長篠城のヒーロー
いや長篠のヒーローと言っても過言じゃない
「スネえもん」こと…鳥居強右衛門
足軽の!足軽の!!鳥居強右衛門
「ごううえもん」じゃなくて「すねえもん」
もちろん「ドラえもん」じゃなくて「スネえもん」
「スネえもん」のことを簡単に紹介すると…長篠城が武田軍に攻められ、あわや落城、絶体絶命の場面に、城主、奥平貞昌の命で、この足軽の鳥居強右衛門が岡崎城にいる徳川家康に援軍を依頼しにいくことになる…
足軽の鳥居強右衛門は、裏手の野牛郭から泳いで脱出…武田軍の仕掛けた鳴子網(川から脱出できないようにする見張り用の罠)をかいくぐり、約4 kmを泳いだ後、家康のいる岡崎まで全力疾走!援軍依頼の伝達を見事果たす…
援軍を依頼したことを長篠城を護っている奥平方にむけて狼煙をあげて知らせ、役目を果たすことに
しかし、鳥居強右衛門は、狼煙をあげたにも関わらず自ら戻って、籠城する味方に知らせようと、来た道を引き返そうと…
その途中、捕まって武田方の捕虜となってしまう…
捕まってしまった鳥居強右衛門(「スネえもん」)
彼には「ドラえもん」のように、「どこでもドア」のような道具がある訳ではないので…捕まってしまった以上、「どこでもドア」ならぬ「どうにでもせいや」と思っていたことでしょう??
そんな「スネえもん」に向かって、武田勝頼はある取引を迫ります…
それは 長篠城内に向かって、「徳川軍の援軍は来ない!投降せよ!」と嘘の呼びかけをすれば、命を助けるだけではなく…その後、武田軍としての身分も保証するとのこと…
「スネえもん」は、その武田軍のこの取引に応じたようにみせかけます…
しかし、城の前に引きずり出された強右衛門は、味方に向かってこう叫んだそうな…真逆のことを叫ぶ…
「援軍は来る。あと2、3日持ちこたえよ!」
激怒した武田勝頼によって、「スネえもん」は、即、磔に…
しかし、この命がけの呼びかけにパワーを得た城主奥平貞昌と籠城する奥平軍は、援軍到着までの2日間、城を守り抜いたとのこと…
その「スネえもん」のお墓が、長篠城址近くの…
興国山新昌寺にあるという…
さっそく拝みにいってみることに…
興国山新昌寺の山門…
この山門をくぐると正面に本堂が…
1539年長篠山・醫王寺四世月傳太隋大和尚により創建
宗派は曹洞宗…ご本尊は釈迦牟尼仏のお寺です
鳥居強右衛門がここに埋葬された当時、このお寺は「貴船庵」と呼ばれていたとのことで…1791年に興国山新昌寺に改められたとか
地元住民が、1762年に鳥居強右衛門の墓を創建して以後、「鳥居祭」が250年以上開催されているらしい…
境内は、このように広く…実に静寂…まあ、一言でいえば誰もいません!
本堂内にて合掌…
この本堂の左側にあるお堂の中は
「足軽」の鳥居強右衛門が、な、なんと神さまになって祀られている!!
これは、長篠城の戦いの戦死者の墓碑かどうかわからないけど…
境内の片隅にありまして
このそばにひっそりと…鳥居強右衛門のお墓の案内板がありまして…そちらに進めば…
鳥居強右衛門の墓が…
「鳥居大権現」…左右に阿吽の狛犬を従え…
お墓なんだけど、もはや神様に近い位置???にいらっしゃいました…
墓碑に歴史を感じます…墓碑には、「わが君の命に替る玉の緒をなどいといけん武士の道」 という辞世の句が記されているようで
いやあ、まさかまさかの「足軽」から「神様」へ…
「鳥居大権現」
私の知る限り、この世、1番の立身出世!!
「徳川家康」よりも、凄すぎる!!というのは…
長篠城から岡崎城を往復した数日で、あっという間に神様になっちゃったんですよ!!???
強右衛門の墓の横に、武田軍のお墓も…
そんな敵陣が、そばで眠ってて…落ち着いてあの世にいられなかったんじゃないかと、瞬間的に危惧しちゃったんですけど…
第二東名の建設に伴い、武田軍のお墓も一緒にここに移設されてきたようで…
もう…さすがに、あれから400年以上経っているので…案外…あの世でも攻めてきた武田軍と長篠城を護ってた奥平側の兵も…平和に酒を酌み交わしていたりしてね!…(笑)
もうお互いのわだかまりは水に長篠…もとい…流しの…ってね
こちらが武田軍のお墓…
左から
伝小山田五郎兵衛昌晟の墓
横田十郎兵衛康景の碑…
武田勝頼本営に配置された足軽の大将であるらしい…
伝高坂又八郎助宣之墓
和気善兵衛宗勝の墓…
酒井忠次の鷲ケ巣砦奇襲隊にやられ討ち死したらしい…
この武田軍の亡くなった方々は、明らかに「足軽」の鳥居強右衛門よりもウンとウンと身分の高かった方ばかり…
なのに、墓の大きさと言い、完全に形勢が逆転されちゃってる!!!
さてさて、興国山新昌寺を後にして
向かったのは、長篠城から、寒狭川を挟んだ向こう岸
そこにある…鳥居強右衛門が磔にされた場所へと…
近くを飯田線の列車が走る…そりゃそうだよね!だって、長篠城の本丸広場を飯田線の線路が縦断しているからね…
さてさて、このような広がる田園の風景の中に…
ぽつんと目立つ案内看板…とのぼり旗
遠くからでもよくわかります…
この木々の奥には寒狭川が流れ、その向こう岸には長篠城址なんですけど…川がそばにあるといった感じはまったくしません!
直射日光が降り注ぐ畦道を看板めがけて??一直線???
いや、先に「磔死の碑」の方へと
これが、鳥居強右衛門磔死の碑
処刑地は、強右衛門が城に呼びかけた場所と近かったようで…今のように木が生い茂ってなくて…当時は城の本丸からこの対岸がよくみえていたようで…
鳥居強右衛門が、はりつけ(磔)になったその日は
この日のように、直射日光が「てりつけ(照りつけ)」た日だったのでしょうか??
それとも豪雨が、「ふりつけ(降りつけ)」た日だったのでしょうか??
処刑は、刀で「きりつけ(斬りつけ)」られたのでしょうか??…こんなふううに「くくりつけ」られて…
そんな鳥居強右衛門の「はりつけ」の地で「きをつけ」したまま、手を合わせた私だったのでした…
え??「はりつけ」されてても、ずっと鳥居強右衛門は生きていたって???
それは、「はりつけ」じゃなくて…「うそつけ(嘘つけ)」!!!やないか!!
そして文章も面白い。さいごの〇〇つけシリーズには吹き出してしまいましたよ。