端布に恋した私

小さな端布を 縫い集めてつくるパッチワークは 
私の楽しい趣味の一つです。

2009-09-08 | Weblog
交差点で 赤信号になり バイクの私も スパーの傍の交差点で 一旦停止。

横に止まった 大きなトラック 匂いにつられ 見上げると 箱状のコンテナに鶏が一杯 ぎゅうぎゅうに詰められ 停止しています。

そうです。 近くの鶏肉専門の処理工場に 行くトラックです。

何年か前までは 家で卵を採るために何羽が養っている鶏は 特別な日のご馳走でした。

〆た鶏は 毛を藁の火であぶられ 木につるされ 肉を剥ぎ取られていました。
そんな 光景を子供の頃見て ずーと鶏肉は 食べられませんでした。

美味しい 美味しいと大げさに食べる 家族を見ても だめでした。

味がだめ 匂いがだめ とかでは説明出来ず あの 生きた鶏が殺されて それを食べるのが 許されないそんな気持ちだったような気がします。

何時の頃から 食べれるようになったのでしょう。
段々 大人になり それと同時に人間の非情さ 傲慢なものが 心に付いて
食べれるように なったのだと思っています。

今は スーパーで 色々な鶏肉の前で どれにしようかと迷う自分が居ます。
「チキン南蛮」「焼き鳥」「もも肉の蒸し焼き」「から揚げ」「親子どんぶり」が頭に浮かび よだれを垂らさぬばかりに 見ています。

田舎に住むようになって 義父は牛を養っていました。
親牛に 子供を生ませ それをある程度育てて 競り市に出すのです。
子牛の生産です。

競り市に出す前日は 綺麗に洗い 角を磨き体全体をブラッシングしていました。
いよいよ その日の朝は なかなか迎えのトラックに乗らず てこずっていました。

家族は 重箱にご馳走を詰め 牛との別れと 其の後の唯一の 収入を楽しみに出かけていました。

家畜市場では 沢山の出店が並び 子牛がモー モーと泣き 競人のだみ声が響いていました。

今は 競市場も 電子化され 重箱を持って 家族中で行くこともありません。
子牛が 出荷された夜は 母牛が一晩中 泣いていた あの声は今でも耳に残っています。
コメント (2)
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