打越通信

日記ふういろいろ

想いは

2020-05-31 19:20:51 | 熊本の風景
九州地方も梅雨に入ったようだ。
今日で5月も終わり、明日から6月に入る。
新型コロナの影響で県を超えての移動が禁止されていると聞く。
ネットで調べてるも九州各県の対応ははっきりとわからない。
6月1日には解除ともあるし、6月19日までは継続ともある。
熊本への帰省もすでに3か月以上途絶えている。







坪井川遊水池公園のひょうたん池の睡蓮の花、画図湖のチョウの写真、金峰山の野草の写真、仙酔峡のミヤマキリシマの写真など眺めながる日々だ。
火の国、水の国、森の都(夏目漱石)といわれるが、熊本の事を思うとやはり緑の多さを感じる。

熊本自宅の芝生の事、実家の庭の雑草や畑の事などに思いが走る。
しばらく自粛するしか無いようだ。

熊本は今日も暑かった

2018-08-15 22:41:45 | 熊本の風景
盆休みの4日間は熊本の自宅で過ごした。
直射日光が降り注ぐ中、庭の草取りや芝刈りで過ごした。
庭木も元気いっぱいで特に松が覆い茂っていて、これだけは手のつけようがなかった。
もっと涼しくなってからでないと長時間の作業は無理のようだ。
それでもハナミズキや終わってしまったアジサイなど切り込んだ。
例年より少し遅めだったが百日紅のピンクの花もきれいに咲いていた。
休憩を入れながら、こちらは持ってきたハードディスクから逆にCDを焼いてオーディオで鳴らしながら楽しんだ。
やっぱり自宅は良いもので1泊2日のトンボ帰りとは違い、ゆっくりと過ごすことが出来た。
ジローさん夫婦も元気だった。
息子のテル君も四国から里帰りしていて、一晩だけ食事にお誘いがあった。
ヒトミちゃんの手料理もなかなかなものだった。
私たち夫婦と嫁がお世話になり楽しい時間を過ごした。
そのあとみんなでカラオケに行ったようだったが、私は日中の疲れが出ておつきあいはできなかった。
熊本市内は震災から3年目という事もあり、復旧作業もかなり進んでいた。
通町筋からの熊本城も覆いかぶされていた帽子も取れて一部天守閣も見ることが出来た。



久しぶりに街中に出た。
息子の嫁が勤めているところに出かけてみようとなった。
熊本市内で一番の繁華街の下通りは多くの人で賑わっていた。
今までもちょっとだけ街中に出ることはあったが下通りを歩くのはホントに久しぶりで通りの店も随分と変わっていた。
それでもこれだけの人で賑わっているのにはビックリしたわけだ。
嫁がいるデパートも地震の影響は感じられないほど復活していた。
嫁が言うにはクラシックサロンいうのが出来ていて、立派なリスニングルームと高価なオーディオで音楽が楽しめる場所があると云うのだ。
まあ、それが目的だったわけでそこで一時間ばかり過ごしたわけだ。

それにしても熊本市内の夏は暑い。
火の国熊本や森の都、はたまた水の都と云われるけれど、まるで温泉の上にできた町のようで蒸し暑い。
風もほとんどなく汗が噴き出てくるような暑さだ。
しかしこれが熊本らしいと言えばそうなのだろう。
故郷の熱い夏、熊本は今日も暑かった。

復興の始まり

2016-08-16 20:20:29 | 熊本の風景
娘に熊本市内で用事があり、実家を朝の10時前に出た。
熟睡だったので、早めに起きて庭の掃除もしたかったのだが、それも出来ずあわただしく実家をあとにした。
途中、叔母の家に寄りお参りと近況の報告で1時間ばかり足止めを食らった。
まだまだ積もる話があり、何度も引き止められるのを話の腰を折りながらなんとか開放された。
熊本市内で娘を降ろし昼食をどうしようか妻と話す。
福岡に居場所を移し、またまた震災後もほとんど街中に出ていない。
オークス通りの駐車場にクルマを入れ、上通りのアーケードをブラブラしてみた。



