関東周辺の温泉入湯レポや御朱印情報をご紹介しています。対象エリアは、関東、甲信越、東海、南東北。
関東温泉紀行 / 関東御朱印紀行
■ 徳川家康公と御朱印
このところけっこうアクセスをいただいているので、御朱印を追加しました。
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2023/01/09 UP
今年のNHK大河ドラマは『どうする家康』、徳川家康公が主役です。
昨年の「『鎌倉殿の13人』と御朱印」に引きつづき、今年は「徳川家康公と御朱印」を連載のかたちでまとめてみたいと思います。
今回も範囲を絞り、関東、山梨県、静岡県を対象とします。
なので家康公晩年にゆかりの寺社がメインとなります。
(大河ドラマも”桶狭間の戦い”から始まっていますね。)
まずは家康公の生涯を晩年中心にまとめてみます。
天文十一年(1543年)12月
・岡崎城主松平広忠(松平清康の子)の嫡男として岡崎城で生誕。
・生母は緒川城主水野忠政の娘・大子(伝通院)。幼名は竹千代。
天文十六年(1547年)8月
・数え6歳で今川氏への人質として駿府へ送られる。
天文二十四年(1555年)3月
・駿府の今川氏の下で元服。次郎三郎元信。
・今川義元の姪で関口親永の娘・瀬名(築山殿)を娶る。後に蔵人佐元康と改める。
永禄三年(1560年)5月
・桶狭間の戦いで先鋒。戦捷後、岡崎城に入城。
永禄四年(1561年)
・今川氏と断交して信長と同盟を結ぶ。(清洲同盟)
永禄六年(1563年)
・元康から家康と名を改める。
永禄九年(1566年)
・三河国を統一。朝廷から藤原氏とされ従五位下三河守に叙任し「徳川」に改姓。
・新田氏庶流の世良田三河守頼氏を松平氏の祖とした。
・改姓に伴い本姓を「藤原氏」から「源氏」に復している。
(略)
天正十八年(1590年)
・秀吉公の命により、北条氏の旧領、武蔵国・伊豆国・相模国・上野国・上総国・下総国・下野国の一部・常陸国の一部の関八州に移封。
慶長三年(1598年)
・五大老の一人に任命される。
慶長五年(1600年)9月
・関ヶ原の戦いで勝利。
慶長八年(1603年)2月
・征夷大将軍に任ぜられる。
慶長十年(1605年)4月
・征夷大将軍を辞し、嫡男・秀忠への将軍宣下。
慶長十二年(1607年)
・駿府城に移る。(大御所政治)
慶長十九年(1614年)大坂冬の陣。
慶長二十年(1615年)大坂夏の陣。
元和元年(1615年)
・禁中並公家諸法度、武家諸法度、一国一城令を制定。徳川氏による日本全域の支配を確定したとされる。
元和二年(1616年)4月
・駿府城において死去。
・『本光国師日記』によると、家康公の遺言として「臨終候はば御躰をば久能へ納。御葬禮をば增上寺にて申付。御位牌をば三川之大樹寺に立。一周忌も過候て以後。日光山に小き堂をたて。勧請し候へ。」
・葬儀は5月17日増上寺。戒名は「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」。
・遺体は駿府の南東の久能山(現久能山東照宮)に葬られ、遺言通り一周忌を経て日光の東照社に分霊。
・「墓所」は一般に、久能山東照宮の廟所宝塔(神廟)と、日光東照宮の奥社宝塔の2つとされる。
・神号は側近の天海と崇伝、神龍院梵舜の間で権現号と明神号が議論され、山王一実神道に則って薬師如来を本地とする権現「東照大権現」とされる。
元和三年(1617年)2月
・東照大権現の神号、3月に神階正一位が贈られる。
寛永二十年(1643年)
将軍家光公は高野山に家康公と秀忠公を祀る霊屋(徳川家霊台)を建立。
正保二年(1645年)11月
・宮号宣下、東照宮となる。
・東照宮に正一位の神階が贈られ、家康公は江戸幕府の始祖として東照神君、権現様とも呼ばれて江戸時代を通して崇拝される。
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【家康公の信仰】
家康公の信仰仏として、以下の尊仏が知られています。(他にもまだまだあります)
・増上寺(東京・芝)の黒本尊(阿弥陀如来)
■ 増上寺・黒本尊の御朱印
・宝台院(静岡市・葵区)の白本尊(阿弥陀如来)
・隣松寺(愛知県豊田市)の冑三尊(阿弥陀三尊))
・大相模不動尊(大聖寺(埼玉県越谷市)Web)、鼠切り不動明王(不動院禅寺(三重県津市)Web)
■ 大聖寺・大相模不動尊の御朱印
・摩利支天(摩利支尊 徳大寺(東京上野広小路)Web)
■ 徳大寺・摩利支天の御朱印
・北辰妙見大菩薩(覚成寺(群馬県みどり市)Web)
・三面大黒天(大蔵経寺(山梨県笛吹市)Web)
■ 大蔵経寺の御朱印
・善國寺の毘沙門天(善國寺(新宿区神楽坂)Web)
■ 善國寺・毘沙門天の御朱印
・寶珠院の開運出世大辨財天(寶珠院(港区芝公園)Web)
■ 寶珠院・開運出世大辨財天の御朱印
・寶田恵比寿神社の恵比寿神
