青い空とわたし

青い空の日  白い雲の帆船をみていると

どこかへ どこまでも Harmonyと

走っていきたくなります

シンガポールの息子家族たち (追記あり)

2020年01月25日 15時42分02秒 | 日々の思い

1月24日(金)

昨年の10月に息子家族がシンガポールへ仕事で赴任していった。

 

3か月たった。今は便利なもので、LINEビデオ通信でリアルタイムでよく話している。当初、じじとばばは孫から忘れられてしまうかもと覚悟していたが、今は、それはないと自信を持っている(笑)。

動画も送ってきてくれる。家族写真もシェアできる。きょうはその中からいくつかを。

 

先日は孫のMayちゃんの2歳の誕生日だった。

▲ 誕生日カードを送った。それを壁につるしてお祝い。

Mayちゃんの持っている大皿、イチゴとバナナは分かるが、白い団子みたいなものは、はて何だろう? 食べる前から腹が膨らんでるではないか(^^)。

 

年末年始には隣国のタイへ遊びに行ったようだ。

子供の遊戯施設のあるところへ行ったり

 

でかい仏像の前で。やはりお賽銭をあげるのだろうか、お金は10円と1円みたいだが? でも、タイの仏様は使えなくて困るよ。

 

クリスマスには (追記)

▲ 常夏の国のシンガポールにもクリスマスはありまして

サンタは雪の降る町を・・というイメージもあるようだ。如何せんシンガポールでは雪は全く降らない。そこで、クリスマスイベントでは人口泡を飛ばすようです。

小2のUmiちゃんの切実な質問「サンタさんはUmiがシンガポールにいることを知っているの?」 そこで、パパは12月に日本へ出張した時にUmiちゃん希望のプレゼントをこっそり買って帰りました。

このパパも、Umiちゃんと同じ年ごろでロンドンにいたとき、「パパ、ウチには暖炉がないけど、ここから来れるの?」と網の架かった温風ダクトを指さしながらじいちゃんに尋ねました。

 

住居は集合住宅で

2年生のUmiちゃんも元気に日本人学校へ通っている。学校は楽しそうで、じじとばばは、ほっとしている。

ママは・・ ママも新しい都市での生活を大いにエンジョイしているようだ。

パパは・・ 仕事、がんばれよ(笑)

 

 

 


冬の雪模様と心模様

2020年01月21日 17時35分43秒 | これからの旅予定

1月21日(火)

昨日の20日は大寒、1年の内で一番寒さが厳しくなる日だった。もっとも、過去の気象データ的には1月26日~2月4日までが日本で一番寒くなる時期らしい。

今シーズンはご存じの通り、あちこちで雪不足が嘆かれている(もちろん嘆かないかたも多数おられるが・笑)。

 

今日の八方尾根スキー場

▲ 白馬の盟主、八方尾根でもゲレンデ下部(ピンク色)は雪不足で滑走ができない。

上から下へ滑り降りてはこれないのだ。今の時期に、こんなこと聞いたことがない。ボクは依然、自宅待機状態だ。

 

昨年2月、日光の湯西川温泉かまくら祭りを大いに楽しんだあと、来年は福島の大内宿雪まつりへ行こうと心に誓ったものだった。

しかし・・

1月17日付のHP記事では、

暖冬の影響で、雪がまったく有りません!

だった。確かに、昨日時点でも、ライブカメラでみる大内宿 には全く雪がなかった。

 

それが、それがだ。大寒を過ぎた本日のライブカメラでは・・

 

さきほど止んだが午前中は雪が舞っていて、大内宿は全面的な雪化粧に変わった!

 

最終的には

去年のこんなんまでにはならなくともいい。(あまり降り過ぎるとキャンカーでアプローチできない・笑)しかしそれなりに、雪国らしく積もっていてほしい。

 

本当は、できたらばこの方のように、雪の北海道を周りたいのだが。

出典:ブログ「青の風に吹かれて」2020.1.21 本日記事より

ボクのHarmonyは、四駆ではないから北の大地はちと無理だろうが・・(北海道も雪が少なそうでチャンス?)

