東大阪でそろばん教室を運営しているの先生のブログ 関西珠算瓢箪山教場・石切教場

子供たちから教えられたこと、感じたことを想いのままに綴ります。

定期試験対策授業の無料受講って…

2017-06-12 14:28:40 | 学習・塾に関する中身
 これ、実施している塾さんは結構多いですよね。

 私はこの期間中に体験授業を停止している塾さんは好感を持ちます。

 私のこそっとしている塾指導は体験授業はありません(外部生徒の入塾はお断りしています)。で、もし外部生の募集をしていたとしたら、たぶん体験授業は定期試験前でも断らないと思います。それは「定期試験前だからといって、特別な授業はしないから」です。今もそうです。私が定期試験前に行うのは、「学校の授業中に説明が手薄だった単元の補強」、「範囲に間に合わないからと駆け足で進んだ単元を丁寧に説明する」くらいのものです。生徒たちが自分たちの自由な時間にして欲しいと要望すれば、むしろ私は生徒の邪魔になる授業はしません。だから、普段と違うと言えば違いますが、そこまで違いはないわけです。つまり「定期試験対策授業」は実施していないんですね。

 予想問題や、範囲を合わせたオリジナル問題で訓練。それが合う生徒はいないとは言いません。でもやはり国立大学で指導した経験。そろばんで幼児~中学生までを指導している経験。私の元を巣立っても折に触れて報告に来る卒業生たちの経験談を聞く経験。こうした経験を総合して考えたときにやはり「やらされるお勉強」で伸びる生徒は圧倒的に少ないと思います。

 もちろん合う生徒もいることは否定しませんよ。でもね、週2回で五教科を指導して、試験前には副教科の疑問にも対応して、授業中にボケとツッコミがあって、試験終了後にはお疲れさんのおやつを食べて。こんな指導でも生徒たちはきちんと結果を出してくれています。

 やらされるお勉強では伸びない。これが私の持論です。定期試験前は生徒たちの邪魔をしない。これを今まで実践してきました。これからもずっと実践し続けます。

 保護者の皆様にはぜひ、お子様に合う考え方という観点だけではなく、3年後・7年後を見据えたお勉強の環境選びをしてほしいと思います。


う~ん、タイトルとはまあまあ離れた着地かな? でもそんなには離れていないでしょ!
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塾の予定に子供たちを合わせるのは…

2017-06-10 13:15:10 | 学習・塾に関する中身
 おかしいと思うんですよね。

 「試験一週間前までに、学校から求められる提出物は一通りしておくこと」。これに関しては異論はありません。

 でもね、「塾の予想テストまでに仕上げておけ」と言うのは違うような気がします。

 クラブ活動がある(大会直前)や、習い事を続けている生徒もいます。必ずしも塾の要求どおりにできない生徒もいるんですよ。
 (そういう生徒は塾に来るなと言う意見もあるかと思いますが、ではそういう生徒をきちんと諭して塾にあわせるか、その生徒に合わせてくれる塾に転塾させるか。という塾が果たしてどれだけあるのでしょうか?)

 ただし、授業曜日が合わない(習い事や、家族の何かに重なる)というのは入塾前に分かることなのでここでは対象外です。

 塾の予定にあわせることって本当に必要かな? と思うんですよ。

 もちろん、生徒の達成度をきちんと把握して、できない生徒にも食らい付いてくる生徒にも、同じだけの情熱を注ぐ指導者なら問題はありません。

 でも、指導者の指示をこなせないときに、どうしたらこなせるようになるかを粘り強く指導してくれるのではなくて、

 「そういう生徒は、当塾には合わない」と投げ出す指導者がいることが信じられません(ただし、入塾時にきちんと期限を切ってここまでできるようになることができなければ、当塾では面倒を見れませんと宣言している場合は仕方ないですね)

 貴重な生徒の時間と、それなりの報酬を頂いている以上は(もちろん、本人の最低限の努力とご家庭のご協力が得られない場合は別にして)、指導者が当塾の指導方針に合わないと追い出すべきではないと思います。

