11月22日(金)
私の大和路めぐりも終盤にきた。今日はいよいよ奈良市内の中心を巡る。
ここではやはり市内の有料駐車場に停めざるを得ない。
1日終日で500円ぽっきりのところを調べてあるので、そこへまず出かけた。
▲ 猿沢池のすぐ近くの引っ込んだ所の駐車場。平日は午前8時以降入場なら500円だ。8時4分に入ってちょうどよかった。
▲ ここから興福寺は歩いてすぐだ。五重塔が見えてきた。
▲ ああ、奈良のシンボル興福寺の五重塔だ。 興福寺は藤原氏の氏寺。
▲ 興福寺・東金堂(左)と南円堂(右)。
▲ 興福寺の国宝館に入る。
国宝仏像彫刻の実に17%はこの興福寺が所有するとか。さすが藤原氏だ。しかし、中でも一番有名なのは次のこれ↓だな。断然。
出典:Google検索画像
▲ 天平仏のスーパースター、阿修羅立像だ。
憂いを帯びた三つの顔、スラリとした6本の腕をもつ異形ながら、絶妙なバランスを保って立つ。この顔も子細に見ると、正面は眉が吊り上り苦渋が強調されるが、右横の顔はライトで頬の紅が強調されて笑みをたたえているように見えた。
▲ 興福寺のあと、奈良公園内を博物館の方へ向かって歩く。
▲ 奈良国立博物館(なら仏像館)。とにかく多種多様な仏像があった。印象なし。
▲ いい写真になるよキミタチ。 東大寺への道(参道?)は、多くの人で賑わっている。
▲ 東大寺への玄関口、南大門にきた。
▲ 南大門の内側左右には、8mの金剛力士像が二体にらみをきかしている。運慶が快慶ら一門を率いて69日で完成させたと伝わる。
▲ 南大門をくぐるとみえてくる、大仏殿だ。 多くのひとが大仏殿を背景に写真を撮っている。幅57m、高さ48m。
▲ 奈良の大仏様。聖武天皇の勅願で造立された本尊の廬舎那仏坐像。高さ約15m。
▲ STOP! と私におっしゃる大仏さん。
▲ 横には、恐そうな方も立っている。
どうして柱の穴をくぐるの? 無病息災を願って、いや単におもしろいから。
▲ この人はスリムだから、するすると抜けた。
▲ 穴の大きさはこんなもの。 中には引っ張り出される人も。
▲ 大仏さんの後ろの方も、分厚いね。
▲ もう一度、右横から見ておこう。
大仏殿を終えて、左横に位置する戒壇堂へ向かう。
▲ 鑑真和上が日本で初めて戒を授けたことから始まる戒壇堂。 堂内(右)には有名な四天王像が安置されている。
出典:Google検索画像
▲ なかでも有名なのはこの広目天像。
鬼を踏みつけたまま、鋭い視線で仏敵を凝視する。眉を寄せ、遠くを見つめるような表情は、迫力に満ち満ちている。男の中の男だ。 えっ?阿修羅像の方がイイ? お好きなように。
戒壇堂から大仏殿の裏を廻って東の山の方へ行くと、二月堂だ。
▲ ここは裏道で人通りの少ない階段を上がって行く。
▲ すると二月堂へ上がる長~い階段が出てきた。
▲ 階段の右上には二月堂の張り出し舞台が見える。
▲ 舞台。京都の清水寺みたいなものだ。
▲ ここからは、奈良市街が見渡せる。
▲ 右横から降りて、二月堂を見上げる。 清水寺の方が高さ的には迫力があったなあ。
▲ 東大寺法華堂(三月堂)。本尊は不空羂索観音。薄暗い御堂の中で、観音様の金箔が残るところだけ光っていた。
そのまま南に下りると、若草山のふもとに来る。
▲ 若草山。奈良市内の右端に位置する標高342mのなだらかな山。別名、三笠山。ここから歩いて山頂まで往復1時間らしい。
更に若草山のふもとに沿って歩くと、風情ある茅葺屋根の茶屋が。
▲ 水谷茶屋。手持ちの奈良観光パンフの表紙にも使われていた所だ。
紅葉があたり一面降りかかってきれいだ。
▲ 山菜そばを注文した。寒くないから外で座って食べよう。
