打越通信

日記ふういろいろ

旅の準備

2020-09-29 21:48:02 | 旅行
別府での静養で体調も随分良くなってきた。
先10日間の天気を調べてみるとどこもいい天気が続く予報になっている。
こうなるとどこかドライブにでも出かけるしかない。
行き先を家人に言うと、本気なのかと笑われてしまった。



ガソリンスタンドに行き満タン給油し、清掃をする。
係りの人を呼んで空気圧やエンジンオイルやその他の点検をお願いした。
エンジンオイルは半年に一回変える判断でいうと、あと2か月残していたがエレメント含め交換した。
本来、新車購入時に値引き交渉したドライブレコーダーだったが、これだけはと断られたものだ。
これも必要だろうと、カー用品店に行きいろいろと説明を受けた。
前方専用の1カメタイプ、前後対応の2カメタイプとある。
せいぜい2万円もあればと思ったが、全然予算が足らない。
1カメタイプで本体2万円前後で工賃5500円、2カメラタイプだと本体4万円前後工賃が19800円、いやはやだ。
結局、1カメタイプで配線工事込みで35000円ほどかかった。



あとは一眼レフカメラの電池の充電だった。
着替えやパソコンを詰め込み、午前6時に自宅を出た。
関門橋を渡り本州に入る。

湯布院

2020-09-28 18:21:38 | 旅行
今回の旅の目的は十分に果たせたのであとは帰るだけだ。
別府市内をクルマでブラブラして山道に入る。
鶴見岳ロープウェイの看板を見るがパス、城島高原、志高湖の看板もパスする。
家人の運転なので秋風を受け山々の風景を眺めて過ごす。
狭霧台の展望所(駐車場)に入り休憩。
湯布院の街が一望できる。
まだ十分に時間もあるし昼食も摂らないといけない。
運転を代り湯布院の街中にクルマを停めた。



久し振りの湯布院だったがインバウンドはほとんど見かけなかった。
しかし平日(連休明け)だというのに人が多い。



金鱗湖まで歩き湖畔をゆっくりと一周した。
ここはあまり人が多くなく、静かな場所になっていた。
再び賑やかな通りに出て食事をする店を探す。
洗練された観光地(私の感想)だけあって値段も高い。
適当な店に入りカレーうどんなど頂き、湯布院駅まで歩いた。





駅自体も観光地らしく演出されていて、待合室は美術館にもなっている。
情緒ある駅の風景だった。
再び賑やかな通りに出てカフェを探す。
入ろうとするが家人はチーズケーキを買っている。
ベンチに座り自動販売機でジュースを買って食った。
こういうところは主婦らしい感覚なのだ。
一時間ちょっと湯布院をぶらついて、水分峠を超え九重町に入る。
高い山々の間に広がる盆地に黄金色に輝く稲穂がとてもきれいだった。
運転する家人にクルマを停めてといってもなかなか駐車する場所が無いようだ。
走るクルマからなかなか写真は撮れない。
九重町から玖珠町に入る。
ナビが国道から別に道を選んだようだ。
山道に入り、段々畑に黄金の穂と赤い彼岸花がきれいな場所があった。
クルマ急には停まれない。



停まった場所は段々畑が真横に見える場所だった。
日田市を川沿いにうきはを走る。
果物販売所に立ち寄る。
赤ん坊の頭くらいはあろうかという新高が3個で1000円だった。
粒のそろわない巨砲が一袋(3房分くらいの量)が300円。
土産に買って帰った。

癒しの時間

2020-09-27 14:56:46 | 旅行
部屋は10階のツインルームだった。
予約の時に山側の部屋になるかも知れないとの注意書きがあったが、オーシャンビューの部屋だった。



セミダブルのベッドに二人掛けのテーブルと椅子が置いてあり、部屋は静かで広々としていた。
ホテルの1,2階には日本料理や中華、イタリアン、居酒屋などレストランは充実している。
当然、バーもありアルコール類も頂くことが出来る。
結婚式場や宴会場もあるようで、一階のプールの横にはチャペルがあった。
さっそく浴衣に着替え大浴場に向かった。
かなり広い湯船にたった3人、露天風呂の岩風呂に2名ほどしかいなかった。
40分ほど至福の時を過ごし、軽い夕食をとる。
再び温泉に入り、早め(朝早かったので)に熟睡に入る。
5時半ころ目が覚め、まだ寝ている家人を横目に浴場に向かった。
誰もいない貸し切りの風呂だった。
朝風呂のありがたさをしみじみと感じる。
露天風呂に出て早朝の秋風で体を冷やし、岩風呂に浸かる。
海を見ると朝日が昇ってきた。
部屋に戻り、軽い朝食(サンドイッチとコーヒー)をとりソファーで朝日を眺める。






