明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

JOY 原田真二

2020-04-08 18:51:00 | 僕の音楽日記
タイムトラベルのB面

カリプソ風
四分の二拍子
カリブ圏で発展したレゲエのルーツのひとつともいわれる
音楽リズム。


才能豊かな
若き天才アーティスト
原田真二さんの繰り出すサウンドは
当時から斬新で
むしろ実験的にも
流行を巻き起こす気概に満ちていて、
いわゆる
イケイケの怖いもの無しの
快進撃が爽快だった。


もう、完全に時代は変わったと
認識させられた



僕なんかは
出遅れてきた
フォーク世代だったので
フォークのアーティストを遡りなぞりって聴きあさっていたが
ニューミュージック御三家
原田真二 Cher 世良公則
が出てきてから
一気にミュージックシーンは
サウンド志向に流れ出した。

ひとつ確立されてきたシンガーソングライターという立ち位置は
あっても
彼らはソングライターとして、とくに曲作りに力を注いだ

作詞家の先生もあの頃から
ニューミュージックアーティストに合った先生が出現し始めた。
その最右翼が
「松本隆」さんだった。
とくに
原田真二さんの作品は
松本隆作品が流行りを席巻した。

ひとつのニューミュージックの道筋を引いた作詞家さんといっていい。


シンガーのメッセージを必要としなくなった時代と、
シンガーの言葉を歌にのせるスタイルより
分業制にして、よりクオリティを上げた方が作品としての価値、レコード売上、ヒットチャートへの参入を考えれば
必然的に正解が見えてきていた。


「夜のヒットスタジオ」等の歌番組でB面を演奏披露する
そんな流れも
いわゆる作品のクオリティ、たまたまB面になった曲なんかを演奏する、歌う事は
いわばファンサービスというより
アーティストの思い、とレコード会社のセールスを上げるプロモーションに一役買っていただろう。
ニューミュージック系のアーティストはLiveとアルバムセールスが軸なのだけど
テレビへの露出はレコード会社の思惑だから
当然欲張りにも
シングルのセールスをも視野に入れて活動していたのだろうし、
それに
あの頃のアーティストはそれに答えて活動していた方達も少なくなかった。


原田真二さんは特に
新規参入の
フォーライフレコードだったから
尚更、鼻息荒く
会社の命運を左右する大きな役割も背負い活動されていただろう。

そんな事情なんかも
気にせず
自分の音楽に自信を持ち
軽やかに歌う
「JOY」
音を楽しむ
字の如く
音楽をやってた
原田真二さん。











作詞:松本隆

作曲:原田真二

ねっスカートが
ねっ短すぎるよ
ひざっこぞう 波に濡れたら
海もてれちまう

車に Guitar 積んで
愉快な奴等呼んで
朝まではしゃぎあきたら
Slow な Dance 踊ろう

月の葉陰
渚は真珠のネックレス
綺麗だよ

Yan─Yan─Yan─Yan…
好きさ君を
理屈じゃない
頬を寄せて
Slow な Dance できめつけてやれ

ねっブラウス越し
ねっ鼓動の音
ぼくは少しあせって
わるいわるい靴踏んだ

月は西へ
太陽は火の矢射て
星を追う

Yan─Yan─Yan─Yan…
時の流れに
巻きこまれぬよう
ゆっくり抱くよ
Slow な Dance できめつけてやれ