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端布に恋した私

小さな端布を 縫い集めてつくるパッチワークは 
私の楽しい趣味の一つです。

トートバック

2009-01-19 | Weblog
トートバックが出来あがりました。
以前にも何個か作っていますので 頭は使わず手だけ動かして作りました。
大きめですから お稽古や泊りのある仕事の方 子育てに忙しい方などを思い浮かべて 針を動かしていました。








深さ30cm 幅37cm 底の幅13cmです。

風 邪

2009-01-18 | Weblog
皆さん 風邪ひいていませんか?

秋の終わりごろから 風邪の予防注射をしたとか するとかあちこちで
耳にしていましたが 私たち夫婦はあまり関心がなく そのままです。
その代わり 手洗いとうがい 人ごみには極力行かず 早寝早起き
穴熊さんはゴルフ 私はプールでウオーキングと 運動しているせいか
今のところ 大丈夫です。

今年の風邪 タミフルが効かないとか 高齢者は重症になる場合も
あるようです。
気をつけなくては と話しつつ 穴熊さんは晩酌の量が多いようです。

夕方 包丁片手に 見回る小さな畑の隅に 金柑の老木があります。
沢山実を付けているので 楽しみにしていますが 私より鳥のほうが
目ざとく つつき始めました。

今朝 少し収穫し 私流で煮ました。
風邪の予防になるでしょうか。

梅も 老木は花を開き始めました。

私の好きな藪椿は 沢山の蕾をつけていますが 未だ堅い蕾です。

あの日

2009-01-16 | Weblog
今年も又 あの日がめぐってきます。

あの日の朝 寒い朝でした。
目が覚めて 時計を見たら六時前 起きなければと 暖かい布団を抜け
いつものようにラジオのスイッチを入れました。

いつものアナウンサーではない声で 神戸の町の震災を伝えていました。
急いで テレビをつけると 大きな地震が起きた様子。

段々被害の大きさや 迫り来る火の手 折れ曲がった道路や橋の様子を
伝えていました。

家事を済ませ仕事に出かけましたが 職場のテレビも一日中 悲惨な地震の
被害を伝えていました。

あの日の 前の年に 神戸に物見遊山に 出かけあちこち神戸の町を
楽しんできたばかりでした。
色々な被害も テレビを通して見る限り悲惨でしたが それより
あの火の手の中 建物の下敷きで 泣き叫ぶ子供を置いてきた人や
親が動けず子供だけで 助かった人の話を聞くたびに 一緒に涙しました。

あのときの子供さん達 どんなにしておられるだろうか とか 
子供を見送られた 親御さんたち 立ち直っておられるだろうかと
思い巡らしています。

新聞や テレビで見る限り 外見は復興しているように感じられますが
被災された方は 何年たっても 忘れることの出来ない 災害でしょう。

他人事ではありません。 何時自分もあんな災害に遭遇するか分かりません。
薬缶一杯の水を 汲み置きするだけでなく 我が家なりに 心がけなければ
と あの日が来るたびに想います。

北 風

2009-01-15 | Weblog
さすがに 寒です。 毎日寒い。
お日様が出て 雲がなければ風もなく 穏やかなぽかぽかの 日和です。
この冬の北風や西風を 利用して 漬物大根を 干したり 青首大根は
千切りにされ 干されます。
千切り大根作りの 農家は天気予報とにらめっこで 寒風の中 頑張って
大根干しです。
このところ お天気が続いていますので 仕事がはかどることでしょう。

綺麗に乾いたものは 自然食品の代表です。
工夫で 色々な食べ方がありますが 今日は煮て おかずの一品です。
しいたけ 人参 縮緬いりこ 等あるものを入れて 煮ました。

夫 婦

2009-01-14 | Weblog
先日 NHKで「60才のラブレター」の番組を 再放送していました。
我が家の本棚にも 並んでいます。
長年連れ添ったご夫婦が 相手に対しての思いを 短く綴ったものです。

