関東周辺の温泉入湯レポや御朱印情報をご紹介しています。対象エリアは、関東、甲信越、東海、南東北。
関東温泉紀行 / 関東御朱印紀行
■ 初期サザンの音像
初期サザンの曲を聴く
■ 初期サザンとメガサザン(サザンオールスターズ、名曲の変遷)から抜粋アレンジしてみました。
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スージー鈴木&ダイノジ大谷対談、いいとこついてます。↓
■ 【桑田佳祐】後期サザンは「メガサザン」!?まだまだ続くダイノジ大谷とスージー鈴木『桑田佳祐論』!後編【ダイノジ中学校】
↑ キモのコメント。(4:12~)
・「学生の洋楽好きなバンドのサザンオールスターズが終わったのが『KAMAKURA』」。
・「メガサザン」は「国民を相手にしてスタンドアリーナ(の世界)」。
・「初期サザン」だけが別のにおいを発している。
役割分担がはっきりしていない ”不完全さ” や ”隙” がある意味魅力だったのかも・・・。
↑ 「いきなり出てくるんすよ・・・」
っつうのはおそらくこういう曲を云っているのだと思う。↓
■ TSUNAMI
→ コード
全フレーズ 「桑田節」。だれるところのない名曲。
2000年にして、この曲調で大ヒットするとは予想だにしなかった。
※ この曲の扱いに賛否あるけど、「TSUNAMI」は「津波」ではなくたぶん「あふれる想い」をあらわしている。
そして初期サザンで改めて凄いと思うのは、リズムセクションもさることながら、キーボード(原さん)とギター(大森さん)の存在感。
とくに、原さんのキーボード、聴けば聴くほど凄いわ。
クラシカルな音色と力感あふれる鍵盤リフ。
そしてキレッキレのカウンターメロ。
サザンのメロディアスなサウンドは、おそらく原さんの存在なくしてつくれなかった。
JournryにおけるJonathan Cain、Pablo CruiseにおけるCory Leriosのポジショニング。
日本のポップシーンで、ここまで存在感を出せるキーボードプレイヤーはほんとうに希だと思う。
■ Journey - Faithfully(1983年)
■ Pablo Cruise - Family Man(1978年)
-------------------------
■ Oh! クラウディア (『NUDE MAN』(1982年))
コード
いつまでも この胸に(Bm F#aug Bm/A)
オーギュメント→オンコード
メロディが際立つサザン屈指の名バラッド。
■ 旅姿六人衆 (『綺麗』(1983年))
コード
ベースはF G Em Am(4536)の王道進行ながら、
ステキな今宵を分け合えりゃ Dm A# C (261)の切り返し(斬新)感がハンパじゃない。
伝説の1998 スーパーライブ in 渚園。
神テイクすぎるにもほどがある!
いい音楽を生み出すのに、これ以上なにが要るというのか?
■ 海 (『人気者で行こう』(1984年))
→ コード
イントロのフレーズ。リバーブの効いたドラムス。複雑なカウンター・メロディ。
むせぶSaxophone、そして桑田さんの色気ただようスキャット。
文句なしの名曲!
1984年の時点で、こんなものすごいメジャー・セブンス曲かましてくるとは、やっぱりハンパな才能じゃないわ。
■ 夕陽に別れを告げて 〜 メリーゴーランド (『KAMAKURA』(1985年))
→ コード
個人的にはサザン屈指の名曲。
そして「TSUNAMI」の原曲ではないかと思っている・・・。
原さんのキーボードワークの凄さが伝わってくる名テイク。
観客のノリがアップビート(裏拍)でヨコノリ。
誤解をおそれずに言うと、「メガサザン」は初聴でもつぎの音が読めるけど、「初期サザン」はまったく読めない。
それだけコード進行やメロ構成が複雑なんだと思う。
そしてセブンス曲(=洋楽のつくり)が多い。
でも、国民的なヒットを生み出すには、どうしても「メガサザン」に舵を切る必要があった。
多くの日本人は、根っこにヨナ抜き音階(ペンタトニック)やダウンビートが入っているので、コンスタントに洋楽を意識する局面がないと、どうしてもセブンス(四和音)やアップビートから遠ざかっていく。
洋楽が減速した1990年代以降は、だからよけいに楽曲のわかりやすさが求められたと思う。
■『ロックの子』/桑田佳祐氏著(昭和62年(1987年)初版)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/ef/edd4a87651450dcd1771fc1dbc17be7e.jpg)
から引用させていただきます。(萩原健太氏との対談形式)
「そういう意識で来てるじゃない、ずっと。学生のころから。渋谷で友だちに会えばどこそこの輸入盤屋より・・・・ディスクなんとかよりもシスコのほうがいいもん売ってるとか、やっぱ向こうの、こう、ジェフ・ベックの海賊盤ほしいとか」
「ね。そういうふうにやってきたわけじゃない、俺たち。どれだけ向こうのディテールにくいこめるか、と」
「ディテールね」
「そういうことでしょ」
「うん」
「そういうバンドだと思うんだ、だから、俺たちも」
「宿命的に」
「そう。宿命的にね。うん」
↑
この時代、宿命的に先を走る良質な洋楽があったから、この環境が「シティ・ポップ」を生み出す大きな契機になったのだと思う。
それに「シティ・ポップ」は、音の ”ディテール” にこだわらないと創り出せないから・・・。
この ”ディテール” にこだわったテイクの代表格が、「初期サザン」の曲たちだったのでは?