空調が効いた部屋で朝日が昇る別府湾をみていた。
朝日の日差しが気持ちよく、静かな時間が過ぎる。
知らぬ間に眠りに入っていた。
目覚めて時間を確認するが、まだまだチェックアウトまで十分に時間がある。
再び浴場に行き、少し冷えた体を温める。
湯船につかりながらウトウト、これは危ない。
再び露天風呂に出て体を冷やし、湯船につかる。
部屋に戻り、ソファーに座りボーっと海を眺めて過ごした。
11時にチェックアウト。
今回の最大目的は温泉でゆっくりした時間を過ごすことだったけど、十分に堪能できたのだ。

国東半島駆け足で一周

2020-09-26 17:57:14 | 旅行
豊後高田を出て国東半島を一周する道に出る。
遙か昔に一度来たことはあるが、かなり昔の話で記憶にもないし、その時は石仏を観るため山の中に入り込んだかすかな記憶がある。
そういうわけで初めて半島を一周するのと同じことだ。
道はきれいに整備されていてクルマも少なく快適だ。
のんびりした風景が続き、休日だといっても庭木の剪定をされていたり、洗濯物を干していたりとのどかな風景だ。
丸い半島なので「日本一の夕日の見える場所」とか看板が見え、えっ、ここは国東(つまり東だ)つまり朝日がきれいな所ではないのか、と思うが、夕日も見えるようだ。
かなりの距離を走り、国東半島の先端(つまり東の突端)の「道の駅くにみ」で昼食をとることにする。



道の駅のレストランは行列が出来ていてすぐに食べれそうにない。



物産館を覗くとタコが特産のようで、特に近くに浮かぶ「姫島村のタコ」の加工品が並んでいた。
物産館を出て屋台があったのでタコのから揚げ(珍しい)とおにぎりを買い昼食にした。
タコのから揚げは、甘辛い味付けでおにぎりとあっていた。
物産館の横の海岸には公園があるようなので歩いて行ってみた。
目の前に姫島島が見え、その先には山口県の光市、柳井市あたりの山々が見える。
本州も四国(しばらく走ると見える)と割と近い距離にあることが地図上だけではなく目視で確認できるから不思議だ。
道の駅を出て再び海岸線を走る。
どうもこの半島にはコンビニというものが無いようだ。
所々に「デイリーヤマザキ」があり、昔ながらの商店があるだけだった。
再び「道の駅くにさき」に入り休憩。
大分空港の外観を見て、今回の最大の目的地のホテルに向かう。



日出(ひじ)町の海岸べりに立つ、旅行会社でAランクに指定されたホテルだった。
16時半にチェックインし部屋に向かう。

耶馬渓から国東半島

2020-09-25 10:40:09 | 旅行
日田には1時間ちょっとで着いた。
朝早かったのと連休最終日の休日だったので道が空いていたからだろう。
ファミレスで軽く朝食をとり、212号線で耶馬渓への道(212号線)に入ることにする。
日田駅から通りに昔風の街並みが立ち並ぶ場所があった。



ちょっとクルマを停めて歩いてみた。
天領日田の江戸時代の面影が残る街並みだった。
出鼻から思わぬ風景に出くわしたが、今回は急ぐ必要はないのでのんびりとできる。
国道に出て最初の道の駅で休憩をとる。
数台のトヨタ2000GTに乗った連中やマフラーを改造したバイク集団やら続々と集まってくる。
川沿いにクルマを走らせると山国町を過ぎたあたりから奇岩の連続が始まる。
青の洞門でクルマを停め、しばらく散策する。



手彫りのトンネルといわれる道をしばし歩く。
山国川には巨大な鯉がなん十匹も泳いでいてのどかな風景だった。
1時間ほど散策して豊後高田市を目指す。
昭和の町つくりで町おこしをしているところだ。
公営の駐車場(平日無料)にクルマを入れ、街中をぶらつく。



