青い空とわたし

青い空の日  白い雲の帆船をみていると

どこかへ どこまでも Harmonyと

走っていきたくなります

さっそく百名山ノボラーに

2015年05月29日 20時14分53秒 | 同上 (山歩き)
5月29日(金)

朝から曇り空。

自宅を2時過ぎに出発したころには、小雨模様に。
でも驚くことはない、すべて天気予報どおりの想定内だ。

中央道に乗って甲州・須玉ICを降りて、目的の山に向かう。




▲ この林道は舗装、ガードレール等がきれいに整備してある。

ただ道幅の狭い区間や見通しの悪い急カーブも多い。
朝なら登り、午後なら下りコースが順行。その逆に走行すると対向車との擦れ違いがたいへんだろう。今日は平日だからほとんど車と出会わないが。




▲ 明日登る山を冠につけた山荘(左手)の前を、右手に折れたところに無料駐車場がある。




▲ この山荘の左横には、公衆トイレもあって安心だろう。

(ボクは使う必要はないのだが)




▲ 100台停められるという駐車場。標高1515m

5時過ぎに到着した。
かなりまだ駐車しているが、この人たちは今晩は山の中だろう、もう戻ってこない。
(今戻ろうとしていたら・・そりゃあタイヘンな事態だ)

明日は、晴れ の予報だが、やはり夕方近くなって晴れてきた。

え、どこを登るのだって?
あなたが百名山ノボラーなら、もう分かっていると思うが、

久弥先輩も「たいへん好きだ」というこの山の美しい名前は、この山には大きな岩がゴツゴツ立っている、その大岩の大群を、神の住まいを囲む玉垣に見立てたところに由来するという。

ウムー、神の宮居の玉垣か、期待してしまうなあ。



明日はできるだけ早く登り始めたい。
この瑞牆山に・・ (この美しい意味の漢字を読めたら、あなたはエライ!)


『日本百名山』・深田久弥は高校の先輩だ

2015年05月23日 00時00分04秒 | 文芸・アート
5月23日(土)

知らなかった。
深田久弥がボクの高校の先輩だとは。

はっきり言って、あの『百名山リスト』とかにはネガティブな思いを持っていた。
いや、リストが悪いわけではない。
「百名山踏破を目指している」とか「百名山登頂おめでとう!」とかの言いぐさが(キライなの)だ。
理由は自分が登れないことを知っているからだ(笑)。

で、深田久弥なんかは無関心(名前は知ってたが)だった。

 深田久弥著・日本百名山(1964) 新潮文庫

▲ ご存じ『日本百名山』は、山を登るものなら誰でも知っている。本を読んだことはなくても、そーゆーリストがあることは、みんな知っている。だから、「ここは百名山の○○山で・・」等、みんなが言及する。

キミたち百名山のリストに載っているからその山、登るの?
リストが無かったら、山登りしないの?


と、ボクは憎まれ口をきいていた。いや正しくは相手がいないので、つぶやいていた。


 

▲ しかし『百名山』の著者の深田久弥(ふかだきゅうや)が、ボクの高校のご先輩となると、話はがぜん変わってくる。

先月、高校の東京支部の同窓会会報初夏号が送られてきた↑。
そこに、昭和30年卒の女性の先輩が「深田久弥と『日本百名山』」という文を寄稿されていた。

それによると、

久弥は、生まれは1903年に石川県大聖寺町(現加賀市)だが、大正10年に旧制福井中学を卒業し、作家の道に進んだ、とある。福井中学は現在の福井県立藤島高校(ボクの高校)の前身なのだ。
この寄稿をされた方は、20数年前、夫が「君の先輩が書いた本だ」と『日本百名山』勧めてくれたが、ずっと読まずにほおっておいた。しかし田中陽希のNHKグレートトラバース~日本百名山を機に、初めて読んでみてその美しい文章に惹かれた。しかも山を楽しく読み学べるようになっている。もっと若い時に読んでいたら、より楽しく登山もドライブなど旅行も出来たのに、とこの方は書いておられた。


