星組公演「黒豹の如く Dearダイヤモンド」、本当に感動しました。
宝塚、どうしてこんなに私は感動するのかなあと、その理由についてここに考察してみたいと思います。
宝塚には独特のシステムがあって、私もまだ全然わからないことだらけなのですが、「私が感動する理由」とそれがけっこう密接に関係している気がするので、その点も語りながら紐解いていきます。
(全然ライトな宝塚ファンなので、独特のシステムについての解釈に誤りがある可能性は大です。宝塚ファンの皆さんは、「まだわかってないのね!」と、心の中でツッコミを入れてください。)
☆トップの輝き
やっぱりトップに立つ人は、輝いています。
でも、踊りや歌のすばらしさより、「そこに立つプレッシャーなどを引き受けている人」として、私は見てしまいます。そこに輝きを感じます。
すごいなあって。
数十人という団員がいます。
まさに人種のるつぼ。
「私の常識は他人の非常識」そんなるつぼ。
私が働いてきた職場は、女性の多い職場でした。だからよけい、自分に重ねて見てしまうのかもしれません。
そのリーダーになれば、いろいろなこと言われると思います。
内から外から。
悪気はあってもなくても。
「たいしたことないよね」と、ないがしろにされたり
「こうすればいいのに、私ならあんなことしないのに、わかってないよね」「私のほうが、〇〇さんのほうが、できるのに」と、陰口言われたり
「変だよね」「ウザいよね」「あんな人の下につきたくない」と比較されたりバカにされたり
またこういったことを言う側個々人にも、言いたくなるだけの事情もあり…
こういうのをまとめていくのは、本当に大変だろうなと。
私がダンス講師と兼業していた事務系のパートを辞め、講師の仕事一本でやっていくと決め、私にとって本当の独立をしたのが2年前。
それ以来一番変化したのは、出会う人が「個人事業主の女性」が断然多くなったこと。
自分からも会いに行くようになったし、自然と出会うようにもなりました。
個人事業主の女性のかたたちは、「だって上司が、上の先生が…」とか「だって社の方針が…」という言い訳ができない世界に身をおいて、それでも自分の好きなことを運営していました。
「やり手女社長」という感じは皆無。
でも、リーダーとして活動している姿はやっぱり「本気度」があり、励まされたりヒントをもらえました。
そんな個人事業主の女性たちと、トップのかたの存在感が、なんとなく似てるなあって私は感じるようになりました。
「心がけ」や「努力」だけでは、清濁合わせ飲むような立場はこなしきれないと思います。
トップや個人事業主の女性のかたたちに共通して感じられたのは、やはり「覚悟」なのかなあと、私は考え抜いた末、そういう結論になりました。
「ないがしろにされてもいいし、陰口言われ、比較され、バカにされてもいいから私はやる」
という覚悟。泥臭い覚悟です。
でも、だからこそトップの人が歌うと、踊ると、個人事業主の女性が打ち出すものを見聞きすると、こんなに輝いているんだ、こんなに伝わってくるんだ。って、私は思いました。
☆組子さんの輝き
団員さんのことを「組子(くみこ)」というのだそうです。
数十人の組子さんの中で、トップやそれに近い位置に行けるのは、ほんの一握りだそうです。
それは視覚的にも明らかで、舞台のすごくうしろで「群衆」の役をやったり、ダンスのときは見えにくい位置になる人もいます。
でも表情や手足の先が「お留守」になっている人はいなく、群衆の役でも、ちゃんと立ち話をしているお芝居をしているのがすごいなあって思う。
すごいなあだけではなく、そういった組子さんの存在がなければ、ああいう感動を後々まで植え付けるような「重量感」みたいな舞台はできないんだろうなあ、と。
ちなみに、群衆の役のお芝居はアドリブなども加えながら、一回一回工夫し、変化させ、ステージごとに異なるパターンで演じることもあるそうなのです。