本では 事情があって 離婚したご主人や 既に見送ったご主人宛のものも
記載してあります。

まったくの赤の他人が 夫婦になり一緒に生活するのですから
ままならないのが 当たり前。
お互いが 我慢し 許しあい 一緒に生活していますが 長い年月は
あきらめも 混じります。

先日のテレビのご夫婦 自営の仕事が倒産し ラーメン一個を 
二人の子供と奥さんと三人で食べましたとの 奥さんの言葉。

その時 奥さんの指輪まで はずして質屋にもっていったご主人。
ようやく 先の見通しが出来たとき 「指輪買いに 行くか」ぽっりと 
言われたとか。
長い間 ご主人の 想いだった其の一言。

思わず もらい泣きしてしまいました。
それでも ご主人と一緒に頑張って 今がある との奥さんの言葉。

見習わなくてはと 思ってしまいました。

我が家の穴熊さん 夕べはゴルフの反省会で 一等賞だったとご機嫌の
千鳥足で帰ってきました。

帰ってくるなり財布の 残金を確認していましたが 私が左手を
出したら 野口英世さんを一枚乗せてくれました。
こんなとき 絶対翌朝覚えていません。

今朝から 霧島温泉郷に一泊で出かけましたので 朝 餞別は夕べの
野口さんを出して 「お土産は かるかん饅頭」と渡しておきました。

今日は 鬼の居ぬ間の洗濯でしたが やっぱり 一人は落ち着きません。

うどん

2009-01-13 | Weblog
こんなに 寒い日のお昼は 暖かいものが一番。
そこで 登場するのは うどんです。
 
我が家の穴熊さんは 毎日「だれやみ」を欠かしません。
そのため夕食に「うどん」が出されることは まずありません。

今は冷凍食品でも 讃岐の美味しいものがありますが 問題はつゆです。
母は鶏の骨付きで 作っていましたが 私の出し汁はいまいちです。

「うどん」といえば 就職したばかりの頃 職場のお昼の出前を 
まとめるのも 私の仕事でした。
昭和30年代の話です。うどん30円 寿司120円の時代です。

注文は色々でした。
寿司の「いかとたこ」だけとか 鉄火だけとか 色々な大人がいるのも
その時覚えました。

そんな出前の すし屋の「うどん」さすがに出しの採り方が違うのか
一味違う味でした。
てんぷらの 揚げ玉とかまぼこと 葱だけのシンプルなものでしたが
今でも 私の舌は覚えています。

何年か前に ふるさとを訪ねたとき 其のすし屋さんを探しましたが
お店が変わっていました。



先週 縫い物のお友達と 車で小一時間ほどの県北の 美々津に
行ってきました。
港町で古い 家並みが保存してあり 趣味のお店もあり 着物でそぞろ歩く
催しなどある町です。
民芸品や 和の小物のお店を回り お昼は 帰りに10号線沿いの
「うどんや」さんでお昼でした。

沢山のトッピングの美味しい手打ちの「うどん」でした。
胃袋も心も満足し 今年もいい年でありますようにと おばさんたちの
小さな 正月でした。

成人式

2009-01-12 | Weblog
今日は 「成人の日」で祝日です。
毎日が 休日の私たちには 変りのない 祝日です。

わが町の 「成人の日」の式典は 一月の五日に行われましたので
今日は 静かです。
華やかな 振袖姿の娘さんを テレビで見ていると 若いということは
なんといいものかと 自分の成人式とダブらせて思い出しています。



普通の ポンカンの何倍あるのでしょう
2キロを越す 晩ぺいゆです。
皮を剥くのも大変です。 実はさくさくのあっさり味です。
 


こんな大きな みかん食べるとき いつもは強がりの私でも 男性の
力を借りなければなりません。
そんな時 穴熊さんは このみかん 栽培するとき実を一個一個吊り下げるの
大変だろうと 生産者の心配。
私は 食い気 味の心配 そこで男の思考脳と女の思考脳の違いを 
思い知らされます。