「えーっ! ほんと? あの深田久弥が高校の先輩になるのー? 知らんかったー・・」


それならと、さっそく↑新潮文庫の『日本百名山』750円(税別)を買ってきたのだ。

彼は北の利尻岳から南の宮ノ浦岳(屋久島)まで順に100山を一山あたり4ページほど費やして紹介している。ちなみに私の登った覚えのある二十ほどの山について読んでみた。

その書き方は、その山の山容の見事さ(品格)にまず触れて、山の(歴史)をひもとく。特に山の名前の由来をたどる。同時にその山の(個性)的な特徴点に目をつけて紹介する。

いわゆる山のガイドブックは、基本的にはコースガイドであって、山が持つ歴史・文化的な側面はほとんど触れない。(それでいいのだけど)

でもこれは、違う。
これは、何座いっぺんに踏破してきたと誇る肉体派登山向けでも、霊験あらたかなパワー求めの現代修験道登山向けでもないし、単に自然礼賛の耽美派登山向けでもない。

 深田久弥先輩

これは、教養登山向けだ。アマゾンのコメント欄で誰かが実にうまく言い当てていた。
古今東西の古典の読破が「教養」を育むように、全国各地の頂きを極めることが人生での財産になる。山を総合的に経験することを目標とする「教養登山」向けだと。

ボクはなぜ山に登るかと聞かれれば(誰も聞いてくれないが・笑)、「哲学をするため」と半ば冗談で半ば本気で、常日頃答えていた。独りで登るから、(登りがキツイ時は別だが)登りながら色んなことを考えながら、振り返りながら登っている。そして進む道がはっきりすることがあるのだ。




ということで、先日の大菩薩嶺の山歩きを手始めに、事前にこの本を読んでから登ることにしたわけだ。
これからは久弥先輩と山の見かたを比べながら、それを楽しみながら登りたいと思う。

ボクの登り方は、山を自分を見渡しながら、ゆっくり楽しく登ることさ。
さあ、次はどこを登ろうか。



陽をいっぱい受けて

2015年05月19日 20時00分00秒 | 日々の思い
5月19日(火)

自作のウッドデッキ。その横に植えた蔓(つる)バラ、アンジェラ

もう10年以上になるが、今年が一番多く花が咲いた。




昨年に隣りの林が伐採されて、宅地と駐車場になってしまった(涙)。

でもその結果

ウチの庭にはサンサンと陽が注ぐようになった(^^)。





おかげで、

肥料も与えていないのに、今年は枝が横に大きく伸びて、バラがいっぱい咲いた。

しかも、いつもは小さいアブラムシが蕾に群がってダメにしたのに、今年はほとんど寄ってこなかった。


植物への太陽のパワーって、すごい!!

新緑の大菩薩峠を歩く

2015年05月16日 22時44分18秒 | 同上 (山歩き)
5月15日(金)

今週の金曜日(5/15)は、当初曇りの予報であった。
それが、昨日から晴れに変わった。

で、急きょ今日は、山歩きに出かけることにした。



▲ 上日川峠・ロッジ長兵衛前で。

朝6時過ぎに自宅出発。中央道下り勝沼ICを降りて、国道20号を少し戻ってJR甲斐大和駅から県道を北上して、このロッジ前に9時頃到着。

今日は、大菩薩峠、大菩薩嶺へ登る。

(写真の日付時刻は入力ミスで間違ってます)



▲ ロッジの右横に、登山道があった。

今日は、晴れ。温度は20℃、湿度は高くないようだ。

気持ちも軽やかに歩き始めた。

今シーズン2番目の山歩きだ。




▲ 日を浴びて輝く新緑が、目にまぶしい。

起伏のおだやかな林道を30分ほど進むと、




▲ 福ちゃん荘に着いた。

この山荘はあの事件で有名だ。

大菩薩峠は、通常ガイドブックでは「中里介山の長編小説『大菩薩峠』で有名な・・」という紹介のされ方をするが、あまり正しくない。

そもそも私も、現国の教科書にも出てこない中里介山の小説は知らなかったし(笑)。
むしろ、1969年の赤軍派がこの山荘で寝泊りして秘密裡に武装訓練をして捕まった「大菩薩峠事件」で、この峠の名前が一般に知れ渡ったと思う。