「馬込勘解由と云う人は家康公が入府の時、三河の国から随行して、此の大業を成し遂げられた功に依り、徳川家繁栄御祈念の恵比寿様を授け賜ったので、平穏守護の御神体として宝田神社に御安置」(日本橋江戸屋Webより)とのこと。
■ 寶田恵比寿神社の御朱印
【家康公と宗派】
家康公と各宗派とのゆかりについて、まずは代表例をざっくりと書き出してみます。主に関東周辺関連です。
〔浄土宗〕
家康公は「熱心な浄土宗信者」で(知恩院Web、浄土宗大辞典)増上寺住職・源誉存応上人に帰依し、葬儀も浄土宗の増上寺であげられています。
徳川家の菩提寺は増上寺で、徳川氏(松平氏)の菩提寺・大樹寺(愛知県岡崎市)も浄土宗です。
小石川の傳通院は、慶長七年(1602年)に家康公のご生母於大の方が逝去し、家康公が菩提寺とされて現号に改め、以来徳川家の菩提寺として重きをなしました。
行徳の徳願寺、蔵前の松平西福寺も家康公開基と伝わります。
また、鎌倉大長寺の住職暁誉源栄は、小田原征伐時に家康公の意を受け玉縄城主北条氏勝を説得して開城につなげ、以降家康公との交流を深めたといいます。
【写真 上(左)】 増上寺の御朱印(御詠歌)
【写真 下(右)】 徳願寺の御朱印
【写真 上(左)】 傳通院の御朱印
【写真 下(右)】 大長寺の御朱印
■ 葵の御紋が入った傳通院の御朱印帳
徳川軍の旗印「厭離穢土欣求浄土」(お(え)んりえどごんぐじょうど)は浄土宗(浄土教)の思想に基づくものとの説があります。
〔天台宗〕
家康公は天台宗の天海大僧正に帰依(喜多院Web、会津美里町観光協会Web)したことから、天台宗との関係もふかいとされます。
天海大僧正が創建された上野の寛永寺は、江戸城の鬼門の守護とされる門跡寺院です。
上野の輪王寺には天海(慈眼大師)と良源(慈恵大師、元三大師)の両大師が祀られています。
舞台造りで有名な上野の清水観音堂も天海大僧正の建立です。
【写真 上(左)】 喜多院の御朱印
【写真 下(右)】 寛永寺の御朱印
【写真 上(左)】 上野輪王寺の御朱印
【写真 下(右)】 上野・清水観音堂の御朱印
〔臨済宗〕
駿府時代の家康公が師事したともいわれる太原雪斎(崇孚)は臨済禅であり、晩年のブレーンのひとり金地院(以心)崇伝も臨済禅でした。(清見寺(静岡市清水区)Web)
幼少時の家康公は、太原雪斎ゆかりの臨済寺(静岡市葵区)に居住し学んだと伝わります。
■ 金地院崇伝創建の芝・金地院の御朱印
〔曹洞宗〕
曹洞宗寺院の可睡斎(静岡県袋井市)の第11代住職仙隣等膳は竹千代の教育を受け持ったことがあり、後に浜松城主となった家康公が等膳和尚を城に招いた際、居眠りを始めてしまった和尚に親しみ、家康公が「可睡斎」と名付けたという逸話がのこります。山内には三方ヶ原の戦いで武田軍から逃れた家康公が隠れたとされる洞窟「出世六の字穴」がいまも残ります。
泉岳寺(東京・高輪)は、家康公の開基と伝わります。
来見寺(茨城県利根町)の住職は家康公の知己で、公が立ち寄った際「私が来て見たので、来見寺にせよ」との言で改号されたと伝わります。
【写真 上(左)】 泉岳寺の御朱印
【写真 下(右)】 来見寺の御朱印
〔真言宗〕
家康公は駿府在住時にしばしば真言宗の音羽山清水寺観音堂に詣で、念待仏の恵心僧都作の千手観音の像や寺領を寄進したといい、住職秀尊阿闍梨は陣僧として行動をともにしたともいいます。
また将軍家光公は高野山に家康公と秀忠公を祀る霊屋(徳川家霊台)を建立しています。
また、筑波山の知足院中禅寺(現・大御堂)は家康公以来将軍家と幕府の祈祷を行っていたとされ、知足院の江戸別院・護持院はのちに音羽護国寺の境内に移されて幕府の祈願寺としての役割を担いました。
【写真 上(左)】 つくば大御堂の御朱印
【写真 下(右)】 護国寺の御朱印
〔時宗〕
・「松平八代」の初代とされる親氏公は時宗の僧で徳阿弥と称し、諸国遍歴後、三河の地にたどり着いたとされています。
称名寺(愛知県碧南市)は三河松平家(徳川家)との関わりがふかく、家康公の幼名竹千代は十五世一天和尚が命名と伝わり、山内には三州大浜東照宮が鎮座します。
〔日蓮宗〕
台東区根岸の要伝寺のWebには、家康公と日蓮宗とのゆかりが記され、これによると、谷中の瑞輪寺は家康公の開基檀越、世田谷区北烏山(もと神田湯島)の幸龍寺も家康公の開基で徳川将軍家の祈願寺として外護されたとされています。
神楽坂の善國寺も家康公開基と伝わります。
鎌倉・植木の日蓮宗寺院・久成寺は、小田原合戦の際に家康公が立ち寄り寺領を寄進、以降も外護されたと伝わります。
身延山には家康公の側室で熱心な日蓮宗信徒であった養珠院(お万の方)ゆかりの上の山東照宮が祀られています。
【写真 上(左)】 要伝寺の御首題
【写真 下(右)】 瑞輪寺の御首題
【写真 上(左)】 幸龍寺の御首題
【写真 下(右)】 久成寺の御首題
一般に家康公は浄土宗、天台宗とのゆかりがふかいとされますが、以上のように多くの宗派と関係をもっていました。