冬の北海道なら、2か月間でも周っていたいなあ・・

とまた、見果てぬ夢が膨らんでいくのだった。

 

 


山名伝説の残る棒ノ折山 に登る

2020年01月14日 19時07分12秒 | 同上 (山歩き)

1月13日(月)

今日は天気がいい。

じゃあ、あそこへ行ってみるか。

先日買った「山と渓谷」1月号の特集記事~100人で選ぶ名山100~ でボクのホームマウンテンが紹介されていた。

 

▲ 「山名伝説の残る人気の山 棒ノ折山」

解説が面白かった。

「鎌倉時代初期、秩父・畠山荘を治める畠山重忠は、『義経記』にも出てくるほどの美男で勇猛な武将。鎌倉に出向くとき、いつも棒ノ折山(969m)の麓の鎌倉道を通る。そんなとき、重忠を一目見ようと女性たちが集まってくる。

うっとうしく思った重忠は街道を避け、今の棒ノ折山に登った。当時は四方が手に取るように見渡せ、解放感で力が体いっぱいにみなぎってくる。思わず杖にしていた石の棒をへし折ったからスゴイ。折れた棒の片方がゴンジリ沢の小祠にまつられているという。」

 

知らなんだ。ボクのホームマウンテンにそんな伝説があるとは。山は、わが埼玉と東京都の県境にあって、埼玉は棒ノ嶺(ぼうのみね)と呼んで東京都は棒ノ折山(ぼうのおれやま)と呼ぶ山。どちらも「棒ノ」と名付けているのは同じだが、畠山重忠が杖の棒をへし折ったからか・・ 東京都の命名の方に分がありそうだな、チキショー(笑)。

じゃあいつもは埼玉側から登っているが、今日は大回りになるが東京都側から登ってみるか・・という次第で、出発。

 

▲ 青梅街道へ入って、川合から山道をどんどん登って、百軒茶屋を過ぎて奥茶屋というところへ来た。自宅から1時間ほど。予め道が細いこと駐車場が無いことが分かっていたから、愛用のキャンカーはやめて家内のHonda で今日は来た。道端に停める。

 

▲ さあ、登山口へ入ろうぜ。9時半。

父子が、立ち止まっている。

 

▲ 「台風被害により通行止 Trail closed」

「通行止めって書いてあるけど、どうしましょう?」

Ummm(ギャイーン) と思ったが、それはおくびにも出さず

「通行止めったって、日付が2019年10月で、3か月前の話。今も本当に通行止めかわからないし、行ってみてダメだったら戻ればいいですよ。それにこの黄色いロープも張ってないし」 今更引き返す訳にもいかないボクは強弁した。

 

▲ 「そ、そうですね」

1年生ぐらいの男の子を連れた、30台ぐらいのお父さんはダンジリ川の小橋を渡っていった。

ボクは父子の後を追って、先導するような格好で先をドンドン登って行った。

 

20分ほど経っただろうか、

▲ 苔むした岩とか、倒れたまま苔にまみれた樹々が出てきた。

うん、ここは風情のあるところだなあ。山道はこうでなくっちゃ。 しかし、淋しそうな道だな。

更に進む。①しかしトレイルがハッキリしない。踏み跡が無い。それに、②さっきからずっと道しるべのリボンが見当たらない・・

 

▲ して、こんなところに突き当たって。

③コンパスを見てみると、北に向かっていないとダメなのに、どうも東に向かっている!

 

▲ ダメだこりゃ!

 

道を間違えたに違いない。「棒ノ折山で高齢者遭難する!」とかの題字が頭の中で躍る。そうでなくとも、ボクのブログの表題は「Soraの初登り~失敗!」になるのかな。

どっちにしろ、戻らなくては。いつの間にか、父子はいなくなっていた。「道が荒れていたから諦めて帰ったのだろう、山は自己責任だからな。」と適当に考えていた。

百戦錬磨のSoraは、戻るにはそれほど苦労しなかった。

 

▲ ああ、この標識が怪しい。これを見誤ったのかな。

 

▲ 「棒ノ折山はこちら」

これを、ボクは「右へ行け」と理解したが、これは「左へ行け」ということだったのかな。なら、矢印←でも付けておけよ。

 

