荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

杉山八郎先生

2014年12月13日 | 散文
昨日忘年会から帰宅すると、喪中報告が届いていた。
「今年は多いな・・・」と手に取ると、八郎先生の死去を知らせる葉書だった・・・。
それは12月2日に亡くなった事を告げていた。
秋の日、神田での展覧会開催の1週間前に、根津を散歩されていた先生に偶々お逢いして、立ち話をしたのが最後になってしまった。

10数年前偶然この画集に出逢ってから、先生が絵に描いた対象物を見たくて、ママチャリで現場を探しに行ったのが街歩きの始まりであった。


今はない本郷館を知り、取り壊しから再建までを見続けた。



佃島の佃煮屋さんを知った。

あれ以来、故郷へのお使い物はいつもここ田中屋である。


とうとう厚かましくもご自宅を訪ねて行って、お茶をご馳走になったり、大きな梨をお土産に頂戴したりした。



そして、10数年経った今でも、ほぼ毎週本郷・谷根千・池之端を初めとした「東京」をブラブラしている。



街歩きの楽しさをお教え頂いて以来、歴史に興味を持つようになり、随分趣味の幅が広がった。

全く先生のお蔭である。


「よし房凛」のおかみさんに話を聞かせて貰った。
「お亡くなりになる前日に奥様がお一人でお見えになって・・・。いつもお二人で来られるので『先生はお留守ですか』と聞いたら、具合がお悪いとおっしゃっていた次の日でしょう。びっくりしちゃって・・・」

先生の家へ行ってみた。
先生は今年の初夏に引っ越しているが、私には以前の家が先生の家だとの思いが強い。
先生が住んでいた家は取り壊されて、跡地には計画通り鉄筋コンクリートマンションが建設中である。
職人が忙しそうに働いている。
当たり前だけど、先生が亡くなっても普段と変わらない街の営みである。


写真は画集の表紙に描かれている根津の「はん亭」である。

先生の数ある作品の中で一番好きな絵だ。
実物に忠実に描いた傑作である。
実は、何度かご自宅にお伺いして、やっと譲って頂いたこの絵が我が家にある。
代表作をお譲り下さったと思っている。


私の趣味の幅を広げて下さった先生に感謝致します。
そしてご冥福をお祈りします。
天国でも素敵な絵を描いてください。



コメント
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