青い空とわたし

青い空の日  白い雲の帆船をみていると

どこかへ どこまでも Harmonyと

走っていきたくなります

Harmonyの 水回り凍結対策

2018年02月28日 14時53分34秒 | Harmony のこと
【記録】

1月の白馬、2月の志賀高原スキー場で、Harmonyの車内キッチンの蛇口が凍結して水が出なくなってしまった。白馬ではクルマを日中スキーで離れているあいだに、志賀では夜間就眠中に凍結したようだ。外気温は零度以下だから、車内ヒーターをつけていないときには簡単に凍結するのだ。

3月初には、また信州へ出かける。遅ればせながら凍結対策をしなくては。




▲ ホムセンで買ってきた。

左)厚手両面テープ  518円

右)保温テープ  254円  分かりにくいがコイル状に巻いてある




▲ クルマ後部のラゲッジ部の開閉ドアの裏に、銀シートを両面テープで貼り付けた。

この開閉ドア部分は、車体壁に比べて薄手になっており外の冷気を内側に伝導しやすくなっていたはずだ。




▲ 給水タンクからシンク蛇口へのポンプのパイプへ、保温テープを巻きつけた。

左)ビフォー 薄茶色のパイプが中途で凍るようだ

右)アフター 白い保温テープをとにかく巻きつけた。


さあ、効果のほどはどうだろう。
うまくいけば、一晩中FFヒーターをつけておく必要はなくなる。(そのうち春になってしまうが・笑)


咲いた 咲いた 

2018年02月24日 16時15分16秒 | 日々の思い
2月 春 日

来て、来てぇ !!



ホラ、ホラッ ♪




ほら、芽がこんないっぱい !

去年の暮れ、彼女が初めて植えた球根だ





オオっ、咲いた、咲いた、チューリップの花があ ♬

(まだ咲いてないよ、それにキミはすぐ歌うんだね)

じゃあ、サイタ サイタ サクラガ サイタ ♬

(そりゃ、尋常小学校の教科書だよ)




スキー帰りは食べ歩記

2018年02月22日 12時29分41秒 | 同上 (スキー)
2月17日(土)

道の駅・北信州やまのうち での朝。




▲ 昨日中に志賀高原から下山してしまって、正解だった。

朝は少し山には薄明かりが見えたが、曇天、雪空に変わっていった。
昼頃には雪が降ってくる。あとで知ったが、きょうは志賀高原はかなり吹雪いたようだ。





▲ この道の駅に、お昼どきまで留まっていたのには理由がありまして、

11時からオープンする食事処で、お蕎麦を食べたかったのだ。
前回来た時は、天ぷらそばは売り切れで、ほかのものを食べた。

今日は、はいリベンジなりました。





▲ 天ぷらには、りんごもあった。

サクサクと。
お味は、ま、ご愛嬌だけどね。

このあと、高速に乗れば簡単に自宅に帰れるのだが、年金おじさんはそんなにことに急いでも仕様がない。


で、また佐久にて経由泊として、



▲ 佐久南の道の駅に一番近い、ウェルサンピアの温泉に先ず立ち寄った。

ここは4階に展望温泉があって、小諸・佐久の田んぼと(笑)、もちろん浅間山が見渡せる。
広い浴室とこの展望がいいので、気に入っている。
入浴スタンプもだいぶ溜まったな(^^)。




▲ お風呂のあとは、同階にある食事処で夕食にした。

今晩は、安養寺ラーメンに。
昼も夜も麺、炭水化物ばっかりじゃんと言うなかれ。今日は特別なのだ。

佐久市にある安養寺発祥の安養寺味噌を80%以上使ったものが、安養寺ラーメン。
ほら、真ん中に味噌の塊りがあるでしょう、これをほぐして食す。

おいしいよ。


2月18日(日)

道の駅・ヘルシーテラス佐久南、での朝。


 

▲ ここは毎回晴れでして(笑)。

家人からメールで言い付かったものを買う。




▲ ごぼうとキャベツとりんごを。

りんごはともかく、なんでわざわざここで、ごぼうとキャベツを買うのか??

