打越通信

日記ふういろいろ

桜はどこに

2017-03-29 21:52:08 | 桜前線
昼休み近くの公園に行ってみる。
桜なのかもわからないがつぼみもあまり膨らんでいるように見えない。
今年の桜はどうしてしまったのだろう。
熊本のようにちょっと外に出れば桜の木々はあちこちあって、今はこんな感じだというのが手に取るようにわかる。
それとは違い、街のあちこちに公園があるわけでもなく、そこに桜が植えてあるわけでもないのだから確認のしようもない。
今日は3月29日だ。
去年の今頃は満開の桜だった。
福岡に引っ越して来た日だ。
あれからちょうど一年が経過した。
引っ越しの後片付けが一段落して福岡城跡に行ってみたら満開の桜が咲いていたことを思い出す。
まあ、いろいろとあった一年だった。
何かとお礼を言いたい人も少しはいるのだが、あまり深く係りたくない(後の別れがつらいので)し、お礼の言葉も聞いてくれそうもないのでしょうがない。
この一年をすっきりした感じでけじめをつけて、また新しい一年をと思っている。
どういうふうになって行くのか、見当もつかないが、カードだけは配ってみた。
吉と出るやら凶と出るやら、またまた得意の曖昧さでやり過ごされるのやら、たぶん後者だろうな。
何もかもが曖昧に追いやられる、この泥沼のような状態をどうにかしなければと思うのだが、空気全体がそんな感じなのでそれが一番嫌だ。
まあそんなことには目をつぶり黙々と日々をやり過ごすでも良いし、泥沼から抜け出すのも良しとする。
あるがままの姿で応えるしかないな。

さくら吹雪が舞い散る日が母の命日だった。
あれからちょうど4年が経つ。
今年の桜はいったいどこに行ったのだろう。

久留米ウォーク

2017-03-26 19:21:14 | てくてく
数か月に一度は血液検査を受けている。
すっかり期間を忘れてしまい、まずいと思い病院に行った。
会社の健康診断がもうすぐあるのでそれで良いかと思っていたが、会社のは一般的な検査なので詳しい検査はわからない。
結果は数日後に出るのだが、血圧は102-70で正常、体重も52.6kgと食欲に任せ食っている割には増えていなかった。
医師との会話で、やはり運動不足を指摘された。
平日は通勤で片道15分くらいの徒歩くらい、昼の散歩を加えても歩数計で5,000-6,000歩くらいだろう。
そんなわけで今度の土日はウオーキングに出かけた。
土曜日は買い物ついでにキャナルや天神、博多駅あたりをぶらついた。
気にしていたリーバイスの511を2本買った。
今はいている511ももう3年になるし、そろそろと思い追加した。
次の日もどこに行く予定もなく、朝飯を食って平尾駅方面に歩き出した。
しかしどこをどう間違えたのか高宮駅まで来てしまった。
さてどこに行こうかと改札をくぐり、下りホームに上がった。
来た電車に乗り込み、路線図を眺めた。
大宰府の梅ももう終わりだろう、桜はまだ早いし・・・。
そうこうしていると筑後川を渡り、久留米に着いた。
とりあえずここで降りてみることにした。
駅のロータリー前に市内地図があったので、石橋美術館と中央公園をチェックした。
さて、と歩き出す。
方向感覚はどちらかというといい方だと思う。
久留米市内を歩くのは初めてだったが、帰省のとき車で何度か迷っているので大体の事はわかっているつもりだった。
しかし、しばらく歩いて迷ってしまった。
案内板も無いし、ケータイで位置を確認するが迷ってしまった。
人に場所を聞くがどうにも的を得ない。
コンビニに入り雑誌(地図)を開くがどうにもわからない。
午後からは雨の予報が出ていたので、早めにJRの久留米駅に行くことにした。



途中、神社の鳥居があったのでここで一休みしようと入ってみた。
池のほとりに桃(早咲き桜)が咲いていたのでそのベンチで一休みした。
後ろの方で青年たちの声がするのでそちらの方向に行ってみた。
なんと広大な公園が広がっていた。



