シャープ & ふらっと

半音上がって半音下がる。 それが楽しい、美しい。
思ったこと、感じたことはナチュラルに。  writer カノン

黄金列車の遺構

2018-10-07 16:50:21 | 旅・町歩き
西武鉄道の黄金列車、は何となく知られているようだが、
詳しい事はマニアくらいしか解っていないだろう。


戦中から戦後にかけ、
都心に住む人々のし尿の処理がはかどらず、
衛生上でも問題になっていた。

一方、郊外の農村では、
人糞が最高の肥料なのだが、
農村人口も限りがあり、なかなか集まらない。

そこで東京都は、
都心でさばけない人糞を、
郊外の農村に運ぶ事を考えた。

だが、戦後になりトラックの不足などから、
車での輸送は時間がかかるとして、
効率的に運べる鉄道での輸送を提案した。

糞尿専用の貨物を作り、
一旦都心の駅に集められた人糞を貨車に乗せ、
郊外の駅へと運ぶ。
そこに、農家の人々が取りに来るという方法だ。

しかし、旅客営業と同時進行のため、
どの鉄道会社も難色を示した。
そこで手を挙げたのが西武鉄道だった。
西武は専用の貨車を作り、運転を始めた。


都心側(集荷側)の駅としては、
江古田ー東長崎間に「長江駅」を、
新宿線には、今の井荻駅の傍に置いた。
郊外側(受取側)の駅は、
清瀬、狭山ヶ丘、小平、東村山など幾つか存在した。

糞尿列車(通称・黄金列車)は、
日中の旅客列車の合間に、普通に走る。
急ごしらえの、木造の粗末な貨車なので、
走行中に、中の液体が飛び散った。
踏切待ちをしている人は、
やって来るのが黄金列車だとわかると、
踏切から逃げていったという。
貨車の最後部には車掌室があるが、
車掌も窓から顔を出すと、
飛び散った糞尿でワイシャツが汚れたという。

何より、当然ながら臭いがひどく、
黄金列車が通過したあとの駅は、
鼻をつまむ人の姿が目立った。

一方、農家の方は、
列車が到着すると、車や桶を担いだ人が集まり、
重さ何キロ単位で買い取り、持ち帰った。
「都会の人はいいもの食べてるらしく、いい下肥だ」
と、喜ばれたという。


しかし、この列車も戦後10年も持たず廃止された。
し尿処理が安定してきた事や、
農家も化学肥料を使うようになったからだ。

そして、この黄金列車の事実は、
西武鉄道史にも詳しく書かれていない。
西武以外にも、東武東上線がやっていたようだが、
やはり詳しい史料は残っていない。


黄金列車で糞尿を撒き散らした西武池袋線も、
今は通勤路線として、全く面影は残っていない。
集荷駅として作られた長江駅は、
今は、日本通運江古田流通センターとなっている。
写真がその場所だが、厚みのある土台は、
し尿を貯蔵していた場所の名残かと思われる。

昔も今も、物流の拠点となっているのが面白い。



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