ごぼうは、最近のTV番組で信州のごぼう(特に茅野産の)は、なんかしらんが健康にいいのだとか紹介があったらしくて特注だ。
キャベツは、「今日帰ってくるなら今日買いに行こうと思っていた」からだとか。

他にも注文リストがあって、地場スーパーツルヤで探して調達して、やっと帰れる。
男はつらいよ。


高速に乗らずに、地道をトコトコ走り続ける。
お昼どき、花園を過ぎたあたりで、道沿いのココへ吸い寄せられるように入った。



▲ KFC。

KFCとかMaCとかは我が家では禁断の地なのだ。
特に、来月の検査を目指している家人にとっては、油モノはご法度。食卓にはもう上らない。

「なんとかサンドイッチ」というセットものを注文した。
ほんとはクルマの中で、自分で珈琲を淹れて食べたかったのだが、それをやるとKFCのゴミを持ち帰ることになって、顰蹙(ひんしゅく)を買うことになるので、買うのはKFCチキンだけでということで、店内で食べることにした。

ボクはもっと油でギトギト、ジューとしていて思わず指を二度なめるような従来チキンを食べたかったのだが。最近はKFCでも健康志向? これはずいぶんと、ライトな味だった。

コーヒーは、十分苦くて、酸味が無くて、

さあ、最後に好きなものも食べれたし、家路を急ごう。♪





志賀高原の一日~ 青と白の輝く世界

2018年02月19日 14時11分53秒 | 同上 (スキー)
2月16日(金)

朝起きると青い空。
朝日に輝く、きりりと引き締まった朝。


 横手山 



▲ 標高1690mの駐車場は、全面に薄っすらと雪化粧。

車中泊をしている人は他にいないようだ。
夜間はマイナス10度になるからな。
シンクの蛇口が凍結、水が出ない。




▲ 粉雪はフワフワで、足跡をつけるのがもったいないくらい。

まず、スキー板にワックスをかけよう。



8時45分から動き出したペアリフトに、一人とび乗る。
(通勤電車の皆様スミマセン)



▲ 辺りは当然ながら、白銀の世界。

リフトの上から、霧氷がキラキラ白く光る。

リフトを乗り継いで、さらに上に上がっていく。
右横の後方に目をやると。




▲ ワオーッ!!

雪を抱いた白い樹林が、ずーっと広がっている。
そして右端には、笠ヶ岳の尖った山容が。




▲ 笠ヶ岳くん、また来たよ。

あの裏側から登ったことがある、とは信じられないほど険しそうな形をしている。

さらにその背後には雲海が広がり、その上にアルプスの山並が連なっている。
ここまで見えるのは、今日は本当に天気が良い証拠だ。


再度リフトを乗り継いで、もっと上昇すると、



▲ 手前に、たっぷり雪を被って木々が、ま近になる。

左下に見える三角屋根の建物は、横手山のドライブイン(閉鎖中)。
あそこでも車中泊したなあ。


横手山頂上2305m に到着。 
頂上カフェの展望台から、



▲ 乗り継いできたリフトと、正面の景色を見下ろす。

みんなも上がってくる。


正面に向かって左側を、見晴らすと、



▲ これは八ヶ岳・佐久の方向だ。

正面の白く小さく飛び出ている山は、浅間山だろう。
浅間山をズームすると




▲ 白い浅間山。

いつもはこの裏の佐久から眺めているので、こちら側からの浅間山はボクにとっては珍しい。
うむー、こちらからの方が山肌がキレイかな。(家内が怒る)
右下の町並みは、嬬恋。鬼押出もここに。

