関門トンネルをくぐり下関市内に入る。
ここもトンネルからの道とインターチェンジからの取り付け道路が入り組んでいてわかりにくいところだ。
うろうろしていると海岸線(壇ノ浦)あたりに出た。
海岸線を右に関門海峡を見ながらしばらく走ると長府市街地に入る。
観光会館のような所があったのでそこに駐車した。
会館に入り市内(長府城下町)のマップを手に入れる。
奇麗に整備された川沿いにはかなりの数のカモがたむろしている。
先ずは長府毛利邸を目指す。
ガイドには
<長府毛利家第十四代当主の毛利元敏公が、東京から長府に帰住し、この地を選んで建てた邸宅で、明治三十一年(一八九八)に起工し、明治三十六年六月二日に完成した後、大正八年(一九一九)まで長府毛利家の本邸として使用されました。>
とある。
長い玄関までの石畳を歩き、門をくぐる。
毛利秀元の像が出迎える。
歴史観のある家屋に入るとツルの襖絵が表れる。
さらに中に入ると大広間が広がっていた。
部屋数もかなりあるようで中庭をぐるりと囲んでいる。
二階部屋もあるようだが、資料展示室になっていた。
庭も広く、今の時期は緑がきれいだ。
その一番いいであろうという部屋に<明治天皇御宿泊の間>というのがあった。
<完成直前の明治35年(1902年)に、熊本で行われる陸軍演習を視察する明治天皇の行在所(仮の御所)となり、往路の11月9日と、復路の11月15日に宿泊。>
天皇が泊まられたとはすごいことではないか(それだけで感動だった)。
歴史的長府毛利邸を出て、功山寺というお寺に行った。
毛利家ゆかりのお寺のようで大きな山門が出迎える。
乃木希典(大将)や狩野芳(画家)、高杉晋作(銅像があった)のゆかりあるところのようだ。
お寺を出ていったん駐車場に戻り、クルマで長府庭園に向かった。
園の一番奥に滝があり、その水が流れ池を作る、そのような庭園だった。
今一番のアジサイが所々に咲く。
池の淵に大きなハスを見つける。
孫文から送られた蓮で中国古来の品種のようで貴重なものだろう。
長府を後にして関門トンネルを抜け帰路につく。
関門は昔から交通の要所のようで、歴史的にいろいろな人物が集まるところだ。
菅原道真も長府にゆかり(菅原の井戸)があったようで、この地には二度と帰らない、といった言葉を残したという。
壇ノ浦の戦い以前からの歴史があり、幕末の長州藩の歴史を持つ町だ。
ここもトンネルからの道とインターチェンジからの取り付け道路が入り組んでいてわかりにくいところだ。
うろうろしていると海岸線(壇ノ浦)あたりに出た。
海岸線を右に関門海峡を見ながらしばらく走ると長府市街地に入る。
観光会館のような所があったのでそこに駐車した。
会館に入り市内(長府城下町)のマップを手に入れる。
奇麗に整備された川沿いにはかなりの数のカモがたむろしている。
先ずは長府毛利邸を目指す。
ガイドには
<長府毛利家第十四代当主の毛利元敏公が、東京から長府に帰住し、この地を選んで建てた邸宅で、明治三十一年(一八九八)に起工し、明治三十六年六月二日に完成した後、大正八年(一九一九)まで長府毛利家の本邸として使用されました。>
とある。
長い玄関までの石畳を歩き、門をくぐる。
毛利秀元の像が出迎える。
歴史観のある家屋に入るとツルの襖絵が表れる。
さらに中に入ると大広間が広がっていた。
部屋数もかなりあるようで中庭をぐるりと囲んでいる。
二階部屋もあるようだが、資料展示室になっていた。
庭も広く、今の時期は緑がきれいだ。
その一番いいであろうという部屋に<明治天皇御宿泊の間>というのがあった。
<完成直前の明治35年(1902年)に、熊本で行われる陸軍演習を視察する明治天皇の行在所(仮の御所)となり、往路の11月9日と、復路の11月15日に宿泊。>
天皇が泊まられたとはすごいことではないか(それだけで感動だった)。
歴史的長府毛利邸を出て、功山寺というお寺に行った。
毛利家ゆかりのお寺のようで大きな山門が出迎える。
乃木希典(大将)や狩野芳(画家)、高杉晋作(銅像があった)のゆかりあるところのようだ。
お寺を出ていったん駐車場に戻り、クルマで長府庭園に向かった。
園の一番奥に滝があり、その水が流れ池を作る、そのような庭園だった。
今一番のアジサイが所々に咲く。
池の淵に大きなハスを見つける。
孫文から送られた蓮で中国古来の品種のようで貴重なものだろう。
長府を後にして関門トンネルを抜け帰路につく。
関門は昔から交通の要所のようで、歴史的にいろいろな人物が集まるところだ。
菅原道真も長府にゆかり(菅原の井戸)があったようで、この地には二度と帰らない、といった言葉を残したという。
壇ノ浦の戦い以前からの歴史があり、幕末の長州藩の歴史を持つ町だ。
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