 で、私は「テストに間に合うように、個々の課題と向き合っていればいい」と考えています。お勉強だけが全てではありません。試験1週間前になんらかの予定が入ってしまう場合もあるでしょう。そんなことも含めて「スケジュール調整に塾が手を出すべきではない」と考えています。

 もちろん、学校への提出課題をおろそかにしてしまう生徒もいないわけではありません。そういう生徒にはもちろん粘り強く指導しますよ。でもね、塾のスケジュールに、生徒が合わせることを強制するのは違うと思うんですよね。


 私の考えは「基本的な事項・学校の提出課題は全員共通で指導する。あとの時間は各自で自分が必要とすることに挑戦する時間にしてほしい」です。だから、宿題の量もかなり少なくしています。これは残った時間を自分自身で有効に使ってほしいからです。
 これができない生徒は本当に伸びません。

 3年生・2年生の塾生平均は、学年平均の前回比の伸びを上回ってくれましたし、1年生も私の予想よりもメンバーの平均点は25点ほど高く出ました(ちなみに、2・3年生の塾生平均はともに学年平均を80点以上上回っています。1年生も学年平均に勝てないと思っていましたが、+30点以上をたたき出してくれました。よく頑張ってくれました。)

 というわけで、私の考え方でも生徒たちはある程度結果を出してくれています。さらに伸びてくれるといいですよね。

 だから、私は私の都合に合わせたお勉強の強制はしません。というお話でした。

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我慢

2017-06-03 09:11:35 | そろばんに関する中身
 習い事は、当然いつかはお子様がその習い事を辞めるときが来ます。

 その辞めるタイミングって、実はその後のお子様の伸びに関して人生を変えることもあるくらい重大なことだと思っています。

 習い事って、学校でのお勉強とは違って「絶対に」できなきゃいけないものではないんですよね。

 そのほとんどが「やっておいたほうがいい」とか「できたほうが後々役に立つ」ものなんですね。

 ところが、習い事の先生としては「そんな簡単なものではない」と思っているわけです。

 誤解を恐れずにいえば「その習い事さえできずに投げ出すようであれば、お勉強なんかできるはずがない」と思います。

 子供たちはほとんどが「めんどくさいことはいや」なんです。そして習い事は練習しないと上達しません。

 その練習の過程は、無味乾燥で本当に面白くないときもあります。

 それでも、コツコツと練習を積み上げ、何かの節目を達成した瞬間に子供たちは伸びていることを実感するわけです。

 で、その達成感を実感するためには、それ相応の努力を要します。それはそんなに短い期間ではありません。

 少なくとも年単位のお話です。その途中には子供たちは何度も「辞めたい」「しんどい」と口に出すわけです。

 さて、そこで保護者の皆様に質問です。

「どういうお考えで習い事をさせることにしたのですか?」


 辞めることはすごく簡単です。でも辞めて得るもの。それは「しんどくなったら逃げたらええねん」という気持ちです。

 もちろん、習い事そのものに問題がある場合もあることは否定しません(例えば指導者が不適格・お友達がいじめるなど)

 それでも、問題があるのであれば、きちんと理由をつけて逃げ出すわけではないことを納得させねばなりません。

 嫌になったから、しんどいから、なかなか上達しないから…

 そんな理由で辞めてしまったこどもが、本当に努力が必要になったときに頑張ることはできるのでしょうか?

 そう、習い事とは結局「我慢の先に見えるものがある」ことを体得する場だと思うのです。

 そしてどんな習い事であっても「我慢の先に習得できるものを見せることを意識して教えている」指導者にお子様を預けるべきです。

 何かを体得するための努力にはリセットボタンはないですし、初期化もできません。

 辞めてしまうと「辞めれば楽になるという経験」がお子様に刻まれるのです。

 疑問や不安があれば、指導者ととことんお話をされることをお勧めします。

 もっといえば、とことんのお話をしない・できない指導者にはお子様を預ける値打ちはないと思います。



 私はそろばんの先生です。私自身は「習い事」のもう1つ上の段階のことを含めてそろばんを通して教えていると考えています。

 
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専門分野はできて当たり前

2017-06-02 00:01:40 | 日記
 ですよね。たとえば私は本業がそろばんの先生です。そして、過去には中学校の非常勤講師・大学での実地指導員もしていました。

