季 語
毎年 自生する我が家の朝顔 この時期沢山咲いています。
そういえば 朝顔の季語は 初秋 ぴったりです。
先日から 遊んでいる羽織 巾着袋を15も作って ふと気が付きました。
この柔らかくて しなやかな手触り そうだマフラーに最適だ と作りました。
長さ150㎝ 幅20㎝ です。
モデルがいないので ミシンに まいてはい ポーズ。
毎年 自生する我が家の朝顔 この時期沢山咲いています。
そういえば 朝顔の季語は 初秋 ぴったりです。
先日から 遊んでいる羽織 巾着袋を15も作って ふと気が付きました。
この柔らかくて しなやかな手触り そうだマフラーに最適だ と作りました。
長さ150㎝ 幅20㎝ です。
モデルがいないので ミシンに まいてはい ポーズ。
昨日は 一日早い私の集落の敬老会でした。
以前は70才以上の高齢者が対象でしたが 対象者が多すぎて 75才以上となった経緯があります。
対象者23名のうち 20名が昨日の参加者でした。 我が家は穴熊さんと私 二人で参加です。
この年齢になれば 晴れの集まりに参加することも 少なくなりました。
髪を 一週間前に染め 服装は何を着ていくか考え 箪笥の中を混ぜ返し 半袖は寒いか 長袖は早いか 残り少ない女ごころが 頭をもたげます。
いつも 素顔の私珍しく鏡に向かいましたが 白粉がのるわけはありません。
まさに 牛蒡の白和えです。
準備接待の集落の方々に失礼のないように 普段着のちょっとましなものを着て出かけました。
年寄は気が早い 私が到着したとき皆 記念撮影のため 手作りのひな壇の椅子に着席していました。
今年75才の 新米が3人 上は100才まで 大きな声が飛び交います。
わずか4人の小学生が 父の名前と自分の名前を名乗り ピアニカの演奏を聞かせてくれ 町内のエイサー同好会の元気なおばちゃんたちが
沖縄のリズムで 気合を入れてくれました。
前も後ろも 横も 皆顔なじみです。 なんの遠慮もいりません。 同じ話が何度も大きな声で繰り返されます。
にぎやかな午後のひと時でした。
敬老会の席に 私が座るなんて 若いころは想像もしていませんでした。
いよいよ 私も人生の先が見えようとしています。 これから先が大事と自分では十分自覚していますが ままなりません。
人生は 切ないものです。
巾着袋出来上がりました。 まだまだ布が残っています。 まだ作れそうです。
あんなに暑い8月だったのに 暦が9月になった途端 涼しくなりました。 ツクツクボウシも もう鳴きません。
急に涼しくなり 女たちに冬の支度を急ぐように <女騙し>と言うのだよ と母が言っていたのを思い出します。
騙すどころか 本気の涼しさです。
小さな巾着袋を作ろうと あちこち探していたら 手ごろな羽織が出てきました。 使い込まれた布は柔らかく 柄も気に入り 鋏を入れて丁寧に解き始めました。
ところが 裏の方に 曲げられた裾の部分に 丁寧に繕った跡が見つかりました。
もともと 着物だった時 薄くなったお尻部分を 繕って 羽織に仕立て直したのだと 思われます。
こんな繕ったものは 仕立て屋さんに頼むことはなく一家の主婦が 家族を思いつつ 仕立てたものでしょう。
裏布もまだ使えそうです。 これで思いっきり鋏を入れて 巾着袋を作れます。
バックの中の小物を整理するのに 皆さんに喜んでいただいています。
夕方 友達が 「お裾わけよ] と二十世紀梨を届けてくれました。
彼女の故郷は 鳥取県です。 「 何でこんな田舎に 住み着いているの?」 と友達になったとき 聞いたら 「色々ありまして……」と答えました。
詮索は無用です。 故郷に住むお姉さんと妹さんが 故郷の味を届けたくれるのだそうです。
両親も 見送ると故郷も遠くなってしまいます。 私がいい見本です。
近頃梨も 新しい品種が多くなり 覚えきれませんが やっぱり昔からの懐かしい二十世紀梨は故郷の味なのでしょう。
彼女にとっては 両親や兄弟 友達を思い出す味なのでしょう。
色々と縫物の話をして 帰っていきました。
島根県と鳥取県をいつも間違う私 冷たく冷やした 二十世紀梨をいただきながら 鳥取県の勉強をしましょう。
色々な書類に 日付けを記入するとき えーと平成何年だったけー 19〇〇何年だったっけーと 一瞬考えることが多くなりました。
平成元年に生まれた子供たちも もう26才 立派な大人です。 昭和の時代に青春を過ごした私にとって 色々あったとしても 思い出深いものになっています。