▲ 左へ行ってすぐの所に、こんな表示が地表に打ちひしがれていた。

やっぱり左で間違いない。ちゃんと貼っておけよ。

しかし、そもそも「通行止め」のトレイルを歩いているのだから、整備ができてないと責めるわけにもいかないな、と思い直す。

 

▲ ダンジリ川を渡る橋も出てきた。相変わらずリボンは無いが、間違いない、この道で。

 

▲ オオッ、出てきた。ここだな。

倒木が、トレイルをふさいでいる。

「どうしようかな、どこへ行ったらいいかな」と立ち尽くしていると、後方から口笛が「ヒューッ」

振り向くと、下のほうのワサビ畑で作業中のおっちゃんが、手ぶりで「上に上がれ」と。

「リョーカイ。ありがとっ」

 

▲ これは、崖を上に這い上って、迂回して、また下りてきて反対側から撮ったもの。

このう回路は、まったく前人未踏のようで道跡は全く無し。あの父子は来なくてよかった、(ボクでなきゃ)こんなところ通れないよ。

ダンジリ川に沿って、小さなワサビ畑が点在している。登山口で、黄色のロープが有るのに張ってなかったのは、こういうワサビ畑で働く方がいるからだ。登山者はやはり通行止めなのだろ。

 

▲ 小さい滝もあって、陽もそこそこ当たる清流だからワサビに適しているのだろうな。

この前の伊豆・天城、安曇野・大王農場を思い出していた。

 

オオッ、あった、あった、コレだな。

 

▲ 小祠が。

登山口をずっとダンジリ川に沿って北上して、少し左に逸れる道標があるところに、それはあった!!

 

▲ 恐る、恐る近づいてみる。

祠(ほこら)が傾いているじゃないか。

 

覗いてみると・・

▲ おおッ、有るじゃないか!

畠山重忠の言い伝えどおりだ。

ちょっと触らせてください。そっと手を伸ばす。

ひんやりと冷たかった・・ その次の瞬間

ビリビリーとパワーがボクの体を駆け巡った!

だといいが、チビたいだけだった。

 

 

さあ、これで半分来た。さらに登り続けよう。

 

▲ おそらく植林された杉林が、尾根伝いにずっと続く。

最後は、稜線を登り続けて

 

▲ うん、あれだ。頂上は。

東京側から初めて登った。

 

 

▲ 棒ノ嶺の頂上 12:30

この標識は埼玉側に向かって立っているので、棒ノ折山ではなくて棒ノ嶺の表示だ。

 

 

▲ 向かって左側は、あのトンガリのどちらかが秩父のシンボル武甲山で、「坂東武士の鑑」と称された畠山重忠の本拠地だ。

 

 

▲ 中央には、飯能の山並み、遠くは上州・群馬の山並みだろう。

雪は全く積もってなさそうだ。

 

▲ 頂上の様子。

殆ど埼玉側から登ってきた人たちのようだ。

そうそう、あの父子とは頂上で出会った。ボクよりずっと先に到達してたようで、愕然とした。 やはりワサビ畑のおっちゃんの指示は受けたそうだ。

 

▲ おなかが空いた。

今年も、たいして面白くもないランチだが。

 

▲ 東京側の看板地図を見る。当然、東京側を上にして描いてあるが。

赤線の奥茶屋⇒頂上が、今日のコース。

今まで何回も登ってきたコースが黄線。名栗湖から登ってくるコース。こちらの方がずっと長い。

どちらがいいか? ・・・ ウ~ン、名栗湖コースかな。こちらの方が長いが変化があるから。

30分ほど頂上にいて下山開始。13時。

▲ 奥茶屋に戻ってきた。14:30

車を停めたのは登山口から少し上がった所。更に上に上がったところには4台ほどは停められる駐車場があった。 は登山口から下がったところに。

あ、そうそう、これは大事な話。先の「山と渓谷」の解説にはもう一つ畠山重忠の逸話が書かれていた。

「別の話に、重忠は馬に乗って急いでこの山を越えたが、あまりに急いだため落馬、大事な一物をへし折ってしまったのが(棒ノ折山)由来という説もある。」

男性諸氏は気を付けたまえ。

 