パンフレットなどで紹介されているよりはこじんまりとした商店街だった。
周遊券のようなモノがあるようで、持っていないと入れない場所などあり係員がいて制止された。
食事をと思ったが何せパスタやカレーがとてつもなく高い。
昭和の学校給食をうたった店も令和の先の値段がする。
その横に親子丼400円、ちゃんぽん350円などの店もあるが入るには勇気がいる。
昭和時代のクルマの展示スペース、昭和の電気器具を集めた館など見て回った。



スバル360、鉄人28号など懐かしいモノが展示してあった。



店で懐かしいコカ・コーラの瓶の販売機で1本買って飲んだ。
値段は130円だから令和の値段だ。



ボンネットバスを見かけ写真をとりクルマを出した。
駐車代金400円(平日無料)を払い、いよいよ国東半島を一周する。

魅力の長崎

2020-08-28 19:05:42 | 旅行
長崎市街地に戻ったのは正午をかなり過ぎたころだった。
中華街の近くにクルマを停めブラブラと昼食どころを探す。



長崎には何度も来ているが、ここ数年はランタンフェスタの感触が残っていて、こんながらんとした中華街にはびっくりした。
湊公園もただの公園で、ランタンフェスタの時とはすっかり違って見えた。
さてさて、どこで食事をしようかと店を探していると「江山楼」という店を見つけた。



ちゃんぽんがうまい店という事で有名のようでさっそく中に入る。
さすが有名店ともあり、昼食時をとうに過ぎているにも関わらず客でにぎわっていた。
メニューを見るとちゃんぽんと皿うどんの二種類、いやいや特上(1500円)王さん(1000円)の4種類(ほかにもあったんだろうけど目に入ったのはそれだけ)だった。
さっそく家人はちゃんぽん、私は皿うどんにした、それも特上のつかない方だ。



皿うどんには特製の酢が付いて来た。
食べてみるとクリーミーな感じでコクがありとてもうまい。
少し食べてみて酢をかけるとこれまたいつも食ている皿うどんとは別物のような味だった。
途中で家人と交換した。



ちゃんぽんのスープがコクがあり絶妙にうまい。
四海樓のちゃぽんもクリーミーなのだが、それに味を少し濃くした感じがした。
ベースが豚骨なのかと思ったが結局わからないまま感動的に完食だった。
これなら特上も食べてみたいと思ったが次回の楽しみにしようと思った。



コロナの影響なのか中華街の中にも閉鎖してしまった店も見たし、中華街横の社員旅行で泊まったワシントンホテルも閉鎖していた。



「もう一泊」と言ってはみたが家人が首を縦にふらず後ろ髪をひかれる思いで帰路についた。
五島列島や対馬などまだまだ魅力がある長崎だ。
GoToで1泊2泊の旅するには良いところだと思う。

Goto長崎

2020-08-25 18:17:41 | 旅行
ナビに従ってはいたが、どこで間違ったのか海岸べりまで来てしまい、稲佐山中腹まで再び登らないといけなくなった。
坂というより登山のような感じで、前を行くバスは必死に登って行く。
ホテルは一階が駐車場になっていて、豪華な門が出迎えてくれた。
3階までの長い長いエスカレータに乗り、降りたところがフロントだった。
今回は楽天トラベルから「Go To トラベル」を利用して予約した(予約サイトからクーポンをゲットするだけ)。
宿泊費の35%が割り引きになる。
いつもはシティホテルの安いホテルにするのだが、それでちょっと贅沢なホテルというわけだ。
全部屋夜景が見れるという触れ込みと、朝夕の豪華バイキングというのにひかれた。



部屋は10畳はありそうな和室だったが、部屋からの眺めは最高だった。
16時30分チェックイン、18時からバイキングの夕食という事でさっそく最上階にある浴場に向かう。
手前に内風呂、その奥に露店風呂があり露天風呂の湯船につかる。
長崎港と市街地を眺めながらつかる湯は最高だった。



バイキングは種類も豊富にあるが、あまり食欲がなくほどほどにした。
コロナ対策で使い捨ての手袋でとるようになっていて、テーブルもほどほどにあけられていた。
平日という事で客は少なかったが、子供連れの客もいて夏休みなのだとあらためて思う。
Go To トラベルを使って来ている客もいるのだろうが、その割には少ない気がする。
夕食もほどほどに夜景を見に再び屋上の浴場に向かう。
先客が1人いたがほとんど貸し切り状態だ。
これはすごい、長崎の夜景を見ながらの入浴は最高だ。
入港する船の警笛が鳴り、山々にこだまする。