石の橋や石のオブジェなど、ブリジストン発祥の地らしい。



その横には近代的な建物があり、県の科学博物館のようなものがあった。
その横には遊園地やテニスコート、陸上競技場があり、多くの人で賑わっていた。
筑後川まで歩き、川沿いをJR久留米駅まで行こうかと思ったが、例の左脚に痛みが出てきた。
細い路地を抜け、駅前の高層マンションを目印にてくてくと歩く。



やっとの思いで久留米駅に着いた。
新幹線の開業で駅前はかなり変わっていた。
巨大なタイヤのモニュメントがあった。
駅舎に入りちょっと遅めの昼食をとった。
新幹線という手もあったが、快速に時間が会ったのでそれで博多駅まで帰った。



家に帰り歩数計(ケータイ)を確認すると2万歩まであとちょっとのところまでカウントされていた。
距離的にはそんなに無いと思ったが、なにせ足が○○いものでこんなものかと納得した。

味噌ラーメン

2017-03-23 20:45:44 | 食事
今住んでいる美野島にも、長浜ラーメンやシンシンといった、ちょっと有名な博多ラーメンの店が何軒かある。
ラーメン専門店でなくともちょっとした食堂や居酒屋などでも博多ラーメンは食べることができる。
博多に通勤しているころは、会社の近くには美味い店というのが少なかった。
その中に長浜ラーメンがあり、同僚たちと一緒に食事に出るときは決まってそのラーメン店だった。
「バリカタ」や「ネギ盛り」などの注文で「替え玉」や「半玉」など専門用語が飛び交う店だった。
博多の街は何故かラーメン店やそば(うどん)屋が多いのにも驚かされる。
やはり商人の街なので、時間をかけずに食えるという伝統的なところがあるのかも知れなと思っている。
ソバはそんなにも感じないが、博多ラーメンだけは美味いと思ったことが無い。
まず細い麺がどうしても素麺を連想させる。
早く茹でるため細麺になっていると聞くが、美味さより調理時間を優先させる、そこから間違っているように思う。
同僚がいろいろな博多ラーメン店につれて行ってくれたが、スープは基本豚骨で独特の味を店ごとに出しているが、麺はやはり細麺だった。
熊本にいた時も、基本ラーメンは月に一度食うか食わないかだったので、偉そうなことは言えないのだが・・・。
ラーメンよりうどん、うどんよりそばというのが私の中の優先順位なのだ。

仕事で通い続けた場所がある。
多の津という所の福岡流通センタという所だった。
むかし古戦場があったといわれるところで、昭和50年代に建てられた大きな倉庫や問屋街のようなところだ。
そこでたまたま入ったラーメン屋があった。
味噌ラーメンが専門で、伊勢味噌、信州味噌、江戸味噌、北海道味噌といったことろから味が選べる。
だいたい味噌味が好きなので、ここのラーメンだけは気に入って食っていた。
全国チェーンなのか知らないが、熊本にもあるようだ。
一度熊本で同じような味噌ラーメン専門のようなところに入ったが、全然ダメだった。
味噌ラーメンというより油ギトギトで、こりゃダメだなと思ったらすぐに無くなっていた。



北海道味噌でバター大盛りというラーメンだった。



信州みそのラーメンも薄濃い味でしっかりしていた。
だいたい味噌が好きな方なので参考にはならないと思うが、博多ラーメンよりは素晴らしいと思った。

春の憂鬱

2017-03-22 20:28:45 | 日記ふう
一時期からすると随分と元気になったなと思うことが多くなってきた。
すっきりしなかった頭(心かな)が少しずつはっきりしてきたような気がする。
血液の循環が良くなったのか、はたまた、そう感じているだけなのか、自己分析に乏しい頭では血行が良くなってもわからない。
ここ一年ばかり音楽ばかり聴いているのが情緒を深めているのかもしれない。
社会人になってからはガサツな仕事に酒浸りの日々で、ただ突っ走っているような日々だった。
趣味を持ち、もっと豊かな人生を送るなど頭の隅っこにもなかったようだ。
近頃は情緒があふれ、公園の花を見ても感動し、空を見上げると雲の動きにも感動できるようになった。