そんな 違いが 紛争の原因なのでしょうか。

記 憶

2009-01-09 | Weblog
脳の記憶をする部分が 年齢と共に段々衰えるのは 確かなようで 毎日の
生活の中で 自分を自分で笑っています。

そんな二人が生活しているのですから 相手のドジに腹を抱えて笑うことは
珍しくありません。
他人様に迷惑を掛ける ような忘れは今のところ二人ともありませんが
お付き合いの中で 断りきれないことなど 年寄り特有の 「忘れ」で
ごまかすこともあります。

脳の記憶は 段々積み重ねられ 蓄積されるものと 聞いたことがあります。
其の証拠に 年寄りが昔のことは しっかり覚えているのに 昨日のことが
記憶にない 残っていないとは良く聞くことです。

今年も数少ない 私宛の賀状の中に 幼友達二人の懐かしい字を見つけました。
二人とも 小学校の六年生まで一緒で その後は まったく別々の
人生でした。

一人は 戦後の混乱期に お母様と独り身の伯母様と三人で引揚げ お母様
伯母様を見送り 東京で小学校の先生をしていました。
故郷での同窓会に 帰ってくると 必ず会っていた仲でした。

もう一人は六年生の時 お母様が病気でなくなり 残された五人の弟妹の
元に 後妻としてお母様の妹 つまり叔母さまがお母様として入られ
長女として 良く弟妹の世話をしていました。
今は富士山の 見えるところで生活していますが 賀状にはいつも
私に「出でおいで 三人で東京で会いたいね」 と書いてあります。

二人の賀状を見ていると もう60年以上過ぎた 記憶が次々と思い出
されます。

学校の正門の入り口の商店街の 名前や屋号まですらすら出てきます。
きっと私が 認知症になったら あのお店の名前を言いつつ 徘徊する
のではないか と先日も電話で近況を話しました。

お互い健康で いい一年で過ごせるといいね。と言って電話を切りました。 

2009-01-07 | Weblog
今朝 掃除のために サッシを開けて 庭の梅ノ木を見たら花らしきものが
ちらほら 見えます。
二 三日前に見回ったときは 蕾はまだ固かったはず。
確認のために庭に出てみると 咲いていました。

今年の正月は 割と暖かい正月でしたので 梅も蕾を膨らませたのでしょう。
我が家に 何本かの梅ノ木がありますが この梅ノ木は 老木で
きつつきが巣をつくり 嘴で気ぜわしくつついていましたが とうとう
途中から 枯れて 背丈を低くしています。

それでも 沢山の花をつけ 大きな立派な梅の実を 付けるので
楽しみにしています。



この梅ノ木 立派な「サルの腰掛」を 従え 貫禄を示しています。

昨年は 沢山の梅の花の開花に喜んでいたところ 其の後 急に寒さが
やってきて 結局梅の実はだめでした。

花を見るか 実を期待するか 両方は中々難しいようです。



梅は梅でも これは蝋梅。
縫い物のお友達が 自宅の庭に咲いたものを 届けてくれました。
部屋中にいい香りを 振りまいています。

花の少ないこの時期 沢山の黄色い花を付け 香りを振りまきます。
なぜか 中国を連想してしまいます。

2009-01-06 | Weblog
穴熊さんの 暮れのゴルフ 参加賞が 卵でした。
お正月に丁度良いと 喜びましたが その数にびっくり。

ダンボールの 箱の中に 10個のパックが6個も入っていました。
私の料理の腕不足で まだ残っています。
今朝は 卵焼きにしました。
弁当を作ることのない毎日ですから 卵焼きも あまり作りません。
弁当を五個も作っていた頃が 嘘のようです。

正月気分を 抜かなくてはと 針を握りましたが まだだらけています。


小さな 小物入れ 二個出来ました。
下は 幅6cm 長さ15cmで ファスナー10cmです。