そして、そしてだ。浅間山の左背後でうっすらとコニーデ状の山影が見えるのは・・
富士山だろう。



▲ 一方、展望台正面から右手に目をやると

樹氷がボコボコと立ち並ぶ雪景色で、右端の黒い建物はパン屋のある横手山山頂ヒュッテだ。
きょうのお昼は、あそこにするか、この展望台下のカフェにするか、悩むなあ。


横手頂上の裏手にあるのが、渋峠のゲレンデ。

 渋峠 



▲ 渋峠ゲレンデ。

ここは頂上だけに、吹きさらしのゲレンデで雪質も硬くなるのだが、滑走している人も少ないのでフワフワ雪面。いい感じだった。

画面右上の三角建物へ。
渋峠ホテルだ。営業をしていた。
宿泊客は、雪上車でここまで上がってくるらしい 

ホテルの裏側から上の方向に白い道らしいものが見えるだろう。
あれは・・そこへ行こう。




▲ 渋ホテル横に来ると。

中央向こうに、道路標識らしいモノが立っている。
あれは国道292号。そう、あの先に国道最高地点2172mの石碑があるところ。

実は、無謀にもボクは石碑を目指して滑り始めたが、森の中で迷いかけた。
ほうほうの体で、汗だくだくになって、1時間かけて戻ったよ。

あのスキー映画のレジェンド「私をスキーに連れてって」では、ここから万座スキー場へ向かって滑走していくのだ。

ま、それは映画のお話で、マネをしてはいけない。
余談だが、あの草津白根山へはここから4kmほどしかない。
そこへも今は滑っていってはいけない。


疲れたし、お腹が空いた。お昼にしよう。



▲ 迷ったが、クランペット・カフェにした。

日本一標高の高いパン屋には、今日は食べてみたかったビーフストロガノフが無かったので。




▲ カフェ内には、二組の外人先客さんのみがいた。

ボクは手前の、ソファーにひっくり返るように座って。




▲ ダブルクラムペット&ベーコン とブレンドコーヒーで。





▲ ユニオンジャックが、どうしても目に入る。

英国さまにはお願いしていることがあるのだけど・・
早く返事くれない?





▲ 横手山ゲレンデは何本か滑ったが、やはりココで締めくくりたい。

ボクが密かに志賀高原の華、とよぶこのスポットで。



 熊の湯 

午後からは、横手山の隣の熊の湯ゲレンデへ移動した。



▲ 熊の湯のコースを横から眺めた。

真ん中より左に見える山が、横手山。
あそこを滑り降りるコースを午前中やっていたわけだ。




▲ 熊の湯の一番奥にあるコース。

コース上部は非圧雪地だが、スキーヤーが少ないので、まだ新雪箇所も残っていた。
新雪の浮遊感はやはり面白いな。

ここで、何本かやりながら、また迷っていたことがある(笑)。

今日は横手山・熊の湯エリアだけで終えるか、焼額山エリアまで遠征するかだ。
ヤケビへ移動するとなると30分はかかるだろう。
今まで単独で両方を掛け持ちしたことはない。
それを言い出したら、2月のシーズンピークには志賀高原へ来たことはない。
長い雪坂道が怖くて、志賀は春スキー専門にしていた。

ヤケビへの道路カメラをスマホでチェック。
おお、三つのトンネルへ道路の雪はこの晴天で溶けて、黒い道になっている!
ゴンドラは4時までか、今は2時。
よしっ。ここを撤収!
いざ、ヤケビへ!


 焼額山 

ということで、ヤケビ第2ゴンドラ前駐車場へ移動してきた。
第二トンネル内の凍結道路でクルマが横ズレした。コワっ。



▲ ここも閑散としている。

それでも滑り込まれているからだろう、雪質は熊の湯に比べて固くなっている。

ま、ヤケビも滑った一日だった、という自己満足を求めているだけで雪質は構わない。
上から下まで3本ぐらいだけ滑ったかな。




▲ ダケカンバか白樺か区別がつかないが、横手山・熊の湯では見ないような、いかにも高原らしいコースがあった。

そう、横手山・熊の湯の魅力は山並みだが、ここでは針葉樹、白樺の高原状の風景が素晴らしい。


あんまり4時ギリギリまで滑っていると、帰り坂道がラッシュで追い立てられ煽られるるのはイヤだから、3時45分で滑り止め。

ばたばたと志賀高原を撤収する!




▲ 帰り坂道もほぼ溶けており、怖い場面は幸い無くて良い決断だった(^^)。

前方のクルマは、出光のタンクローリー車で、道路リスクの超プロ。
とにかく合わせて付いていって、無事下山。


八方尾根に続いて、志賀高原でも青い空の下で滑れて、良かった良かった。
滑りのほうも、二日間連続して滑ったことからあるヒントを掴んだような気がして。
これからの先につながるといいな。


降りた先で、道の駅北信州やまのうちで泊まろう。
その前に立ち寄り温泉だ。


終わらない冬 次は何処へ

2018年02月17日 19時53分35秒 | 同上 (スキー)
2月15日(木)

八方尾根で滑った翌日の朝は・・



▲ やはり、一転して薄墨色の空だった。

明日の長野の天気予報は、「曇りのち晴れ」。
いったんは自宅へ帰るつもりで、いつものオリンピック街道・国道31号線を走っていったのだが、長野市内に入って前方を見ていたら、気が変わった。

あそこにも行こうか。
ついでだから(笑)。
(家人からもゆっくりしてきてと言われている)

走りながら、ナビの行き先変更だ!
北北西に進路を取れ!