昼食にといってももう2時。空いていてよかった。
▲ 「ぜんざい」も食べたかったな。
奈良公園の東南端の春日大社まで着た。
▲ 大きな大社なのだが、まず門をくぐるのに入場料、そして宝物殿料がチャージされる。
あまりこういう紅色を派手に塗ったところは・・好きでないのです。パス。
奈良公園の東南端から、林の中を通っていくと高畑周辺に出る。その林の小径は数本あるようだ。
▲ 「ささやきの小径」と名付けられているところを下っていった。
▲ 志賀直哉が自ら設計し昭和初期の数年間を過ごした家に、突き当たった。
▲ このあたりも山の辺の道の一端になるようだ。 私は新薬師寺へ足を伸ばしてみる。
▲ 新薬師寺。薬師寺だから本尊は当然、薬師如来。しかしこの古刹で有名なのは本尊を、取り囲んで護る12体の神将だ。
出典:Google検索画像
▲ 十二神将立像の中でも、一番有名なのは正面右端のこの伐折羅(バザラ)だ。
何を怒っているのか、威嚇してるのか、神の毛が総立ちなのだ。おーこわ。これもど迫力だ。
新薬師寺から西に向きを変えて高畑を歩いていくと、頭塔(ずとう)と呼ばれる奇妙な所がある。
▲ 頭塔の入り口。普段は鍵がかかっているようだ。近くの管理者さんの家に他の方とともに行って、開けてもらった。
▲ 高さ約10mで7段のピラミッド状になっており、ところどころに石仏彫版がはめ込まれている。奈良時代のもの。僧玄の頭を埋めたという由来から頭塔とよばれるようになったらしい。
ここからさらに西へ歩いて、奈良ホテルの方へ北上する。
▲ 奈良ホテル前の荒池の側を通ると、池の向こうに朝見た興福寺・五重塔のシルエットが見えた。
今日はここまで。
500円駐車場から、またG湯の駐車場に戻る。
▲ 今日の夕食は、シーザーサラダと茄子の肉炒めにした。
明日は、いよいよ奈良路の最終日だ。
ではまたあした。おやすみなさい。
私の大和路めぐりも終盤にきた。今日はいよいよ奈良市内の中心を巡る。
ここではやはり市内の有料駐車場に停めざるを得ない。
1日終日で500円ぽっきりのところを調べてあるので、そこへまず出かけた。
▲ 猿沢池のすぐ近くの引っ込んだ所の駐車場。平日は午前8時以降入場なら500円だ。8時4分に入ってちょうどよかった。
▲ ここから興福寺は歩いてすぐだ。五重塔が見えてきた。
▲ ああ、奈良のシンボル興福寺の五重塔だ。 興福寺は藤原氏の氏寺。
▲ 興福寺・東金堂(左)と南円堂(右)。
▲ 興福寺の国宝館に入る。
国宝仏像彫刻の実に17%はこの興福寺が所有するとか。さすが藤原氏だ。しかし、中でも一番有名なのは次のこれ↓だな。断然。
出典:Google検索画像
▲ 天平仏のスーパースター、阿修羅立像だ。
憂いを帯びた三つの顔、スラリとした6本の腕をもつ異形ながら、絶妙なバランスを保って立つ。この顔も子細に見ると、正面は眉が吊り上り苦渋が強調されるが、右横の顔はライトで頬の紅が強調されて笑みをたたえているように見えた。
▲ 興福寺のあと、奈良公園内を博物館の方へ向かって歩く。
▲ 奈良国立博物館(なら仏像館)。とにかく多種多様な仏像があった。印象なし。
▲ いい写真になるよキミタチ。 東大寺への道(参道?)は、多くの人で賑わっている。
▲ 東大寺への玄関口、南大門にきた。
▲ 南大門の内側左右には、8mの金剛力士像が二体にらみをきかしている。運慶が快慶ら一門を率いて69日で完成させたと伝わる。
▲ 南大門をくぐるとみえてくる、大仏殿だ。 多くのひとが大仏殿を背景に写真を撮っている。幅57m、高さ48m。
▲ 奈良の大仏様。聖武天皇の勅願で造立された本尊の廬舎那仏坐像。高さ約15m。
▲ STOP! と私におっしゃる大仏さん。
