2斤とサラダにハムなどをモリモリ食っている。
昼は今は弁当ではない。
外食が多くなってきた。



うどんや丼ものが多いがきちっとした定食も食っている。
夜も肉類や魚類もあるが脂ものを控え、野菜が多くなってきた。
息子夫婦と食事に出ればやはりグリル風の料理や焼き肉などが多い。
そんなときは付き合って脂っこい料理も頂くがあくまでも普通ではない。
ノンアルコールビールが今一番のお気に入りで、会社の連中と飲みに出ても5,6本は付き合うようになった。
酒を断って、これだけはというか、これがあってくれて本当にありがたいものだ。
今の段階でカロリー制限はいたし方無いのだが、一日の摂取カロリーも2000前後じゃないだろうか。



我が家の家族を見渡せば、親父は体格は良かった、ふっくらとした体形だったし良く食い良く飲んでいた。
しかし体脂肪となるとそんなには無かったようだ。
おふくろは背も小さかったが体重はまるでオリーブのような体形でがりがりだった。
それでも運動は好きなようで毎日ウォーキングを欠かせないような人だった。
兄妹は男は私だけだったが20歳の頃の体重(50kg)に戻った。
戻ったというのはある時期非常に肥った時期がある。
体重は70kgを超え、今まで着ていた服が全く着れなくなった。
これはいかんとジョギングを始め、一時期はランニングハイ(中毒ですな)を求めてひた走りに走った時期が10年ほどあった。
そのダイエットのおかげかどうかわからないが20歳頃の体重に戻ってしまった。
体質からいうと母親に似てしまったんかも知れない。
男としてはもっと体重を増やし、貫録などをつけたいものだが、どうも無理のようだ。



この頃、再び体重が減ってきた感じがする。
食ってはいるのだが摂取カロリーが足りないのだろうか。
これで夏バテでもしようものならさらに体重が減っていく。
これだけは死守せねばならぬ!

いつかはクラウン

2017-07-23 21:45:21 | 日記ふう
2年半の車両点検となった。
3年間の安心パックの最後の点検ということになる。
ということは、年明けには最初の車検を迎える事になり、車検を受けるか下取りに出して新車を購入するかということになる。
妻としては私のクルマという思いがあり車検を受ける方を採るのだろう。
福岡に持ってくる気はなかったがマンションの入居条件が駐車場込というもの。



今のクルマも私たちと同じようにマンション暮らしをしている。
夫婦で乗る分は良いのだが、ほかに人を乗せたりする場合にやはり狭い。
一番の欠点はゴルフバッグ(キャディバック)が横に積めないことだ。
点検をしている間にほかのクルマのカタログを見ていた。
さっそく「ゴルフバックが積める」というキャッチコピーを見つけ、苦笑いをしたのだ。



今のクルマを買ったのは私が入院していた時だった。
そのころ乗っていたパジェロIOが10年超えの車検が迫り、エンジンを支えるクッションのようなものを交換しなければならなくなり、修理費などを含むと30万円を超える車検代がかかると言われ、買い替えを考え出したのがきっかけだった。
そのころのパジェロも燃費が良くなく、世の流れがハイブリッドや燃費の良いクルマを求める頃だったのでメーカーも後継車の販売をやめてしまった。
後継の車種としてはPHEVのアウトランダーというクルマがあった。
試乗もしたし完全な電気駆動ということもあり新しいクルマの感覚として私としては気にいっていた。
しかし少しデカい事(自宅の車庫に入り切れなかった)と価格があまりにも高かった(確か400万円を超えていた)こともあり断念した。
それでマツダのCX-5やまだ発売されていなかったがCX-3を検討していた。
しかし試乗してみてやはりジーゼルの癖というのが以前乗った事もあり嫌だった。
次の候補はホンダのビゼルだった。
価格も手ごろで燃料タンクが床下の配置されているので室内空間が広くかなり気に入っていた。
まあそのころはパジェロに愛着もあり修理して乗る方向で考えていたので買い替えは二の次で考えていた。
そこへ妻の横やりが入ったのだった。
私が入院中ということもあり、息子を連れてほかのクルマをいろいろと試乗までして検討していたのだ。
すっかり今のクルマに取りつかれたように話が進んだ。
試乗してみてハンドルの切れが良くキビキビした動きに納得させられたのだった。
しかしあまり納得はしなかった。
それで3年後は私が欲しいクルマを買うということで決定したのだった。
あれからあっという間に3年が過ぎようとしている。
息子もアウディやプジョウなどと色々と物色していたようだが、結局、黒色のプリウスで決着した。
「何度か間違って(タクシーと)手を挙げられた」
と苦笑いしながらもなかなか気に行っているようだ。
「いつかはクラウン」という男たちにとって憧れのようなキャッチフレーズがある。
今、若い人たちのクルマ離れがあるという。
クルマそのものが欲しくないと言っているのだから完全な死語なのだろう。