お盆休みということもあるのか、人通りは賑やかだった。
嫁に連絡をして一緒に昼食でも、と思ったが妻が首を横に振ったのでやめにした。
どこで昼食をとろうかと妻に話をすると、テラの奥さんが気に入っている店が目の前にあったのでそこに入った。
何度か来ているのだがビルの様子が少しおかしい。
その店は2階にあるのだがテナントが出てしまったようでがらんとしていた。
奥に進むと店の看板があった。
営業しているようだが前回来たときと様子は違っていた。
店内に入ると客はパラパラと座っていた。
メニューを見ると1000円でランチが頂ける。
フランス料理のランチで1000円はありがたい値段だ。
ちょっとした定食やでも今ではそのくらいの値段は取られる。
妻は魚料理、私は豚肉料理にした。
人参の冷たいスープとサラダ、パンにアル無ビール。



あっさりとした感じで満足のランチだった。
しかし、震災の影響なのかがらんとしたビルでは営業しているのかどうなのかもわからない。
ホント常連でなければわかりにくいお店だった。
下通りアーケードも所々工事をしていた。
しかし人通りは以前と変わらない様子に安心する。



この通りからも熊本城が見える。
しかし鯱と瓦がはがれた熊本城に威厳らしき姿はなかった。
通りを歩いていると店の前にカッパの銅像がある本屋の前に出た。



シャッターが閉まり張り紙は貼ってあった。
やはり震災の被害が激しかったようで、震災から4ヶ月経った今も閉店していた。



張り紙とその横には常連客なのだろうか応援のメッセージが沢山貼ってあった。
市内の本屋もなかなか品数が揃った本屋というのは少ない。
大手の本屋も郊外の巨大モールに移転してしまっている。



品数を揃えた本屋の再開を望む声に私自身も賛成だ。
通町筋まで歩いてみた。
郷土の百貨店も一部に工事用のシートらしきものが被っていたが本格的に営業を開始していた。
地震の被害はどうしようも無いが、熊本城をはじめ復興の過程を内外に示し、観光にしてしまえばこれも良いもんだと思う。

春めき桜

2016-03-15 20:47:43 | 熊本の風景
曇天で時折冷たい雨の中での博多の3日間はきつかった。
その疲れなのか、風邪気味なのか、クシャミと鼻水がひっきりなしに出ている。
頭も重く、集中力も無く一日中眠気に襲われている。
博多で一つの光景を見た気がした。
若い新入社員達は安い月給で高い住居に住み、残りの僅かな金額で、きらびやかな品物や華やかな商店街に気をとられながら生活をしなければならない。
そして高いけど、そんなに広くもない部屋で生活を強いられる。
若い地方出身者達が給料の安さに嘆いていたことを思い出す。
そんな事を思いながら、狭いながらも小さな家に帰ると、庭もあり自由な空間もそこそこある事に改めて気づく。
疲れも少しとれた晴天の今日、定期的な通院のため病院に向かう。
最後の通院になりそうだし、懐かしい病院内をしばしブラブラとした。
担当医とも最後の挨拶を交わし病院をあとにした。
ひょっとしてと思い富士フイルムの工場横の桜を見に行った。



満開の桜が工場の壁に沿い、大津街道の杉並木に沿って咲いていた。
ほぼ満開と言って良いだろう。
去年はもっと早かったような気がするが定かではない。



それでも人影は少なく、近所のおばちゃん達が会話をしながら散歩をしていた。
どこかに桜の案内板があったと想うが、早咲き桜について説明があったようだ。



正式には確か「足柄桜」といったように思う。
ソメイヨシノより1ヶ月近く早く咲き、今が見頃の時のようだ。
去年の今頃は退院の時期だった。
1年ははやいものだ、今年も少し早めに満開の桜を見ることが出来た。
わくわくとした気分、華やかな気分、薄いピンクの色がもの悲しくもある。
春が来たと思う瞬間だ。

熊本城下

2016-02-14 19:20:15 | 熊本の風景
<1800年代初め、細川家の指物師として京都より熊本へ。長崎家長男伊太郎が「静観堂」の屋号で道具屋を営む。 1872(明治5)年、学制発布を受けて、長崎家次男、次郎が書店を開業。
当時、人力車で教科書を配布したという。
「熊本県内の子供へ、一人残らず教科書を届ける」を使命としていた。>



ネットを探せばそんな歴史が見られる。



10年くらい前か、カメラをぶら下げ新町、古町あたりをブラブラした時期があった。
長崎次郎書店を始めこのあたりは熊本城下の雰囲気が残る場所として記憶に残っている。
妻と界隈を散歩した。