▲ 小布施のメインストリートを通る。

いつもは観光客でごったがえしているこの通りも、冬の平日さすがに閑散としている。




▲ 慎重に山道を上っていって、着いたよここに。

駐車場のまわりは、真っ白でよく見えない。外気温マイナス5度。
除雪車が雪をのけた場所に、Harmonyを停める。
Harmonyの下部は泥だらけに。




▲ そしていつものように、すぐ裏手のホテルの日帰り温泉へ行く。

駐車場が窓越しに見える。 (て、ことはオレも見えるのか・笑)


ここは志賀高原・横手山の駐車場。
夏・秋・冬に、過去何度も来ている場所。

思えば、ボクのブログの最初の記事が、ココだったし。
「シーズン最後に(志賀高原)」2011年4月29日

あれから、7年近くもたったな・・ (よう続けるよ)
今年のボクの冬は、最後どころかまだまだ終わっていないようで(^^;
白き冬よ、永遠に! (ヒンシュクをかってるよ)



白馬八方尾根スキー場~転んで見上げた青い空

2018年02月15日 18時35分06秒 | 同上 (スキー)
2月14日(水)

晴れた!



▲ 八方尾根第三駐車場の朝。

向こうに、八方尾根スキー場もはっきりと。

さあ、行こう。




▲ ゴンドラで一気にうさぎ平ゲレンデ前まで上がってしまう。





▲ しかし、目の前のうさぎ平へはこれ以上、上がれず。

右手のリフトが故障、点検中!




▲ リーゼンとパノラマ国際コースを滑る。

新雪は殆ど積もっていないようだが。
いつものように、オープン後のピステン跡がキレイだ。




▲ 頂上に向かって左側は、五竜岳の方向。





▲ 下の方向は、新潟方面の山並みだ。

中央より左のくぼんだところに見えるは、日本海。
中央から右端の山並みで、台形状に見える山は、秋に登った妙高山か。

昼近くになって、ようやくうさぎ平右横のリフトが運行開始した。



▲ うさぎ平上の、オフピステ、通称裏黒がオープンしていた。

ここは、2年前にボクが転倒して、メガネを失ったところだ。




▲ 確か右端のブッシュに突っ込んでしまって、派手に転んだのだ。

で、翌シーズンにはヘルメットを購入、着用するに至ったのだ。
前シーズンは、八方尾根には滑りに来てない。

では、ヘルメット着用で、リベンジだ。

雪はさすがにパウダー状態で、気持ちが良かった。♪


白馬三山の方向をワイド撮影したので、お見せしよう。

PC用;


スマホ、タブレット用;





▲ 山肌のアップ。

なんともまあ、白いシルクのような雪面だ。


さあ、お昼にしよう。



▲ お昼は、うさぎ平頂上のカフェレストラン・ピラールPilar で。

ボクのお気に入り。




▲ ここは窓側が、カウンターで一人席になっている。





▲ ハムサンドイッチサブマリンとコーヒー。

ここからの景色がいいんだ。




▲ 手前が黒菱エリアへ降りる斜面。

五輪のマークが入った建物は、長野オリンピックで滑降のスタートポイントになった建物。
建物の後ろには、ずらりと白馬三山が並んでいるが、朝から雲に覆われている。

実はこの写真は、カウンター席でサンドイッチを食べながら撮っている。




▲ 食事後、外に出てからのスタート建物と三山。





▲ この左側は、八方池山荘のある頂上へ行くグラートクワッドリフトがあるのだが・・

とうとう一日中、運行休止で頂上にはいけなかった。
頂上からの全景は、素晴らしいのだが・・。
これは、もう一度コイヨということなのか。


あちこち滑ったあと、またうさぎ平頂上に来てみると



▲ だいぶ、白馬三山の雲がとれてきているな。

一番左端の白馬鑓(はくばやり)は、頂上が見えてきている。




▲ で、もう一度うさぎ平の頂上で。


もうここから上は、今日は上がれないから、うさぎ平そのものを滑り降りるか。



▲ 兎平(うさぎだいら)は、言わずと知れたコブコブのメッカのゲレンデ。

コブの時は滑らない。
滑ったことのあるのは、ドカ雪が降ってコブが埋まっていた時。
しかしその時は転倒して、スキー板が埋まって、もう少しで板を無くしそうだった。

今日はどういうわけかコブがないので、大丈夫、滑れるだろう。



▲ あちゃー、やはり転んだ! (オリンピック選手でないからイイのだ)