であっても、大菩薩嶺の山の魅力とは何も関係ないことだが。


山荘の横に、コースの案内看板が出ていたので見ておこう。



▲ 左下のロッジ長兵衛を出て、福ちゃん荘前に今いる。ここから右周りに上って大菩薩峠へ行く。尾根伝いに左へ歩いて、雷岩、そして大菩薩嶺を極めて、そこから直下して戻ってくる予定だ。


また歩き出す。



▲ 上をみると背の高い針葉樹(名前を知らないのでこういう表現になる)がおおっている。

薄緑色と空の青のコントラストが・・ 

ああ綺麗だ、いいなあ、何度もつぶやく。




▲ 次に現れた、富士見山荘。営業はやってないようだ。





▲ 出発してから、1時間半後。

ササの斜面の上に、介山荘が見えてきた。
ここを左に回り込めば、大菩薩峠のはずだ。




▲ 大菩薩峠1967m。

大菩薩嶺2057mは、向こうの峠(親不知の頭)を越えて、更に尾根筋を行ったところにある。




▲ 先に述べた中里介山(なかざとかいざん)の小説「大菩薩峠」の記念塔もここにある。

この小説は1913年~1941年まで約30年も続いた未完の新聞連載小説らしい。とにもかくにも、大菩薩峠が有名なのはこの大衆小説に拠るというのは、戦前なら正しいだろう。

大菩薩岳(大菩薩峠 + 大菩薩嶺)は、深田久弥の「日本百名山」(1964)にも載っている。

大菩薩峠が大勢の人に親しまれるようになったのは、その名前の文学的魅力だけではない。初心者にとってまことに恰好な山だからである。東京から日帰りができるし、いろいろ変化のある安全なコースが開かれているし、展望はすばらしく雄大だし、それに二千米の高さの空気を吸うことができる。

大菩薩嶺の魅力はここに言い尽くされていると思う。


何と言っても、ここからはこの↓山の全山容も見える。



▲ 富士のおやま。左手に本当に見えた。

え、薄くてよく分からない?
では、ズームしましょう。




▲ どうです。まだ残雪を残す富士山が今日は見えました。

もう少ししたら、雪も消えて黒い山になってしまうのだろうが。


大菩薩峠、介山荘をあとにして尾根道を上って行こう。




▲ 最初の高台、親不知の頭から振り返ると、介山荘が見える。




▲ 左手には、上日川ダムに大菩薩湖が見える。

その向こうには富士山(もう薄い)、南アルプスの山並み(何が何や知らないが)が眺望できる。




▲ 手前の山稜を、人が歩いて行く。

峠から大菩薩岳(嶺)にかけて甲州側は広々とした明るいカヤトで、そこに寝ころんで富士や南アルプスを眺めているのは、全くいい気持ちである。

と先の久弥は書いているが、ウム・・、カヤトの傾斜がちょっと急なような、寝ころんだら転げ落ちないかな?(笑)