派手な提灯やのぼりが目につく、玩具問屋のむろやがある。
町内会の行事で使う肥後ごまを買いにジローさんと来て以来だ。
今の時期はひな人形が店の看板だろう。
店の中央に江戸時代の古地図が張り出してあった。
熊本城下を絵にした地図だった。
熊本城を中心に、新町、古町、山崎町などの町名が並ぶ。



地図の上の方を見ると、打越橋、永浦橋、瀬戸坂などの名前が載っていた。
熊本城下からは離れた場所だがこの地図には記載されていた。





ちょっと脇道に入れば昔懐かしいお店や青桐通り、吉田松花堂などあり面白い。
長崎次郎書店の復活は熊本城下を紹介する一つのポイントにならないだろうか。
こんなポイントをいくつか作り、熊本城下の観光ルートを作ればこれまた面白いと思うのだが。

長崎次郎喫茶室

2016-02-13 20:59:25 | 熊本の風景
生ぬるく暖かな雨の朝、ちょっとした用事で町中に出た。
用事も終わり、てくてく歩いて新町に来た。
創業明治7年、今年で144年にもなる熊本市内でもかなり古い建物だ。
一時期閉店していたような雰囲気だったが、近頃復活したようだ。
町中の本屋さんとしてオープンしていた。
この近くを通るたびに妻は2階の喫茶店が気になっていたようだ。
建物自体は国の有形登録文化財になっていて熊本では知らない人もいないだろう。
先ずは1階の本屋に入ってみた。
こじんまりとした店内だが、洗練された本が並んでいた。
一般の本屋のような週刊誌や漫画が並び、立ち読みの人が立っている雰囲気では無い。
目的はここではなく2階の喫茶店なので、そこで読むための月刊誌(文藝春秋)を買った。





本屋の横に階段があり、森鴎外の小倉日記の一節が飾ってあった。
明治32年に熊本に来た森鴎外が池田停留所で列車を降り、この本屋を訪れた時の事が書いてあった。
階段を登り店内に入ると、薄暗い店内に窓からの日差しが指している。



入り口には日本で一番古いオルガンが置いてあった。
とてもレトロで落ち着いた雰囲気だった。
細長い店内で窓側の席が良い雰囲気だったが空いてなかった。
軽食も出来るようだったのでナポリタンを頼んだ。



買ってきた雑誌を読んでいると、窓の外からゴロゴロと市電の音が聞こえる。
何とも落ち着いた雰囲気で居心地が良い。



ナポリタンの味もなかなか気が利いていて、普通の喫茶店とはひと味違う。
森鴎外もこの店に訪問しているが、熊本に赴任した夏目漱石も訪れている。
明治32年と言うと夏目漱石も熊本に赴任していた。
森鴎外は小倉に赴任し出張で熊本に来たと言う。
この二人、この地で合う事は無かったのだろうか?
などと遠い昔に思いを伏せる。



帰り際に、壁に掛かった色紙が目に入った。
ここ数年、ノーベル賞を期待されている村上春樹の色紙だった。

植木祭り

2016-02-10 19:50:34 | 熊本の風景
晴天が続く熊本地方だ。
午前中はいろいろと事務的な処理があり、午後近くになってから出かけた。
特にどこに行くわけでも無いのだが、平日なら割と空いているだろうと、農業公園に行ってみた。
取り付け道路から入って行くのだが、公園前に着くと駐車場は一杯だった。
案内員に誘導されるまま進むと、一番遠い駐車場だった。
過去にも何回か来ているが、周辺にたくさんある駐車場の一番遠い駐車場は初めてだった。
へえ、結構多いんだね。
まあ歩くのは運動に良いので願ってもない、などと思い歩く。
会場に着くまで20分程度歩いただろうか。
なんと人の多いことか!
しかし高齢者が90%といったところだろう。



さすがに20分も歩くと暑くてしょうがない。
ヒートテックの下着に防寒用のダウンジャケットの上着を着ているのだ。
春になり今日は最高の気候だろう。
風もなく春の日差しが暑いのだ。



会場に入りひときわ目につく大きな植木。
最優秀賞の赤松、見事な枝振りだ。
価格は135万円だったかな?(定かでない)
白梅も見事な長さに展示してあった。
しかし両方とも売約済みの札がかかっていた。
実家の畑に何を植えようか、今日はいろいろ苗木を見てみようと思っていたが・・・。