 

過去記事: シーズン初めに地元の棒ノ嶺で山体力チェック! 2019.3.13

ここは

 


正月も終わって、さあてどうしようか・・

2020年01月10日 06時00分00秒 | これからの旅予定

1月9日(木)

正月も終わり、そろそろ今年は何をするか考えよう。

計画を書き込む今年の新しい手帳を買わなくては。

ジムのあとに本屋へ寄った。

 

▲ あった、あった。今年もこの手帳で

同じ手帳だと、同じアドレス帳が挟めるので便利。

 

リタイヤ当初は、勢い込んで年間旅計画を立てたものだが、だんだんおろそかになってきた。下手するとその日暮らしの挙句、思い付きだけで旅にでかけそうだ。最悪、旅にも出ずにまた正月が来てしまうかもしれない。そういうお年頃になってきたのだ(笑)。少し考えよう。

 冬は、もう少し雪が積もればスキーに出動だな。(八方尾根がまだフルオープンになってない

 春には、桜前線を追って北上してみようか。奈良の吉野から青森弘前城までというのはどうだ。ないしは、京都の桜に限定してもいいかも。

 夏には、昨年は行かなかった北海道へ。オリンピックでの札幌マラソンが8月8日9日だから、その観戦を挟んで1か月ほど北の大地で遊ぶというのはどうだ。

 秋は、山歩きが中心かな。山歩きは、これはシーズンを通してポロポロと入れて行こうか。

 

頭が痛いのは、ウッドデッキの改修がまだ終わっていないことだ。この作業をどこに入れていくか・・

それと、「いつ死んでも」とまでは言わないが身辺整理。先送りしている庶務事項をすっきりさせること。モノの断捨離も、具体的には書斎をかたずけねば、もう許してもらえないだろう(笑)。

 

本をずっと読んでいないので、文庫本のコーナーにいった。ライトノベルみたいなものばかりで、時間の無駄だといまだに思ってしまい読めない(苦笑)。 すると足はやはりアウトドアのコーナーに向いて・・

 

▲ 「山と渓谷 1月号」 目を惹いたキャッチコピーは

~ 今年はどんな山に上りますか?100人で選ぶ、名山100 

ふむふむ・・自慢じゃないがもう登ってしまった山ばかりじゃんと思ったが、ガイドブックとは違った綺麗な山写真で、寄稿者が三浦雄一郎、釈由美子、工藤夕貴、芹洋子etc で読み物としても面白そう。 いいねえこういう本は、眺めているだけでなんか夢がふくらむ(^^)。

買ってしまった。

雪が降るまで時間があるし、ゆっくり読んで、十分夢想して、プランを練るのも楽しいかな。

 

 

あなたも、ごゆるりと。今年1年の計でも・・ 

 

 


新春の伊豆半島で~ 松崎町、黄金崎を経て

2020年01月04日 21時38分35秒 | 青い空の日は旅立(全般)

1月2日(木)

道の駅・花の三聖苑伊豆松崎で朝食を簡単に済ませて、出発。

海岸に向かえばそこは伊豆松崎町

▲ この町で有名なのは、この菱型の壁をもつ家並みだ。

 

 

▲ その壁は「なまこ壁」と呼ばれる。

漆喰(しっくい)の壁だが、菱型の部分を盛り上がらせていて、「なまこ」に似ているからだ。江戸末期のものが保存されている。

 

 

あちこちに

 

▲ 「なまこ壁通り」と呼ばれる一角に、立ち並んでいる。

左官の人形が、ご愛嬌で。

 

▲ 「伊豆の長八美術館」も、まなこ壁をあしらっている。

 

長八とは、松崎町出身(1815~1889)で独自の漆喰芸術を完成させた松崎町の偉人だ。

 

▲ 長八記念館(浄感寺)

長八はこの浄感寺で幼少の時に学問を学ぶ。江戸で狩野派の絵を学び、漆喰を以って絵を描き、または彩色を施す芸術を完成させた。

 