部屋に戻り、しばらくは客室から夜景を望みチビリチビリと過ごした。



翌日の朝もバイキング、メニューはすっかりモーニングメニューになっていて、軽めの食事で済ませた。
10時前にチェックアウトして次の目的地に向かう。

続く

旅行追記

2020-06-15 20:32:32 | 旅行
コロナ禍の中で緊急事態宣言が解除され、県をまたぐ移動についていろいろと調べていたが

国>6月1日からのステップ1は、東京・神奈川・埼玉・千葉・北海道との間の不要不急の県をまたぐ移動は、慎重にすることを求めている。
6月19日からのステップ2で、全国を対象(首都圏と北海道も含め)に県をまたぐ移動の自粛を解除する予定だ。
観光については△(県内観光、県をまたぐ観光も)正式には8月1日以降解禁だった。

公共交通機関(新幹線や飛行機、バスなど)を使って集団移動するわけでもないし、夫婦でドライブのようなモノなので移動規制をとった。
当然マスク、アルコール消毒シート、うがい薬は持参してこまめに消毒した。
ホテルも感染対策は行っていて、消毒液やチェックイン時にはマスクを配布していたり、食事もバイキングスタイルもなく、食事時間(自己申請)も決められていた。
観光地はどこも客が極端に少なく、開店休業の状態だった。
ただ香川のうどん屋だけは行列を作っていた。
金比羅山や栗林公園も高知のひろめ市場も5月末まで閉鎖していたようで、解禁されても人手が戻ってきていないようなことを嘆いていた。



言い訳のような事は以上にして、今回の四国旅行は3,4日くらいではとても回り切れないことはわかっていた。
体調的にも不安があったためあまり無理なスケジュールは立てられなかった。
しかしそのような心配もなく、大雨の予報が無ければ高知の西方面を散策したかったほどだ。

阿波国・讃岐国・伊予国・土佐国の四つのお国柄や雰囲気的なことしかわからなかったが、土佐(高知県)だけは太平洋にしか面してなく、昔から交流は大阪や江戸への交流船だけだったという土地柄だ。
愛媛や香川、徳島など瀬戸内対岸との交流があり、高知は面積は広いが山ばかり(香川の人曰く)といわれるように四国山地で陸地は閉鎖されていたようだ。
四国の人から九州はどんなふうに思われているのだろう。
フェリーが何航路かあるが、九州といえばやはり福岡という事になる。
特に高知の人からは宿毛佐伯フェリーが廃止になってさらに九州は遠いようだ。
本州と3本の橋で繋がり、さらには大阪方面から大分にかけて新幹線の構想もあるという。
本州と橋一本と鉄道トンネルで繋がる九州とは違い便利なところだ。
いかに九州が日本の外れに位置するか実感としてわかる。



香川のうどん、九州では国道を走っているとラーメン屋の看板しかないが、それがそのままこちらではうどん屋の看板に変る。
そして三角山があちこちに見える。



高知の自然はすごい、室戸岬といえば台風の通り道、風速計も吹きちぎる(風速80m以上)強風にも吹き飛ばされないように、岩に根を張るアコウの木や岬の突端にそびえる灯台は圧巻だった。
まだまだ高知の自然は探りたい。


国道197号線の旅

2020-06-14 17:13:17 | 旅行
高知2日目のホテルはシティホテル(ビジネスホテル)としてはかなり広く、ゆっくりと過ごすことが出来た。
駐車場のクルマのナンバープレーとみると神戸や大阪、京都などと並んで愛媛ナンバーが多かった。
愛媛から高知へのビジネスは泊まりになるという事だ。
そんなビジネスホテルだったがチェックアウトは11時という事だった。
朝食はこちらもバイキングでなく一人前ずつ用意されたものだった。
コーヒーも部屋持ち帰り用に用意されていたので持ち帰った。



部屋に戻り、風呂に入ったり、パソコンを開いて各方面への距離と所要時間を確認などして過ごした。
今日からしばらくは雨(大雨)の予報が出ている。
とりあえず四国山脈を越えて瀬戸内海方面に行かなくてはならない。
高松に戻ってうどんを食べて瀬戸大橋経由で帰路につくか、愛媛方面へ向かってフェリーで大分に向かうか、場合によっては松山あたりに宿をとってしまなみ経由で帰ることも考えた。
ひろめ広場で知り合った伊藤のオヤジの話では、33号線か194号線が良いよと教えてもらっていた。