妻に手を引かれ、食い物屋が並ぶテント街へやって来た。
何も言わない先からテントの中に押し込められた。
「ここが一番安いのよ」



焼きそば350円とももの鶏からあげ350円だった。
まあ、こんなところで食うには何を食っても美味いモノだ。





当然、これだけでは済まない。
テントを出て再び食のテント街を彷徨ったのだ。
平日の春の陽気の中、公園の高台には牛たちが珍しそうに人混みを眺めていたのだ。

寒波も過ぎて

2016-01-27 21:45:22 | 熊本の風景
寒波も過ぎ今日は朝から天気が良かった。
コタツにくるまっていてはもったいないような天気だったので、用事のついでに散歩に出ることにした。
寺原という場所にちょっと用事があり、そのあたりは道が狭くてクルマで行っても駐車場に困る所だ。
家を出て市内方向に向かうバス通りを歩いているとセイのオヤジ(町内会長)が自転車で通りかかり声をかけてきた。
しばらく自転車の速度に合わせ歩き立ち話などをした。
彼は配りモノがあるようで途中で別れた。
自動車学校の裏通りを抜け目的の場所に着いた。
用事はすぐに終わり、久しぶりに熊本城まで歩くことにした。
京町台から降りたあたりに人がやっと通れるような道がある。
上熊本駅から降りてくる道を渡ると、細い道が続く。
内坪井と言う名前があるように、どうもこのあたりは坪井川が流れていた場所のようだ。
その上にコンクリートで蓋をしてある、いわば暗渠のような道だ。
しばらく歩くと熊本城の下に出る。



こんな道があったのだ。
いつもはクルマばっかりでこんな道があるとは知らなかった。
熊本城の下からは急な登り坂を登る。
加藤神社に着く。



神社は神聖で心が安まる場所でもある。
そしてこの神社から見上げる熊本城はすばらしい。
一息入れて二の丸広場に行ってみた。
相変わらず観光バスが列をなして停まっている。
ちょっと目にはわからないが日本製のカメラをぶら下げた外国人だ。
巷のニュースでは去年は過去最高の外国からの観光客数だという。
確かに旅行をすると観光名所は中国人や韓国、台湾からの人で溢れている。
熊本というと日本の中の小さな地方都市の一つでしかないのだが、ここも外国人観光客が多い。



そのあと市内の本屋さんに立ち寄るためアーケードに入る。
そこもグループ化した外国人観光客が目立つ。
お城から近い事もあり、お城見物のあとはお買い物といったコースが出来ているのかも知れない。
だんだんと晴れていた天気も雲が多くなり少し寒くもなってきたので帰宅する事にした。
それでも約3時間ばかりの運動にはなった。
明日から雨になる熊本地方、まだまだ春は遠いようだ。

青ガエル

2016-01-10 19:08:57 | 熊本の風景
2月14日をもって引退の報道がネットを始め地元NHKのニュースでも流れている。
私もこれまでに何回かカメラを持って青ガエルを追ってみた。
しかしなかなか思ったような写真は撮れていない。
正月以来あまり良い天気でもなかったし、冬眠のような生活をしていたので、久しぶりにカメラを担いで外に出た。
小春日よりのなか、上熊本駅に行ってみた。
どこか良いポイントはないかと探してみるが・・・。
上熊本駅の在来線のホームからはどうだろうか、と考えたが入場券を買ってまで入る必要もないし今度にしよう。
それより反対側の少し高い所に墓がある。
傾斜のついた坂道と階段を上ってみたが、ちょうど真ん中に電柱がありだめだった。
その横に商業施設があったので屋上まで登ってみた。



あまり期待はしていなかったが、望遠で切り取れば何とかなるかなと踏切を渡る青ガエルを撮ってみた。



歩いて池田駅の方に行ってみた。
途中もの凄い望遠レンズとカメラを何台も持ったグループらしき人たちがいた。
アマチアカメラマンだけではなく、雑誌関係のプロらしき人たちのようだ。
池田駅からトンネルを抜け打越に抜ける場所には多くの人たちがいた。
打越から津の浦への踏切付近はトンネルを抜けくる列車をとらえるには良いところだが、そこにも何人かのカメラマン達がいた。
遊水池公園を歩き、北熊本駅まで歩いてみたが沿線には多くのカメラマン達がいた。
北熊本駅にも何人かそう広くもない駅舎に何人かいた。
どうしようか考えたが再び遊水池公園から坪井川方面に行ってみた。