【家康公ゆかりの神社】
家康公ゆかりの神社としては、家康公(東照大権現)を祀る東照宮が代表格ですが、他にも家康公ゆかりの神社は数多くあります。
〔八幡社〕
浜松八幡宮は浜松城の鬼門の方角に位置していたことから家康公が鬼門鎮守として信仰し、度々参拝したといいます。
また家康公は、伊賀八幡宮(愛知県岡崎市)への尊崇篤かったといわれます。
〔浅間神社〕
静岡浅間神社は、天文二十四年(1555年)、駿府で人質となっていた14歳の竹千代が元服し松平元信となった神社とされます。
江戸時代には、徳川家康公の崇敬社として歴代将軍の祈願所にもなりました。
家康公は駿河国一之宮富士山本宮浅間神社にも神殿を寄進しており、浅間神社への崇敬が篤かったことがうかがえます。
■ 富士山本宮浅間神社の御朱印
〔神田明神〕
家康公は関ヶ原の戦いの前に神田明神に戦勝祈願したとされ、成就ののちも江戸総鎮守として広く人々から崇敬を受けました。
■ 神田神社(神田明神)の御朱印
〔稲荷神〕
江戸の街にこれだけ稲荷神社が広まったのは、家康公の稲荷神信仰の影響という説があります。
文京区本郷の三河稲荷神社はもともと三州碧海郡上野庄稲荷山に御鎮座で、家康公の崇敬篤く、天正十八年(1590年)の江戸入国に際して造営奉遷とされています。
千代田区神田駿河台の太田姫稲荷神社(一口稲荷神社)は慶長十一年(1606年)の江戸城大改築の際、城内に御遷座の当社を西丸の鬼門にあたる神田駿河台に御遷座と伝わり、相伝には菅原道真公と徳川家康公が祀られています。
【写真 上(左)】 三河稲荷神社の御朱印
【写真 下(右)】 太田姫稲荷神社の御朱印
〔天満宮・天神社〕
霊光殿天満宮(京都市上京区)は家康公の崇敬篤く、家康公も祭祀されています。
湯島天神は家康公の崇敬を受け、桐生の総鎮守・桐生天満宮は天正九年(1581年)、徳川家の祈願所となり、関ヶ原合戦の際には戦勝祈願したと伝わります。
【写真 上(左)】 湯島天神(湯島天満宮)の御朱印
【写真 下(右)】 桐生天満宮の御朱印
〔氷川神社〕
江戸・武蔵一帯は氷川神社の多いところです。
家康公は文禄五年(1595年)伊奈備前守忠次を奉行として武蔵一之宮氷川神社の社頭を造営しています。
赤坂氷川神社も徳川将軍家代々の尊崇を受けたと伝わります。
■ 武蔵一宮氷川神社の御朱印
〔愛宕神社〕
港区愛宕の愛宕神社は、慶長八年(1603年)、家康公の命により江戸の防火の神様として創祀され、以降も徳川家の尊崇篤い神社です。
愛宕権現の江戸期の別当、圓福寺は家康公が伊賀越えに際して護持された勝軍地蔵を本地佛として奉安し、この勝軍地蔵は明治に入って真福寺に遷られました。
→ ■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-6の第19番-1 瑠璃山 清光院 青蓮寺を参照。
【写真 上(左)】 愛宕神社の御朱印
【写真 下(右)】 真福寺の御朱印
〔湯前神社〕
家康公はしばしば熱海に湯治に行かれたと伝わります。
この故事にならってか、熱海の大湯のお湯を江戸将軍家に献上する「湯くみ道中」の記録が伝わります。
湯前神社の御祭神は薬神、温泉の神ともされる少彦名命。
家康公は製薬調合の達人としても知られているので、少彦名命への崇敬も篤かったかもしれません。
■ 湯前神社の御朱印
〔諏訪神社〕
諏訪大社上社本宮の四脚門は、慶長十三年(1608年)家康公が大久保長安に命じ、国家の安泰を祈願して造営寄進したもので、勅使門とも呼ばれます。
浜松市中区の諏訪神社は、秀忠公誕生に当り産土神として崇敬され、天正7年(1579年)家康公が社殿を造営したといいます。(昭和37年、五社神社と合祀され、五社神社諏訪神社となっています。)
■ 諏訪大社上社本宮の御朱印
〔賀茂神社〕
徳川家の先祖・松平家は賀茂神を崇めていたといわれ、各地に徳川・松平家ゆかりの賀茂神社がみられます。
徳川宗家の家紋「三つ葉葵」は、賀茂神と関係があるという説があります。(賀茂神社の神紋は葵紋)
〔日枝神社〕
山王の日枝神社は、天正十八年(1590年)の江戸入国に際して家康公が江戸城を居城とするにあたり、「徳川家の守り神」「江戸の産神」として崇敬したと伝わります。(太田道灌が川越から山王社を勧請)
日枝信仰は山王一実神道とふかいかかわりをもち、家康公祭祀を語るうえで重要なファクターです。
【写真 上(左)】 日枝神社の御朱印
【写真 下(右)】 日枝神社境内社 猿田彦神社の御朱印
〔山王一実神道〕
家康公祭祀を語るうえで外せないのが、山王一実神道(さんのういちじつしんとう)です。
もともと山王神道(さんのうしんとう)は、鎌倉時代にかけて天台宗総本山・比叡山延暦寺で生まれ、日枝山(比叡山)の山岳信仰、神道、天台宗が融合した流派で、本地垂迹説を容れた神仏習合の思想とされます。
僧・天海は山王神道説をベースに山王一実神道へと発展させ、家康公の歿後、山王一実神道に則り家康公の霊を東照大権現として祭祀しました。(当初は吉田神道の流儀で埋葬されたという説あり)