ここ一年ばかり音楽ばかり聞いていたことも関係しているのか、クラシックの中にキラキラした曲を見出しては何度も繰り返し聞いている。
ピアノ曲で言えばやっぱりショパン、ベートベンの深い音など何度聞いても素晴らしい。
ホロビッツの細かな音に対するこだわり、大胆で包み込むようなフォルテに気持ちもすっきりと立つような気持になる。
最近はマタイ受難曲の大作まで手を出すようになってしまった。
気分転換に聞くジャズやロックも、はたまたJPOPもそれなりに美しく聞こえるのだから不思議だ。
ただ一回聞けばもういいやというのが多いのだ。
感動の振れ幅は大きいが疲れる音楽ってところだろうか。
そんな中、グリーグのペール・ギュント「ソルヴェイグの歌 」などの物悲しいメロディなどが流れてくるといてもたってもいられなくなるのは不思議だ。
加齢による涙もろさなのかもしれないな。
でもいいや、こんなに震える気持ちが私の中にもまだ残っていたことは良い事なのだ。



まあ憂鬱な春ということも関係しているのかもしれない。
そんな3月も考えてみればまだまだある。
早く過ぎてしまえと思うが、そう思うと一日一日が長いものだ。
どうなって行くのかわからないが、良い方向に早くすっきりさせたいものだ。
信じがたいが「逆境は最大のチャンス」という言葉もある。

春の一日

2017-03-20 16:56:23 | 日記ふう
3連休はやっぱり1日は仕事だった。
通常の仕事時間帯ではできないシステム的な仕事をしようと気合を入れて仕事場に向かったが、空虚の中に一日が過ぎてしまった。
なかなか3連休は取れなく、実家への帰省で夏草の対策や後片付けなどの後回しになっていた。
今回も彼岸ということもあり実家に戻り墓の掃除や墓参りなどを考えていたが取りやめた。
そういえば大手術を受けたジローさんも無事に退院の運びとなったようだ。
そのことは又の機会にするとして、3連休の2日目は何の当てもなく、カメラを担いで北に向かった。
どこに向かうわけでもなく、過去に仕事で長期出張をしていた門司港や小倉が何故か懐かしくなり行ってみようと決めたのだった。
国道をひたすら北に向かう。
国道3号から迷路のような小倉の街中を抜け国道199号線に出る。



赤坂海岸の延命寺臨海公園にクルマを止め、海岸線をゆっくりと散歩した。
風もなく海も穏やかで海岸線には多くの釣り人が釣りを楽しんでいた。
門司港での壮絶な仕事の後、火が噴いた物件があった。
部屋の一室にパソコンを運び入れ3,4人で朝早くから夜遅くまで張り付いて仕事をしていた。
午前様も当たり前でホテルには寝るだけという状態が5ヶ月近く続いた。
おまけに親父は肺炎にかかり絶体絶命の状態だった。
そんな状態の中、昼夜問わずこの公園に気分転換に来ていた。
そのころのことも書いていたと思う。
あれから5年が過ぎている。
あのころの精神状態は異常だった。
仕事はなんとか事なきを得無事に終わった。



199号線を門司港に向かった。
この門司港でも辛い日々を送った思い出がある。
仕様書もない物件を引き継ぎもなく渡され、担当になった。
会社の規模も大きく、何せ上場企業でこの業界ではトップ3に入る会社の完全子会社だった。
業界のしくみも言葉もわからないまま数年間通い続けた。
最初のうちは客からも相手にされず、なぜはるばる熊本からサポートに来るのかと疑問の目で見られいた。
それでもだんだんと打ち解けるようになり、なんとか信頼を受けられるようになった。