とりとめもなく

2017-07-21 21:29:52 | 日記ふう
体調はすこぶる良い。
気分的にはへこんでいたがだんだんと上向きつつある。
ただ物事が少しずつ動いてきた。
良い事ばかりではないが、停滞してどっちつかずの状態よりはずっと良い。
大きくは3つあるが今は言うべきではないと思っている。
何れにしても見切りをつけなければならない事で、今まであまりにも曖昧にやり過ごしすぎていたようだ。
まあどれも覚悟というか、ある程度想像してきたことなので悲しもうが苦しもうがしかたないと思っている。
そういう意味ではあっさりとしたものだ。



早朝の住吉神社は風鈴の風情ある音色と最近までは茅の輪くぐりの「なごしのはらえ」が行われていた。
律儀なことに参拝に来る人々は右に何回、左に何回と礼をしながらくぐっていた。



そういう私も今の病気と闘っているわけでそれはそれは真剣にならざる得なかった。

通勤の途中に自宅近くに行列を成す店があった。
毎度その店を通りながら何の店だろうと思っていた。
ある日、妻に手を引かれ連れて来られた。
店に入って初めて知った。
妻がこよなく愛する担担麺だったのだ。



何だこんな事かと冷やし担担麺を頼んだ。
一口食って「これは!」と思った。
博多名物の水炊き専門店がやっている店だった。
鳥がらベースのスープに驚いた。
担担麺の辛さと絶妙な絡み具合だった。
食ってはいけないリストに入る部類だが、これはやみつきになりそうだ。

呼子

2017-07-17 18:00:00 | 小旅行
博多祇園山笠の次の日は父の5回目の命日だった。
山笠から帰り実家の水俣に帰る予定でいた。
しかし体調(というか気持ちのほうが)に頑張りが出なかった。
次の日は久しぶりに熟睡が出来き、爽やかな目覚めだった。
それでも精神的に参っており実家に帰り一泊して帰ってくる元気はなかった。
父と母の位牌と遺影に深く頭を下げた。
「お父さんの好きだった海でも見に行こうか。運転は私がするよ」
珍しく妻が言う。
ナビに「呼子」と登録して道を進む。
唐津を過ぎてもナビは妻の実家のある佐世保方面を案内する。
おかしいなとナビを確認すると長崎県の呼子を登録していた。
佐賀県呼子を再登録してクルマは回れ右をして今来た道を引き返した。
呼子大橋の手前で休憩する。
案内板に呼子大橋の下に弁天島(弁天神社)があるようで遊歩道のようなものがあるようだ。
海べりまで降り、小さな橋を渡り小さな瀬のような所に来た。
そこで子犬を連れた夫婦と水遊びをする家族がいた。
子犬は水を怖がる様子もなく水辺まで行き、波が来るたびに後ずさりをしながら遊んでいた。
家族連れは浮き輪を浮かべそれぞれに気持ちよさそうに浮かんでいた。
しばらくそんな光景を見ながら海を見ていた。
さすがに夏の日差しは強いが、浜風が気持ち良かった。