久しぶりに散歩をかねた撮影でくたびれたので家に戻った。
あと何日かは残ってはいるが、今日のような良い天気の日があるかはわからない。
引退まであと1ヶ月、残りも追いかけてみることにしよう。

河川工事

2016-01-07 20:46:26 | 熊本の風景
妹の家に思い出のDVDを届けに行った帰り、ふと思い出した事があった。
妹の住む家の近くの白川河川だ。
あれは2012年7月12日の<かつて経験したことのない大雨>と気象庁が発表した大雨の事だ。
あの日、事務所前の泰平橋の白川は溢れんばかり濁流が流れていた。
そのころ白川の上流の龍田町では床下浸水で家が水に浸かり、救援のヘリコプターが出て大騒ぎだった。


水害当時の写真

その後、国(市?)は白川の流れを変えるため、浸水した地区を強制的に立ち退かせ白川の流れを変える計画を立てた。
蛇行した川を直線にし、蛇行した場所を埋め立てるという計画だったと思う。



それでその現場を見に行った。
工事はすでに建物を壊し、重機によって川を作り始めていた。
大自然を相手にした大規模な河川工事だ。
白川の市内中心部も堤防のかさ上げ工事も終わっている。
それとは直接関係ないと思うが、市内にかかる子飼橋や明午橋の架け替え工事も行われている。



上流域ではこんな工事が着々と行われている。
あの水害で立野ダム建設の計画もどうなったのかは気にはなるところだ。

初売り

2016-01-03 21:51:50 | 熊本の風景
年始で佐世保までの移動で今朝は遅めの起床だった。
年末からのテレビ、年が明けてもお笑い芸人にうんざりしている。
それでも娘が帰ってきているのでチャンネルは娘の手にある。
娘も明日まで休みのようで、今日はゆっくりとショッピングをしたいという。
酒も飲まない正月なので暇でしょうがない。
昼飯でも食いに行くか。
そんな軽い気持ちで街中に出た。



まあ、人の多さにびっくり。
今どきは元旦から初売りをやっていて、正月3日ともなるとそうでもないかなと思っていたがそうでは無かった。
先ずは食事ということで、軽めの食事を求めて何件か行ってはみたがどこも行列が出来ていた。



上通りの本屋の2階にたまに行くレストランがあるので入ってみた。
ブーシーズカフェ、レストランと言うよりカフェかな、テーブル席が一つだけ空いていたのでそこに座った。
妻と娘はサラダランチ、私はラッチのセットメニューだった。
店内はもとより外のテラス席まで満席で賑わっていた。
それでも割と早く料理が出てきた。
食事を終えて、さてどうする。
妻と娘はショッピングだろうし、私もオーディオやカメラ関係をみに行きたいし・・・。
正月だからしょうがない、一緒について行くことにした。
デパートの婦人服売り場を妻と娘について回った。
福袋の販売や半額セールのワゴンセールに人が群がっていた。
デパートを出てそれから再びいろいろな店に入る。



汗が出るくらいに暑いので、着ていたコートはすべて私の手の中にある。
3時間ばかりショッピングにつき合って本屋に入って雑誌を一冊買った。
妻と娘の買い物袋にコート、途中で夕食の食材を買って我が家に戻った。

里の秋

2015-12-08 12:10:01 | 熊本の風景
あまりにも天気が良いので熊本城に行ってみた。
今年の紅葉は暖冬であまり期待できないのかも知れないと思っていた。
熊本の象徴のような銀杏の木も12月も上旬だというのにまだ青さが残っていたり、葉が落ちすでに枯れ木になっていたりと木によってバラバラだ。
しかし見頃はあと少し先なのかも知れない、と思っている。
お城の下に真っ赤な紅葉を発見した。



行って見ると小春日和の強い光に輝いてきれいだった。
さすが熊本の上級武家屋敷といわれる細川刑部邸(別名長岡刑部邸)の庭には今が見頃の紅葉があった。





平日だというのにけっこう人が多い。
ガイドブックによればこの場所に移転して30年になるそうで、その前は子飼にあったそうだ。
紅葉だけでなく松や銀杏も立派な姿を見せてくれる。
熊本城の築城当時からこの地に鎮座しているような風格もある。
熊本城も観光バスが何台も停まり賑わいを見せているが、さすがに細川刑部邸まではそんな観光客は来ないようで、落ち着いた静けさの中にある。