私は芸術とか、全然詳しいことはわからないので、適当な言い方が見当たらないのですが、
とにかくどういう立ち位置、配役でいても、「私は宝塚が好きなんだ!」「宝塚はこんなに素敵なんです!」と、遠くからも伝わってくる表現力は本当にすごいと思います。
☆ファンのかたの本気度
宝塚の公式ファンクラブはなく、各組子さん一人ずつの私設ファンクラブという形で支えているそうです。
よくわからないですが、トップかたのファンクラブを運営される方は、マネージャー的な役割をボランティアのようなかたちで担い、車での送迎もするそうです。
ファンの入待ち、出待ちの人たちをとりまとめたりもします。
こうかくとシンプルですが、入出待ちのファンのかたたちで衣装をそろえたりするのでその手配とか、車道や通行の邪魔にならないように立ち位置をそろえたり、「座ってください」とか言ったり、100名くらいのファンをとりまとめ、とりこぼしのないようトップへのお手紙を渡すタイミングを作ってくださるのだそうです。
それから、お茶会の仕切り。
お茶会とは、ファンミーティングのようなもので、人気のかたのお茶会になると、数百人くらい来ると聞いたことがあります。
それだけの会場をおさえ、お金を管理し、
そしてここでもまた、とりこぼしのないようトップさんがすべてのテーブルを回り、記念撮影できるよう、帰りには参加者全員がトップさんと握手できるよう、誘導してくださるのだそうです。
これを芸能事務職でない、一般の人がボランティアのようなかたちでやるというのは、本当に本当に大変なことだとおもいます!
私と比べるのも申し訳なくもないですが、私が生徒さんと発表会やるのだって、相当大変です。
その尺度で、ファンクラブのかたの働きを測るとき、尊敬の念を禁じ得ません。
参考までに、どうやって取り仕切ってらっしゃるのか、いろいろ聞きたいぐらいです。
☆結論
宝塚の、あの心に根付くような感動は、いろんな立場、個性をもった一人一人によってもたらされている☆
宝塚、どうしてこんなに私は感動するのかなあと、その理由についてここに考察してみたいと思います。
宝塚には独特のシステムがあって、私もまだ全然わからないことだらけなのですが、「私が感動する理由」とそれがけっこう密接に関係している気がするので、その点も語りながら紐解いていきます。
(全然ライトな宝塚ファンなので、独特のシステムについての解釈に誤りがある可能性は大です。宝塚ファンの皆さんは、「まだわかってないのね!」と、心の中でツッコミを入れてください。)
☆トップの輝き
やっぱりトップに立つ人は、輝いています。
でも、踊りや歌のすばらしさより、「そこに立つプレッシャーなどを引き受けている人」として、私は見てしまいます。そこに輝きを感じます。
すごいなあって。
数十人という団員がいます。
まさに人種のるつぼ。
「私の常識は他人の非常識」そんなるつぼ。
私が働いてきた職場は、女性の多い職場でした。だからよけい、自分に重ねて見てしまうのかもしれません。
そのリーダーになれば、いろいろなこと言われると思います。
内から外から。
悪気はあってもなくても。
「たいしたことないよね」と、ないがしろにされたり
「こうすればいいのに、私ならあんなことしないのに、わかってないよね」「私のほうが、〇〇さんのほうが、できるのに」と、陰口言われたり
「変だよね」「ウザいよね」「あんな人の下につきたくない」と比較されたりバカにされたり
またこういったことを言う側個々人にも、言いたくなるだけの事情もあり…
こういうのをまとめていくのは、本当に大変だろうなと。
私がダンス講師と兼業していた事務系のパートを辞め、講師の仕事一本でやっていくと決め、私にとって本当の独立をしたのが2年前。
それ以来一番変化したのは、出会う人が「個人事業主の女性」が断然多くなったこと。
自分からも会いに行くようになったし、自然と出会うようにもなりました。