呼子大橋を渡り加部島(かべしま)の風が見える丘公園に行った。
その高台にある公園からの眺めは良く、呼子大橋や呼子の街中が見渡せる。
反対側にはきれいに整備された畑、その先にいくつかの島が見える。
それからが大変だった。
ナビを頼りに島を一周しようと試みたが、何度も何度も同じ場所をクルクルと回る羽目になった。
なんとかそのループにような所から抜け出し、島の最先端に到着した。
クルマを道端に置き暑い夏の日差しの中をしばらく歩いた。
すると海べりに青々とした牧草地が見えてきた。



細い道をずんずん歩いて行くと牛たちが放牧されていた。
ここだけは別世界のような所だった。



海を見るといくつもの島や瀬が見える。
呼子にこんなところがあるとは思いもしなかった。
しばらく感動しながらも再び大橋を目指し2度ほどのループしながらも大橋を渡った。
呼子の街中は物凄い渋滞になっていた。
呼子名物のイカ刺し料理店はどこも大勢の人(クルマ)であふれかえっていた。
道の駅のような所がありそこにクルマ停めて街中をブラブラする事にした。



漁港を歩いているとあちこちにイカが干してあった。
地元のおばちゃんが干しあがったイカを取り込んで、新しいイカを干していた。
朝一が有名なところだが、昼間でも市は出ていた。



体格の良い相撲取りのような男たちが出店を取り囲んでいた。
Tシャツの文字を見ると「中州流れ」の文字が見えた。
追い山の翌日とあり、慰安のための団体のようだった。



クルクル回わるイカ干し機の前でイカを指すおばちゃんが言う。
「一度に200杯させるんですよ」

何度も来た事のある呼子の街だったが、こんなにゆっくりとしたのは初めてだった。
私としては良い気分転換になったのだが
「イカ料理は?」
と妻は嘆いていた。

追い山

2017-07-15 21:07:58 | 写真投稿
朝3時過ぎ目が覚めた。
山笠の追い山の日だということは知っていたが、行こうか行くまいか迷っていた。
何故かというと人が多くて混雑するところは苦手だからだ。
4時過ぎに家人も起きて来たので思い切って出かけることにした。
美野島を出ててくてく歩いていると住吉神社あたりから人の数が増えてきた。
キャナルの横を通り「かろのうどん」あたりでは交通規制がされていて人ごみが出来ていた。
とても最前列に行くことは出来ない。
川端商店街入り口の横から櫛田神社に入った。



神社に入ると出店が並び多くの人で賑わっていた。
境内の場所図を探し見物場所を探したがどこにも人の輪が出来ていて後方から見るしかなかった。

初めて山笠を見物したのは、社会人になって静岡県のリゾート施設(妻恋)で研修を終え、福岡で3ヶ月間のメーカー預かり研修のときだった。
メーカーの人に誘われて一緒に行った。
その時はすぐ目の前を山が通って行った記憶がある。
もう数十年も前の事だ。

博多に住み2度目の山笠だが、追い山見物はあれ以来の事だった。
取った場所は山留めの近くだった。
肉眼で見る男たちの顔は真剣で凄みがあった。
しかしカメラで見えるのは人の頭とスマホを頭上にあげた手だけだった。
あららと思いながらも一眼レフを取り出しライブビュー撮影に切り替えた。
1番山のスタートが近づきカメラを頭上に高く上げ撮ってみたが観客の手と頭とスマホしか映っていない。
場所を変え格子戸の隙間から狙う。
斜め撮影が出来ないため正面に狙いをつけ、山が通る瞬間を狙った。
ISOを最大にあげて撮ったがシャッタースピードが遅すぎて山がぼけてしまう。
山がくるたびにシャッターを押していたが一枚だけ突然横からスマホが現れた。



