明日の葉っぱ(8×8)=69

思いつくまま 気のむくまま書いてます。

走れ正直者 西城秀樹

2018-08-28 20:19:41 | 僕の音楽日記
さくらももこさんが逝かれました。
ご冥福をお祈りします。

若すぎる旅立ちに
残念でならないのと
寂しさと
切なさがこみ上げてきます。

何気ない日常を物語にされた
(ちびまる子ちゃん)
大好きな漫画で
子供たちの
ある意味シュールな会話から織りなす
エッジの立った笑いが好きで、
日曜日の夕方
のアニメは
よく子供と一緒になって、
というより子供より前のめりになって
見ていたものだ。

「踊るポンポコリン」が有名な主題歌なのだけれど
僕は
西城秀樹さんが
歌われた
「走れ 正直者」
が大好きなのです。


アニメ歌手の向こうを張って
秀樹のパワフルボーカルが
おおよそ
アニメ主題歌ににつかわない雰囲気だと
思いきや
それが
どうして どうして
なかなか
馴染んでしまったのだから

さすが!西城秀樹さんでもあり
ちびまる子ちゃんワールドのなせる技なのでしょう。
アニメの中にも実名で登場するサービスぶりもあり、
作者のさくらももこさんも
西城秀樹さんの大ファンのようで
兼ねてからのラブコール実現での
主題歌となったとか…

今となっては
歌い手の秀樹さん
描き手のさくらさん
お二人とも
旅立たれてしまって
時代を彩った方々が
活躍の場から姿を消していかれる
のがなんとも寂しい限りだ。

正直者が
バカを見る
そんな世の中には
したくないし
なってはいけないと思う。

純粋で
子供のような心に帰れるアニメ
ちびまる子ちゃん

計算高く
ずる賢く
立ち回る
小賢しい子供が多い中

昭和のあの時代
古き良き時代を投影した
ちびまる子ちゃん

いつまでも忘れたくないし
忘れられないのだ。

だから
走り続けるのです。
僕は正直者だから…



ブルーライトヨコハマ いしだあゆみ

2018-08-27 20:39:25 | 僕の音楽日記
僕が小学1年の頃
この歌が、バンバン流れていた。

歌謡曲
というきらびやかな
ブラウン管の向こうの世界
から
流れてきた
流行歌は

あの頃の女性歌手のイメージは
厚い化粧と大きなつけまつげ

60年代のアメリカンポップスもどき
にいけない
日本独自の
ドロドロした
演歌っぽい
抜けてない音楽だったのが

このブルーライトヨコハマにおいて
後々ヒットメーカー
筒美京平作品のヒット曲として
刻まれたことは
有名で
今でも数多くのアーティストがcoverしている
ジャパニーズポップス
スタンダードとなった。

覚えやすいメロディライン
口ずさみやすいメロディライン
大衆受けする
歌となった筒美京平作品。
いしだあゆみさんの歌手としての位置をも確立させた
楽曲でもあった。


最近では
僕も歳をとって
いろんな曲がごちゃまぜに
なってしまって、
♪街の灯りがとても綺麗ねヨコハマ
〜たそがれホテルの小部屋〜〜
とブルーライトヨコハマとよこはまたそがれが混じってしまうのだ

新幹線の切符を窓口で買うときも
ブルーライトヨコハマ 一枚とか
ヨコハマたそがれ一枚とか
言ってしまう
そんなネタ、
ないか?

ブルーライトヨコハマは横浜開港150周年アンケートで
ご当地ソング第1位になるほど
ヨコハマの地に馴染んだ歌だったんだそうな。

今でも思い出す

お袋が洗濯をしながら
「ブルーライトヨコハマ」を口ずさんでいた事を
老若男女
この歌を口ずさむんでいた1968年

まだ時代は混沌としていたようだった。
70年安保への山場を迎えつつある世の中。
僕はのほほんとして
やはり
ブルーライトヨコハマを口ずさんでいた。


今宵の月のように エレファント カシマシ

2018-08-27 18:16:07 | 僕の音楽日記
8月最後の日曜日だった昨日
24時間テレビやら
最後の夏休みの日曜日という事で
お出かけの方が多かった。
夏バテ気味の身体が
悲鳴をあげかけて
それでも残暑の寝苦しい夜を越え


午前四時の西の空には満月がポツリ

満ちていくもの
欠けていくもの

それでも季節は巡り
秋の足音が静かにやってきている。

華やいで
はしゃぎすぎた夏に
影を落とす


♪くだらねえ と 呟いて…
醒めたツラして歩く
いつの日か輝くだろ
あふれる熱い涙



1年前の僕は確かにそんなだった。
悔し涙も流してた。
熱い涙が、今は乾いて
少しの笑顔と沸き立つ熱い思いで
いっぱいだ。

まだまだ
暑い夏は続きそうだ。


One night gigolo チェッカーズ

2018-08-26 17:52:51 | 僕の音楽日記
イントロのサックスが奏でる
メロディ

フミヤの歌い出し
キィル ユー!