ホテルを10時半過ぎに出てナビに「愛媛県三崎港」をセットした。
56号線を西に向かう、雨はそんなでもなく土佐市から須崎市に入る。
ナビが右折を指示しいよいよ山道に入る(結局ナビは197号線を選択したわけだ)。
山道に入ると急にあたりが暗くなり激しい雨に見舞われる。
しかし長くは続かず、いきなり日差しが差したりと変化した。
四万十川の上流に位置するのかそんな看板があちらこちらに見られる。



道の駅で休憩しながら山道を走る。
対向車も行列を作るクルマも無いので、60kmあたりでスピードを固定する。
夜間の高速や一般道でもクルマが少ないときに便利である。
こんな山道でもこのくらいのスピードであればだいたい曲がり切れるものだ。
この国道も交通量は少ないがやたらとトンネルが多い。
その分道の改良がされてきたという事だろう。
アクセルを踏まなくていいのはパンパンになった脚には楽で、多少のスピードコントロールは手元でできる。
そしてナビで次にどんなカーブか来るかわかるのが良い。

少し開けた平野に出た。
愛媛県大洲市だった。
さらに八幡浜市に進み右折していよいよ四国最西端の佐田岬に入る。
結構な山道だった。
それは良いのだが、だんだんと霧が出てきた。
進むうちに霧はさらに深くなっていく。
後ろから幅寄せをするクルマが来るので追い越し車線で先に行かせ後を追う。
テールランプを追う方が楽なのだが、距離が離れると全く見えなくなる。
助手席に座る妻が
「今日までドックダイヤになっていて15時半の次は17時半だよ」
という。
ナビはあと20kmの表示と時計は15時だ。
ギリギリの時間なのだ、それで前のクルマ(大分ナンバー)も急いでいたわけだ。
スピードもたぶん50kmくらいしか出してないと思うけど、トンネルに入っても霧が充満していて怖い。
ライトをスモールにしてフォグランプがあることを思い出しスイッチを入れる。
あまり変わり映えしないようだが、道路わきにある反射板が光りだした。
前のクルマも頻繁にブレーキランプをつけてくれるので助かる。
濃霧で恐怖の山道を超えてやっと三崎港に着く。
なとか間に合ったようだ。

車検証を持ち走って切符売り場に駆け込んだ。



何とか乗船でき佐田岬を見ると霧雲で覆われていた。
豊後水道を進む航路も一面靄の中を進む。



一時間とちょっとで佐賀関港に着く。
結局、この航路も国道フェリーで197号線の一部だったわけだ。
197号線は大分市まで進み、あとは高速に乗り、自宅には20時半に無事着いた。

桂浜から室戸岬

2020-06-13 13:29:43 | 旅行
ひろめ市場での伊藤オヤジとのはなしでは「桂浜」は外せないよ、四万十川より仁淀川の方が奇跡の清流と言われて近いし良いよと言われていた。
私としては足摺岬か室戸岬のどちらかに行きたかったけど、足摺までは片道155kmで3、4時間ほどかかる。一方室戸岬までは約80kmで2時間ほどだった。

朝起きると鶏の鳴き声がする。
窓を開けると高知城からのようだ。
高知城を散歩することにした。
天守閣広場ではちょうどラジオ体操をしていてラジオ体操第二から参加した。
ラジオ体操で知り合った方と少し話をしながらお城を一周した。
ホテルへの道で分かれ歩いていると鶏が5,6羽たむろして鳴いていた。
これが目覚ましの原因だったのだ(なんともオシャレなことだ)。
朝食を取り9時過ぎにホテルを出た。
桂浜までは30分もかからなかった。
駐車場もお土産品店もガラガラだった(平日のまだ早い時間だからね)



はじめてくるところだが、観光地でありここが撮影ポイントだというところから写真を撮る。



坂本龍馬像で一枚撮り、海岸をテクテク歩いた。
端から端まで歩いて桂浜を後にした。

ナビに室戸岬をセットした。
海岸線の道から国道55号線(海岸線)に入りひたすら走る。
あいにく曇り空なので海も鉛色をしていた。
並行して鉄道の高架が延々と続く。
土佐くろしお鉄道(ごめん・なはり線)だった。
集落が点在しているところには津波避難タワーというのかなが設置されていた。