 大学時代の専門は地学です。地震と断層を勉強し「地震予知」を最終目標に、「断層が最後に活動した(地震を起こした)のは何年前か」の測定は可能か?というテーマで研究をしていました。年代測定も行い、放射壊変についても勉強しました。
 高校時代は文系でした(社会の先生が目標でした)。国公立を受験するために勉強した理科が地学でしたので、何の気なしに第二志望で理科教員を受験したところ、ここに合格しました(運命ですよね)

 というわけで、高校時代は文系で理系としてのお勉強はしていません。大学にはいってから理系のお勉強をスタートしたわけです。で、自分自身の専門分野って何かと考えると、分からなくなってしまうんですよね。実際に教えることを生業としてからは、さらに発達心理学に関する知見や、児童心理学、さらには発達障害についてもかなりお勉強しました。

 だから、私は「広く浅く」しかお勉強をしていないわけで、人様に胸を張って「これが私の専門分野です」と言えるものがないんですよ。(おおっと、塾指導もする先生がそんなことを言ってもいいのだろうか?)

 だからこそ、私には「これだけやっとけば大丈夫」という感覚がありません。どれだけ教えても不安しかありません。だから、教科書を逸脱しようが、今現在のお勉強に直接関係なかろうが、必要だと思うことは指導します。

 だから、私の作る小テストを合格基準点でとれたからといっても全然安心できませんし、もっといえば定期試験だって、教科担当の先生が作っただけですから、本当に試験範囲の学力を試すのに妥当なテストである保障はありません。

 でもね、自分の作った予想問題や小テストで及第点を取れることに対して、すごく学習姿勢を変えたなんて主張をたまにみかけますが(これ、案外個人塾さんに多いんですよ)、それは「その講師が教えた内容を、その講師が求めるようにできるだけ」であって、真の学力がついたかどうかはまた別のお話なんですよね。

 もっといえば、その講師が「その教科の専門家」なのか、「その教科の指導を通して、子供たちを成長させることもできる教育の専門家」なのかは、定期試験の結果が同じであっても、その子供たちの大人になってからを見ないと分からないと言うことです。

 ただ、「予想問題や過去問をできるようにする指導に注力する」塾さんの出身者は、私が大学で実地指導をしていた時の経験則(約100名の指導実績です。奈良教育大学ですから、まあ最低限の学力は担保されている学生です)から言って、課題や問題が目に見える形でないとできない、独創性に欠ける学生が多かったんですよね。

 私は「教育の専門家」を最終目標にしています。そろばんでお預かりした子供たちが、社会に自分の力で飛び出していけるように伸びてもらうこと。これが目標です。

 さて、縄手北中学の1学期中間考査が終了し、概ね答案が返却されました。3年生は10名の平均点が400点越え確定、2年生は7名の平均点が400点越え確定です。おそらく両学年とも学年トップが誕生でしょう。

 1年生は本当に危険な状態です。ほぼ全員がそろばん時代には相当にしんどい学業成績でした。鍛えてもメンバーの平均点はたぶん学年平均に届かないだろうと思いました。まずは学習姿勢を徹底的に言い続け、基礎事項の理解に全力を注ぎました。恐らくここ5年で最も手をかけ、指示をたくさん出した学年だと思います。でもようやく2週間前から手ごたえを感じました。どうやら、メンバーの平均点は学年平均を上回りそうです。

 お預かりしている生徒たちが、各自の努力に応じて相応に伸びてくれているようで、指導する側としてはうれしい限りです。

 「お預かりしたお子様の力を少しでも必ず伸ばすことが私の専門です!」と言えるように、まだまだ精進したいと思います。






 (あ~、今日はタイトル通りに着地できた!!!)
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