日曜日の昼、ヤマアの鶏飯にお湯を注いで食べる。
トリのスープが固形になっていて、卵の細切りやら、海苔の細切りやらを掛けてお湯でうるかして食べる。トリの出汁で食べさせるあっさりとした薫り高い逸品。
友人から小澤一雄氏イラストのサイン入りクラシック・カレンダー贈られてくる。
365日音楽家のイラストが描き分けてある凝ったもので凄い。
今日は帰宅後友人と待ち合わせて、最近恒例の梅ヶ丘の焼きとん屋さん太陽食堂に行く。
その前に友人がフェイスブックとメールでライブ情報を送信するのに手間取っていた。
カフェモカ350円。
焼きとん、ヤキトリ、ちくわ麩、水餃子、ダシ巻き玉子、牛スジ・ラー油煮、カシスオレンジ注文する。
友人は3月ぐらいにイランに再訪しようと思う、
思い出の地とちゃんと見ておきたい聖地の両方を訪れる、
八重の桜の台詞が聞き取れなくなったのか、
ウォークマンを大音量で聞くのは止めておいた方がいいぞ、
ライブで12月は手一杯だ、来年も鎌倉ジャズフェスやギターとのユニットで忙しい、
有名曲のアレンジを徹底的に工夫した、と喋る。
二人で計4400円。
クラシック音楽が聞けなかったら困るので
ウォークマンで未完成やグレイトを大音量で聞くのは止めようと思う。
今日も恐る恐るアンドラーシュ・シフのシューベルト
ピアノソナタD960をスピーカーで小音量で聞く。
去年の今頃はブルーノ・ワルター・エディションが
クリスマス前に発売されて小躍りして喜んだものだ。
今年はクリスマス前のビッグな全集は今のところ購入予定なし。
大規模ではないが内田光子のシューベルトピアノソナタ全集を
取り寄せているのだがクリスマス前にくる気配はなし。来年のハイティンク全集に期待。
ヘルマン・ヘッセと音楽を読み進めている。
ふたご座の流星群に彩られ今年も暮れて希望を繋ぐ
眠る前に中公の日本の名著・道元を読んでいる。道元の石井恭二訳河出文庫第二巻は絶版。再版求む。
ヘルマン・ヘッセの音楽エッセイは奥深い。
最近シューベルトがお気に入りで、弦楽、交響曲、ピアノソナタと万遍なく聞いている。
メニューイン指揮のEМIの交響曲全集まで喜んで聞いている。
宇野功芳氏が酷評したものである。内田光子のシューベルトピアノソナタ全集入荷しない。
本当にメーカーにあるのか謎である。
この前は友人と豪徳寺で会ってもう一つの薩摩みたいな本を熱く語られた。
ヘルマン・ヘッセの描く水彩画は表現主義ふうだ。
原色に近い色で鮮やかに各部が塗り分けられている。
「アルプス南麓の村」に多くの水彩画が載っている。
ヘッセは詩も書く、小説も書く、水彩も書く、多才である。
英語の古代宗教の本、読むのが止まっている。
最近心を慰められたのはディーター・ツェヒリンのシューベルトソナタ全集、
メニューイン指揮のシューベルト交響曲、
コンツェルトハウスの弦楽曲、ヘッセのエッセイ(フォルカー・ミヒェルス編)。
後、時間が空くとフォルクマール・アンドレーエの世界初のブルックナー全集を聞いている。
チェリビダッケのブルックナーは勿体ないので未開封。年の瀬に好きなものに囲まれている。
来年のハイティンク・エディション早めに出ないものか。
アンドレーエのブルックナー全集は凛とした音で楽譜を厳格に再現する。
ヘッセが聞いた名指揮者の演奏が、かつての持ち味もそのままに全曲録音されている。
これは奇跡的な録音の記録である。十分鑑賞に耐える音質で、胸に迫ってくるものがある。
ディーター・ツェヒリンの緩急自在の強弱をつけた好ましいピアノソナタ聞いている。
彗星が夜空をよぎる年の瀬にピアノソナタに願いを込める
ヘルマン・ヘッセと音楽という本を見つけたから貸してあげますよと電話が来た。