浄感寺には、長八が恩返しで描いた作品が残っている。

▲ お寺の本堂の天井には、八方睨みの龍が描かれている。

 

 

▲ 雲龍

見る方向が変わると、あら不思議、龍の表情も変わって見える。

 

 

▲ 欄間には飛天の像。

今も色鮮やかに漆喰が残る。

 

松崎町をあとにして、西伊豆の海岸線を走るとここにくる。

▲ 黄金崎(こがねざき)

崖が茶色の岩から成る。それが、夕日で黄金色に染まることから黄金崎の名がついた。ま、ツレがいるし夕方まで待っているわけにはいかないので、ボクが12年前に待って撮った写真でも。

 

▲ 2008年1月3日 16:14

富士山が右上に見えるのだが、今日は富士山の方向に雲がかかって見えなかった。

 

 

▲ 黄金崎の駐車場にいるとき、シンガポールの息子家族からLineビデオ通話が入ってきた。新年の挨拶だ。

これは、孫のMayちゃんだ。正月はタイで楽しんでいるようだ。

 

黄金崎より少し下りた大駐車場で、ランチにしよう。

 

▲ 道路向こうに、適当な食事処があった。

 

 

▲ で、注文したのは二人とも

 

 

▲ 海鮮丼 1600エン

しまアジ、タイ、サワラ、ヒラメ、シラス、岩海苔。ご飯は少々。

美味しかった 

 

▲ 二日だから、朝から箱根駅伝をやっていて、この時は4区でちょうど青学が首位を奪回したところだった。青学の関係者が身内にいるものだから(笑)、思わず拍手

黄金崎のあとは、土肥から内陸に入って新しい道の駅で買い物。修禅寺を経て渋滞が続く縦貫道をノロノロと。沼津ICから東名高速に乗った。ま、Uターン渋滞が始まってますので、腰を据えて運転(笑)。

自宅には午後6時過ぎに着いた。お疲れさんでした。

 


新春の伊豆半島で お正月~初日の出は・・

2020年01月03日 21時05分54秒 | 青い空の日は旅立(全般)

1月1日(元旦)

昨日の午前11時頃に自宅を出発。真鶴道路を熱海、伊東を経て伊豆半島の東端、ここ城ケ崎海岸に夕方到着。

昼食を食べてなかったので、早速カニすき鍋を設営。残りもおじやにして完食。そのあと幸い地デジ電波OKで、紅白を見ながら・・つまらないので11時に寝た。そのときまでの様子はコンデジに撮っていたのだが、寝る前にPCに落とす時点になってSDカードを入れてなかったことを発見!すべて水の泡に。これからの歩みに暗雲が立ち込めてきた(笑)。

 イメージ

▲ しかしイメージどおりだったよ。(シイタケは持ってきていたが入れるのを忘れたし、ポン酢も忘れた。)

 

5時半に起床。


▲ 昨晩はここで車中泊にはいったクルマは数台だったが、外に出てみるとズラリと並んでいた。ボクのHarmonyは一番奥に。伊東市門脇駐車場1日500エン 

 

暖かいウェアを着込んで6時20分ごろ、駐車場脇の城ケ崎海岸へ行く。数分だ。

 

▲ 門脇吊り橋に立って、前方の海を眺める。

 

 

▲ あちゃ~ 水平線上には雲が立ち込めていて・・

 

 

▲ 向こうの伊豆大島の右端から、初日の出が顔を出すはずだが・・

 

 

▲ 確かに大島の端が薄明るいのだが・・

 

▲ 岬の先端に行って見ても・・お天道様が見えない。

諦めきれず立ちすくむ、われわれ老若男女でして。

 

▲ 本当は、こんな風にお天道様は出てくるのだが・・

これは、2008年の1月6日にボクが見たものだが・・

お天道様のイジワル!(笑)

 

▲ スマホで天気チェックすると、昨晩時には今日は朝から晴天だったのに、今朝の予報は朝方は、曇りに変、わっている。オイオイ。

 

7時過ぎになっても、たたずんでいてもしょうがないので

▲ 駐車場に戻った。

殆どのクルマは三々五々に駐車場を出ていったが、ボクらはここで朝食だ。

 

▲ なるとを切って

 

 

▲ 他の具と一緒に簡単に煮て、お餅はレンジでチンして、お雑煮の出来上がり。

 

 

▲ お節は、毎年セブンでセットを調達していたが、二人だけでは食べきるのに節分の頃になるのは必定なので、今年はセット買いは止めた。で、バラで調理、調達。しかし、黒豆は有るのに持ってくるのを忘れたとか。なんとなくツレの行く末にも暗雲が立ち込める?