▲ 更に向こうには、目指す大菩薩嶺が待っている。

今回は、スミレみたいな花がわずかに咲いていたが、この山稜でもまもなく、レンゲツツジを始め花が色々咲くようだ。




▲ 山稜の中途で、賽の河原と呼ばれるところへ来た。

避難所が設けてある。ここは冬は風雪がひどいらしい。
確かに、歩いていると風が吹いている。今は風のそよぎがむしろ心地良いが。


そして、



▲ 雷岩と呼ばれる分岐点に到着。更に進めばまもなく大菩薩嶺の頂上に着く。

ここから下に降りれば、唐松尾根と呼ばれる所を直下して、あの福ちゃん荘へ戻るのだ。

何人かが、ここで昼食をしていた。

そのまま針葉樹林の中を、10分ほど登ると、



▲ 大菩薩嶺2057mに到着した。

林に囲まれて、残念ながら展望はきかないところだ。


で、先の雷岩まで戻り、ゆっくり昼食をとった。

平日だから、登ってくる登山者はみんな年輩組。
その方たちも、ボクが昼食を終えて降りるころには誰もいなくなった。
なぜか、こういうシーンが多い気がする。




▲ さあもう一度、2000mの空気を腹いっぱい吸って、降りよう。

天気予報では、午後3時頃から曇り始める予報だったが、確かに曇ってきた。
気温は30℃ぐらいまで上がる予報だったが、それは幸い外れて20度前半だった。


寒くもなく、暑くもなく、気持ちのいい山行だった。




▲ 駐車場に戻ってきたときには、クルマはほとんど出払っていた。





▲ 帰り途中に、やまと天目山温泉に寄っていった。

お客さんは、地元の方ばかりだった。
気持ちのいいお湯。


今週末の土曜日は雨・曇り予想だが、日曜日は晴れで、大菩薩嶺も混雑するだろうなあ。

今日は高速道も含めて、混雑とは全く無縁の山行だった。
平日の今日に思い切って出かけてよかった。





御茶ノ水マロニエ通りのお店へ

2015年05月11日 23時50分40秒 | 大都会
5月11日(月)

週明けの今日、5月1日(金)のマロニエ通り散策に続いて、実際にお店に入ってみようと同僚とランチタイムに足を向けた。




▲ ラウンジ マロニエ

明大のリバティータワーの角にあるラウンジは、その名もマロニエ。




▲ 学生のグループ学習、待ち合わせに利用されるようだ。

今日は、ここをスタートにして歩こう。




▲ ラウンジ マロニエを回り込んで、山の上ホテルへ至る坂道を上ってくる。




▲ この坂道のマロニエが一番花を付けていたが、ご覧のとおりかなりもう寂しくなっている。



由緒ある山の上ホテルの前を過ぎると、マロニエ通りに突き当たる。
すると、右手にこのレストランがある。



▲ そう、トラットリア レモンだ。5月1日の記事で入り口だけ載せたところ。

今日は、同僚を伴っているので堂々と入れる(笑)。
オトコの同僚なのがチト残念だが、贅沢は言わない。
それに、そもそもマロニエ通りというのがあって花が咲いた、ということをボクに教えてくれたのは彼なのだ。

会社から歩いて4分のところにあるレモン。
彼も、行ってみたいと即答だった。




▲ 中は、奥へ向かって細長かった。





▲ 真ん中に、曲線系の形をした大きなテーブルがある。

一人でも気軽に座れるようにという設計だろう。
11時開店だから、まだほとんどお客さんはいない。




▲ 正面には小さな庭をあしらっている。

私達は、右端に座った。

ランチメニューは、飲み物付きの各種スパゲッティだ。
値段は、870円(スパゲッティポモドーロ)から1400円(生ウニのスパゲッティ)まで8種類。
それと別にコースもの。

同僚は、メニューに無い特注で、



▲ スパゲッティ ペパロンチーノ 1000円 と




▲ ノンアルコールビール 210円

を、ご所望した。


ボクは、シェフおすすめ「季節のパスタ」1400円で、



▲ 春野菜のジェノベーゼ リングイネ。

ボクはイタリア語は不案内だが、ジェノバ風ロングパスタということか。

緑色のバジルをいっぱいパスタにからめて、インゲン、かぶ、新じゃがとなんかの葉が添えてあった。
生パスタだからモチモチ感があって、バジルパスタはレトルトでもこの前チンしたが(笑)、それとも違って新しい味だった。ウン、うまいよ。

でも、なんせ量が少ないねー。オトコのボクには。



▲ 飲み物はホットコーヒー。味はコンチネンタル風、ストロングタイプでこれはよかったのだけど。

会社に戻って、女性の同僚にここの話をすると。

○○さーん、コーヒーなんかもったいなーい。あそこは苺グレープフルーツがイチオシなのよお。

そうかい。そういうことだって。




▲ 出るころには、テーブルは埋まっていた。

ここはやはり女性が多い。




▲ レモン でした。


しかしボクのレモンは、レモンちゃん(文化放送)か、檸檬(梶井基次郎)だ。


レモンを出て、マロニエ通りを水道橋の方へすこし行くと右手にこの建物がひっそりとある。




▲ アーチ状の入り口。

ここをくぐると、




▲ また向こうにアーチを持った本館へ続く。




▲ ここは、もともと伝統ある文化学院の建物だ。




▲ 文化学院は与謝野鉄幹、晶子、西村伊作らが自由な教育を建学の精神として1921年に設立した学校。

戦時中は、捕虜収容所として使用されたため米軍の空襲を免れて残ったとか。(山の上ホテルも)

