荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

アブルボアの初冬風景

2024年12月29日 | 散文

いつものとおり静寂の場所です。東京大学農学部のキャンパスです。

今日のメニューです。最近メニュー編成が変わりました。料理の種類が少なくなっています。

まあ良い。この庭の風景が好きです。

東門脇の銀杏が散り残っています。黄葉が鮮やかです。

庭に降ります。

ここは寮の跡地です。

綺麗に下草が刈られていました。とても歩きやすいです。

敷地の向こうは、東京大学野球部のグラウンドです。

建物を眺めます。

蔦が素敵です。これを観に来ました。

隣の大木に絡みついた蔦はまだです。2週間くらい後に再度訪問しましょう。

東門です。インターホンを押すと、レストランから開けてもらえます。

扉の先は「異人坂」です。

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本郷もかねやすまでは江戸の内

2024年12月29日 | 散文

本郷三丁目の交差点です。信号待ちなどの時、とにかく目立ちました。私が知っている限り、もう20年以上シャッターが降りたままでした。むしろそれが当たり前でした。

それが、どや焼きを売っているではないですか!? びっくりです。

「丹波やながわ」の看板が有ります。創業明治25年の老舗らしいですが、私は知りません。丹波だったら、名産の黒豆の餡子でしょうか?・・・胃もたれしそうだな。

「兼康祐悦という口中医師が、乳香散という歯磨粉を売り出した。大変評判になり、客が多数集まり祭りのように賑わった。(御府内別歩による) 享保15年大火があり、防災上から町奉行(大岡越前守)は三丁目から江戸城にかけての家は塗屋・土蔵造りを奨励し、屋根は茅葺を禁じて瓦で葺くことを許した。江戸の街並みは本郷迄瓦葺が続き、それからの中仙(中山)道は板や茅葺きの家が続いた。 その境目の大きな土蔵のある『かねやす』は目だっていた。『本郷もかねやすまでは江戸の内』と古川柳にも歌われた由縁であろう。

 

 柴神明前の兼康との間に元祖争いが起きた。時の町奉行は、本郷は仮名で芝は漢字で、と粋な判決を行った。それ以来本郷は仮名で『かねやす』と書くようになった。」 -郷土愛をはぐくむ文化財 -  文京区教育委員会 昭和61年3月

こんな由緒ある「かねやす」に店を出した「丹波やながわ」は天晴れです。1等地です!

従前のかねやすです。ずっとテナント募集していたんですね。(2017年8月)

 

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