庭では早速、婚礼の前撮りが行われていた。
白無垢に赤い紅葉がとても似合いそうだ。



澄み切った空気と強い日差しに生える紅葉、でも写真にするとその輝きを表現できないのが残念だけど、数枚撮ってみた。
細川刑部邸は今からが見頃になると思う。
是非一度足を向けられては如何でしょう。

街並み

2015-12-04 17:43:07 | 熊本の風景
朝8時になるとテレビを切る。
パソコンを開き写真との睨めっこが始まる。
何度も何度も同じ写真を見て表情を確認する。
シチュエーションごとに写真を集めてページ毎にレイアウトを決めていく。
同じ写真が何枚もあるが人の表情は一瞬で変わっている。
そうアルバム作りをしている。
ダウンロードしたフォトブックのソフトで作っているのだ。
しかしこんな作業は2時間も集中すれば目が疲れ肩が凝って来る。
「ちょっと散歩して来る」
と言って自宅を出る。



今住んでいるところは熊本城からの京町台といわれる高台が続く所にあり、それを東の方に降ったところに山というか丘というか、そういうところにある。
打越という町名は、今の壷井川遊水公園あたりが海(湖)だった頃、その水が打ち越すという意味で付けられた聞く。
だからこのあたりの地名には、津の浦とか舟津、瀬戸坂などそれらしき名前が残っている。
いつもは壷井川遊水公園が散歩の定番なのだが、早朝に散歩するので昼間の散歩はその坂を登ることから始めている。
坂道を上がっていくと旧国道がある。
その昔、豊前街道といわれた道らしく山伏塚(熊本築城で祈祷祭の為に招かれた山伏たちがここで殺され埋められた)などの碑が残っている。
なんだか歴史の硬い話になってきたが、そういうことでなく散歩の話だ。



国道を北に向って少し行くと、両側をツツジで囲われた道が続く。
春になれば道の両側にツツジが咲いてお花の道になるところだ。
ちょっと昔までNTT研修センタなどと云ってバス停の名前にまでなっている所がある。
今では研修センターの建物も壊され、ショッピングセンタの建設工事が行われていた。



ツツジの木も取り除かれ綺麗に整地化されていた。
その横にはゴルフ練習場の巨大なポールが立っている。
変われば変わるものだ。
時代の流れなのか、固定電話の衰退というか移動通信網の発展がこうも街並みを変えていくのだ。

雨の五家荘

2015-11-14 11:35:57 | 熊本の風景
朝から雨がしとしとと降っている。
天気予報で云っていた通りになった。
釣り用のカッパとゴルフ用のカッパ、それに折りたたみ傘をクルマに積み込み妻と出かけた。
途中で娘(息子嫁)を拾い浜線バイパスに出た。
五家荘への道は砥用(ともち)から二本杉峠へ出る道、中央町から氷川ダムの横を抜ける道、宮原から東陽村を抜け五木から入る道しか知らない。
砥用から二本杉峠への道はこの雨だし、四駆で無い新しいクルマでは、と思い氷川ダム経由で入る事にした。
毎年とは言わないが今の季節何度かこの地へ紅葉狩りに出かける。
泉町の総合支所からいよいよ山に入る。
釈迦堂経由で二本杉峠を目指すがどこかで道を間違えてしまった。
細い道には枯葉が積もりスリップする。
急勾配の道で曲がりくねったところでアクセルをふかし、ハンドルが利かない危ない場面もあった。
やっとのことで二本杉峠の休憩所に着いた。
一休みして梅ノ木轟を目指す。
このあたりは紅葉が素晴らしい場所なのだが、時すでに遅し、といった感じだった。
妻と娘はつり橋をはしゃぐように渡っている。
茶小屋のご主人と話していると
「今年は温暖でおまけに肝心なときに雨が降って落ちてしまっている」
とおっしゃっていた。