■ 初期サザンとメガサザン(サザンオールスターズ、名曲の変遷)から抜粋アレンジしてみました。
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スージー鈴木&ダイノジ大谷対談、いいとこついてます。↓
■ 【桑田佳祐】後期サザンは「メガサザン」!?まだまだ続くダイノジ大谷とスージー鈴木『桑田佳祐論』!後編【ダイノジ中学校】
↑ キモのコメント。(4:12~)
・「学生の洋楽好きなバンドのサザンオールスターズが終わったのが『KAMAKURA』」。
・「メガサザン」は「国民を相手にしてスタンドアリーナ(の世界)」。
・「初期サザン」だけが別のにおいを発している。
役割分担がはっきりしていない ”不完全さ” や ”隙” がある意味魅力だったのかも・・・。
↑ 「いきなり出てくるんすよ・・・」
っつうのはおそらくこういう曲を云っているのだと思う。↓
■ TSUNAMI
→ コード
全フレーズ 「桑田節」。だれるところのない名曲。
2000年にして、この曲調で大ヒットするとは予想だにしなかった。
※ この曲の扱いに賛否あるけど、「TSUNAMI」は「津波」ではなくたぶん「あふれる想い」をあらわしている。
そして初期サザンで改めて凄いと思うのは、リズムセクションもさることながら、キーボード(原さん)とギター(大森さん)の存在感。
とくに、原さんのキーボード、聴けば聴くほど凄いわ。
クラシカルな音色と力感あふれる鍵盤リフ。
そしてキレッキレのカウンターメロ。
サザンのメロディアスなサウンドは、おそらく原さんの存在なくしてつくれなかった。
JournryにおけるJonathan Cain、Pablo CruiseにおけるCory Leriosのポジショニング。
日本のポップシーンで、ここまで存在感を出せるキーボードプレイヤーはほんとうに希だと思う。
■ Journey - Faithfully(1983年)
■ Pablo Cruise - Family Man(1978年)
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■ Oh! クラウディア (『NUDE MAN』(1982年))
コード
いつまでも この胸に(Bm F#aug Bm/A)
オーギュメント→オンコード
メロディが際立つサザン屈指の名バラッド。
■ 旅姿六人衆 (『綺麗』(1983年))
コード
ベースはF G Em Am(4536)の王道進行ながら、
ステキな今宵を分け合えりゃ Dm A# C (261)の切り返し(斬新)感がハンパじゃない。
伝説の1998 スーパーライブ in 渚園。
神テイクすぎるにもほどがある!
いい音楽を生み出すのに、これ以上なにが要るというのか?
■ 海 (『人気者で行こう』(1984年))
→ コード
イントロのフレーズ。リバーブの効いたドラムス。複雑なカウンター・メロディ。
むせぶSaxophone、そして桑田さんの色気ただようスキャット。
文句なしの名曲!
1984年の時点で、こんなものすごいメジャー・セブンス曲かましてくるとは、やっぱりハンパな才能じゃないわ。
■ 夕陽に別れを告げて 〜 メリーゴーランド (『KAMAKURA』(1985年))
→ コード
個人的にはサザン屈指の名曲。
そして「TSUNAMI」の原曲ではないかと思っている・・・。
原さんのキーボードワークの凄さが伝わってくる名テイク。
観客のノリがアップビート(裏拍)でヨコノリ。
誤解をおそれずに言うと、「メガサザン」は初聴でもつぎの音が読めるけど、「初期サザン」はまったく読めない。
それだけコード進行やメロ構成が複雑なんだと思う。
そしてセブンス曲(=洋楽のつくり)が多い。
でも、国民的なヒットを生み出すには、どうしても「メガサザン」に舵を切る必要があった。
多くの日本人は、根っこにヨナ抜き音階(ペンタトニック)やダウンビートが入っているので、コンスタントに洋楽を意識する局面がないと、どうしてもセブンス(四和音)やアップビートから遠ざかっていく。
洋楽が減速した1990年代以降は、だからよけいに楽曲のわかりやすさが求められたと思う。
■『ロックの子』/桑田佳祐氏著(昭和62年(1987年)初版)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/ef/edd4a87651450dcd1771fc1dbc17be7e.jpg)
から引用させていただきます。(萩原健太氏との対談形式)
「そういう意識で来てるじゃない、ずっと。学生のころから。渋谷で友だちに会えばどこそこの輸入盤屋より・・・・ディスクなんとかよりもシスコのほうがいいもん売ってるとか、やっぱ向こうの、こう、ジェフ・ベックの海賊盤ほしいとか」
「ね。そういうふうにやってきたわけじゃない、俺たち。どれだけ向こうのディテールにくいこめるか、と」
「ディテールね」
「そういうことでしょ」
「うん」
「そういうバンドだと思うんだ、だから、俺たちも」
「宿命的に」
「そう。宿命的にね。うん」
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この時代、宿命的に先を走る良質な洋楽があったから、この環境が「シティ・ポップ」を生み出す大きな契機になったのだと思う。
それに「シティ・ポップ」は、音の ”ディテール” にこだわらないと創り出せないから・・・。
この ”ディテール” にこだわったテイクの代表格が、「初期サザン」の曲たちだったのでは?
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