しかし、転んだまま見上げた空が青くて、雲がキラキラ光って綺麗だったので、
転んだまま、デジカメで撮っていた(^^)。




▲ 中腹にある「サンテラスぱのらま」で。

ここでは飲み物も売っているようだが、ここに集っていた人は全員外人さん。
彼等は、オープンエリアで飲み物片手に談笑するのが、日本人以上に好きだ。

きょうも、多くのオーストラリア人さんとリフトの上で話して、話かけられたよ。

オースラリアなまりが無いので、開口一番、「アンタ、オーストラリア人じゃないね?」と聞いたら、オーストラリア人だという女性。尋ねていくと、香港に隣接するシンセンの英国人学校の校長先生だと言ってたよ。出身は豪州アデレードで、あそこは(囚人ではなくて)英国中産階級の開拓地だから、本国に近い豪州語を話すとか。へーっ。今シーズンで、訪日は3回目とか。ありがとうございます。以下略。

国際交流も終えたので、あがるとしよう(笑)。




▲ 3時半ごろに駐車場に戻った。

(まだレンズに先ほどの転倒時の雪水が残っている)。

さあコーヒーを飲んで休憩、そして当然、温泉だな。





また来ました白馬

2018年02月13日 16時32分02秒 | 同上 (スキー)
2月13日(火)

関東は今日も晴れていたが。
ここに来たらはやはり小雪が舞っていた。



▲ 長野市からオリンピック道路をへて、白馬エリアに入る。

幸い、道路はきっちり除雪されていて走りやすい。




▲ まず白馬村のAコープに寄って、食料調達。





▲ いつものように、八方尾根スキー場の駐車場へ入れる。

3連休中は、ネットHPではずっと満車だったこの駐車場。
平日の今日は、空いている。
除雪されてなくて、モコモコの雪。まず自分で周りを除雪した。

明日は晴れる予報だから来たのだから。頼むよ。

少し早いが、徒歩5分のあの温泉に入ってこよう。



温まったあ(^^)




「不死身の特攻兵」を読んで

2018年02月10日 13時00分00秒 | 図書室


講談社現代新書 ¥950 2017.11

2月1日の日経新聞の広告では

「9回出撃して、9回生きて帰った男の物語」
「軍神はなぜ上官に反抗したか」
「あなたは会社の理不尽な命令に抗うことができますか?」

とのキャッチコピーが踊る。

同新聞2月4日の書評欄では

「敵艦に飛行機で体当たりする特攻で、9回出撃を命じられたのに生還した元隊員の生涯をつづった本書が売れている。『必ず死ね』と厳命する上官に対し、何度も行って爆弾を命中させたほうが戦果を挙げられると信念を貫いた。組織の不条理と向き合う中高年のビジネスマンを中心に支持され、昨年11月の刊行からの累積発行部数は9刷10万部を超えた。」

~・~・~・~


ということらしい。
で、読んでみた。

必ずしも9回出撃して、毎回爆弾を敵艦に命中させて帰ってきたわけではない。出撃したが敵艦がいない、いても天候が悪すぎる、出撃中に飛行機に故障したとかで「おめおめと」戻ってきた回数が半分ほど含まれている。ポイントは、なぜ上官から「死んでこい」とあからさまに罵倒されても、彼がどういう理由を付けて戻ってくることができて、生き延びて終戦を迎えられたからであろう。

その理由は4つほどあると思う。

1.当初の上官岩本隊長のホンネでの指針の存在。
体当たりは決して効率的な戦艦攻撃法ではない(飛行機が突っ込むことの敵艦へのダメージは限定的)。いかに爆弾を命中させるかが最重要。命中させる技量があれば、何度でも体当たりせずに当てたほうがいい。という考えのもと、機体の下にくくりつけてある爆弾を、切り離せるように改造を許可した。
この当初の指針が尊敬する隊長から内々に示されたため、佐々木は自分の行動に裏打ちを与えられていた。さもなくば、死んで神になれの大合唱にほんろうされて抗せなかったも知れない。

2.下士官(伍長)だったこと。
佐々木が将校であったなら、死なないことへの圧力はすさまじかったであったろう。しかし命令を受けるだけの伍長であったことから、罵倒されるだけで黙認状態が続いた

3.自分の飛行技量への自信と信念。
実際に爆弾を落とすだけで敵戦艦を大破して戻ってきた技量を持ち、自分は生きたほうが役に立つと信念を持つことができた。

4.幸運。
そうはいうものの、最後にフイリピン第四航空軍は佐々木伍長他2名の銃殺命令を出し、分からないように殺すために狙撃隊まで作ったと事後判明している。それに対し特攻隊の狙撃隊まで作るとは何事かと地上勤務の兵隊が怒った。実行に移される前に佐々木はフイリピンで終戦を迎える。戦況が身をもって劣悪な外地だったゆえに同僚の理解も強く、佐々木は自分の無駄死にしたくないという心情を貫けたと思う。

