亀老山展望公園から下っているとこんな案内板がありました。
もう二度と来る事は無いと思うので行ってみます。
昼なお暗い山道です。
村上義弘って、競輪選手にも居るんですね。
おそらく瀬戸内の出身だと思います。
話を戻します。
武将村上義弘は伊予の大島を本拠とし海賊大将と呼ばれました。
元弘の乱では瀬戸内海で北条時直の水軍を破り、その後も南朝方として活躍した人物です。
能島村上水軍の祖との説もあります。
急坂を登って到着しました。
由緒書きがあります。
南朝の忠臣である旨が記載されています。
裏には第23代当主の名前があります。
全てが梅雨の晴れ間の木漏れ日の下に佇んでいます。
太平記に登場した人物です。
再度読みたくなりました。
お参りした帰り道です。
参道の別れ道に、今は使われていない遍路道がありました。
お遍路さんの中で南朝を尊崇していた人は、彼の墓所をお参りして、次の札所へ向かったのでしょうね。
「いにしへの砦の跡の椿の花血涙のごと木漏れ日に見ゆ」
もう二度と来る事は無いと思うので行ってみます。
昼なお暗い山道です。
村上義弘って、競輪選手にも居るんですね。
おそらく瀬戸内の出身だと思います。
話を戻します。
武将村上義弘は伊予の大島を本拠とし海賊大将と呼ばれました。
元弘の乱では瀬戸内海で北条時直の水軍を破り、その後も南朝方として活躍した人物です。
能島村上水軍の祖との説もあります。
急坂を登って到着しました。
由緒書きがあります。
南朝の忠臣である旨が記載されています。
裏には第23代当主の名前があります。
全てが梅雨の晴れ間の木漏れ日の下に佇んでいます。
太平記に登場した人物です。
再度読みたくなりました。
お参りした帰り道です。
参道の別れ道に、今は使われていない遍路道がありました。
お遍路さんの中で南朝を尊崇していた人は、彼の墓所をお参りして、次の札所へ向かったのでしょうね。
「いにしへの砦の跡の椿の花血涙のごと木漏れ日に見ゆ」