ピントが合ったスマホにピントが合った山が撮れた。
格子戸の隙間から山が回る様子を撮ろうとしたがポールや格子戸が邪魔になる。



格子戸から覗き見するような写真しか取れなかった。



櫛田神社を出て川端商店街を抜け昭和通りに出てみた。



昭和通りは交通規制が敷かれ遠くに過ぎ去った流れの後ろ姿があった。



反対側の車線では街中を練り歩く神輿の軍団が通っていた。
時計を見ると6時前だった。
すっかり明るくなった道を自宅に向かった歩いて帰った。

夏本番

2017-07-13 20:34:44 | 日記ふう
低空飛行を続けているなか生活して行くのはちょこっとつらいものがある。
徐々にではあるが気持ちも上向きになりつつあるような無いような(相変わらずか)
こんな時は物事をあまり良くとらえる事が出来ず、悪い方にばかりとらえてしまう。
何か集中することを見つけなければならないのだが、なかなかそれすらできない。
読書もパラパラで頭に入ってこない、音楽もどこ吹く風のように聴こえ、仕事に至っては何をやっているのかすら理解できないのだからかなり重症なのだ。
難しい問題はとても考える事など出来ない、というか元々そんな資質はないか。
まあ食い物だけはなんとか食っているが野菜中心で元気の元にはなっていない。
人と話すのもめんどくさい。
もともと人の好き嫌いが激しいようで、それなりには付き合いはできるのだが内心とは違う。
しかし今のような精神状態ではその内心が透けてしまいそうで怖いところがある。
人間関係は難しいもので、相手の気持ちに沿うようにすれば逃げて行くし、引けばそれまでだし、なかなか面倒なところがある。
人間関係の難しい所だろう。
人も素直に自分の気持ち通りには動いているようでは無いようで、それがまた悩みとなり人間関係は崩れていく。
崩れないようにとまた苦悩する。
繰り返しながら深みに入っていくのだ。
なかなか素直になることは難しい。
いやいや素直になるのが怖いのだ。

と、今の精神状態ではこんな感じで悪い方にばかり傾いて行くのだ。



豪雨が過ぎて一気に夏になった。
早朝の公園でも蝉の声が聞こえだした。
さあいよいよ夏本番だ。

おっしょい

2017-07-12 21:08:42 | 写真投稿
博多の街は飾り山笠が登場し15日の追い山を迎えようとしている。
博多に来て1年と4ヶ月が過ぎようとしている。
熊本地震から始まり博多駅前の陥没事故、真昼間の現金強奪事件や金塊の密輸など物騒な事件が多かった。
そして今回の九州北部豪雨だ。
いろいろな事が次から次へと起きる。
でも宗像・沖ノ島と関連遺産群の世界遺産登録など明るいニュースもある。

個人的な事では息子夫婦が結婚2年目を7月7日に迎えた。
その翌々日は嫁の誕生日だった。
ささやかな祝いの会もありシクシクと時間が流れる。



時の流れの速さにただただ驚きを持って身を縮めるしかない。
今年もハーフターンが過ぎた。
ひとつの所にじっとしていられない性分ではあるが、今は低空飛行の状態でどうにもならない。
何れ上昇気流に乗るのか、はたまたこのまま墜落してしまうのか、いやいやこのまま低空飛行のままなのか、まるで株価のような人生なのだ。
こんな時は時勢を冷静な目で見て判断するしかない。
何れの結果が出ても大丈夫なように準備は必要だ。
ただ山笠のように「やるぞ!」といった気迫だけは持っておかなければならない。

緑の安らぎ

2017-07-10 20:22:48 | 日記ふう
気が付けば7月ももう10日が過ぎた。
体調の方は特に問題なく過ごしているのだが、気持ちの方が低空飛行を続けていて長期のスラップ状態に入っている。
時期はあれから(2度目の入院)だからかれこれ一月半にもなる。
何事にも気怠さがあり投げやりであり、特に人間関係が鬱陶しくてしょうがない。
生活自体は特に変わった変化はないが、仕事を終えて帰宅するとぐったりとしてしまう。
そんな中、週末は熊本に帰省した。
ちょっとした用事があり本物の自宅(というのも変かな)に一泊で帰った。
九州北部豪雨の最中でもあり、甘木や朝倉方面を避け久留米や柳川方面の道を選んだ。
久留米柳川方面もそれなりに大雨の影響があったのだろうが被害の状況は聞かなかったからだった。
久留米市内を流れる筑後川もそれなりの増水したのだろうが流木とか流された木片などが散らばっているといった光景は見られなかった。
有明沿岸道路を通り荒尾玉名を抜け熊本市内に入った。
熊本市内も1年と2か月ばかり離れていたのだが、熊本地震の影響の影響もあったのだろうが少しずつ変わっていた。
北部方面には新しい道路が開通しており、地震の影響で空き地になっていた場所に新しい商業施設が出来ていたりと変化を見せていた。
自宅の戻ると庭は相も変わらず雑草がはびこり、庭木が大きく茂っていた。
息子夫婦には、庭は私が帰って来たときに綺麗にするからそのままにしてて良いよ、などと言っていたので忠実に約束を守ってくれていたようだ。



