超人日記・俳句

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#俳句・川柳ブログ 

もっと読めばわかるキリスト教の歴史

2021-12-16 18:59:12 | 無題
「キリスト教からよむ世界史」後半を読む。日経文庫。以下補足して紹介する。
中世修道士で、瞑想的な説教者として知られたのが、聖ベルナルド。
フランスのシトー修道会士でクレルヴォーの聖ベルナルドゥスという。
彼は旧約聖書の雅歌の、花嫁と花婿の結婚を、信徒と花婿キリストとの熱烈な絆になぞらえる。
花嫁が望めば、花婿キリストはいつでも、何度でも信仰者に会いに来る。(花嫁神秘主義)
聖ベルナルドは信仰者が無垢となり、無心で神と向き合うとき、信仰者は神のなかへ入る、とする。
聖ベルナルドは、マリア讃美者としても知られ、マリアの天使に対する従順を信仰の支えとした。
乳と蜜の流れる博士として知られる弁舌の甘美さは、「神を愛するということについて」など和訳された説教からも窺い知ることができる。彼はそこで神は善人にも悪人にも空気や食べ物ほかすべてを与えた。そして自らの一人子を人間に与えた。それだけで神は愛されるに値すると言い、人はまず自分のために神を愛し、神のために神を愛し、甘美であるために神を愛すると言い、その最終段階で、われを忘れて無垢となり、神のなかに入り込むことができるとする。
彼が参加を呼び掛けたときの十字軍は、失敗に終わった。
十字軍の時代、キリスト教世界は中東世界と交流を持ち、交易が盛んになり、アリストテレスの本格的逆輸入が行われ、東西貿易の効果で新興自治都市が多く生まれた。
その後カトリック教会は、免罪符の販売などでドイツの宗教改革のルターに批判された。ルターは万人が自分の司祭であるという万人司祭説と信仰によって神に義とされるという信仰義認説を説いた。またスイスで活躍したカルヴァンは、天国行きは神によって決められているという予定説や、勤労によって神の栄光を示すべきとする説を説いた。反宗教改革の側では、イエズス会のイグナチオ・デ・ロヨラが霊操のすすめを説き、フランシスコ・ザビエルが東洋まで宣教に来た。異端審問、宗教戦争など幾多の問題を乗り越えて、政治と適度に関係を深めながら、新教・旧教とも現在に至っている。
花婿がいつでも会いに来るように主は信徒にはいつも寄り添う
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読めばわかるキリスト教の歴史

2021-12-16 04:02:16 | 無題
日経文庫の「キリスト教からよむ世界史」読む。
イエスは弱い者、欠けている者こそ真っ先に救われるべきだと説いたところが斬新。
反ローマの政治指導者と目され十字架で刑死した。
使徒ペテロはユダヤ人を中心とする教会を建て、キリストの復活を見たパウロの
ギリシア語を話す人々の教会と並立していた。ともにローマ帝国の迫害に遭った。
313年、キリスト教の公認。
325年、アリウス派と父と子の同一性について教会は論争する。アリウス派は、子は父に劣るとしたが、異端とされた。三位一体の確認。
405年、聖ヒエロニムスが訳したラテン語のウルガータ聖書が、完成。公式聖書となる。
431年、ネストリウス派はイエスは神の被造物と主張。マリアは神の母でなく救世主の母だと訴える。イエスは人にして神ということでネストリウス派は異端とされる。
476年、西ローマ帝国の弱体化による滅亡。
修道院は瞑想生活だけでなく、次第に外に出て布教活動、慈善活動をするようになった。
6世紀末、グレゴリウス1世がグレゴリオ聖歌をまとめたとされている。
800年頃、カール大帝の登場による、西ヨーロッパの統一。カロリング・ルネッサンス起こる。
11世紀から12世紀に、グレゴリウス7世の教皇改革により、誰が司祭を任命するかを巡って、教皇と皇帝の間で叙任権闘争が起こる。グレゴリウス7世はローマ法や、アンセルムスの個人の罪は自分で償うべきとする神学を元に、中世教会法を整備。グラティアヌス教令集に結実する。中世教会法を手本にして、ヨーロッパの法制度が「近代化」する。教会は法人化する。

キリストが知るか知らぬか教会が紆余曲折で法人化する
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