福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

ケフェレックのドビュッシーをCDで聴く

2014-05-09 11:09:28 | レコード、オーディオ


午後からの来客に備えての音楽部屋の片付け(掃除とまでは呼べない・・)をしていたのだが、どうにも手が止まって捗らない。
理由はBGMにあって、チェリビダッケのブルックナーが荘厳すぎて、作業の手が止まってしまうのだ。

そこで、BGMを入手したばかりのケフェレックのドビュッシー「練習曲集」に代えたのだが、これまた凄い。
34年昔の録音ではあれど、高音の煌めきなど、昨夜、王子ホールで聴いた響きに共通する。
CDでこれほど良いなら、益々アナログ盤で聴きたくなってしまった。

続いては、ドビュッシー「ピアノとオーケストラのためのファンタジー」。
オリジナルLPでは別アルバムながら、CDでは同じディスクに収められている。
アルミン・ジョルダンの指揮が、何とも良い空気を醸し出す。
モンテカルロ国立管独特のローカルな音色が堪らなく魅惑的だ。

一度は、このCDを購入したことを激しく悔いたが、結局は良かったのだ。
というのも、はじめからアナログ盤狙いであったら、「練習曲集」に手を伸ばすことはあっても、「ピアノとオーケストラのためのファンタジー」を選ぶことはなかった。
つまり、一生、この美しい演奏と録音を知らずにいたということになる。
人生、何が幸いするか分からない。



さて、ランチ後のBGMはアバド&ベルリン・フィルのモーツァルト「ポストホルン」セレナーデ。
ソニー・クラシカルによるアニヴァーサリー・エディションの第2巻より。
これまた、心に涼風の吹き抜けるような爽やかなモーツァルトだ。
CDということで、入手を見送ってきたのだが、たまたま、地元のユニオンに格安で出ていたので買ってきたもの。
ベルリン・フィル時代のアバドを、もっと見直さないといけない。


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素晴らしきケフェレック!

2014-05-09 00:26:56 | コンサート
 


アンヌ・ケフェレック・リサイタル

プログラム

ショパン:夜想曲 第20番 遺作
    :幻想即興曲 Op.66
    :子守歌 Op.57
    :舟歌 Op.60
リスト:悲しみのゴンドラ
   :「伝説」より 水の上を歩くパオラの聖フランチェスコ

********** 休憩 **********

サティ: グノシェンヌ 第1番
ラヴェル:シャブリエ風に
サティ: ジムノペディ 第1番
プーランク:「ジャンヌの扇」より 田園
セヴラック:「休暇の日々から」第1集より 古いオルゴールが聞こえるとき
ドビュッシー: 夢
サティ: グノシェンヌ 第3番
フェルー:「モンソー公園で」より のんびりと
アーン: 冬
アーン:「当惑したナイチンゲール」より 長椅子の夢見る人
ドビュッシー:「ベルガマスク組曲」より 月の光
デュポン:「憂鬱な時間」より 日曜日の午後
サティー:ジムノペディ 第3番
ケクラン:「陸景と海景」より 漁夫の歌
フローラン・シュミット:「秘められた音楽」第2集より 弔いの鐘

アンコール

スカルラッティ ソナタ
ヘンデル(ケンプ編曲) メヌエット

2014年5月8日 王子ホール


ケフェレックのリサイタル、本当に素晴らしかった。
前半、後半ともに、曲間に拍手を求めず、ほぼアタッカで演奏するというスタイル。
どちらのステージも、はじめからこのように構成されていたのでは? と思わせるほど、有機的で自然な流れであった。
ケフェレックのピアノは、豊かな教養を感じさせる奥ゆかしいもの。
生の感情を爆発させるというのとは正反対だが、その気品溢れるスタイルの中に豊かなファンタジーと熱い情感を宿しているのが強みである。
タッチも美しく、特にピアニシモの美しさは文字に出来るものではない。

前半のショパン、リストも素敵だったが、後半は集中力が増し、また自由な精神の羽ばたきも加わって聴くものを魅了した。
フランスの様々な作曲家による小品が並ぶが、ここに強い構成感をもたらしたのはその配列。
サティのジムノペディ2曲とグノシェンヌ2曲が、あたかも語り部が昔話を語るような趣を醸しだし、その間に様々なドラマが展開されるといった趣なのだ。
そして、いつしか聴衆は、まるで、ロンドーのような懐かしい効果に包まれていることに気付かされるのである。
すべての演奏が見事だったが、特に感動的だったのはプーランクの「田園」とドビュッシーの「月の光」。
プーランクの歌心や間の取り方の絶妙なこと。
ドビュッシーの色彩感と遠近感のなんと立体的だったことだろう。
作品の格が上になれば成る程、演奏も素晴らしくなるように感じた次第。

また、演奏前のお辞儀やカーテンコールの態度にも、素っ気ないほどに飾りのないのも素敵だった。
偉ぶることのない、誠実な人柄がそのまま演奏に反映されているように思える。



さて、今宵は早く帰宅しようと思っていたのだが、後半があまりに素晴らしかったので急遽サイン会の列に並ぶことに。
しかし、ここで、マニアとして一生の不覚!
急いで選んだ即売CDがアナログ時代(1970年代後半)の録音のものだったのだ。
最新盤に買い直すために列を離れると、益々帰りが遅くなるので、そのままにしたのだが、どうせ古い録音ならアナログ盤を買うべきであった。
しかし、写真のように素敵なサインをして頂けたのだから文句はない。
次回の来日公演があるとすれば、アナログ盤を持参することにしよう。







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