残念ながら、昨年文化学院は両国にキャンパスを移転して、現在は日本BS放送の社屋として使われているようだ。


文化学院跡から、更に下ると左手に(レモンと同じ側に)もう一つ前回ご紹介したお店がある。




▲ エスパス・ビブリオ。ブックカフェだ。

同僚と地下一階に下って、中をのぞいてみた。

今日月曜日は定休日だが、個展を開催しているので入っても構わないと、オーナーらしい方に言われたので入ってみる。



▲ Wao! 壁には本棚がびっしりと並んでいる。




▲ ここも、正面には小さい庭がしつらえてある。

オーナーさんによると、いつもは食事も出すとのこと。
しかも、一杯500円の珈琲で、何時間いても構わないとのことだ。




▲ 本棚の本。やっぱり、おフランスの本だ。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん


とは萩原朔太郎の詩だったな・・
ボクも行きたかった


しかし、そんなボクの高尚な想いとは別に、このオーナーさん「こんな本もありますよ」



▲ たて1m、横50cm、厚さは10cmはあろう、ばかでかい本が据えられていた。

同僚が(ボクではない)おそるおそる両手で本を開いてみる。

Wao! ヌード写真集だ。

ヘルムート・ニュートン。ドイツの著名写真家のようだ。

「篠山紀信みたいな写真ですネ」と同僚が言うと、「篠山は彼の真似をしただけですよ」とオーナー氏。

篠山紀信の原型がここにあった。
見たいかたは、ここに来るがよい。


同僚はまだ本を見たそうにしていたが、「おい、もう行こう」。

ありがとうございました。
今度、ゆっくり来ますので(笑)。


外に出て、マロニエ通りを下まで下り切ると。




▲ おう! 愛しのアテネフランセが・・。 もう40年ぶりだ。

建物もピンクになって・・
えらく瀟洒になってしまって・・




▲ 上を見上げると、ギリシャ兵士の横顔シンボルマークが。

これは変わってない。

あの時の男と女の友達は、今どうしているだろうか、どうなったのだろうか・・
想いは40年前に飛んでいく。。


「○○さん、もう戻りましょう」



関連記事:「御茶ノ水マロニエ通り」2015.5.1

問題が解決して

2015年05月06日 20時54分16秒 | Harmony のこと
5月6日(水)

先日、奥只見の春スキーの時、このコーヒーマシンを初めて使ってみようとした。



▲ ネスカフェのドルチェグスト
専用カプセルをセットすると、すぐにクレマ泡に包まれた珈琲が淹れる。朝出勤前の忙しい時に重宝しているマシンだ。

Harmonyで旅する時は、たいていボク一人なので珈琲はハンドドリップ、このマシンは要らない。
しかし、これから複数以上で旅行する時(今夏決定!)の朝はこれがあったほうが便利だろう。

ということで、ドルチェグストをHarmonyに持ち込み、先月25日銀山平で車中泊中に試してみた。

サブバッテリーの12ボルトを100ボルトに変換するインバーターをONにして、ドルチェグストに通電してみた。すると、その瞬間にインバーターが機能停止してしまった。そして全く動かなくなった。




▲ 予約どおり今日の朝一に、町田の東京キャンピングカーランドさんへ持ち込んだ。

その結果分かったこと。インバーター(水色)の内部のヒューズが飛んでいた。

原因は過電力発生のためだろう。
1500Wまでのインバーターだと思っていたら、ボクの記憶違いで600Wのインバーターを設置していた。
しかも、ドルチェグストの電力は通常のコーヒーメーカーの500~600Wぐらいだと思っていたら、1460Wも要していたのだ。ショートする道理だ。