日光の家康公の墓所には東照宮が建立され、東照大権現は薬師如来の垂迹とされました。(『東照大権現縁起』)
天台宗と山王一実神道との関係はきわめて複雑で、日光の「二社一寺」(日光東照宮、二荒山神社、輪王寺)、上野東照宮と寛永寺(寒松院)、川越の仙波東照宮、喜多院、日枝神社の例をみるとその複雑さが実感できます。
鳴龍で有名な日光東照宮の本地堂は、日光東照宮の境内にありながら、家康公ゆかりで東照大権現の本地とされる薬師如来を奉安する輪王寺のお堂なのです。
もはやこうなると、神社やらお寺やら、手を叩いて参拝していいのやらそれすらもわからないカオス的な状況となってきます。
【写真 上(左)】 日光東照宮の御朱印
【写真 下(右)】 日光東照宮奥宮の御朱印
【写真 上(左)】 日光二荒山神社本社の御朱印
【写真 下(右)】 日光二荒山神社中宮祠の御朱印
【写真 上(左)】 日光山 輪王寺 黒門の御朱印
【写真 下(右)】 日光山 輪王寺 本地堂の御朱印
【写真 上(左)】 上野東照宮の御朱印
【写真 下(右)】 寛永寺の御朱印
【写真 上(左)】 仙波東照宮の御朱印
【写真 下(右)】 喜多院の御朱印
■ 日枝神社の御朱印
家康公の祭祀を辿ることは、江戸時代に隆盛を極めた神仏集合の歴史を辿ることかもしれません。
なお、群馬県太田市徳川町・世良田町周辺は「徳川氏発祥の地」とされ、家康公ないし徳川家ゆかりの寺社が少なくありません。家康公ゆかりの地としてこのエリアを訪ねてみるのも面白いかもしれません。
【写真 上(左)】 徳川東照宮の御朱印
【写真 下(右)】 世良田東照宮の御朱印
【写真 上(左)】 長楽寺(太田市世良田町)の御朱印
【写真 下(右)】 永徳寺(太田市徳川町)の御朱印
太田市の大光院は、慶長十八年(1613年)一族の繁栄と始祖新田義重公の追善供養のため、芝増上寺の観智国師の門弟で四哲の一人といわれた呑龍上人を開山に迎え、家康公が開基した寺院と伝わります。
■ 大光院の御朱印
足利市の鑁阿寺は、世良田氏(新田氏流・徳川氏の祖ともされる)の祖・世良田頼氏の正室が足利義氏の娘である関係から家康公が帰依したと伝わり、寺領60石を安堵されたといいます。
■ 鑁阿寺の御朱印
太田、足利あたりは、探せばまだ家康公ゆかりの寺社がみつかると思います。
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家康公の室の開基ないしゆかりの寺院も少なくありません。
・正室・築山殿(瀬名姫) 嫡男信康、長女亀姫の生母
築山殿を祀る月窟廟は西来院(浜松市中区/曹洞宗)
・継室・南明院(朝日姫、駿河御前) 豊臣秀吉の異母妹
墓所は凌雲山 東福寺(南明禅院)(京都市東山区/臨済宗東福寺派)
・蓮葉院(西郡局、於葉の方) 二女督姫の生母
墓所は本禅寺塔頭・心城院(京都市上京区/法華宗)、芳荷山 長應寺(品川区小山/法華宗陣門流)
・長勝院(於古茶、於万の方、小督局) 次男結城秀康の生母
墓所は天女山 孝顕寺(茨城県結城市/曹洞宗)
・竜泉院(西郷局、於愛の方) 三男秀忠公、四男松平忠吉の生母
墓所は金米山 宝台院(静岡市葵区/浄土宗)
・良雲院(於竹の方) 三女振姫の生母
墓所は東光山 西福寺(松平良雲院)(台東区蔵前/浄土宗)
・下山殿(於都摩の方、於津摩の方、秋山夫人) 五男徳川信吉の生母
墓所は長谷山 本土寺(千葉県松戸市/日蓮宗)
■ 本土寺の御首題
・茶阿局(於茶阿、お八) 六男松平忠輝、七男松平松千代の生母
墓所は吉水山 宗慶寺(文京区小石川/浄土宗)
■ 宗慶寺の御朱印
・普照院(於久の方) 四女松姫の生母
墓所は玉桂山 華陽院(静岡市葵区/浄土宗)
■ 華陽院の御朱印
・相応院(於亀の方) 八男松平仙千代、九男徳川義直(尾張家)の生母
菩提寺は宝亀山 相応寺(名古屋市千種区/浄土宗)
・養珠院(於万の方) 十男頼宣(紀伊家)、十一男頼房(水戸家)の生母
墓所は大野山 本遠寺(山梨県身延町/日蓮宗)
■ 本遠寺の御首題
・英勝院(於梶の方、於勝の方) 五女・市姫の生母
墓所は東光山 英勝寺(鎌倉市/浄土宗)、経王山 妙法華寺(静岡県三島市/日蓮宗)
■ 英勝寺の御朱印
・蓮華院(於梅の方)
墓所は観音山 梅香寺(三重県伊勢市/浄土宗)
・雲光院(阿茶局)
墓所は開基の龍徳山 雲光院(江東区三好/浄土宗)
■ 雲光院の御朱印
・正栄院(於牟須の方)
肥前名護屋で逝去
・泰栄院(於仙の方)
駿府で死去。墓所は藤枝の浄念寺から信濃浄久寺に改葬。
・養儼院(於六の方)
墓所は日光山内?
・清雲院(於夏の方、於奈津の方)
墓所は無量山 傳通院(文京区小石川/浄土宗)、東照山 清雲院(三重県伊勢市/浄土宗)
■ 傳通院の御朱印
・信寿院((山田)富子)
墓所は長栄山 池上本門寺(大田区池上/日蓮宗)
■ 池上本門寺の御首題
・法光院(於松の方?) 松平民部の生母?
