花いっぱい音楽祭では、長岡大手高校書道部による「書」パフォーマンスも披露された。このパフォーマンス、テレビなどで観ることは何度もあったけれど、生の実演ははじめてで、なかなか興味深かった。
コンサートホールのステージではなく、ホワイエでのパフォーマンス。
さて、この後、彼女たちにはステージでのパフォーマンスもあった。それは校歌を歌うことである。
長岡大手高校の校歌は、西脇順三郎の詩に三善晃が作曲したという、宇宙的なスケールの芸術作品。
「ああこの学園の人々よ、歌え」
という歌い出しから、歌う者、聴く者の心は遙か彼方に奪い去られる。
「学べ」でもなく、「立派な人になれ」でもなく、「歌え」という。
なんと美しい心であり、詞(ことば)であろうか!
「蒼紫野の森に桜咲き
心は清く香るとき
はるか天体の曲に相和し跳る」
「黄金のみのり野にあふれ
真理の極み満つるとき
すべて在るものは歴史ひらめくことか」
「名利を捨てて豊穣なり
この学びの故郷は尊し」
など、宝石のような言葉が並ぶが、それに付された三善晃先生の音楽がまた奇跡的。かつてラヴェルが「ウィンナ・ワルツ」をオマージュして創作した「ラ・ヴァルス」の如く、古来より日本全国に歌い継がれる「校歌」への愛情が木霊する懐かしくも新しい作品となっているのである。
さて、長岡大手高校の卒業生でもない私が「懐かしき」と言うにはワケがある。
20年ほど昔、私が長岡混声合唱団の前身である長岡第九合唱団の指導に通い始めた頃、自宅の電話が鳴り、長岡大手高校合唱部の顧問であられたM田先生より指導のご依頼を受けたのである。教育雑誌に発表した発声法に興味をもってくださったのだ。通い始めたばかりの土地からピンポイントで声のかかった偶然を驚いたものである。
夏の越後湯沢合宿に参加したときのこと、その最終日、部員たちから私へのお礼ということで、校歌を歌ってくれた。あの清らかな発声と汚れのないハーモニーによる校歌が、今も鮮烈に耳に焼き付いて消えることはない。私の音楽人生の中でも最美のひとつとも呼べるほど尊い時間であった。
だから、本日のリハーサル時間、楽屋前で寛いでいたとき、天井のモニタースピーカーから「長岡大手高校校歌」の前奏が聞こえて来たときには、部屋の鍵をかけるのも忘れて客席に飛んでいったのである。
そして、20年ぶりに耳にして、やはり、素晴らしい歌であることを確認した。
今日は、書道部のパフォーマンスということで斉唱ではあったけれど、確か合唱のためにも書かれており、いつかその声の響き合うヴァージョンでも聴きたいものだ。
というより、指揮したいなぁ。そんな機会は訪れないものだろうか? もちろん、無償で構わないので。