ヒューズを取り替えて再設置してもらった。

ドルチェグストは使えないが、これでPCを始め通常の家電は車内でまた使えるようになった。




▲ 東京キャンピングカーランドさん、ご対応、修理ありがとうございました。


さあ、これで4月25日以来の問題は解決した。


次の旅立ちが楽しみだ。


GW みんなで

2015年05月04日 21時32分00秒 | 日々の思い
5月4日(月)

息子夫婦とそのいとこ家族が集まって、GWパーティだ。

といっても、別に特別なことをするわけでもない。



▲ 近くの公園へみんなで出かけて




▲ 水遊びして。




▲ ピクニックテーブルで、みんなでお昼を食べて





▲ シャボン玉遊びしたり、かくれんぼ、だるまさんが転んだをしたよ。



この日のSの森公園には、




▲ ピンクの睡蓮の花が一斉に咲いていた。


そして、爽やかな風が吹いて



▲ もう初夏の青い空に、緑のポプラが伸びて、枝が風になびいていた。






充分、おなかがすくまで公園で遊んで、
家に戻ってきた。




▲ おじちゃんが、バーベキューを焼いてくれた。




▲ 公園に行かずに、家でバーベキューの用意をしてくれたdecoさんとYちゃん。

(キミたち、ベジタリアン?)




▲ いっぱい食べてね。



御茶ノ水マロニエ通り

2015年05月01日 23時16分56秒 | 大都会
5月1日(金)

職場がある御茶ノ水。

近くの通りに、マロニエ通り とよばれるところがある。




▲ 明治大学の学舎に挟まれた通りで、両サイドにはマロニエ(セイヨウトチノキ)の街路樹が続く。




▲ 正式のストリート名は、「とちのき通り」だが、フランス語でちょっと気取って、通称 マロニエ通り というのだ。

なんせこの辺りは、ソルボンヌ大学を擁するパリのカルチェラタンに似せられる、代表的な日本の文教地区だ。




▲ そのマロニエが、花を付けはじめたのだ。


これが、なんとも綺麗で可愛い花なのだ。







▲ ね。(^^)

今の時期だけらしい。




その昔、今から40年以上まえ。
ボクもこのマロニエ通り下の、語学学校・アテネフランセに通っていた頃。

ガロというグループの 「学生街の喫茶店」 という曲がヒットした頃。
このあたりにも、ウイーンとかモーツアルトとか忘れたが、学生がたむろする似たイメージの喫茶店があった。


見回してみると、今はもっとおしゃれな店になっている。



▲ レモン。昔からこの名前の喫茶店があったらしいが、覚えていない。

今はイタリアンレストランのようだ。





▲ エスパス・ビブリオ。 図書館みたいなブックカフェが、いかにも学生街らしい。


このオジサンは、このストリートを通って、明大17階の学食にはしょっちゅう行くが(笑)、
こういうお店には、もう一人では眩しくて入りにくい。


それに、今はもうガロ、大学紛争の時代ではない。

♪ 片隅で聴いていた ボブディラン
  あの時の歌は聴こえない
  人の姿も変わったよ
  時は流れた・・



今、現代学生向けの喫茶店に相当するのは、やはりここ。



▲ スタバ。マロニエ通りのお隣のストリート、かえで通りにある。

仲間と談笑する人は、もちろん今もいるが。
一人でノートを広げたり、スマホをいじっている人が多い。




▲ あ、12時を過ぎた。

昼食(ヒルメシ)に行くサラリーマンが、ビルからどっとはき出されてきた。

そろそろ仕事に戻らなくては。






今日、5月に入った。

もう、誰の目のにも白い季節ではないし、新緑・若葉の季節、初夏に向かう季節だ。

さあ気分一新、テンプレート(ブログ背景PC版)も替えよう。




GW明けからは、ジャケットはもういらないだろう。
シャツだけでクールビズ出勤だ。
あと10か月。



関連記事: 「御茶ノ水マロニエ通りのお店へ」 2015.5.11


付録: 界隈地図