超人日記・俳句

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<span itemprop="headline">ハイデガーの芸術家と思索者</span>

2010-10-27 23:37:33 | 無題

ハイデガーの「ニーチェ」の芸術論の部分を読み終わる。存在者全体の真義である力への意志は、芸術家の創造という形で如実に代表される。芸術とは鎮静剤ではなく刺激剤であり、感覚的な美のなかの陶酔であるだけでなく、自分の今を越え出る力の充溢感である。
ニーチェ哲学はプラトニズムの逆転であり、ニーチェの芸術論もプラトニズムの逆転、超克である。ではプラトン自体はどのような芸術観を持っていたのか。それがハイデガーによって、国家篇とパイドロス篇を読むことで示される。国家篇で語られる芸術論はこのようなものだ。
まず寝椅子なら寝椅子のイデアがあり、イデアを真似て有用なものを職人すなわちデミウルゴスは作り、その個々の制作物の一面を曇った形で写し取るのがミメーシス(模倣)という画家の仕事である。
神の作ったと思われるイデアがあり、イデアを真似た個物があり、個物を曇った形で模倣する芸術がある。というわけで芸術はイデアから遠く離れ、序列が下なのである。ニーチェにとっては許せない所である。続けてハイデガーはプラトンのパイドロス篇をこう解釈する。
人間は生まれる前に存在を見ていたのであり、存在の本質を覚えているから物事を理解できる。けれども普通ひとはそのことを忘れている。美こそが存在忘却から人を目覚めさせ、存在へ目を向けさせる。美しいものは感性的であるが、超感性的なものへ道を開いているのだとハイデガーは説明する。かなりプラトンを自分の存在説へ引き寄せた読みである。さてプラトニズムを逆転させるとはどういうことか。
超感性的世界の廃絶。それとともに仮象と呼ばれる世界もそう呼ばれる必要がなくなる。超感性的世界の廃絶の後に残るのは何か。それはリアルなもの、存在的なもの、すなわちパースペクティヴ的にその都度開けてくるこの世界である。ニーチェの意図したことは何か。学問すなわちハイデガー的には真理への関与を芸術家のパースペクティヴのもとで見ること。そして芸術を「存在は生成する」というパースペクティヴのもとで見ること。芸術といわれている創造は、存在の深みへ及ぶ根源性に照らして評価される必要があるとハイデガーは言う。
結論的に言えば、存在とは力への意志であるというニーチェのことばは、存在は展開した各自の領域で生成すると言い換えが効く。芸術的創造とは、真理への関与の度合いで、存在の根源にどれだけ食い込んでいるかで価値が決まる。力への意志を体現する芸術家とは、ハイデガーのような存在の根源へ食い込む思索者や詩人である。ここに至ってハイデガーはニーチェの理論に自分の居場所をみつけるのである。



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