半日かけて芝に変えた雑草を抜き、芝刈り機で芝を刈り綺麗にした。
福岡に住んで出来ないことなので、それはそれなりに楽しかった。
しかし蚊の大歓迎に会い体中にいらだつような歓迎を受けた。
アジサイも去って百日紅の木を見ると、枝振りが少ないことに気が付いた。
5月から6月にかけての少雨の影響なのだろうか。



生い茂った木々に鋏を入れ余分な枝を切り落とし、まあまあすっきりとした庭になった。
こんな些細なことが気休め(落ち着き)になるのだから不思議なものだ。
緑の囲まれた生活がこんなにも落ち着くものなのかと毎度毎度の帰省で思うのだ。
しかし更に南に位置する実家の事(草刈の)を考えるとうんざりするのだった。

虹に願いを

2017-07-06 20:25:33 | 日記ふう
NHKのニュースでは時間を拡張してまで北部九州の大雨の情報を流している。
ニュースの途中であってもテロップで次々と警報が流れている状態だ。
1年前の熊本地震の時を思い出した。
それだけ異常な状態なのだろう。
福岡市内は落雷が激しかったようで、早くに眠りについたので朝起きて妻から聞かされた。
いつも通りに出勤の支度をしていたら、珍しくテラのオヤジから電話があった。
ちょっとした用事を頼まれ、それの報告のようなものだった。
熊本も大雨だったようで、こちら福岡の状況をニュースを見て熊本より大変なことになっているのかと聞いてきた。
そんなことを話しながら電話を切ると、今度は会社から連絡が入った。
どうもパソコンが繋がら無いようで、サーバーの情報が見れないようだった。
昨日の落雷の影響なのかと早めに出社した。
原因はHUBの電源が切れていた。
落雷の影響なのかどうなのかは不明だが、電源を入れなおして復旧した。
サーバーが心配でWindowsのログを調べたが特に異常はなかった。
たぶんUPSが働いて瞬間的な停電や異常な電圧から守ってくれたようだ。

7月に入りなんとなく毎日が過ぎて行く。
休みの日に1か月健診(通院)のため病院に行った。
時間がかかるだろうと一日を予定していたがあっさりと1時間ばかりで済んでしまった。
基礎的な数値は異常なく、特に今飲んでいる薬についていろいろと質問を投げた。
その中でやはり血圧が低いことが医師にとっては気がかりのようだった。
過去の数値を見ていたが100前後で経過していて、中には80台の数値もあるという。
立ちくらみなどを心配していたようだが、いまのところはそれは無かった。
けだるさを口にすると、それと薬の影響はないような事を行っていた。



朝からの公園行は続いている。
近頃はゴルフクラブを持って公園で素振りを開始した。
ボールも持って行き、朝の早いうちにアプローチをしている。
公園の芝生もこのところの雨の影響ですくすくと成長し、みるみると青くなっている。
何せ狭いアパートの一室では気がめいるので早朝のこの時間帯は最高の時間となっている。
いつもランニングに来る人(あまり愛嬌はよろしくない)から今日は珍しく声をかけられた。
遠くの空に虹が出ているという。
その人の言う所までさがって空を眺めるとうっすらと虹が出ていた。
無愛想なオヤジと2人で肩を並べ早朝の空にかかる虹を見る。
パンパンと柏手を打ち豪雨の被害が無いことを祈って一日が始まった。