そこで、読書好きの友人と喫茶店で話す。
ブックオフにパラジャーノフの「ざくろの色」があったが、新品より高いので買えなかった。
今日は内田光子のモーツァルトのピアノソナタ全集が来て、聞いていたところだった。
内田光子のモーツァルトは結構深刻という評判だったが、聞いてみると意外と好感が持てる、内向的な、内省的なモーツァルト。
本当は内田のシューベルトのピアノソナタ全集が聞いてみたいがまだ入荷待ちである。
お目当ての「ヘルマン・ヘッセと音楽」を貸してくれた。
バロックから現代まで音楽家の名が並んでいる。
友人は私の好みをよく知っている。
その他みすず書房の「ヘルメティック・サークル」というヘッセの交友関係の本を貸してくれた。
友人は正法眼蔵の訳は石井訳が読み易いが増谷訳の方が難解だが深いと言っていた。
ちくま文庫の鈴木大拙の「禅」は原点になる奥深い本だと言う。
「ヤノマミ」は部族社会をNHKが取材した興味深い本でリアルに迫ってくる、
部族社会も現代社会も本質は変わらないと分かる,と言う。
分からないことは分からないと言える人がいい、
気になることは頭の隅に置いておくとやがて氷解する、
意味のある巡りあわせが驚くほど起こる、
無意識からのシグナルは頻繁に来ると話していた。
私は疲れた顔をしていると言われたのが印象的だった。
帰ってから、「ヘルマン・ヘッセと音楽」をさっそくめくってみた。
主にヘッセの音楽を巡る文章を、フォルカー・ミヒェルスが集めてまとめてある。
ミヒェルスのまとめたヘッセのエッセイは5冊ほど読んだ。
まだ、「アルプス南麓の村」が途中だが、「ヘルマン・ヘッセと音楽」を先に読もうと思う。
シューベルト縁がないのか届かない 代わりにヘッセの声が届いた
最近、ディーター・ツェヒリンのシューベルト・ピアノソナタ全集を引っ張り出して聞いていた。
ツェヒリンはときに飄々と早く、ときに思いを込めて遅く、自由にテンポと強弱を使い分けて弾く。
生で聞いたイェルク・デームスの演奏がそうであった。ドイツ・オーストリアでふつうに人々が接している生きた演奏とはこのようなものではないかと思わせる。
ときにやんちゃでときに夢見がちな表情豊かなピアノ表現である。
先日は梅ヶ丘の焼きとん屋さん太陽食堂にまた行く。
焼きとん、香川県のおでん、焼きとりを頼む。
ダシ巻き玉子、ふつうの玉子、天ぷらと呼ばれている揚げたはんぺんのようなものを食べる。妙味。
友人は奄美や沖縄を語る難しさについて熱く話す。
友人は奄美に行ってのぼせていたけれどバランスを取るために沖縄料理店に行って、店主に奄美の話を聞いてもらったと言う。
最近京都に行って、カフェ・モンタージュでクリスマス音楽のバロック三重奏の生演奏のリハーサルを偶然居合わせて聞けて幸せだった、大胆にもブラームスの写真を使った粋なチラシを余分に持って帰ったので贈呈する、クリスマス三重奏の話をいちばんしたかったんだ、と言っていた。
二人で計4450円。
帰ってハイティンクのクリスマスマチネ聞く。
ハイティンクのマーラーの熱演に燃える。巨人、名演。復活、感涙。ハイティンクのクリスマスマチネは名演揃いだ。この時期は特に心に沁みる。
クリスマス三重奏、私もカフェで聞いてみたかった。
クリスマス協奏曲集というのを持っているが、それに似た切ないほの暗い旋律なのだろう。
壁に友人に貰ったブラームスのチラシを貼り、バックハウスのピアノ協奏曲を聞く。
内田光子のシューベルトが聞きたいが、なかなか入手できない。
友人に貰った木曽のすんき漬けはしょっぱくて酸っぱくて他にない旨さ。
街角で心豊かなクリスマス三重奏の思い出を聞く