新しい機器に入れ替えることとなり、数年がかりで書き上げた仕様書が役に立った。
プログラムをすべて作り変えることになり、私を慕ってくれた若手の後輩と入念な打ち合わせを何度となく繰り返した。
300本近いプログラムの指示を出し、出来上がったプログラムを検収した。
全体的にシステムがうまく流れるか何度も何度も繰り返しテストを行った

なんとかこの物件も事なきを得無事に動き出した。
苦しかったが苦労のし甲斐があったのだ。
今、こうして思い出に浸るようにこの場所を訪れたのは哀愁を求めたわけではない。
苦しくなったら基本に戻れの言葉に従ったまでだ。



門司港は祭りで華やいでいた。
夜はプロジェクションマッピングで華やぐことだろう。
夕暮れになり寒くなったので帰ることにした。
黒崎から直方、飯塚を経由して自宅に戻ったのは夜中だった。

野球観戦というものの

2017-03-16 20:47:23 | 野球
あまり乗るきじゃなかったんだけど、せっかく娘がくれたチケットだったのでヤフオクドームに行ってみた。
今回はサード側の内野席だった。
ドームに入ると、例のラッパや太鼓の応援団、それに甲高い場内アナウンスが耳につく。
ジャイアンツ戦ともあってオープン戦だが結構人は入っていた。
ホークスの先発は摂津だった。
席に着くなりホームランを打たれあれよあれと言う間に5失点になっていた。
ホークスの攻撃といえばあっという間に終わり、攻撃は常にジャイアンツといった内容だった。
まあオープン戦ということもありこんなものかと見ていたが、プロでこうやって観客を入れて試合をしている以上はこんなのだめだと思う。
見に来る試合、何故か摂津が投げている。
それも負け試合ばかりだ。
今日もしまらない試合をやっていた。
先発を想定しての試合なんだろうけど5回近くまで投げていた。
眠気が来てもう帰ろうかと思ったが、試合展開はホークスの攻撃が単調だったので早く進んでいた。
やっと先発の摂津に変わり五十嵐がマウンドに立つが、こりゃまた荒れた投球だった。
年齢的な問題なのかもしれないと思いつつも見ていたが、なんとか抑えていた。
ラッキーセブンからなんとか連打で2を追加しなお1死2,3塁だったろうか、ジャイアンツの投手交代だった。



名前を呼び上げられ球場内にどよめきが起こった。
なんと森福の登場だった。
去年までのチームを相手にどんな投球をするのか、一気に面白くなってきた。
小柄な彼が大柄なホークスの外人打者に、まるで子供と大人のようなシチュエーション。
あっけなく打ち取って、次は左打者だった。
当然右に引っ張ってくるところ、初球はボールで入った。
良くは見えなかったが打ち気を外したように感じた。
次はスーッと入ったようにストライク。



次だなと思った瞬間、差し込まれたのかライト寄りの浅いセンタフライで打ち取った。
見事なピッチングだった。
それを見て早めに球場を後にした。
今日の試合は森福さまさまだった。
家に帰りテレビではWBCのイスラエル戦があっていた。
ダークホースのイスラエル相手に大量得点で勝っていた。
しばらくは野球で暇をつぶすのも良いかも知れないが、一時期のようにはあんまり興味はわかない。

退屈な休日

2017-03-12 17:58:19 | 日記ふう
久しぶりにジョギングをしてみた。
ストレッチを入念にしながら那珂川沿いの川べりに降りた。
しばらくはゆっくりと歩き、再びストレッチを入れながら走り出してみた。
都会の川は汚く、川べりの木々には漂流物があちらこちらに見える。
どぶ川のような臭いも気になるがしょうがない。
ゆっくりと走り出すが100mも走らないうちに左脚が痛くなり走りをやめる。
一時期やっていた昼休みの階段上りと同じ痛みが走る。
それも左脚だけの痛みだった。
何度か休みとストレッチを繰り返しなんとか2kmくらいは走ってみたがそれ以上は無理だった。
早々、マンションに戻り買い物に出た。
せっかくの2日休みだというのに土曜日の夕方にコンサートを入れていたのだ。
どこに行くにもこれでは身動きが取れない。