2時間ほどで室戸岬の先端まで来た。
クルマを降りると巨大な銅像が立っていた。
高知の人は銅像が好きなんだな、高知駅にも大きな3体の銅像があったし、桂浜には竜馬、そしてここには中岡慎太郎がたっていた。
さっそく海岸線の遊歩道に入る。



巨大な奇岩がゴロゴロしていて遊歩道はジャングルの中を歩く感じだった。



見慣れない花や草(草というよりサボテンのような)アコウの木 が根を岩に絡ませてる。
海岸では漁師の人なのか岩場で獲物をとっている。



切り立った岬の方を見上げると原生林の中から鳥の声が聞える。
一時間ばかり遊歩道を散策し、灯台を観るため急な坂を上る。
駐車場にクルマを置き、5分ほど歩くと室戸灯台があった。



灯台からみる広大な太平洋は素晴らしかった。
室戸スカイラインといわれる密林の中を走り、室戸市内に出て帰路(高知市まで)についた。

ホテルは高松駅のすぐ近くにあり、広さ31平米と広く、セミダブルのベットが2つと、ソファーに中庭までついたツインルームだった。
天気は明日から大雨という予報が出ている。
もう一泊と思っていたがどうしよう。
・・・続く。

高知タウンへ

2020-06-12 19:33:56 | 旅行
高松ー高知間は高速で1時間半ほどとガイドブックに書いてある。
そんなに急がなくていい旅なので32号線で行くことにする。
四国の道路には一定距離に数字が大きく書いてある。
起点標示かなと思ったが対空標示という事を後から知った。
災害時に上空(ヘリコプター)から確認するためのj表示がそうだ。
山道に入りかなり高いところまで登る。
ナビでは狭い範囲の道路状況しか分からなく、全体的にどこあたりなのか助手席に座る妻に広域地図で教えてもらう。
一山超えたあたりで開けた場所に出た。
三好市だった。
高速の高架(徳島自動車道)や鉄道の線路(徳島線)が通り基幹的な地域のようだ。
再び山道に入り吉野川沿いに道が続く。
どこかで見たような風景が続くが、球磨川沿いから川辺川沿いを走っている風景と同じだ。
山は深く、所々に赤いアーチ型の橋が架かり下には清流が流れ、所々に駅の表示が出ている。
小歩危の表示が出るが過ぎてしまい、大歩危の看板ところに駐車した。
下を見ると遊覧船が見えたので乗ることにした。



客は少ないのかと思ったが約7,8名集まった。
30分間の遊覧だったが、大歩危(おおぼけ)とは「大股で歩くと危険」という由来だそうだ。
奇岩や怪石が多く、プレートのゆがみで45度角度で押し上げられ出来た岩石だ。



船から見る岩石は皆同じ角度で傾いていた。
30分の遊覧も退屈だったが、すぐ岩石の上を行く線路らしきものが目に入る。
土讃線の線路のようだが絶壁に近いところを走っている。
そちらの方が気になりだしたが、遊覧を含め小一時間いたが列車が通ることはなかった。
大歩危を出て高知市を目指す。

少しずつ開けてきてまっすぐに伸びた道路(路面電車も走っている)に出る。
高知駅の看板が出るが、ナビは左折して高知城を示す。
ホテルに荷物を置きさっそくはりまや橋を目指して商店街を歩く。



意外と大きなアーケードで帯屋町や壱番街とある。
自転車が多く、店の周りには自転車が幅を利かせていた。



はりやま橋まで歩き、広め市場に行く。



市場前で気さくそうなオジサンがいたので声をかけた。
どこかいい店はないかと聞くと、ついてこい来いという。



市場の中は真ん中にテーブルが何十台もあり、周りには居酒屋風の店がずらりと並んでいた。
声をかけたオヤジ(伊藤さん)の席はすでに料理が運ばれていて飲みかけのお酒が置いてあった。
席に着き、生ビールとカツオのたたきの塩を頼んだ。
話好きでこの広場でも顔が広いようで、高知の名所をというと友達の所に行き、パンフレットをもらって来てくれた。
土佐の話(歴史、土地柄の話)、九州の話、しまいには家族の事など2時間ばかり、おいしい酒(土佐鶴(辛口))と美味しい料理で過ごした。
店を出てオヤジが教えてくれた高知城のライトアップを観に行った。
ホテルに戻り窓を開けるとライトアップされたお城がここからも見えた。
ネットを開き、明日の宿を探す。
「広くていいホテルが安くて見つかったよ」
と家人が言うので予約を確定した。
いろいろ考えたが高知に2泊することにした。
・・・続く。

