今日、やっと、ウィトゲンシュタイン「秘密の日記」なるものを読んだ。
ノートの片側に、いわゆる「論考」の草稿を書き記し、
その隣のページに、第一次世界大戦の東部戦線の戦場に居る彼の
個人的な日記が記されている。
日記と言ってもそう詳細な心情の吐露ではない。
「論考」の草稿との関係から言えば、「今日は、仕事をした。」
と書いてある日は、「論考」の筆が進んだと言う意味である。
その他、彼の哲学と関係の深い記述と言えば、
トルストイの福音書の要諦を読んで、深く心を動かされた、
などの記述が注目すべき点である。
その他は、食事は食べれた物じゃない、とか夜は眠れなかった
とか、今日はとても「官能的」だったなどの日々の記録である。
戦況のひっ迫と「論考」の草稿の内容がより宗教的になっていくのは、
必然的な結びつきがありそうだ。
そうした点を勘案したうえで、やはり戦時日記を読むよりは、
「論考」の草稿をじっくり読むほうが、より彼の哲学をわかるには
重要だと、「秘密の日記」を読んで感じた。この状況で、論考の草稿を
書ける集中力は、驚嘆に価する。
砲撃で揺れる東部の戦線で「論考」を書く指が震える
ノートの片側に、いわゆる「論考」の草稿を書き記し、
その隣のページに、第一次世界大戦の東部戦線の戦場に居る彼の
個人的な日記が記されている。
日記と言ってもそう詳細な心情の吐露ではない。
「論考」の草稿との関係から言えば、「今日は、仕事をした。」
と書いてある日は、「論考」の筆が進んだと言う意味である。
その他、彼の哲学と関係の深い記述と言えば、
トルストイの福音書の要諦を読んで、深く心を動かされた、
などの記述が注目すべき点である。
その他は、食事は食べれた物じゃない、とか夜は眠れなかった
とか、今日はとても「官能的」だったなどの日々の記録である。
戦況のひっ迫と「論考」の草稿の内容がより宗教的になっていくのは、
必然的な結びつきがありそうだ。
そうした点を勘案したうえで、やはり戦時日記を読むよりは、
「論考」の草稿をじっくり読むほうが、より彼の哲学をわかるには
重要だと、「秘密の日記」を読んで感じた。この状況で、論考の草稿を
書ける集中力は、驚嘆に価する。
砲撃で揺れる東部の戦線で「論考」を書く指が震える