しかたなくキャナルでの買い物に付き合う。
ウインドブレーカとウォーキング(通勤用)の靴を見て回った。
ブレーカーもゴアテック素材を探したが高いと却下された。
リーバイスの511が2本目半額というセールも目に留まった。
靴もヨネックスを探したが見つからなかった。
時間がきたのでアクロスに向かう。



前回と同じ読響で、今回はモーツアルトのバイオリン協奏曲3番とブルックナーの交響曲7番のプログラムだった。



お金が無いので今回も3階席だが前回と反対側の左側の席だった。
ヴァイオリストはロシアの若い女性だった。
演奏が始まると金色のドレスが右に左に揺れ動く。
リズムを体でとるようなしぐさで演奏は完ぺきだった。
20分の休憩のあと読売交響楽団のブルックナーが始まった。
バイオリン30、チェロ10、ビオラが12、なんとコントラバスが10と弦楽器だけでもそうそうたる構成だった。
なかなか重厚な弦の響き、第一楽章の長いこと、やっと終わりかと思ったら終わり方がちょっと不自然だった。
その影響か第二楽章も不安な立ち上がりのように感じたが第三楽章、第四楽章と一気に盛り上がり、長い長い大作が終わった。
初めて聞いた曲だったが心に残るメロディと大音響の迫力に圧倒された。



アクロスを出て夜の天神をてくてく歩いて帰った。

作業の価値

2017-03-10 20:51:35 | 日記ふう
昨年の夏だったか、同級生のカッちゃんと畑の草刈を終え山に行ってみた。
近所の小父さんから
「あんたん所の山の木が、川を覆うようになっとる。今のうちに伐採せんと大変になる」
と言われたからだった。
カッちゃんはチェーンソーを持ってきていたが、現場に行ってみると
「これ、素人では無理!」
即決で地元の森林組合に電話した。
森林組合の人ははすぐに現場に見に行くと言う。
小父にも電話して同行してみてもらった。
かなり範囲が広いので数日はかかり、その分費用も掛かるようなことを言った。
数日して見積もり書が送られてきた。
かなりかかるのだろうと思ったが意外と安かった。
1.5人日分の労務費と持ち込み機材代だけで、廃材は山の中に廃棄するという内容だった。
畑に倒れた倒木2本分の処理も含まれていた。
年末に作業はどうなったか確認の電話を入れたが、なかなか忙しく進んでいなかった。
冬の間は草刈も必要ないので帰省はしても気にすることもなく月が過ぎた。
つい最近になり、作業結果の写真と請求書が送られてきた。



雑木で覆われていた小川の木々もすっかり伐採されすっきりとした写真が送られてきた。



畑の倒木も処理が終わり、きれいに片付いていた。
そして請求書は見積もり通りの内容だった。
庭木の剪定や庭の草取りに高額な金額を請求されていたことがうそのようだ。
やはり山のスペシャリストにとっては割と簡単な作業だったのだろう。
それにしても思うことだが、私たちのやってきたコンピュータシステムにおける開発の人日単価が以上に高い。
数倍を超える単価だ。
特殊技術ということもあるのだろうが、会社を運営する経費がいかに高いか、確かに人件費も一般的な会社に比べれば高いのかもしれない。
高単価であることは現場の負担にもなる。
何せ個人の能力がその単価に見合うのかはだれもわからないからだ。
よくもそんな仕事をやってきたものだと、今思えば恐ろしくもなる。