栗林公園

2020-06-11 20:28:36 | 旅行
ホテルを出て5分も進まないうちに栗林(りつりん)公園に着いた。
門をくぐるとボランティアガイドのおじいさんが案内してくれることになった。
「暑いからマスクはとりましょうね」
と言われ空を見上げると晴天の夏空だった。
いまが見どころの菖蒲園に向かう。



栗林(りつりん)という名前は、その昔ここは栗の木が立ち並ぶ場所だったようで、それを切り開き公園を作った、その名残のようだ。
高松藩の初代藩主松平頼重御(三家の水戸徳川家の長男の初代藩主・徳川頼房)が大名庭園としての本格的な整備をしたといわれている。



広大な園内には見事な松(巨大木あり盆栽のような木)が無数に点在し圧倒される。
手入れにもかなりの手数がいるのだろう。
睡蓮の池や無数の錦鯉が遊ぶ池など、高松市内の中心部にこんな広大な公園があるとは驚きだ。
ガイドの山下さんは熊本の歴史も詳しく、西南の役での熊本城の役割や激戦地だった田原坂のこと水前寺公園の事で話が盛り上がった。
裏手にある紫雲山も含め日本三名園(偕楽園・兼六園・後楽園より優れている)とされているようだ。
山下さんから茶小屋で茶でもと誘われ、鞠月亭(きくげつてい)という茶小屋に上がり込む。
抹茶と御菓子を頂いていると3人組のテレビクルーから声がかかる。
「NHKですが、抹茶を頂いているところを取材させてくれませんか?」
カメラが回り、マイクを向けられ取材が始まる。
どうも今回のコロナ関係で観光客へのインタビュー取材のようだった。
まさか全国放映ではないだろうし、ボツになることもある。



鞠月亭内を案内され、建物内から見る公園のすばらい景色にしばし見とれてしまう。
茶小屋を出て最後の絶景(ガイドさん)に行く。



バックの紫雲山を含めた絶景ポイントだった。
約一時間の公園散歩を終え、高知を目指す。
・・・続く。

高松タウン

2020-06-10 23:10:00 | 旅行
高松市内に入ると一番に感じたことはなんと洒落た街なんだろうと思った。
ホテルは高松駅の近くにあり便利の良いところだった。
部屋も広く、コロナの関係なんだろうか割と安かった。



翌日は早め(4時半)に起きて高松駅まで歩く。
日の出前のうす暗い中ではあったがすぐに日の出を迎える。
最終駅(または始発駅)なのでその先は高松港と接していた。
高いタワー(今ではどの都市にもある)や駅前広場なども整備されてまだ新しい雰囲気だった。
海岸べりも整備されていて遊歩道が続いていた。
先端の赤灯台まで歩いてみた。



釣り人やウォーキングやジョギングをする人たちで市民にとってはいこいの場所なのだろう。
高松港には小豆島行きの船が2隻停泊していて、一隻は今から出航するような雰囲気で、乗り込む車両が列を作っていた。



港のベンチで座ってその様子を見ていると自転車に乗ったおじいさんから声をかけられ、しばらく話をした。
いまから友達と待ち合わせをして女来島まで船に乗って釣りに行くという。
高松の情報をいろいろと聞きこんだ。
高松城跡(玉藻公園)の横を歩き、しばらく行くと踏切があり、さて何の何が走ってるのだろう(JR高松駅はすでに終着駅なのに)と思っていると、踏切の警報器がなりだし電車が通り過ぎていく。



琴電だった。
まだ6時頃だったと思うが何本かの電車が通り過ぎていく。
片原駅まで歩き商店街をるいてホテルに戻った。



商店街(アーケイド)もまだ新しいようで屋根の高いりっぱなものだ。
朝の散歩だけで9000歩近く歩いた。
昨日のこんぴらさんの事といい脚の負担が気になるところだ。
さてホテルの朝食なのだが、コロナの影響なのかバイキングスタイルではなく一人前の弁当スタイルだった。
驚いたのはそれにプラスしてミニうどん(釜揚げ)が付いてきた。
さすがうどん県といわれるだけのことはある。
・・・続く

