あじさい物語

七色の紫陽花のような日々の心模様
       

長渕剛さんとふるさと

2007-05-19 07:11:40 | Weblog
今朝は少し曇っているけど、晴れるのかな。

昨夜「テレビに長渕剛さん出ているよ」と娘が教えてくれたので、見ていた番組のチャンネルを変えて見る。途中からだったのだけど、彼の歌はいいなあ。
桜島コンサートのCDは持っていて、折に触れて聞いている。

母の好きだった「乾杯」「とんぼ」「きばいやんせ」を初めとして聞くのだけど、元気をもらう。心が迷っているときや、沈みそうなときは本当にいい。

昨夜の「鶴になった父ちゃん」を聞いていたら、なんとふるさとの地名が出てきた。
「宮ヶ浜」。
そう、西に沈む夕陽がきれいだった。私はその浜に続く少し南の海辺で遊んでいた。夕陽が沈む頃に帰る。落とし穴を作ったり、ままごとをしたり、お尻を振って貝を採ったりしてよく浜で遊んだ。私の小さな時は浜昼顔が咲いていた。

その浜の少しあがった陸地には私の家の畑もあり、畑仕事を頼んだおばさん達に小学生だった私はお茶をよく持っていっていた(我が家は商売をしていたので畑仕事は近くの方々にたのんでいた・・・もっとも教師をしていた母は慣れないその商売の仕事に一生懸命で、畑仕事のやり方もわからなかったのだろうとは思う)その畑は自分の家から10分ほど海の方に坂を下りた所にあった。途中、やかんのお茶がこぼれないようにと気を使っていたものだ。
「一緒にお茶を飲まんね」と言ってもらえるのが嬉しくて、どっちかと言うと、その言葉を待っていて、畑でお茶を飲み、さつまいもやお茶菓子を食べるのが嬉しかった。松と海の匂いを感じながらのお茶は最高だった。

今、畑は、道路になってしまって、ほんの一部しか残っていない。畑にする前には家があり、父はそこで瓦工場をしていたという。汽車に乗ると「あの瓦は父ちゃんとこのだよ」と教えてくれ誇らしかったものである。
私が覚えているのはそのあと、その家を人に貸し貝の加工物が並べられていたのを思い出す。だから今でも、ハマグリやアサリの佃煮や干したものを見ると何かしら親しみを覚える。

あの同じ時期、長渕さんもあの浜のあたりを行き来していたのかも知れないと思うと嬉しい。前にも書いたけど、彼の親戚筋の方も知っているし、わが従兄弟の赴任していた学校に彼がいたことも聞いた。従兄弟は直接は教えていないけど音楽の教師だった。
そして、何よりも、母が長渕さんの歌が好きだったという事が大きい。
その母の法事で従兄弟が長渕さんがいたと話してくれたことに偶然性を感じ、嬉しかったものである。

宮ヶ浜は、その後、保育していた子ども達と遊んだ浜になったのだけど、彼の歌に出ていたことに、感動した。

ついでながら、その宮ヶ浜から少し北に行ったところに来年NHKの大河ドラマに予定されている「篤姫」の今和泉がある。ここにはさっきの従兄弟の実家もあり、ほかにも親戚がたくさんいて、懐かしい思い出の場面が浮かんでくる。
親戚の結婚式で母が仲人でお嫁さんを迎えに行き(昔は家で結婚式をやっていた)残された私が「母ちゃん、母ちゃん~」とずっと大声で泣き、お料理を作っているおばさんたちを困らせたこと・・・。とにかく私はよく泣いていたと思う。今も尾を引いている・・・かな。

歌はいい。長渕剛さんのパワーをもらいたい。
ふるさとに関係している彼であればこそ、応援したい。

ふるさとは時折思い出しては私の心の栄養源となっている。
コメント
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