個人事業主の女性のかたたちは、「だって上司が、上の先生が…」とか「だって社の方針が…」という言い訳ができない世界に身をおいて、それでも自分の好きなことを運営していました。
「やり手女社長」という感じは皆無。
でも、リーダーとして活動している姿はやっぱり「本気度」があり、励まされたりヒントをもらえました。
そんな個人事業主の女性たちと、トップのかたの存在感が、なんとなく似てるなあって私は感じるようになりました。
「心がけ」や「努力」だけでは、清濁合わせ飲むような立場はこなしきれないと思います。
トップや個人事業主の女性のかたたちに共通して感じられたのは、やはり「覚悟」なのかなあと、私は考え抜いた末、そういう結論になりました。
「ないがしろにされてもいいし、陰口言われ、比較され、バカにされてもいいから私はやる」
という覚悟。泥臭い覚悟です。
でも、だからこそトップの人が歌うと、踊ると、個人事業主の女性が打ち出すものを見聞きすると、こんなに輝いているんだ、こんなに伝わってくるんだ。って、私は思いました。
☆組子さんの輝き
団員さんのことを「組子(くみこ)」というのだそうです。
数十人の組子さんの中で、トップやそれに近い位置に行けるのは、ほんの一握りだそうです。
それは視覚的にも明らかで、舞台のすごくうしろで「群衆」の役をやったり、ダンスのときは見えにくい位置になる人もいます。
でも表情や手足の先が「お留守」になっている人はいなく、群衆の役でも、ちゃんと立ち話をしているお芝居をしているのがすごいなあって思う。
すごいなあだけではなく、そういった組子さんの存在がなければ、ああいう感動を後々まで植え付けるような「重量感」みたいな舞台はできないんだろうなあ、と。
ちなみに、群衆の役のお芝居はアドリブなども加えながら、一回一回工夫し、変化させ、ステージごとに異なるパターンで演じることもあるそうなのです。
私は芸術とか、全然詳しいことはわからないので、適当な言い方が見当たらないのですが、
とにかくどういう立ち位置、配役でいても、「私は宝塚が好きなんだ!」「宝塚はこんなに素敵なんです!」と、遠くからも伝わってくる表現力は本当にすごいと思います。
☆ファンのかたの本気度
宝塚の公式ファンクラブはなく、各組子さん一人ずつの私設ファンクラブという形で支えているそうです。
よくわからないですが、トップかたのファンクラブを運営される方は、マネージャー的な役割をボランティアのようなかたちで担い、車での送迎もするそうです。
ファンの入待ち、出待ちの人たちをとりまとめたりもします。
こうかくとシンプルですが、入出待ちのファンのかたたちで衣装をそろえたりするのでその手配とか、車道や通行の邪魔にならないように立ち位置をそろえたり、「座ってください」とか言ったり、100名くらいのファンをとりまとめ、とりこぼしのないようトップへのお手紙を渡すタイミングを作ってくださるのだそうです。
それから、お茶会の仕切り。
お茶会とは、ファンミーティングのようなもので、人気のかたのお茶会になると、数百人くらい来ると聞いたことがあります。
それだけの会場をおさえ、お金を管理し、
そしてここでもまた、とりこぼしのないようトップさんがすべてのテーブルを回り、記念撮影できるよう、帰りには参加者全員がトップさんと握手できるよう、誘導してくださるのだそうです。
これを芸能事務職でない、一般の人がボランティアのようなかたちでやるというのは、本当に本当に大変なことだとおもいます!
私と比べるのも申し訳なくもないですが、私が生徒さんと発表会やるのだって、相当大変です。
その尺度で、ファンクラブのかたの働きを測るとき、尊敬の念を禁じ得ません。
参考までに、どうやって取り仕切ってらっしゃるのか、いろいろ聞きたいぐらいです。
☆結論
宝塚の、あの心に根付くような感動は、いろんな立場、個性をもった一人一人によってもたらされている☆