ウィトゲンシュタインの「秘密の日記」というのを取り寄せている。
「哲学宗教日記」がおもしろかったので、それより前の、
かれが「論考」でデビューする前の日記も多分おもしろいと
思って、注文した。
その本がなかなか来ないので、
1930年代の前半の「講義集」を読んでいる。
筆記者が独自の説明を加えて、講義をなぞっている。
テープ起こしみたいに、実際の発言をまとめて読むほうが、
リアルに読者に伝わるはずだ。
この講義集の内容はこんな感じだ。
あることばが規則であるのは、チェスのゲームと同じ意味で
規則である、と言える。
けれども、数学の命題が真であるのと、ある経験についての
記述が真であるのと、一律に同じとは言えない。
彼の初期の考え方、ことばは世界の写しであるという考えから
少しずつ離れて、ことばはある枠組みの中の規則である、
という後期の考えに踏み出しているが、
ことばが生活様式である、とか慣例的に成り立っているという
アイディアには、まだ至っていない。過渡期の講義集である。
いろいろ考えるヒントが多く含まれている。
「哲学宗教日記」がおもしろかったので、それより前の、
かれが「論考」でデビューする前の日記も多分おもしろいと
思って、注文した。
その本がなかなか来ないので、
1930年代の前半の「講義集」を読んでいる。
筆記者が独自の説明を加えて、講義をなぞっている。
テープ起こしみたいに、実際の発言をまとめて読むほうが、
リアルに読者に伝わるはずだ。
この講義集の内容はこんな感じだ。
あることばが規則であるのは、チェスのゲームと同じ意味で
規則である、と言える。
けれども、数学の命題が真であるのと、ある経験についての
記述が真であるのと、一律に同じとは言えない。
彼の初期の考え方、ことばは世界の写しであるという考えから
少しずつ離れて、ことばはある枠組みの中の規則である、
という後期の考えに踏み出しているが、
ことばが生活様式である、とか慣例的に成り立っているという
アイディアには、まだ至っていない。過渡期の講義集である。
いろいろ考えるヒントが多く含まれている。