のん太郎が小学校4年生くらいの時に、あたしの友だちに「どうして同じ結果(同じ大学合格)が出るのに、お金をかけて私立中学進学なの?」と聞かれたことがありました。
正直、明確な返答なんてできませんでした。
あたしの中高一貫選択の理由は「公立中学の数学の授業が弱い」と感じたからです。
中学校の間の数学の勉強はとても楽しかった。パズルみたいだった。でも、高校に入ってからの数学は、クイズみたいだった。予備知識や暗記が前提だった。そんな気がしています。もしかしたらそうじゃないのかもしれないけど。結局あたしはその後諦めたので(笑)そんな感覚がずーっと残っていました。
高校数学もパズルのようにも楽しめるけど、そうしていると時間がいくらあっても足りないし、もうすでに分かっていること(公式)を研究されてもつまらん!時間をかけるならもっと先のこと、という文献も目にしました。
もともとはオール公立で、なんなら大学も国公立に・・・とあたし的には思ってました。(だってかかる費用が全く違う!)
だから、公文をずっとコツコツと続けさせていました。数学に関しては、今はのん太郎自ら続けたいと言っています。(ほんと、頑張ってほしい)
なんなら大学も国公立に・・・とは思っているのですが、私大卒のあたしが言うのも説得力ないので、のん太郎が私大に行っても金銭的に困らないようにするために「高校までは公立で」と考えていた、という方が事実に近いです。
でも、「中高一貫って、中学校の勉強を1.5年くらいで終わらせて、そのあとは高校課程に入る」ということを知ってから、その手があったかー!と感心しました。(情報を持たなさ過ぎた)
また、最近聞いた話ですけど。
「大学受験科目に全力を注ぐ。それができるのが中高一貫。」
え?公立高校でも大学受験科目に全力を注いでますよ?と思いました。
でも、それはそういう意味ではなくて、国公立大学に進学したい場合は、まんべんなくやらなくてはいけないですが、私立大学にターゲットを絞った場合は、その教科だけに全力を注げる。
でも、高校受験がある場合は、高校受験まではしっかりまんべんなくやっていかなくてはならないよね?
そういうことです。なるほどねー。
要するに「数学前倒し」や「進路を決めたらターゲットを絞り込める(3教科だけ強ければいい)」ということをカスタマイズしやすいというメリットが中高一貫にはあるんだよということでした。
中学受験の時に感じましたが、受験は「情報」がカギです。
それを証拠に、中学受験はビジネスになっていて、大手学習塾が難関校を制しています。大学受験はもっと以前からビジネスでした。いろんな情報がカギとなっている。そういうのって理不尽だけれど、そこでぶうぶう言っても仕方ない。受け入れて次へ進むしかない。
勉強が好きな子は自分でずんずん進む。(オール公立で東大行った同級生3人知ってます。彼らは本当によく勉強していました)
でも、のん太郎のように「つい周りを見ながらやる子」は、学校や予備校からの情報やはっぱかけは効果的、と感じます。
私立中学は「教育理念」を掲げているので、その違いを知って、自分の子どもに合った(合うであろう)教育を受けさせることができるというメリットがあると感じました。(偏差値だけで決めてしまって、入学してまったく合わないってことになると辛いです。必ず学校を見た方が良いと思います)
今は大学附属もあります。外部から受けるのと内部進学では、入りやすさが全く違う大学もあります。
「同じ結果」になるには相当な努力がのちのち必要なことも。努力することはいいことですけど、もっと他に楽しいことを探究できていたかもしれないと思うと、その手があったかー!って思ってしまいます。(大学附属中学の生徒は、大学の施設を利用してどんどん先の研究ができたりすることも魅力です)
冒頭の「どうして同じ結果が出るのに、私立中学なの?」ですが、今、その同じ問いをされたら「中高一貫選択は、早めの準備で選択肢を広げられるなら広げておきたい。あとで”その手があったのかー!”って思わないようにしたいんだよね。」でしょうか。(また変わるかもですけど)
なので希望校に受かる子は、うちの娘が行った高校だと3分の1の確率(T . T)大半が後期組…。
私立は投資(金銭面)が大変だけど、後々の時間の無駄がないと思う。とつくづく公立高校受験を体験した親として思います!下は今から中学受験目指してコツコツと頑張っています!
親になると、自分が通ってきた道だからか、子どもが歩んでる道をちょっと客観的に見ることができて、もっといい方法はないかな?って悩むよね。
ブログに偉そうに書いちゃったけど、のん太郎の性格を考えたりすると、この選択が正しかったのかも本当のところわかっていないの(笑)。
でも、6年後やもっと先(のん太郎が大人になったとき)に、あたしと同じように考え直したり、振り返ったりしたときに「よかった」とか「こうしておけばもっとよかった」とか「こうじゃないほうがよかった」とか思ってもらえればと思います。
なんにせよ、未来を予測するのは難しいけど・・・。