40才からの女性のためのひとりサルサ&ベリーダンス・初級教室【amordance】 齊藤なつブログ

もう若くないから…こそ!ダンスしましょ💕ダンスは心の美容液。アモールダンス主宰・齊藤なつのブログ

戸塚まつり参加できることになりました

2015-04-30 15:33:41 | おけいこラブ
今年も、戸塚まつりに参加できることになりました。

うれしいな。
審査結果連絡をいただき、まずは安心しました。

戸塚まつりを主催される明治学院大学の学生さん、ありがとうございます。

限られた準備期間だけど、これから振り付け仕上げ、衣装準備など、できる範囲でやってみます。

背伸びせず、焦らないでいこう。

まだ編んでます(*^^*)

2015-04-30 06:14:10 | 💖
年明けに毛糸を取り寄せて編み始めたマフラー、まだ編み続けています。

もうマフラーの季節ではないけれど、蒸し暑くなるまでは続けて見ようかなと思います。

編み物してると、自分の体が10数年前と変わったなあ!と実感します。

昔は作業しているとすぐに肩が凝っていました。
脇が開いて、肩が上がり、猫背で、利き手だけを必要以上に大きく動かすような編み方をしていたんですね。

今は、ダンスやヨガの効果で肩周辺が柔軟になり、そして背筋がついたのと、今、ベリークラスの振り付けで※ショルダーシミーを多く取り入れているので、生徒さんと一緒にレッスンしているうちに、さらに肩~背中周辺の筋力がアップして、編むのが楽になりました。

※肩を震わせる動きです。

肩や背中の力の入り具合?に、左右差がなくなってきたので、楽に両肩を降ろしたまま背中を立てていられるようになり、手首から先だけで編めるようになった感じかな。

実は同じ毛糸で帽子も編む予定で、輪針も購入したのです☆

いつ完成するのかは、未定だけど、完成したらレッスンにも身につけて行きたいな。
生徒の皆さん、見かけたら褒めてくださいネ(^.^)

断然、低刺激派に変貌しちゃった私

2015-04-28 16:45:59 | おけいこラブ
かわいいかわいいナマケモノの赤ちゃんです↑(^.^)

最近、たまのレジャーというと、海を眺めに行ったり、「ふれあい動物園」的な場所で動物を撫でたり、だっこしたりというかたちが多くなりました。

犬、猫、フクロウ、鷹、カピパラ、アルマジロ、アリクイ、…

アルマジロは虫っぽくて気持ち悪かった。

カピパラとアリクイは、意外と獰猛な感じがして怖かったです。

こんなことで心が満たされ、癒されるなんて、少し前の私にはありえないことでした。
「こんな退屈なものより、ダンスのレッスン受けに行ったほうが楽しい」と、思ってました。

少し前の私は、いつも焦って飢えていたので、強烈な刺激でないと「楽しい」と感じられませんでしたから。
「楽しい」というより、「現実を一時忘れるための刺激」だったのだと思います。

よく効く薬には必ず相応の副作用があるように、上がったテンションは必ず落ちます。
それがつらいから、さらに強い刺激を求めてしまう…

若いときはそれでも「やんちゃしたな」で済むかもしれません。
でも、それを続けていたら、だんだん人生の根幹みたいなところに直接的なダメージが来て、最終的に向かい合うのは現実の自分なんです。

私は大人になって、お稽古としてダンスに再会してから、そこに強烈に打ち込んでいきました。
当時は、「好きなことに向かって努力している私は、いい生き方をしている」と思っていました。

月曜から土曜まで、仕事のあと週に23時間レッスンを受け、日曜日は7時間自主トレをしました。
もちろん好きだから、楽しいからここまで出来たというのもあるし、学ぶことが初心者当時は全て刺激的でしたから。
でも、「このままの自分でいたらいけない、なんとかしなければ」みたいな強迫観念に、やがて移行しました。
平日の睡眠時間は2~3時間。家事にだんだん手が回らなくなりました。
夫婦関係も冷ややか。顔を合わせる時間が激減。
仕事中はいつも眠く、ミスをしてしまう。
生活が、どんどん変わりました。

でもですね…なんだか、立ち止まるのが怖かったんですね。

私はもともと自分に自信がまったく持てない人だったので。
「このダンスが、私が挽回できる最後の砦だ!」みたいに、思い込んでしまって…。
もともとの私は、地味で引っ込み思案。
器用に立ち回ることができず、不器用でした。
それがすごくコンプレックスだったのです。
そんな私から脱皮したい、人に認められたいと、いつも機会をいかがっていた感じです。
すごくすごく、現実の自分がいやでした。

立ち止まったら、嫌っていた本来の自分に戻ってしまう気がして。

ダンスレッスンは、刺激の宝庫でした。
努力、根性、友情、勝ち負け…
大きな音にのって、数時間も汗びっしょりになるまで踊って、嫌な現実生活は寝るくらいで…
やがて、だんだん自分が変われるんじゃないかって錯覚してしまったんですね。

でもあるとき、そういう生活がたち行かなくなってしまいました。
環境的にも自分の心身の状態としても。
まず、自分の手足さえすごく重くなって、日曜日になると、目の前にある新聞が持ち上げられなくなりました。
平日は、必死で元気なフリをしていました。

レッスン受けるのををやめました。
最後はその手段しかありませんでした。
でも、それが一番環境にも心身にも、変化をもたらしてくれました。

人間も動物なんだ…。
そのとき一番痛感したことでした。

人間は年を重ねていくと個性が煮詰まり、その人本来の姿に戻っていくそうです。
(だから、年を重ねた人のチームはまとまるのが難しいときがあるけど、それは自然なことなんだとも書いてありました。)