▲ 横には、恐そうな方も立っている。
どうして柱の穴をくぐるの? 無病息災を願って、いや単におもしろいから。
▲ この人はスリムだから、するすると抜けた。
▲ 穴の大きさはこんなもの。 中には引っ張り出される人も。
▲ 大仏さんの後ろの方も、分厚いね。
▲ もう一度、右横から見ておこう。
大仏殿を終えて、左横に位置する戒壇堂へ向かう。
▲ 鑑真和上が日本で初めて戒を授けたことから始まる戒壇堂。 堂内(右)には有名な四天王像が安置されている。
出典:Google検索画像
▲ なかでも有名なのはこの広目天像。
鬼を踏みつけたまま、鋭い視線で仏敵を凝視する。眉を寄せ、遠くを見つめるような表情は、迫力に満ち満ちている。男の中の男だ。 えっ?阿修羅像の方がイイ? お好きなように。
戒壇堂から大仏殿の裏を廻って東の山の方へ行くと、二月堂だ。
▲ ここは裏道で人通りの少ない階段を上がって行く。
▲ すると二月堂へ上がる長~い階段が出てきた。
▲ 階段の右上には二月堂の張り出し舞台が見える。
▲ 舞台。京都の清水寺みたいなものだ。
▲ ここからは、奈良市街が見渡せる。
▲ 右横から降りて、二月堂を見上げる。 清水寺の方が高さ的には迫力があったなあ。
▲ 東大寺法華堂(三月堂)。本尊は不空羂索観音。薄暗い御堂の中で、観音様の金箔が残るところだけ光っていた。
そのまま南に下りると、若草山のふもとに来る。
▲ 若草山。奈良市内の右端に位置する標高342mのなだらかな山。別名、三笠山。ここから歩いて山頂まで往復1時間らしい。
更に若草山のふもとに沿って歩くと、風情ある茅葺屋根の茶屋が。
▲ 水谷茶屋。手持ちの奈良観光パンフの表紙にも使われていた所だ。
紅葉があたり一面降りかかってきれいだ。
▲ 山菜そばを注文した。寒くないから外で座って食べよう。
昼食にといってももう2時。空いていてよかった。
▲ 「ぜんざい」も食べたかったな。
奈良公園の東南端の春日大社まで着た。
▲ 大きな大社なのだが、まず門をくぐるのに入場料、そして宝物殿料がチャージされる。
あまりこういう紅色を派手に塗ったところは・・好きでないのです。パス。
奈良公園の東南端から、林の中を通っていくと高畑周辺に出る。その林の小径は数本あるようだ。
▲ 「ささやきの小径」と名付けられているところを下っていった。
▲ 志賀直哉が自ら設計し昭和初期の数年間を過ごした家に、突き当たった。
▲ このあたりも山の辺の道の一端になるようだ。 私は新薬師寺へ足を伸ばしてみる。
▲ 新薬師寺。薬師寺だから本尊は当然、薬師如来。しかしこの古刹で有名なのは本尊を、取り囲んで護る12体の神将だ。
出典:Google検索画像
▲ 十二神将立像の中でも、一番有名なのは正面右端のこの伐折羅(バザラ)だ。
何を怒っているのか、威嚇してるのか、神の毛が総立ちなのだ。おーこわ。これもど迫力だ。
新薬師寺から西に向きを変えて高畑を歩いていくと、頭塔(ずとう)と呼ばれる奇妙な所がある。
▲ 頭塔の入り口。普段は鍵がかかっているようだ。近くの管理者さんの家に他の方とともに行って、開けてもらった。
▲ 高さ約10mで7段のピラミッド状になっており、ところどころに石仏彫版がはめ込まれている。奈良時代のもの。僧玄の頭を埋めたという由来から頭塔とよばれるようになったらしい。
ここからさらに西へ歩いて、奈良ホテルの方へ北上する。
▲ 奈良ホテル前の荒池の側を通ると、池の向こうに朝見た興福寺・五重塔のシルエットが見えた。
今日はここまで。
500円駐車場から、またG湯の駐車場に戻る。
▲ 今日の夕食は、シーザーサラダと茄子の肉炒めにした。
明日は、いよいよ奈良路の最終日だ。
ではまたあした。おやすみなさい。