ま、とにかく「おめでとうございます」。

皆様にも、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

 

曲がりなりにもお正月の食事を終えて。城ケ崎を出発する前に、もう一度散策。

▲ 駐車場の展望台から吊り橋を眺める。

 

 

▲ オオッ、手を振っている。

ポロンを抱いて。ポロンは下に置いても怖がらないとか。犬だから状況が分かってないのだろう、きっと。 ボク? もちろん怖くないさ。

 

伊豆半島の先端で、下田に近い爪木崎へ1時間ほどかけて移動した。途中、熱川温泉に寄ろうとしたが、温泉街特有の細い迷路に入ってしまい、そこでの初湯は諦めた。

▲ 爪木崎では、この時期(12/20~1/31)水仙まつりをやっている。

 

 

▲ 海岸の駐車場はもう満車で、上段の駐車場に停める。500エン。

ここの浜辺で、初日の出もいいのだが。TSUNAM・・が来たら来たらだ。

 

 

▲ 遊歩道に沿って、群生する水仙を観て歩こう。

 

 

▲ こんなに多くの水仙が咲いているのは、ここ以外では見たことはない。

 

 

▲ 寒さのなかでも、凛として春を待つかのような姿がいいねえ。

 

水仙のあとは、階段で岬に上がって

▲ 爪木崎灯台へ向かう。

白亜の灯台は青空を背景にして、美しい。

 

 

▲ ツバキ が灯台への道脇に咲いていた。

 

 

▲ 灯台下の岩礁に波が寄せて砕ける。

薄青い海に、クリームソーダーを泡立てたような白い波が、自在に変化して飽きない。

 

灯台のあとは、柱状節理の断崖を見にいこう。

▲ 右端のような柱状節理の断崖は、福井の東尋坊を始め珍しくはないだろう。

しかし、ここでユニークなのは、左端のような小ぶりの柱状節理。

 

▲ 柱状の岩が、短くコロコロと切断されているのが面白い。俵みたいなところから、俵磯と名付けられている。

 

この辺りには、これまた大きな葉を持った植物が多く群生していた。

▲ 名前検索中 ⇒ ツワブキ

 

爪木崎のあとは、すぐ近くの下田港へ移動。

 

▲ 道の駅・開国下田みなと

多くのクルマで満車状態。ボクらは、お仲間のキャンカーが集うサイトに誘導された。道の駅の食事処で、金目鯛煮付け定食を昼食に食べたかったが。長い列ができていて1時間はかかるだろうと諦めた。売店で金目鯛の煮付け真空パックを買って、クルマの中で食べることにした。

金目鯛はニュージーランド産だった。下田だからといって買い求める必要はなかった(笑)。

山に隣接しているからだろう、地デジも全くはいらない。それに、背の高いキャンカーに囲まれて過ごすのは好きではない。ここは車中泊には不適だ。

 

出発!

▲ で、やってきたのは少し内陸に入った道の駅・花の三聖苑伊豆松崎。ここらへんは、桜葉の生産が日本一だとか。で、早速桜餅を買ってみたが。葉が固め。

この道の駅は日帰り温泉を併設しているから便利。ここで初湯だ。

 

▲ 初湯のあとは、食事処で夕食。

 

 

▲ 三聖苑御膳とかを。

よく見てみたら、これって全部炭水化物系じゃん。タンパク質が何も無いじゃん。

ま、いっか。

 

写真は撮り忘れ、初日の出は見られず、食べたいものも食べれず、なんとなく出だしが悪いような2020年が始まった。。

が、それも気持ちの持ちようだ。しかし、どう自分で持ち直せばいいのか??

ま、それでも、いっか(笑)。