佐々木は、郷里北海道で92歳まで生きたが、自らが生き残ったことを「寿命」だったと述懐する。そこに込められている思いは、決して自分の信念を貫いたからではなく、たまたまそういうめぐり合わせだったということだ。それは、思いに反して特攻で死んだ同僚兵を思いばかっての言い方であることは間違いない。


示唆するもの

特攻戦術の本質は、命令する側の無策を隠蔽すること。自分達が、敵国に対して有効な反撃戦略を打ち出せない、それゆえもはや命令する側に立ち得ないことを、精神論で覆い隠そうとするものだった。

これは、東芝の某社長が業績不振策を隠蔽するために、目標を達せない部下を罵倒することで経理操作に手を染めるように誘導したことと同質だ。つまり、組織で命令をする立場の者は組織のためと装って自分の保身のための指示をすることがある、ということだ。

それゆえに、集団内で不条理なことへの行動を指示された場合、それに抗することにこそ条理があるときは、少なくとも主張し続けることだろう。その時の犠牲は払うかもしれないが、結局は集団内での不条理行動は続かなくなる、と信ずることだろう。

(無断転載可・笑)



新カテゴリー 「図書室」 のブログ設定

2018年02月09日 18時00分00秒 | 図書室
本を読んでも、なかなかその内容が頭に残らない、ということはないだろうか。
本のイメージは何か残るが、結局あの本はなんだったのだろうか、ボクにとってどういう意味があったのだろうか・・??




思うに、それなりの感銘を受けた本であっても記憶に残らないのは、読後感を言語化しないからだろう。言葉で感想を言ってみなければ、記憶には残りにくい。記憶に残らなければ、もはや老い先短い身には、いくら本を読んでも時間の無駄だ。

で、旅先のことをブログ化してきたと同様に、なんらか自分にとって有用だと思った本は、その読後感想を当ブログに残そうと思う。その際に、本の内容、あらすじを書こうとすれば、それは手間だし、荷が重い。ボクは本の紹介をしたいわけではない。したがって、あらすじはアマゾン書評でも読んでいただくとして、自分の独断・偏狭な感想をそのまま記した方が、自分にとって、おそらく読者に対しても有用だと思う。

ブログでの、新しいカテゴリー名は 「図書室」 として、従来は「文芸・アート」に含まれていた特定の本の感想関連を独立させてここに収録しよう。


 (ボクの書斎では・・ない)


また出戻りになった我が息子

2018年02月08日 20時24分27秒 | 日々の思い
実は昨日の記事「秩父の氷柱を見に行って」には、後日談がある。
いや、同日のことだから当日談、続きがある。

【続き】

2月6日(火)

秩父には大きな氷柱は三つある。「あしがくぼ」「尾ノ内」そして「三十槌」だ。三十槌が一番スケールが大きい。したがって、尾ノ内を見たあと、そこから30kmほど離れたところにある三十槌に向けて、我々は走った。

すると、息子の嫁からケータイが鳴った。息子がまた熱を出して会社を早退してきたが、新生児+6歳児のいる自宅にはいてもらっては困るので、実家で療養してもらえないか、というもの。

 イメージ

我が家で2日(金)の夜から引き取っていた息子は5日(月)に我が家から出勤、その夜は都内息子宅の物置部屋(^^;で就寝したらしいが、翌日出勤した会社で午後にまた発熱というわけだ。
家内と車内協議。しょうがないなあ、もらい受けるしかないだろう、ということに。

そうと決まったら、即Uターン。秩父から都心へ向けてHarmonyを走らせた。関越道高速を使って、息子のマンションまで2時間半。キャビンを寝台に組みなおして、貰い受けた息子を寝かせたまま、救急車Harmonyは我が家 に戻った。


 イメージ

翌日7日に、息子の希望で、また診察を近所のクリニックで受ける。
「クスリを処方するが、クスリは症状を緩和させるだけで、風邪を治すためには自分の免疫体力が必要。じっと汗をかいて寝て待つしかない」と。至極当然の診断。ボクも風邪は引くが、何年も風邪クスリは飲んだことがない。じっと寝ていると治る。


ということで、出戻り息子はきょうも我が家で寝ている。

ほんとに、ヤレヤレだ。
いつになったらジジババに平安の日々が戻るのだろうか(笑)。
いやいや、福井の親類に比べれば、私らなんか・・