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終戦記念日を前に~ 三人の政治リーダー・東條首相、菅首相、河村市長の共通点は

2021年08月14日 22時09分31秒 | 新型コロナ

8月14日(土)

ボクが昔から愛読しているブログ、「アートと文芸のカフェ」に面白い記事が載った。

「菅首相と河村たかし市長の”社会とのズレ方”」2021.8.14

https://campingcarboy.hatenablog.com/entry/2021/08/14/033813

 

まず、東條首相と菅首相の共通点。

 

 

戦後、多くの識者が書いた評伝によると、

「東条英機という軍人は、首相になるまでは有能な実務官僚であったが、首相になってからは、情緒的な精神論ばかり振りかざし、日本が置かれた難局を理解する能力に欠けていた」その結果、連合国と講和をするでもなく、「日本人全員の本土決戦」という悲惨な標語を連発するだけで、ジリ貧になっていく日本の状況を直視せず、いたずらに時間を費やした。

一方、現在も似たような

「官房長官時代は、辣腕(らつわん)を奮う有能な政治家であったが、首相になったとたん、国民へのメッセージ力が希薄な答弁しかできないリーダーでしかないことを暴露してしまった」というのが、菅義偉首相だという。その結果、コロナ禍は暴発寸前まで進んで来ているのはご存じのとおり。

性格的特徴としても二人は

まず真面目。
 実務家としてはそうとう有能。
 ただし、政治家としての大局観に乏しい。
 権力欲はあるが、“独裁者” に徹するほどの能力はない。
 つまり、カリスマ性がない。
 ユーモアのセンスもない。
 そのため、国民に対して、同じ標語を繰り返し発信するしか能がない。

戦争末期、東条英機は、ひたすら「聖戦完遂・本土決戦」を叫んで、情緒的に国民を煽っただけだった。「戦いで負けたら、敵に捕虜となることを恥じて、自決しろ」 という “戦陣訓(せんじんくん)” の思想を徹底させたのも東條。 そのため、多くの日本兵は捕虜となって救われる道を自ら閉ざし、米軍の前で自決する道を選んだ。とにかく彼は、国民を合理的・科学的に説得する術を持たず、ただただ一つの命令を繰り返すだけの人だった。

現在の菅首相はどうか。
 コロナ禍において、彼が唯一言い続けていた言葉は、「国民の安全・安心を守る」という標語だけで、それを説明する内容はまったくない。 

「オリンピック開催」にのめり込んでいた時期においても、「人流の抑制に注意を払いつつ安全・安心を確保した大会を心がける」という言葉を繰り返すだけだった。オリンピックのコンセプトは「多様性と調和」だというが、菅首相の行動からはそれへの関わりが何も見えてこない。国会でオリンピックを開催する意義を問われると、「東洋の魔女の美技に目を見張り、日本柔道の行く手を遮ったヘーシンクの驚異に触れ、スポーツの魅力にとりこになった」という。
 そして、彼は、「今の若者と子供たちに、夢と感動の機会を与えたい」と付け加えるだけだった。

 

 

ブログ筆者(HNたぬき)は言う。

「スポーツの力」、「夢と感動」。一国の首相が、こんな無邪気な言葉でオリンピックを語ってしまっていいものか? ナイーブすぎると。

また、菅首相の無邪気さは、五輪ソフトボール日本代表の後藤希友投手の金メダルをいきなり噛んだ河村たかし名古屋市長の鈍感さと通じるものがあるように感じる。たぬきさんは河村市長との比較に進む。

 

 

彼は、後藤希友投手の金メダルを噛みながら、「早くええ旦那をもらって結婚しなさいよ」とか言ったらしい。

菅首相の年齢は72歳。
河村市長も72歳。
 
 ともに「団塊世代」(1947年~1949年)のまっただなか。

団塊世代が育った日本は高度成長期時代。すべてが右肩上がりの”新時代”だった。 基本的に、団塊世代の人々は、(おそらく死ぬまで)、自分が少年時代に体感した右肩上がりの高揚感を捨て去ることはできないように思える。(たぬきさんも71歳の団塊世代の端くれ)

そういう精神構造が、菅氏と河村氏の心を支配している。 それは、「すべて自分中心に世界を見てしまうクセ」だ。
  
 菅首相は、五輪が終わったあとのインタビューにおいて、「開会前には問題もあったが、五輪が始まってからは、選手たちの見せる活躍で、多くの日本人が、スポーツの力に感動し、元気づけられた」 と述べた。 この感想は、ある一面を言い当てているかもしれないが、そこに彼の客観的な裏付けはない。 すべて彼個人の主観的願望が表出しただけだ、という。

一方、河村市長は、

「自分は若い人に対しては、必ず “彼女はおるのか?” 彼氏はいるの? ” 」と聞いているという。 理由は、「そう聞かれると若い人はみな喜んで、気持ちをリラックスさせるからだ」とか。

この恐ろしいほどの社会とのズレ! 

すでに、この世代は、社会に向けて発言できる場を国民や市民と共有できていない。そういうことが浮き彫りになってしまった今回の五輪騒動だった。とたぬきさんは最後に断じている。 

 

~・~・~・~・~・~・~・~・

 

東條、菅、河村に共通しているのは、大局観がないこと。したがって自分の主観的な願望を絶対視してしまうということ。その主観的願望は国民に具体的に、戦術的に、説明できるシロモノでないことは当然だろう。それプラス、菅の場合は、国民への侮蔑が底にある。その侮蔑感は菅自身がキャリア的に侮蔑されても「自助」努力で首相までのし上がってきたという満足感の裏返しだ。その侮蔑感ゆえ、国民に説明する必要を感じないし、小手先の言辞で操ろうとする。平易に言えば国民を馬鹿にしているのだ。それは、記者会見でのあの顔、振舞いを見ていれば多くの国民が感じとるところではないか。

河村市長は名古屋市民に任せるとして、菅首相をあなたならどうする? 彼を変えることなどできない。彼を代えるしか。しかし、彼の交替への動き実現には、ボクはかなり悲観的だ。

語弊を恐れず言えば、終戦を決断するには2発の原爆落下が必要だったのと同様に、ロックダウンないしは首相交替へ世論が大きく舵を切るには、現場医療の崩壊を目の前で国民が思い知る状況(「令和の敗戦」?)が我々国民には必要かもしれない。その舵切りのためにも、感染状況はますます深刻になっていく・・。

これは、(右肩上がりだけでなく)バブルの崩壊で大きく辛酸を舐めたもう一人の団塊の端くれ、ボクの悲観的過ぎる見方だろうか。

 

(そうならないためにも)

 

♪ アブナイ、アブナイ、夏はほんとにご用心 (コロナにね) 

それでもガマンなど、できなくなったら、マスクしてお出かけよ ♪

(なんのこっちゃ、ダメだこりゃ)