今朝の朝日新聞のトップは 昭和天皇の実録が公表されたようで 色々私たちの知りえなかった事実が だんだん表に出てくることでしょう。
それに伴って 天声人語は 向田邦子さんのエッセイから 昭和の思い出を拾って紹介しています。
私の生活の中で 昭和らしいものを 探せと言われても えーと と考えてしまいます。
毎日 座る机の隅の古い母の使っていた 指ぬきと物差し 私の生活の中に 今も生きている昭和です。
何だかんだといっても 毎日ごはんが食べられ 教育が受けられ 女性が表舞台に出られるようになり 蛇口をひねれば 水が飲まれ トイレは水洗になり 豊かになった日本 昭和の時代の頑張りがあったからこそと ふと思いました。
父は明治 母は大正生まれでしたが 青春は戦時色の濃いものでした。 生存中に もっと話を聞いておくべきだったと悔やまれます。
パッチワークがどんなものか 興味を持ったころ 赤毛のアンの映画に出会いました。
一つのことに興味がわくと 次々に面白くなります。 赤毛のアンの作者の故郷 プリンスエドワード島に興味を持ち キルトの歴史も知ることになります。
布が貴重なものだったころ ぼろぼろになった衣服の布は 縫い合わされ ベッドカバーや敷物に変身していました。
幼い 子供を残して 逝った母親の洋服を ハッチワークにして ベッドカバーを作り 子供たちが それで母をしのんで 眠りについていたとか 色々な 思い出もつなぎ合わされ 寒い冬を暖かく包んでいたようです。
その時代のアンティークキルトが ネットのオークションに 出ていますが 私のへそくりでは 手が出ません。
大きな ベットカバーなど しつけをするとき 女性たちが集まり お喋りと手作りのクッキーで 一日過ごしたようです。
赤毛のアンの映画でも 随所にパッチワークの作品が 生活の中に生かされています。
針の糸目はそろっていなくても 手作りのものは 作者の暖かい気持ちがしのばれて大好きです。
古布でバックつくりをしていますが 木綿は普段の生活の中で使われ ぼろぼろになるまで使われていたようで 絹の着物のように よい状態で手に入れることが なかなかできません。
穴のある布や 継ぎの当たった布 どこのどなたの 人生を見守ったのか そーと 聞いてみたくなります。
NHK の朝ドラも いよいよ 赤毛のアンの翻訳がはじまりそうですが 楽しみです。
それにしても 赤毛のアンの 背景になる プリンスエドワード島 私の憧れです。
昨日 八百屋を覗いたら 青いレモンが店頭に 沢山出ていました。
しかも 青い国産のレモンです。
ついつい 二個買ってしまいました。 料理に使う目的もなく 眺めていましたが ふとひらめきました。
塩麹の話題も あまり耳にすることもなくなり 近頃は塩レモンの話を よく見聴きします。
そうだ 塩レモンにしてみよう。
そこで空き瓶に 縦に八つ割にして 塩を入れ 冷蔵庫へ。
何に使うかは これからです。 それが私の悪い癖です。
鮭のぬいぐるみが出来上がりました。 気ままに思い出したころ 作りますが作り方を忘れていて 型紙を左右対称に使い 布を切らなければならないのに 同じものを 二枚つくり 合わせるときに 気づいて嘆いています。
目の場所で 全然違った感じになります。
全長 70㎝です。 9月の声を聴いた途端 朝晩の風の涼しさを感じています。
北国の河川には 鮭が遡上し 塩引き鮭つくりも 始まるのではと 南の国の住民は 涎を垂らしています。
始め ちょろちょろ 中ぱっば 赤ちゃん泣いても 蓋とるな と教えられたのは 私世代の人間。
今は 電気やガスの炊飯器にお米を洗って入れ 炊飯器の内側の 目盛りまで水を入れ スイッチオン。
そんな炊飯器に頼っていましたが 一人の時 コンビニでおにぎりを買ってくれば簡単ですが コメをつくっいてる穴熊さんに 申し訳ないと
一合の米を いつもの土鍋で炊飯することにしました。
洗った一合の米を 計量カップで 水を入れ ガスのコンロに乗せる。 点火する もちろんちょろちょろの火です。
鍋の蓋の間から 蒸気が揚がりいい香り 耳を澄ますと 音が聞こえます。 かすかな焦げのにおいで 火を止め 知らん顔で蒸らします。
耳で音を聞き 鼻で香りをかぎ 鍋を見つめて 自分が頼りの飯炊きです。
衰え始めた五感に働いてもらっています。美味しいおこげが おまけです。