って本当に本当に悩みます。
今の成績を高校に行ってからも保てるか、それとも下がるのか、はたまた伸びるのか? なんてこと、小さい頃からお子さまをお預かりし、その生徒のことをかなり分かっているつもりであっても断言なんてできません。
自分の現在の実力より上位の高校で鍛えてもらうのがいいのか、妥当な高校で好敵手と切磋琢磨するのがいいのか、安全圏の高校で上位の位置を維持するほうがいいのか? なんてこともやっぱり断言できません。
それは、進学先の高校の環境は事前に調べればある程度は把握できるけれども、その進学先で出会うまだ見ぬ仲間達がどんな面々なのかは進学してみないと分からないからです。
だから、事前にいくらその高校のそれぞれのコース(これは仕方がなくカタカナコトバにします)の特色を調べつくしても、進学後の生徒の伸びを予測することはできないわけです。
志望校に合格するだけの力が付いたか否かの判断はできますが、その志望校がその生徒にとって最善である保障はどこにもないわけです。そして、進路指導の際に「内申点を重視してなるべく楽に進みたいと言う生徒の希望を考慮して」進路指導するなんて公言する指導者なんかがたまにいますが、「子供たちの将来に現時点で蓋をしてどうするの?」と思います。
だからこそ、その生徒が歩んできた道を振り返り、どれだけの頑張りを積み上げてきたかを考え、この先どの程度の伸びを見せてくれるのかを斟酌してはじめて進路指導の土俵にたつことができます。
その志望校は生徒が決めたものであれば、たとえ可能性が低くても一緒に突き進む覚悟を持つこともまた進路指導には必要です。「そんな志望校はキミでは無理やから考え直しなさい」とは口が裂けても言えません。きれいごとですよね。でも私は今までこのきれいごとを貫いてきました。何度か生徒と一緒に涙を飲んだこともあります。もちろん何年経っても受け入れることはできませんが、生徒たちのその後の報告を聞く限り間違えた決断ではなかったと、生徒たちのその後に教えてもらっています。
私は私の都合で進路指導はしません。「塾が受験に太鼓判を押せるようになって欲しいものです」。違いますよね? 太鼓判を押せるところまで生徒たちと共に歩む覚悟を決めるのが進路指導ですよね。
と私は考えています。もうね、本当に自分たちの都合で進路指導すること、辞めて欲しいものですよね。
今の成績を高校に行ってからも保てるか、それとも下がるのか、はたまた伸びるのか? なんてこと、小さい頃からお子さまをお預かりし、その生徒のことをかなり分かっているつもりであっても断言なんてできません。
自分の現在の実力より上位の高校で鍛えてもらうのがいいのか、妥当な高校で好敵手と切磋琢磨するのがいいのか、安全圏の高校で上位の位置を維持するほうがいいのか? なんてこともやっぱり断言できません。
それは、進学先の高校の環境は事前に調べればある程度は把握できるけれども、その進学先で出会うまだ見ぬ仲間達がどんな面々なのかは進学してみないと分からないからです。
だから、事前にいくらその高校のそれぞれのコース(これは仕方がなくカタカナコトバにします)の特色を調べつくしても、進学後の生徒の伸びを予測することはできないわけです。
志望校に合格するだけの力が付いたか否かの判断はできますが、その志望校がその生徒にとって最善である保障はどこにもないわけです。そして、進路指導の際に「内申点を重視してなるべく楽に進みたいと言う生徒の希望を考慮して」進路指導するなんて公言する指導者なんかがたまにいますが、「子供たちの将来に現時点で蓋をしてどうするの?」と思います。
だからこそ、その生徒が歩んできた道を振り返り、どれだけの頑張りを積み上げてきたかを考え、この先どの程度の伸びを見せてくれるのかを斟酌してはじめて進路指導の土俵にたつことができます。
その志望校は生徒が決めたものであれば、たとえ可能性が低くても一緒に突き進む覚悟を持つこともまた進路指導には必要です。「そんな志望校はキミでは無理やから考え直しなさい」とは口が裂けても言えません。きれいごとですよね。でも私は今までこのきれいごとを貫いてきました。何度か生徒と一緒に涙を飲んだこともあります。もちろん何年経っても受け入れることはできませんが、生徒たちのその後の報告を聞く限り間違えた決断ではなかったと、生徒たちのその後に教えてもらっています。
私は私の都合で進路指導はしません。「塾が受験に太鼓判を押せるようになって欲しいものです」。違いますよね? 太鼓判を押せるところまで生徒たちと共に歩む覚悟を決めるのが進路指導ですよね。
と私は考えています。もうね、本当に自分たちの都合で進路指導すること、辞めて欲しいものですよね。