・三条氏 小笠原権之丞の生母
宗派は浄土宗と日蓮宗が多く、家康公の室はこのふたつの宗に帰依しやすい環境だったのかもしれません。
東京には御府内八十八ヶ所霊場という弘法大師霊場があり、家康公ないし徳川家ゆかりの寺院もすくなくありません。
なので、併行してこちらの記事で御府内八十八ヶ所霊場も紹介していきたいと思います。
【 BGM 】
■ A Clue - Boz Scaggs
■ That's Why - Michael McDonald
■Oh Yeah! - Roxy Music
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2023/01/09 UP
今年のNHK大河ドラマは『どうする家康』、徳川家康公が主役です。
昨年の「『鎌倉殿の13人』と御朱印」に引きつづき、今年は「徳川家康公と御朱印」を連載のかたちでまとめてみたいと思います。
今回も範囲を絞り、関東、山梨県、静岡県を対象とします。
なので家康公晩年にゆかりの寺社がメインとなります。
(大河ドラマも”桶狭間の戦い”から始まっていますね。)
まずは家康公の生涯を晩年中心にまとめてみます。
天文十一年(1543年)12月
・岡崎城主松平広忠(松平清康の子)の嫡男として岡崎城で生誕。
・生母は緒川城主水野忠政の娘・大子(伝通院)。幼名は竹千代。
天文十六年(1547年)8月
・数え6歳で今川氏への人質として駿府へ送られる。
天文二十四年(1555年)3月
・駿府の今川氏の下で元服。次郎三郎元信。
・今川義元の姪で関口親永の娘・瀬名(築山殿)を娶る。後に蔵人佐元康と改める。
永禄三年(1560年)5月
・桶狭間の戦いで先鋒。戦捷後、岡崎城に入城。
永禄四年(1561年)
・今川氏と断交して信長と同盟を結ぶ。(清洲同盟)
永禄六年(1563年)
・元康から家康と名を改める。
永禄九年(1566年)
・三河国を統一。朝廷から藤原氏とされ従五位下三河守に叙任し「徳川」に改姓。
・新田氏庶流の世良田三河守頼氏を松平氏の祖とした。
・改姓に伴い本姓を「藤原氏」から「源氏」に復している。
(略)
天正十八年(1590年)
・秀吉公の命により、北条氏の旧領、武蔵国・伊豆国・相模国・上野国・上総国・下総国・下野国の一部・常陸国の一部の関八州に移封。
慶長三年(1598年)
・五大老の一人に任命される。
慶長五年(1600年)9月
・関ヶ原の戦いで勝利。
慶長八年(1603年)2月
・征夷大将軍に任ぜられる。
慶長十年(1605年)4月
・征夷大将軍を辞し、嫡男・秀忠への将軍宣下。
慶長十二年(1607年)
・駿府城に移る。(大御所政治)
慶長十九年(1614年)大坂冬の陣。
慶長二十年(1615年)大坂夏の陣。
元和元年(1615年)
・禁中並公家諸法度、武家諸法度、一国一城令を制定。徳川氏による日本全域の支配を確定したとされる。
元和二年(1616年)4月
・駿府城において死去。
・『本光国師日記』によると、家康公の遺言として「臨終候はば御躰をば久能へ納。御葬禮をば增上寺にて申付。御位牌をば三川之大樹寺に立。一周忌も過候て以後。日光山に小き堂をたて。勧請し候へ。」
・葬儀は5月17日増上寺。戒名は「安国院殿徳蓮社崇誉道和大居士」。
・遺体は駿府の南東の久能山(現久能山東照宮)に葬られ、遺言通り一周忌を経て日光の東照社に分霊。
・「墓所」は一般に、久能山東照宮の廟所宝塔(神廟)と、日光東照宮の奥社宝塔の2つとされる。
・神号は側近の天海と崇伝、神龍院梵舜の間で権現号と明神号が議論され、山王一実神道に則って薬師如来を本地とする権現「東照大権現」とされる。
元和三年(1617年)2月
・東照大権現の神号、3月に神階正一位が贈られる。
寛永二十年(1643年)
将軍家光公は高野山に家康公と秀忠公を祀る霊屋(徳川家霊台)を建立。
正保二年(1645年)11月
・宮号宣下、東照宮となる。
・東照宮に正一位の神階が贈られ、家康公は江戸幕府の始祖として東照神君、権現様とも呼ばれて江戸時代を通して崇拝される。
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【家康公の信仰】
家康公の信仰仏として、以下の尊仏が知られています。(他にもまだまだあります)
・増上寺(東京・芝)の黒本尊(阿弥陀如来)
■ 増上寺・黒本尊の御朱印
・宝台院(静岡市・葵区)の白本尊(阿弥陀如来)
・隣松寺(愛知県豊田市)の冑三尊(阿弥陀三尊))
・大相模不動尊(大聖寺(埼玉県越谷市)Web)、鼠切り不動明王(不動院禅寺(三重県津市)Web)
■ 大聖寺・大相模不動尊の御朱印
・摩利支天(摩利支尊 徳大寺(東京上野広小路)Web)
■ 徳大寺・摩利支天の御朱印
・北辰妙見大菩薩(覚成寺(群馬県みどり市)Web)
・三面大黒天(大蔵経寺(山梨県笛吹市)Web)
■ 大蔵経寺の御朱印
・善國寺の毘沙門天(善國寺(新宿区神楽坂)Web)
■ 善國寺・毘沙門天の御朱印
・寶珠院の開運出世大辨財天(寶珠院(港区芝公園)Web)
■ 寶珠院・開運出世大辨財天の御朱印
・寶田恵比寿神社の恵比寿神
