東京の私の家に、掲題の案内が菩提寺から届きました。
故郷特有の珍しい行事ですので、以下添付された説明書を転写して、皆さんに紹介します。
巳正月とは、新仏様の御供養にことよせた、正月の行事です。
今年一年間に身内を亡くした家は、喪中につき正月を祝えないのが習わしです。
しかし、正月は盆とともに年に二度の大いなる楽しみです。
そこで考え出されたのが巳正月です。
本来しないはずの正月を新仏様の御供養としてするのですから、身内だけで密かに、夜の闇に紛れて行わなければなりません。
ただ、今日ではそうも言ってはおれず、明るいうちからはじめる家も増えてきました。
では何故"巳"かというと、日本は稲作文化の国ですから、古来、年末月の午の日に、その年の豊作を田の神に感謝して、新米でついた餅を供えました。
喪中の家は神事を慎むことから、午の餅をつくこともできません。
それで一日前の巳の日に餅をつき新仏様に供え、お下がりをいただくようになったのでしょう。
巳正月は常の正月とは異なり、注縄も独特です(左縄・シダの表裏逆・橙の代わりに蜜柑など)。
鏡餅も重ねなくて(二重のこともある)、柔らかで、祭壇に供えた後、墓参の際、墓前で稲藁を焼いた火に炙って引っ張って食べる(鎌や包丁で切る作法もある)。
墓への道中は無言で、人に会っても声をかけない。
正しくは辰の日の夕刻、暗くなってから供養をし、夜中の十二時をまわって巳の日になって墓参をするという。
尚、この巳正月の行事は、愛媛県(伊予一国)のみに伝わるもので、他県にはありません。但し、本県に隣接するわずかの地域では行われています。
又、同じ愛媛県でも東予は辰巳、中南予は巳午の御供養となり一日ずれます。
巳正月の起源については諸説あり、源義経にまつわる源平説、脇屋義助・河野一族にまつわる南北朝説など様々です。
要は、新仏様の御供養として、新彼岸・新盆同様、巳正月を真心よりつとめることが大事だと思います。
合掌
こんな行事ですが、私は参加したことはありません。
18歳で家を出たこともあり、又、小さい頃は参加させてもらえませんでした。
なにしろ「夜の12時を過ぎてから墓地に行って、墓前で火を焚いて焼いた餅を引きちぎって食べる」行事は子供向きではありません。もう一つ巳正月を迎える家の風習がありました。年末にお餅をつくのは一緒ですが、巳正月の家の餡こ餅は、塩餡でした。これが結構美味しくて、翌年せがんで怒られました。
今月は辰の日が2回あって、今日が最初の日です。
生家では今日その行事を行うのですが、私は今回も参加しません。
妹たちにお願いしている罰当たりですが、こうして故郷を思っています。
奇習ですね。
家族が死んだ初年度の過ごし方について披露しあう機会など無く、かつ宗教に興味が無いとは言え、世間を知らないということは滑稽なことで、私は社会人になって暫くしても全国的な行事と思っていました。
知識が乏しいってことは、自分の尺度が世界の共通だと思ってしまう怖さがあります。
知識を拡げなければ。
巳正月。
初めて知る言葉と習わしです。
稲作文化と神事とは深いつながりがあるのですね。
故郷を遠く離れると、謂れのある行事にはなかなか参加できない悲哀に包まれます。
仏様や先祖を供養する心。
それを形あるものとする慣習に思いを深くしました。
静かな佇まいの写真に心が清められます。