明鏡   

鏡のごとく

『かけたることのなきように』

2015-06-20 00:44:22 | 詩小説
前歯がかけたのは、中学生の頃だった。
歯医者に行ったのが運の尽きだった。
治療が終わったら、必ず最後に手鏡を持たせてくれ、どこをどう治療したのか教えてくれていたのに。
その日に限って、鏡をよこさず、いそいで治療を終わらせたのだった。
家に帰って、風呂に入り、歯を磨こうとした時、鏡に写る自分の前歯の隅っこが、鼠に齧られたように。
小さく欠けていたのを見つけたのだった。

おしゃれのためでなく、かけたることのなきように、鏡を持つようになったのは、それからである。

その歯医者は今はもうなくなってしまったという。
その歯医者の忘れ形見が修行して念仏を唱える人になったと風のうわさで聞いた。
別に忘れ形見に恨みはない。
千年たっても恨むとかいう物言いを、念仏したとて、何も変わらず、濁りとどまるだけであるので。
いずれにせよ、すっかり忘れていた前歯について、思い出すように、降って湧いた忘れ形見の話に。
なにかしら縁のようなものを感じずにはおれなかった。

ただしろきしゃれこうべのために、かけたることのなきように、唱えたまえば。

『双子見たもの』

2015-06-20 00:04:08 | 詩小説
双子だとは知らなかった。
はじめ部屋に入ってきた人と、また同じ顔の人が入ってきたものだから。
名札がなかったら、区別も認識もできなかったであろう。

同じ夢を見たことがあるか。
聞いてみた。
流行病の時、同じものを見たと彼らはいった。

天井に恐ろしいものを見たというのだ。
何を見たのかはよく分からなかったという。
ただ同じものを見たとだけ言うのだった。

今、目の前の壁に背を向けてたっているものを。
たしかに同じものだと思えるものを見ている私がいた。

もしかしたら、彼らの見た、恐ろしいものとは。
悪夢のようにそこにいる私だったのかもしれない。