「馬込勘解由と云う人は家康公が入府の時、三河の国から随行して、此の大業を成し遂げられた功に依り、徳川家繁栄御祈念の恵比寿様を授け賜ったので、平穏守護の御神体として宝田神社に御安置」(日本橋江戸屋Webより)とのこと。
■ 寶田恵比寿神社の御朱印
【家康公と宗派】
家康公と各宗派とのゆかりについて、まずは代表例をざっくりと書き出してみます。主に関東周辺関連です。
〔浄土宗〕
家康公は「熱心な浄土宗信者」で(知恩院Web、浄土宗大辞典)増上寺住職・源誉存応上人に帰依し、葬儀も浄土宗の増上寺であげられています。
徳川家の菩提寺は増上寺で、徳川氏(松平氏)の菩提寺・大樹寺(愛知県岡崎市)も浄土宗です。
小石川の傳通院は、慶長七年(1602年)に家康公のご生母於大の方が逝去し、家康公が菩提寺とされて現号に改め、以来徳川家の菩提寺として重きをなしました。
行徳の徳願寺、蔵前の松平西福寺も家康公開基と伝わります。
また、鎌倉大長寺の住職暁誉源栄は、小田原征伐時に家康公の意を受け玉縄城主北条氏勝を説得して開城につなげ、以降家康公との交流を深めたといいます。
【写真 上(左)】 増上寺の御朱印(御詠歌)
【写真 下(右)】 徳願寺の御朱印
【写真 上(左)】 傳通院の御朱印
【写真 下(右)】 大長寺の御朱印
■ 葵の御紋が入った傳通院の御朱印帳
徳川軍の旗印「厭離穢土欣求浄土」(お(え)んりえどごんぐじょうど)は浄土宗(浄土教)の思想に基づくものとの説があります。
〔天台宗〕
家康公は天台宗の天海大僧正に帰依(喜多院Web、会津美里町観光協会Web)したことから、天台宗との関係もふかいとされます。
天海大僧正が創建された上野の寛永寺は、江戸城の鬼門の守護とされる門跡寺院です。
上野の輪王寺には天海(慈眼大師)と良源(慈恵大師、元三大師)の両大師が祀られています。
舞台造りで有名な上野の清水観音堂も天海大僧正の建立です。
【写真 上(左)】 喜多院の御朱印
【写真 下(右)】 寛永寺の御朱印
【写真 上(左)】 上野輪王寺の御朱印
【写真 下(右)】 上野・清水観音堂の御朱印
〔臨済宗〕
駿府時代の家康公が師事したともいわれる太原雪斎(崇孚)は臨済禅であり、晩年のブレーンのひとり金地院(以心)崇伝も臨済禅でした。(清見寺(静岡市清水区)Web)
幼少時の家康公は、太原雪斎ゆかりの臨済寺(静岡市葵区)に居住し学んだと伝わります。
■ 金地院崇伝創建の芝・金地院の御朱印
〔曹洞宗〕
曹洞宗寺院の可睡斎(静岡県袋井市)の第11代住職仙隣等膳は竹千代の教育を受け持ったことがあり、後に浜松城主となった家康公が等膳和尚を城に招いた際、居眠りを始めてしまった和尚に親しみ、家康公が「可睡斎」と名付けたという逸話がのこります。山内には三方ヶ原の戦いで武田軍から逃れた家康公が隠れたとされる洞窟「出世六の字穴」がいまも残ります。
泉岳寺(東京・高輪)は、家康公の開基と伝わります。
来見寺(茨城県利根町)の住職は家康公の知己で、公が立ち寄った際「私が来て見たので、来見寺にせよ」との言で改号されたと伝わります。
【写真 上(左)】 泉岳寺の御朱印
【写真 下(右)】 来見寺の御朱印
〔真言宗〕
家康公は駿府在住時にしばしば真言宗の音羽山清水寺観音堂に詣で、念待仏の恵心僧都作の千手観音の像や寺領を寄進したといい、住職秀尊阿闍梨は陣僧として行動をともにしたともいいます。
また将軍家光公は高野山に家康公と秀忠公を祀る霊屋(徳川家霊台)を建立しています。
また、筑波山の知足院中禅寺(現・大御堂)は家康公以来将軍家と幕府の祈祷を行っていたとされ、知足院の江戸別院・護持院はのちに音羽護国寺の境内に移されて幕府の祈願寺としての役割を担いました。
【写真 上(左)】 つくば大御堂の御朱印
【写真 下(右)】 護国寺の御朱印
〔時宗〕
・「松平八代」の初代とされる親氏公は時宗の僧で徳阿弥と称し、諸国遍歴後、三河の地にたどり着いたとされています。
称名寺(愛知県碧南市)は三河松平家(徳川家)との関わりがふかく、家康公の幼名竹千代は十五世一天和尚が命名と伝わり、山内には三州大浜東照宮が鎮座します。
〔日蓮宗〕
台東区根岸の要伝寺のWebには、家康公と日蓮宗とのゆかりが記され、これによると、谷中の瑞輪寺は家康公の開基檀越、世田谷区北烏山(もと神田湯島)の幸龍寺も家康公の開基で徳川将軍家の祈願寺として外護されたとされています。
神楽坂の善國寺も家康公開基と伝わります。
鎌倉・植木の日蓮宗寺院・久成寺は、小田原合戦の際に家康公が立ち寄り寺領を寄進、以降も外護されたと伝わります。
身延山には家康公の側室で熱心な日蓮宗信徒であった養珠院(お万の方)ゆかりの上の山東照宮が祀られています。
【写真 上(左)】 要伝寺の御首題
【写真 下(右)】 瑞輪寺の御首題
【写真 上(左)】 幸龍寺の御首題
【写真 下(右)】 久成寺の御首題
一般に家康公は浄土宗、天台宗とのゆかりがふかいとされますが、以上のように多くの宗派と関係をもっていました。
【家康公ゆかりの神社】
家康公ゆかりの神社としては、家康公(東照大権現)を祀る東照宮が代表格ですが、他にも家康公ゆかりの神社は数多くあります。
〔八幡社〕