今は、強烈な刺激がなくても「楽しい」と思える自分がいます。
努力、根性、友情、勝利にこだわって、理想の自分を追いかけたけど、それは「本来の自分」にどんどん戻っていくためのプロセスの1つに過ぎなかった気がします。

ダンスってそういうものなのかなぁ、と最近は思うようになりました。

普段の自分とは違う、華やかで魅惑的な自分に変身したくてダンスの世界に入ってみる

でも、続けていくと、だんだん自分そのものに向き合うことになり…

こんなはずじゃないッ!
私は変身したいのにッ!
あれがまだできないッ!、
私にはこれがまだ足りないのッ!ともがくけど…

いろんなプロセスをふんで、手痛い失敗や悲しい思いもしながら、最終的には
なんとなく、自分の本来の姿を大切にしたいというか、未熟でいびつなのはわかってるけど尊重したいというか、大事にしたい、みたいな感覚…うまく言葉では表現できないのですが、そういう感覚が出てくるのかなあという気がします。


なんだか今日は、長い文章になってしまいましたが、私もまたまだ道の途中。
最近、封印して避けていた過去を冷静に振り返り、そのときの体験や感じたことをシェアできるようになってきました。
少しずつだけど…

またこんなふうに、私の体験やそのときに感じたことを、貴女にシェアできたらと思います。

読んでくださって、ありがとうございました(⌒‐⌒)

寝坊しました

2015-04-27 09:32:35 | 💖
今朝はいいお天気ですが、気温も急上昇。

夜中に寝汗をかいて、朝方になり体が冷え、喉の痛みで目が覚めました。

寝巻きを変えて、また寝たら寝坊してしまいました。

どんまいどんまい、人間だもの。

今だから笑える母ルール~ダンスでの挫折体験~そしてテレビ大好きな私にブレイクスルーできるまで☆

2015-04-25 00:58:11 | おけいこラブ
はあ~ただいま~

西新井レッスンから帰宅しました。

帰宅後の楽しみは…テレビ!

今の私はテレビ大好き。
でも実は、けっこう最近までテレビとはほぼ無縁派の人間だったのです…。


発端は子供時代まで遡ります。

母はいろんなことに厳しい人で、当時はいろんなルールがありました。
私は長女なので、とくにいろいろルールがありました。

まず、テレビは9時以降みたらだめ。
午前中、昼、夕方もだめ。

これが私にはすごい苦痛で…。
そのぶん、強烈なタブーとして心に刻み込まれました。

人の心って不思議なものです。

親元を離れて暮らすようになると、今度は自分で「テレビは見たらいけない」「見るとしたら二時間まで」なんて、ルール設定してしまっていました。

結婚してからも、主人にまで強要。

一体、何だったのでしょう?

でも、数年前にダンスで少し大きな挫折体験をしてから、「家庭の大切さ」や「自分を大切にすること」の大切さを痛感し、それから「ほんとは私、テレビが見たい!!ものすごく見たい!!」という自分の本音を尊重できるようになりました。

ちなみに、私の大好きなテレビ番組は

二時間サスペンス

娯楽時代劇(歴史物は苦手。あくまで娯楽時代劇。歴女ではありませんので、悪しからず)

吉田類の酒場放浪記(写真)

おんな酒場放浪記

野天湯へgo

BSとケーブルテレビが中心です♪

はじめはね…テレビつけるたびにものすごい罪悪感がこみあげてきて、二時間サスペンスの犯人がわかるあたりになると、罪悪感がピークになり最後まで見ることができないほどでした。


でも今は、とぉっても楽しんで見てます\(^-^)/

他にも母ルールたくさんありました。

その気持ち自体は今ならわかる気がする。
最初の子で初めての子育て。おまけに母は子供時代ちょっと重い病気をしたとかで、あまり学校に行けなかったそうで、学校生活とか、あまり経験ないそうで…

結果、以下のような母ルールができたわけなのです↓

ドリフは見たらいけない。
まいっちんぐマチコ先生は見たらいけない。

夕食は18:30から。(旅館か…)

夕食では必ず、ご飯は飯椀2杯を食べること。1杯だけは許されない。

テレビを見ながら食事したらいけない。
食事のときはラジオ。
主にニッポン放送。でも、夕食時は山城信吾とか、けっこうやらしい番組が多かった。

同じお友達と連日続けて遊んだらいけない。
できるだけ、日替わりで。

年下の子と遊んだらいけない。

家の中で遊んだらいけない。
学校が終わったら、母が指導員をする学童に来ること。(これは破ってしまうことが多く、そのたびに母娘で揉めた)

アイドルの番組や雑誌は基本興味もったらだめ。歌謡曲を歌ったりも、だめ。


おやつはだめ。母セレクトのおせんべい(ハッピーターン、ばかうけ、サラダせんべい、歌舞伎揚げ)のみ可

夜9時になったら就寝すること。

意味不明なものもありますが、母の当時の意気込みが満載の母ルール。

ほんとに最近です。「何?このルールはヾ(≧∀≦*)ノ〃」と笑っていなせるようになったのは。

現在、当の母ったら

「えー??あたし、そぉんなこと言ったぁ?!」

今では「私たち夫婦って、変わりもんだよねーッ!人によく、そう言われるのぉッ(^.^)」て、なぜか嬉しそうに言ったりします。