福島章恭 合唱指揮とレコード蒐集に生きるⅢ

合唱指揮者、音楽評論家である福島章恭が、レコード、CD、オーディオ、合唱指揮活動から世間話まで、気ままに綴ります。

時間の潰し方

2014-05-10 23:56:02 | コンサート
本日は10:00~12:00にマタイ受難曲を歌いましょう」、12:00~13:00にヴォイス2001と連続レッスンがあった。
会場は、オープンして間もない「アミューあつぎ」の7階にある。
昔、PARCOだった建物(下の写真、いかにもPARCOっぽいでしょう?)が長らく空きビルとなっていたのだが、この度、厚木市の文化施設として生まれ変わったのである。
元が商業施設だけに、レッスン室には窓もなく、天井も低いのだが、心配されたほどの息苦しさもなく、何より音響もまずまずで一安心。

さて、いつもなら、レッスン後は団員の皆さんとの和やかなランチなのであるが、今日に限ってはエレベーター前で皆さんに別れを告げ、ひとりで9階へ。
パルコ時代にあった小さな映画館が装いを新たに復活したというので、偵察がてら出掛けたのだ。
ボストン響の開演時間までの時間潰しも兼ねるという寸法である。



選んだ映画は、「言の葉の庭」というアニメーション。
新海誠という監督にも物語にも一切の前情報なし。
ポスターとタイトルの美しさに惹かれたのである。

映像の美しさは特筆すべきもの。
それを眺めるだけでも、ランチを抜いた甲斐はあったかも知れない。
音楽は、ほぼ全編がシンセサイザーによるピアノ独奏で、この辺りは生演奏の録音ならなお良かったろう。
さて、物語についての感想は述べないでおく。
前半はかなり惹かれながらも、後半どこか醒めてしまう自分がいたことだけを報告しておこう。



さて、その後は、新宿にて時間潰しパート2。
お約束のディスクユニオンの後は、30年以上昔の学生時代よりお気に入りの紀伊國屋書店地下のJinJinという生パスタ屋へ。
そこで、ミートソースの温泉玉子乗せを食べながら、ふとコンサートのチケットを確認して驚いた。
開演時刻が18時とあるではないか!
勝手に19時と思い込んでいて、ノンビリしすぎたようだ。
腕の時計を見ると17時半。
大慌てで残りのミートソースを掻き込み、食後のドリンクをキャンセルしては地下鉄丸ノ内線の新宿駅へダッシュ。
銀座線の溜池山王駅より小走りでどうやら開演2分前に座席に辿り着くことができた。
あぶない、あぶない、もう少しで、あの絶品の「プラハ」を聴き逃すところであった。

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デュトワ&ボストン響 極上の名演

2014-05-10 20:24:40 | コンサート


デュトワ&ボストン響のモーツァルト「プラハ」&マーラー#5
極上の名演であった。

恐らく、マゼールの代役でなければ、有り得なかった今宵のプログラム。
どちらに転ぶか興味津々であったが、見事、吉となり、その意外性ゆえに誠、新鮮かつ幸福なパフォーマンスとなったのである。

「プラハ」は、人生の哀歓の滲み出る、まさにモーツァルトの真髄を突いた演奏で、その豊かに香るニュアンスと粋なアンサンブルに酔いしれた。
ボストン響ならではのフランス趣味の木管群の色彩が実に美しかった。
残念なことといえば、各楽章のリピートがなかったことくらい。
マーラーの前プロとしてはやむを得ないことだが、もっと長く夢をみていたかった。

休憩後のマーラーも、ただオーケストラを見事に鳴らすとか、色彩感に富んだ、という次元に留まらない渾身の指揮ぶり。
音楽の推進力、造型、歌、すべてに優れ、抜群の統率力とイメージ喚起術によって、オーケストラを遥かな高みへと導いていった。

今回の演奏では、曲の解釈などとは別に「ボストン交響楽団を聴いた」という得難い体験をしたことが嬉しい。
良い意味でのカルチャー・ショックというのだろうか。
小澤時代を飛び越えて(失礼)、かつてのミュンシュ黄金時代を思わせるフランス的な色彩とアメリカ的な機能美によるサウンドは、他では味わうことの出来ない全くユニークなもの。
それを、肌で感じることの出来たことは大きな収穫である。

それにしても、ボストン響のプレイヤーは名手揃い。
殊に第1トランペットは化け物だ。第1楽章冒頭のソロから、楽器に特殊な拡声装置が仕掛けられているのでは、と疑いたくなるほどの音量、音圧で聴く者の度肝を抜かせた。
彼が超弩級なのは間違いないが、ほかのセクションも凄い。地鳴りのようなトロンボーン・チューバ、ホルンの雄叫びなど、凄絶でありながら高貴さを失うことがない。

弦楽器については、ステージ横の座席で聴いたため、その魅力を100パーセント確かめることは出来なかったとはいえ、その艶やかな音色はなかなか耳を離れない。
私の正面に見えたのはコントラバス。トップ奏者は、格好良かったなぁ。まるで、ムラヴィンスキーのような風貌で、毅然とサウンドの土台を築いていた。

さて、デュトワについては、何故か、これまで縁のないまま過ごしてきたが、こうした最高の演奏で出会えたことを喜びたい。
スウィートナーやサヴァリッシュ同様、N響と強い結びつきから、却って来日公演の注目を浴びにくくなってしまっているようだが、また機会があれば、ボストン響との共演を聴きたいと思った。

今宵のモーツァルト、マーラーを聴くに、デュトワのドイツ古典派やロマン派は魅力的。
これを機に、モーツァルトの後期交響曲集、ハイドン、ブラームス、マーラーなども、どんどん録音して欲しいものだ。
そう、かつてのアンセルメのように!
コメント (2)
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