浜松八幡宮は浜松城の鬼門の方角に位置していたことから家康公が鬼門鎮守として信仰し、度々参拝したといいます。
また家康公は、伊賀八幡宮(愛知県岡崎市)への尊崇篤かったといわれます。
〔浅間神社〕
静岡浅間神社は、天文二十四年(1555年)、駿府で人質となっていた14歳の竹千代が元服し松平元信となった神社とされます。
江戸時代には、徳川家康公の崇敬社として歴代将軍の祈願所にもなりました。
家康公は駿河国一之宮富士山本宮浅間神社にも神殿を寄進しており、浅間神社への崇敬が篤かったことがうかがえます。
■ 富士山本宮浅間神社の御朱印
〔神田明神〕
家康公は関ヶ原の戦いの前に神田明神に戦勝祈願したとされ、成就ののちも江戸総鎮守として広く人々から崇敬を受けました。
■ 神田神社(神田明神)の御朱印
〔稲荷神〕
江戸の街にこれだけ稲荷神社が広まったのは、家康公の稲荷神信仰の影響という説があります。
文京区本郷の三河稲荷神社はもともと三州碧海郡上野庄稲荷山に御鎮座で、家康公の崇敬篤く、天正十八年(1590年)の江戸入国に際して造営奉遷とされています。
千代田区神田駿河台の太田姫稲荷神社(一口稲荷神社)は慶長十一年(1606年)の江戸城大改築の際、城内に御遷座の当社を西丸の鬼門にあたる神田駿河台に御遷座と伝わり、相伝には菅原道真公と徳川家康公が祀られています。
【写真 上(左)】 三河稲荷神社の御朱印
【写真 下(右)】 太田姫稲荷神社の御朱印
〔天満宮・天神社〕
霊光殿天満宮(京都市上京区)は家康公の崇敬篤く、家康公も祭祀されています。
湯島天神は家康公の崇敬を受け、桐生の総鎮守・桐生天満宮は天正九年(1581年)、徳川家の祈願所となり、関ヶ原合戦の際には戦勝祈願したと伝わります。
【写真 上(左)】 湯島天神(湯島天満宮)の御朱印
【写真 下(右)】 桐生天満宮の御朱印
〔氷川神社〕
江戸・武蔵一帯は氷川神社の多いところです。
家康公は文禄五年(1595年)伊奈備前守忠次を奉行として武蔵一之宮氷川神社の社頭を造営しています。
赤坂氷川神社も徳川将軍家代々の尊崇を受けたと伝わります。
■ 武蔵一宮氷川神社の御朱印
〔愛宕神社〕
港区愛宕の愛宕神社は、慶長八年(1603年)、家康公の命により江戸の防火の神様として創祀され、以降も徳川家の尊崇篤い神社です。
愛宕権現の江戸期の別当、圓福寺は家康公が伊賀越えに際して護持された勝軍地蔵を本地佛として奉安し、この勝軍地蔵は明治に入って真福寺に遷られました。
→ ■ 御府内八十八ヶ所霊場の御朱印-6の第19番-1 瑠璃山 清光院 青蓮寺を参照。
【写真 上(左)】 愛宕神社の御朱印
【写真 下(右)】 真福寺の御朱印
〔湯前神社〕
家康公はしばしば熱海に湯治に行かれたと伝わります。
この故事にならってか、熱海の大湯のお湯を江戸将軍家に献上する「湯くみ道中」の記録が伝わります。
湯前神社の御祭神は薬神、温泉の神ともされる少彦名命。
家康公は製薬調合の達人としても知られているので、少彦名命への崇敬も篤かったかもしれません。
■ 湯前神社の御朱印
〔諏訪神社〕
諏訪大社上社本宮の四脚門は、慶長十三年(1608年)家康公が大久保長安に命じ、国家の安泰を祈願して造営寄進したもので、勅使門とも呼ばれます。
浜松市中区の諏訪神社は、秀忠公誕生に当り産土神として崇敬され、天正7年(1579年)家康公が社殿を造営したといいます。(昭和37年、五社神社と合祀され、五社神社諏訪神社となっています。)
■ 諏訪大社上社本宮の御朱印
〔賀茂神社〕
徳川家の先祖・松平家は賀茂神を崇めていたといわれ、各地に徳川・松平家ゆかりの賀茂神社がみられます。
徳川宗家の家紋「三つ葉葵」は、賀茂神と関係があるという説があります。(賀茂神社の神紋は葵紋)
〔日枝神社〕
山王の日枝神社は、天正十八年(1590年)の江戸入国に際して家康公が江戸城を居城とするにあたり、「徳川家の守り神」「江戸の産神」として崇敬したと伝わります。(太田道灌が川越から山王社を勧請)
日枝信仰は山王一実神道とふかいかかわりをもち、家康公祭祀を語るうえで重要なファクターです。
【写真 上(左)】 日枝神社の御朱印
【写真 下(右)】 日枝神社境内社 猿田彦神社の御朱印
〔山王一実神道〕
家康公祭祀を語るうえで外せないのが、山王一実神道(さんのういちじつしんとう)です。
もともと山王神道(さんのうしんとう)は、鎌倉時代にかけて天台宗総本山・比叡山延暦寺で生まれ、日枝山(比叡山)の山岳信仰、神道、天台宗が融合した流派で、本地垂迹説を容れた神仏習合の思想とされます。
僧・天海は山王神道説をベースに山王一実神道へと発展させ、家康公の歿後、山王一実神道に則り家康公の霊を東照大権現として祭祀しました。(当初は吉田神道の流儀で埋葬されたという説あり)
日光の家康公の墓所には東照宮が建立され、東照大権現は薬師如来の垂迹とされました。(『東照大権現縁起』)
天台宗と山王一実神道との関係はきわめて複雑で、日光の「二社一寺」(日光東照宮、二荒山神社、輪王寺)、上野東照宮と寛永寺(寒松院)、川越の仙波東照宮、喜多院、日枝神社の例をみるとその複雑さが実感できます。