春は名のみの

2017-03-09 21:01:18 | 季節の花
朝の出勤途中に粉雪が舞う日があった。
この季節に雪が降るのも珍しい。
だんだんと強くなり春の突風も吹いて先が見えなくなる。
3月に入りこんな気候も珍しい気がする。
日ごとに暖かさと寒さがやってくるものだから、気分的にも緩んだり引き締まったりと精神的にもあまりよろしくない。
季節の中で春が一番嫌いな季節でもある。
とくに3月は幼いころからのトラウマになっている。
別れの季節でもあり、新しく飛び立つ季節でもあるが、変化に弱い人間にとっては嫌な季節となる。
昼間の散歩でいつもの公園に行ってみると、つぼみがいっせいに開花していた。
桃の花だと思うが定かでないのが自分らしい。
遅咲きの梅ではないと思うが、早咲きの桜と言われればそうかなと思うし、自信がない。



公園にあるまだ幼い木々がいっせいに咲いている。
ただ風は冷たい。
木々の下にはニョキニョキと芽を出す花も草花もあり、再び一年が始まるかのような雰囲気になっている。
さすがに都会の小さな公園なので鳥の声はあまり聞こえない。
周りの騒音も風が強いのであまり聞こえては来ない。



風は冷たいが日差しが暖かく、どっちともつかない微妙さが良いのかもしれないな。

早春賦は幼いころから好きな歌だった。

こんな都会の小さな公園には似合わないけども、春は来ている。

啓蟄

2017-03-06 20:53:19 | 日記ふう
福岡から直接ジローさんが入院する病院に駆けつけ、自宅に戻ったのは夜の8時過ぎだった。
何故か疲れてそのまま2階の寝室に入り熟睡だった。
息子たち夫婦は土曜の夜はデートのようで、いつ帰ってきたのかも知らないままだった。
割と暖かな朝だったので朝食後に散歩に出かけた。
坪井川遊水公園の堤防を急ぐこともなくゆっくりと歩く。



春らしい気候に道端の草花もにぎわいを見せていた。
都心に広大な手つかずの湿地帯のオアシスがひろがっている。
ビルの谷間に暮らしている福岡の生活とは全然違う世界が広がっていた。
ウグイスはまだ早いようだが、ひばりの甲高い声や小鳥たちの声がうるさいくらいに聞こえてくる。
鳥たちにとっても楽園のようでさまざまな鳥が飛び交っていた。



その湿地帯の真ん中を坪井川がゆっくりと熊本城に向かって流れている。
遊水公園の北側は公園として整備されていて、子供たちの遊具広場や野球場、サッカーグラウンド、テニスコートなどが点在している。
坪井川に沿って遊水地として整備されている。
坪井川下流の氾濫を防ぐため、この遊水地に川の水を引き込むために造られている。



私たちが引っ越してきたときは、まだ公園整備はされておらず、それこそ草ぼうぼうの湿地帯だった。
それからかなり長い年月をかけ少しずつ整備されて行った。
ぶらりぶらりと散歩をしていると犬を連れた人と出会う。



きょうは11才になるメスのレイちゃんだった。
体は大きいが甘えん坊で体を摺り寄せて甘えてくる。
飼い主の人とたわいもない会話を交わす。
犬たちにとっても楽園のようで多くの愛犬家たちが行きかうのだ。
去年の今頃は青ガエルの引退で多くのカメラマンや報道陣が来ていた。