ちょっと寄り道をして樅木の平家の里に寄ってみた。
またこれがすごい道で、高い山と切れ込んだ谷の細い道を進む。



平家の里ではわずかに紅葉が残っていて、藁葺き屋根の休憩所といい感じだった。
資料館のようなところがあり、入って見るとガイドのおじさんが一所懸命に説明をしていた。
思わず耳を傾け緒方家と左座家の説明を受ける。
壇ノ浦の戦いから約900年もの年月だ。
緒方家は平清盛の直系の子孫で現在49代目と言う。
平清盛の木像(ケヤキだったか檜だったか)が堂々と展示されていた。
一方、左座家の方は菅原道真の末裔だそうで大宰府天満宮とのかかわりが深いそうだ。
大宰府といえば梅、この地にも飛梅なるものが送られたという。
この2家が樅木、仁田尾、葉木、久連子、椎原の地区を支配して五家荘と言うそうだ。
全国に散らばった平家の落人でこの秘境の五家荘が何故世に知られるようになったかである。
「塩を求め海岸近くまで行った」
事で知られてしまったとガイドの人は言っている。
伝説では塩売り勘兵衛という人物がいて、塩をこの地で毛皮などに換え裕福な生活をしていたそうで、それを不審に思い問いただし発覚したとされている。
空気、水、野菜に鹿や熊の食い物には不自由しなかったが、生活にもっとも必要な塩が無かったわけだ。
この説明で五家荘のもやもやが解決した気になった。



栴檀轟(せんだんとどろ)を横目に深い山を抜ける。
この時期、天気が良いと日差しが強いのでコントラストが強い。
こんな曇りの日が良いのかと思ったが、山の靄(もや)でかすむ。
栴檀轟からトンネルを抜けしばらく走ると、雲海のような景色が広がる。



真下には集落(岩奥地区)があり、山々には雲海のように靄が出ている。
夕暮れ時のそんな風景を見ていると、こんな山深いところで生活していた平家の落人の生命力を感じる。
生きる力と言うか、古代の人たちのロマンそのものだ。

白川沿いウォーク

2015-11-05 16:30:47 | 熊本の風景
昼飯を食って家を出た。
壷井川遊水公園を抜け国道を渡った。
済々黌高校の正門から裏道を歩く。
細い路地に住宅が所狭しと並んでいる。
中には古い(空き家)もあり不気味な雰囲気もある。
黒髪町だったり薬園町や子飼町など入り組んでいる。
やっとのこと子飼商店街に出た。
商店街を抜けしばらく歩くと藤崎宮に着く。
そこでしばらく休憩を取る。
白川沿いを歩きたいのだが子飼橋の付け替え工事や明午橋の付け替え工事でなかなか川沿いを歩くことが出来ない。
明午橋を超えるとしばし川沿いに歩道がある。
しかし歩道から川沿いにはロープが張られ立入禁止になっている。



やっと大甲橋の手前から川渕の道があった。
大甲橋も下から見ればかなり大きな橋だ。
路面電車が行きかうとゴーっともの凄い音がする。



安巳橋辺りになると川のせせらぎが聞こえ少し急流になっているのだろうか。
川べりにこんな道があるとは知らなかった。
いつもはもう一段上の道を歩くことはあるのだが。
川の水もあまり綺麗な水とは言えないが都会の雑踏とは違った雰囲気がある。



銀座橋、新代継橋とくぐり代継橋に来ると釣り人を発見した。
しばらくみているとハエらしき魚が釣れた。
こんな川にも魚が棲んでいるのだ。
橋の下の住人も気にはなったが今は住んでいないようだ。
世継橋をしばらく歩くと土が砂に変る。
黒くて目の細かな砂だった。
良くみるとこれ阿蘇の火山灰じゃないのか?
それが大量に川辺に体積している。
阿蘇からの流れなのでそうかも知れない。



長六橋から泰平橋まで来ると河川敷は広くなる。
その昔はこの辺りが処刑場だったと聞く。
高いホテルが建っていてその横が事務所だったので懐かしい。



泰平橋からは草刈マシンが作用中で壷井川との石塘を歩く。



市内方面を眺めるとなんとも懐かしい風景だ。
出張で熊本駅から夜道を帰る、キラキラした夜景が素晴らしいところだ。
歩き疲れて熊本駅へ行く。
上熊本までのキップを買って在来線高架が出来2度目の電車だ。



上熊本駅を過ぎ崇城大学駅まで乗った。
上熊本からと自宅までそんなに距離は変らない。
韓々坂を登り池田小学校の校庭を横切り、無事に自宅に戻った。
時間にして3時間、ケータイの電池が切れていて歩数計は途中で切れていた。