下町の路地に提灯が飾れられています。これは特別の事ではなくていつもこうですが、神社の裏手です。
正面に回ります。暖かい冬の陽射しが注ぎます。
有名ではない下町の神社です。
節分の準備が整っていました。
宇迦八幡宮の節分飾りです。
冬の陽射しに照らされて鮮やかです。
どんな節分行事が行われるのか興味はありますが、町内会でもないので来ません。
でも、この神社は時々覗きます。ここには「軍馬盛敬号の碑」があるのです。馬の記念碑は他で見た記憶がありません。しかも大きな石碑です。
余程の戦功を挙げた馬だろうなと裏に刻まれた文字を読みます。初めて見た時はとても驚きました。
「軍馬盛敬号は元騎兵伍長榊原平三氏の乗馬たり。
同氏は明治二十七八年日露戦役中選ばれて永沼騎兵挺進隊に参加す。
挺進隊は特別任務を帯び敵線内を潜行、遠く敵の背後に侵出。
明治二十八年二月十一日夜、長春南方新開河の鉄橋を爆破し第一の目的を達成し得たるも、大砲二門を有する敵の急追を受け、二月十四日夜張家窪子付近に於いて之を逆襲し月下に格闘戦を開始した。
盛敬号はこの戦闘中鼻頭に大傷を蒙りしも屈せず奮戦中腹部に敵弾を受け遂に斃したり。
軍馬と雖も長期の劇しき行動に堪え困苦欫乏を忍び、能くその任務を全うし君国に盡せる霊を慰むる為、明治四十一年十月有志相謀り碑を御影堂境内に建立せり。
大正十二年九月大震災の際破壊したるに依り、戦役当時の挺進隊長永沼秀文閣下に題字を請い茲に復旧せるものなり」
・・・そうなのです。司馬遼太郎の「坂の上の雲」に描かれた、主人公の一人である秋山好古率いる騎兵隊が当時世界最強のコサック兵団と互角に戦った史実が、こんな処に残されているのです。
ここに軍馬盛敬号の碑がある理由は分りません。
榊原伍長がここ宇迦八幡宮の氏子だったのでしょうか?