今ではすっかり元ののんびりとした風景の中、くまモンで飾られた電車が走り去っていく。
外に出てあらためてこの場所の良さを知る。
そんな穏やかな啓蟄の朝だった。

2017-03-05 21:19:05 | people
いてもたって居れず急きょ熊本に向かった。
前日の夜、ジローさんからメールが送られてきた。
手術のあと術後の痛みで地獄のような日々が続いたようで、ベッドに寝そべった彼の顔写真付きだった。
腫れも取れいつもの彼の顔だったし、苦痛の日々も峠を越えた様子だった。
「命拾いしたくせに何を泣きごと言ってるんだい。会えるんだろ!会いに行くから待ってろ!」
そんな返事を返した。
病院は白河沿いにある大学付属の病院だった。
ナースステーションのすぐそばの病室のベッドの中に彼の姿を見つけた。
顔色はと真剣な眼差しで見つめたが、そもそもゴリラのような顔つきなのでそうは衰弱している様子には見えなかった。
ヒトミちゃんが付き添っていて、彼女も普段通りにしていたので安心した。
「ああ、ケンちゃん、俺も酒は飲めなくなってしまうのかな」
などとのんきなことを言っていた。
しかし彼の顔をしげしげとみると頭を横切って顎まで手術の傷跡があった。
鼻から大量の出血が数回ありそのたびに緊急搬送され処置を受けたが止血の処置で家に帰されたそうだ。
今回の搬送でこの病院に運び込まれ、耳鼻科の医師だけではなく脳外科の医師まで加わって徹夜の検査の結果、原因が判明し、その翌日には緊急手術だったという。
手術も17時間にわたる長丁場だったようで体力的にもきつかっただろうと想像がつく。
細かなことはよくわからないが、彼と話をしている分にはそんな大手術をしたという素振りも感じなかった。
出血が外に出たことが何よりだったということだ。
後遺症もなく、あとは傷口が無事に塞がり、落ちた体力を取り戻すリハビリを受ければ退院の運びとなりそそうだ。
前向きに今後の事を話していたが
「ケンちゃん、早く福岡から帰っておいでよ。ヒトミも○○さん(私の妻)がいると心強い」
と言ってくれた。
福岡への帰り道、その言葉が気になってしょうがなかった。



季節の変わり目は

2017-03-02 21:10:39 | 日記ふう
朝起きて1時間から下手すると2時間くらい読書をするようになった。
ヘッセの一ページに2段刷りの細かい文字にもなんとか慣れてきたが、難解な内容に寝ぼけた頭では理解に苦しむためなかなか進まないのが現実なのだ。
背景にある宗教的な事柄はどうしても理解できないため面白味も半減ってところだろう。
翻訳ものでもあるがやはりなかなかなものだ。
学生時代に当然読んだことのある内容だが、頭が悪いせいかまったく覚えていないので初めて読むのと違いはない。
ここが自分で良いところだと自負できるところだろう。
しかし何故か頭の隅に、かすかに記憶があるという不思議な感覚になる。
あまりに難解な文章も分厚い本の半分くらいまで進んでしまった。
ドイツの文学にドイツの音楽、いったい私はどうなってしまうのだろう。
去年の今頃は村上春樹の1Q84を読んでいた。
作り物の世界はあまり好きではなかったが、これまた分厚い本をBOOK1からBOOK3まで立て続けに読んだ。
大衆的な内容で好みが分かれるところだろうが、やはり文章や言葉がうまいといった感想だった。



今回発売された「騎士団長殺し」も発売前からいろいろと評判になっている、ということを知っていた。
音楽好きな村上春樹もモーツアルトのドンジョバンニと関係があるの無いのと噂されたいた。
本屋の一番良いところには山積みになっていたが、福岡ではあまり興味が無いのだろうか結構な数が余っていた(いやいや次から次に在庫を積んでいるのかもしれない)。
流行本に飛びつく事はしないのだ。
というか、今読んでいる難解な本を片付けなければ先に進まないからだ。
会社には吉村昭の「虹の翼」という本を置いている。
昼休みに読もうと思っているのだが昼の散歩のおかげで一日数行しか進まない。
それでも数行の楽しみは楽しみだから良いのだ。
そんな生活なのでテレビをほとんど見なくなった。
録画した番組が積み重なってハードディスクは満杯になり掛かっている。
その分は妻が処理をしているようでなんとか辻褄はあっているようだ。

さて今週もいろいろとあった。
その中でもやっぱり親友のジローさんの緊急入院そして緊急手術だろう。
あの元気なジローさんがと思うとやるせない気持ちになる。
ほかにもこまごまとした異変があっている。
季節の変わり目は気を付けないといけないと云われるが、まさにその通りかもしれない。
せいぜい難解な文章に難解な音楽を聴きながら、頭を混乱させてやり過ごすつもりだ。