四国の国へ

2020-06-09 22:16:27 | 旅行
瀬戸大橋を渡って四国に入った。
倉敷JCTより瀬戸中央道(早島、坂出)の方向指示に従い瀬戸大橋に出る。



与島PAでひと休憩しその橋を眺める。
鉄道と共用橋だそうで、ちゃんと電車が走っていることを目にすると不思議な気分になる。
さて、本来ならば自宅を午前3時に出て4時までには福岡ICに入るはずだった。
高速道路の休日割はコロナの関係で適用されておらず、深夜割(午前0時から4時までに高速の料金所に入る出るか)だったら同じ30%割引が適用されるからだった。
スマホのアラートをかけたつもりだったが起きたのは4時近かった。
早朝の国道3号も空いていて、北九州から関門トンネルとスムーズに進み国道2号線に出て山陽自動車道に乗ったのだった。
坂出ICをちょうど正午頃に降りてさぬきうどんを目指す。
金比羅山に向かう途中に長田うどんという釜揚げうどんで有名な店があるという(家人)。
行列が出来ていたが並んでみた。
テーブルには桶に入ったうどんを3,4人で食っている光景を目にする。
何が何だか分からないので1人分と1.5人分を注文する。
ひょうたんのようなモノをおばちゃんが持ってきて
「熱いから気を付けて」
とおいていく。



うどんがどんぶりで出てくる。
ひょうたんからだし汁を別の茶碗に移し、ショウガをたっぷりとゴマを入れる。
うどんをすくって食べてみると、これは旨い。
ショウガをさらにたっぷりとい入れ、あっという間に完食だった。
さすがうどん県といわれる香川県だ。
四国は今回で2回目だったが、自力(クルマ)で来るのは初めてで香川方面は初めてなのだ。
うどんにショックを受けた後はこんぴらさんだ。





門前町からいよいよ階段上りが始まる。
100段くらい登った時、売り子のおばちゃんに階段の数を聴いた。
「786段から1」を引いた数だ」
と教えてくれた。



何度も休みながらも何とか本殿に着いた。
帰りも大変だったが、もうすでに脚はパンパンだった。
明日からの事を考えるとこれは良くない判断(場所選び)だったのだ。
高松市内のホテルは広く素敵なホテルだった(これは家人のナイスチョイス)
突然のようだが今回は2泊分のホテルを予約して、後は気分(体力かな)次第で四国を回るつもりだ。
コロナの関係ではない、個人的な気持ちの切り替えのような旅になると思う。
・・・・続く。

とことん金沢

2020-03-06 23:41:37 | 旅行
宿は海岸べりにあり、素敵なペンションのような宿だった。
地元の人で元漁師という人が大量のズワイガニや毛ガニを持ってきてくれた。
まな板と包丁で食いやすいように切れ目を入れてくれる。
特性のタレで頂くとこれは旨い。
九州では味わえない(というか食ったことのない)味に
「外で食えば○○円くらいするんでしょうね」
などとえらそうな事を言った。
旨いものを食って夕日を見に海岸線に出た。
日本海に沈む夕日、感動だった。
翌日は近江町市場に直行した。



市場としては規模が大きな市場でありとあらゆる海産物が並んでいる。
ズワイガニや毛ガニが並んでいる。
その値段を見てびっくりだった。
昨日、地元の元漁師さんが持ってきたくれたものがここに並んでいるが、値段は桁が一つ違っていた。
知ったようなことは言わない方が良いようだ。
ほんとに失礼だった。





市場内にあるおでん屋で金沢おでんを朝食として頂いた。
梅貝(バイガイ)があったのでそれも食う。
人気の店のようで平日の朝からかなりの人手だった。
一昨日、香林坊あたりをぶらついてありつけなっかたが、これで満足した。
のどぐろは人気のようで、これまた高価な値段で取引されている。
お土産に何点か買い、武家屋敷に向かう。



九州の各地にある武家屋敷(石で囲いを固めたり、威張った門構え)と違い、土塀と水が流れる用水路と石畳の道、気品が違う。
壁を雪から守る薦掛けが延々と土塀にかけられていた。
そして庭木にはゆき吊り、なんとも情緒ある風景だった。
その後、人気のすし屋に行き、初めてのどぐろの寿司を頂いた。
口の中に広がる幸福感は忘れられない味になった。



北陸石川を旅して思ったことは、文化や風習の優れた(高い)地域だと思った。
それを古くから守り続けている所だ。
今回はかなり深く旅して思い出に残る旅だった。

チャンカレと8番ラーメン、鳥野菜(これは食った)、金沢おでん(これも食った)、和菓子もうるさいようだ。
次回のお楽しみにしたい。