バシッ!
スリッパでたたかれる
木梨憲武演じる
ノリコ


どうも
この歌のイントロが流れると
とんねるずのみなさまのおかげです。
の場面を思い出す。
印象が強すぎて

せっかくの良い歌が
いつも
この歌には含み笑いが起こる
チェッカーズが
真面目に歌えば歌うほど
ノリコが出てくる。



アルバム 王様達のハイキング in 武道館 吉田拓郎

2018-08-24 18:02:03 | 僕の音楽日記
1982年
ひとりの男
そのバンドのピークだった。

脂の乗り切った音。
台風のような
エネルギーを蓄積して
瞬間的に爆発させる
ライブパフォーマンスは
吉田拓郎の第二次ピークだったように思う。

ちょうど10年前の73〜74年が吉田拓郎の第一次のピークだ。

吉田拓郎のライブアルバムで
今なお 時代を超えて色褪せない音での
ライブアルバム
LlVE'73

フルバンドでの音圧で圧倒されたライブアルバムであったが

この王様達のハイキング in 武道館
のライブアルバムは

バンドスタイルでの音圧と個々のパフォーマンスのピークを感じる。

音源を聴いてもらえるとその
グルーブ感と圧倒的な力強いボーカルと
スィングするバックバンドのスピリット
が感じられる。
リードギターの
青山徹さん
奏でるリードのフレーズの素晴らしさは
この上なく
ボーカル拓郎に負けない
むしろリードギターも一緒に歌ってる
せめぎ合い 掛け合いの
バッキングなのだ。

派手さはないがそのバンドの中心を確実なビートで刻むドラムスの
島村英二さん

キーボードの
中西康晴さん
エルトン永田さん
アコギ の常富喜雄
ベースの武部秀明さん
が脇を固め
コーラスは女性三人

怪しげなダンスを踊りながらのコーラスも
見るものを引きつけた。

ステージ衣装も中東のアラビアンナイトを
彷彿させる
衣装だったり

あの頃
ロックミュージャンで
化粧をすることが流行っていた時代。
拓郎も漏れることなく
この頃
化粧をしての
ステージをこなしている。


そうしたイロモノ的なパフォーマンスも
ありつつ、肝心の音の方は
何度も書くけれど
全てにおいて
完璧なものであった。
アレンジ や曲のチョイス
歌い方しかり…

四年に一度のライブイベントを翌年1983年を見据えて
ピークを持っていっている雰囲気だった。

1975年 つま恋
1979年 篠島
来たる
1983年
四年に一度のお祭りに向けての準備は
整いつつあった。

結果83年には行われなかった。

1985年2度目のつま恋をおこなう事になったものの、

もし83年に行われていたなら…
凄まじいライブイベントになっていたであろうと推測される。
それだけ
第二次ピークだったわけだ。

王様達のハイキング という歌は
拓郎さんのお母様が
この歌をよく思わなく
ライブパフォーマンスからつたわる
傍若無人な雰囲気ととらわれたのかもしれない。

お母様思いの拓郎さんも
そう思われた、王様達のハイキング
という歌も
85年のつま恋で歌ったのを最後に
その後歌わなくなった。

いわば85年の2度目のつま恋は
にわかに
拓郎 引退
の噂が駆け巡ったライブイベントでもあった。

拓郎自身の今後の方向性と身の振り方と
過去との清算的な総括する
ライブでもあったのかもしれない。

何かを逆戻すように
ライブの曲順が
75つま恋の後に発売されたアルバム

「明日に向かって走れ」
の曲順は
このライブで最後に歌われた曲だった。
そこには
「人間なんて」ではなかった。
過去オールナイトコンサートでのラストの曲は
「人間なんて」だったが
それをやめてまで
歌ったのは
「明日に向かって走れ」だった。
そして
このイベントのオープニング曲は
アルバムラストの曲
「悲しいのは」だった。

時計を逆に戻す
という
拓郎得意の謎かけがそこにはあったのか
どうか
定かではないが…

いずれにせよ
82年に脂の乗り切った男の
歌の色気を感じる事のできる
アルバム
「王様達のハイキング」である。