鳴龍で有名な日光東照宮の本地堂は、日光東照宮の境内にありながら、家康公ゆかりで東照大権現の本地とされる薬師如来を奉安する輪王寺のお堂なのです。
もはやこうなると、神社やらお寺やら、手を叩いて参拝していいのやらそれすらもわからないカオス的な状況となってきます。
【写真 上(左)】 日光東照宮の御朱印
【写真 下(右)】 日光東照宮奥宮の御朱印
【写真 上(左)】 日光二荒山神社本社の御朱印
【写真 下(右)】 日光二荒山神社中宮祠の御朱印
【写真 上(左)】 日光山 輪王寺 黒門の御朱印
【写真 下(右)】 日光山 輪王寺 本地堂の御朱印
【写真 上(左)】 上野東照宮の御朱印
【写真 下(右)】 寛永寺の御朱印
【写真 上(左)】 仙波東照宮の御朱印
【写真 下(右)】 喜多院の御朱印
■ 日枝神社の御朱印
家康公の祭祀を辿ることは、江戸時代に隆盛を極めた神仏集合の歴史を辿ることかもしれません。
なお、群馬県太田市徳川町・世良田町周辺は「徳川氏発祥の地」とされ、家康公ないし徳川家ゆかりの寺社が少なくありません。家康公ゆかりの地としてこのエリアを訪ねてみるのも面白いかもしれません。
【写真 上(左)】 徳川東照宮の御朱印
【写真 下(右)】 世良田東照宮の御朱印
【写真 上(左)】 長楽寺(太田市世良田町)の御朱印
【写真 下(右)】 永徳寺(太田市徳川町)の御朱印
太田市の大光院は、慶長十八年(1613年)一族の繁栄と始祖新田義重公の追善供養のため、芝増上寺の観智国師の門弟で四哲の一人といわれた呑龍上人を開山に迎え、家康公が開基した寺院と伝わります。
■ 大光院の御朱印
足利市の鑁阿寺は、世良田氏(新田氏流・徳川氏の祖ともされる)の祖・世良田頼氏の正室が足利義氏の娘である関係から家康公が帰依したと伝わり、寺領60石を安堵されたといいます。
■ 鑁阿寺の御朱印
太田、足利あたりは、探せばまだ家康公ゆかりの寺社がみつかると思います。
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家康公の室の開基ないしゆかりの寺院も少なくありません。
・正室・築山殿(瀬名姫) 嫡男信康、長女亀姫の生母
築山殿を祀る月窟廟は西来院(浜松市中区/曹洞宗)
・継室・南明院(朝日姫、駿河御前) 豊臣秀吉の異母妹
墓所は凌雲山 東福寺(南明禅院)(京都市東山区/臨済宗東福寺派)
・蓮葉院(西郡局、於葉の方) 二女督姫の生母
墓所は本禅寺塔頭・心城院(京都市上京区/法華宗)、芳荷山 長應寺(品川区小山/法華宗陣門流)
・長勝院(於古茶、於万の方、小督局) 次男結城秀康の生母
墓所は天女山 孝顕寺(茨城県結城市/曹洞宗)
・竜泉院(西郷局、於愛の方) 三男秀忠公、四男松平忠吉の生母
墓所は金米山 宝台院(静岡市葵区/浄土宗)
・良雲院(於竹の方) 三女振姫の生母
墓所は東光山 西福寺(松平良雲院)(台東区蔵前/浄土宗)
・下山殿(於都摩の方、於津摩の方、秋山夫人) 五男徳川信吉の生母
墓所は長谷山 本土寺(千葉県松戸市/日蓮宗)
■ 本土寺の御首題
・茶阿局(於茶阿、お八) 六男松平忠輝、七男松平松千代の生母
墓所は吉水山 宗慶寺(文京区小石川/浄土宗)
■ 宗慶寺の御朱印
・普照院(於久の方) 四女松姫の生母
墓所は玉桂山 華陽院(静岡市葵区/浄土宗)
■ 華陽院の御朱印
・相応院(於亀の方) 八男松平仙千代、九男徳川義直(尾張家)の生母
菩提寺は宝亀山 相応寺(名古屋市千種区/浄土宗)
・養珠院(於万の方) 十男頼宣(紀伊家)、十一男頼房(水戸家)の生母
墓所は大野山 本遠寺(山梨県身延町/日蓮宗)
■ 本遠寺の御首題
・英勝院(於梶の方、於勝の方) 五女・市姫の生母
墓所は東光山 英勝寺(鎌倉市/浄土宗)、経王山 妙法華寺(静岡県三島市/日蓮宗)
■ 英勝寺の御朱印
・蓮華院(於梅の方)
墓所は観音山 梅香寺(三重県伊勢市/浄土宗)
・雲光院(阿茶局)
墓所は開基の龍徳山 雲光院(江東区三好/浄土宗)
■ 雲光院の御朱印
・正栄院(於牟須の方)
肥前名護屋で逝去
・泰栄院(於仙の方)
駿府で死去。墓所は藤枝の浄念寺から信濃浄久寺に改葬。
・養儼院(於六の方)
墓所は日光山内?
・清雲院(於夏の方、於奈津の方)
墓所は無量山 傳通院(文京区小石川/浄土宗)、東照山 清雲院(三重県伊勢市/浄土宗)
■ 傳通院の御朱印
・信寿院((山田)富子)
墓所は長栄山 池上本門寺(大田区池上/日蓮宗)
■ 池上本門寺の御首題
・法光院(於松の方?) 松平民部の生母?
・三条氏 小笠原権之丞の生母
宗派は浄土宗と日蓮宗が多く、家康公の室はこのふたつの宗に帰依しやすい環境だったのかもしれません。
東京には御府内八十八ヶ所霊場という弘法大師霊場があり、家康公ないし徳川家ゆかりの寺院もすくなくありません。
なので、併行してこちらの記事で御府内八十八ヶ所霊場も紹介していきたいと思います。
【 BGM 】
■ A Clue - Boz Scaggs
■ That's Why - Michael McDonald
■Oh Yeah! - Roxy Music
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