信号を無視して走って行くバイクの向こうは、下町の超賑わい商店街「砂町銀座」である。
相変らずの賑わい、人混みである。
この商店街をひょいと脇に入った所に小さな公園がある。
その公園の隣りに「砂町文化センター・砂町図書館」がある。
建物の中に入ると奥にある図書館の手前に階段があって、その手前に案内板がある(ブロンズ像を撮ったものではありません)。
その案内板には「石田波郷記念館」の文字が見える。
階段を上がってみる。
2階の隅に展示室がある。
この建物唯一の展示室であり「石田波郷記念館~江東区を愛した俳人~」との看板がある。
石田波郷は大正2年四国松山生まれの俳人である。
30歳で太平洋戦争に召集されて胸を患った彼は、入退院を繰り返しながら12年間江東区北砂に住み、ここを第2の故郷と呼んだ。
『惜命(しゃくみょう)』は、同郷の先達子規を先駆とする療養俳句の最高傑作と位置付けられている。
新聞のコラムも書きながら、多くの俳句を残すとともに多くの写真を残した。
展示室の中央には、下町の風俗を捉えた彼の写真の円柱がある。
下町風俗だけでなく、自身や家族写真も多く撮っている。
家族を愛した人だと分かる。
彼を描いた絵も飾られている。
好い雰囲気の油絵である。
この絵好きだなあ。
彼の写真に俳句を添えて、いくつかの作品が展示されている。
近隣には地場産業の「江戸切子」の工房があって、
彼の記念碑がある。
砂町銀座を冷かして歩くのも楽しいですよ。
相変らずの賑わい、人混みである。
この商店街をひょいと脇に入った所に小さな公園がある。
その公園の隣りに「砂町文化センター・砂町図書館」がある。
建物の中に入ると奥にある図書館の手前に階段があって、その手前に案内板がある(ブロンズ像を撮ったものではありません)。
その案内板には「石田波郷記念館」の文字が見える。
階段を上がってみる。
2階の隅に展示室がある。
この建物唯一の展示室であり「石田波郷記念館~江東区を愛した俳人~」との看板がある。
石田波郷は大正2年四国松山生まれの俳人である。
30歳で太平洋戦争に召集されて胸を患った彼は、入退院を繰り返しながら12年間江東区北砂に住み、ここを第2の故郷と呼んだ。
『惜命(しゃくみょう)』は、同郷の先達子規を先駆とする療養俳句の最高傑作と位置付けられている。
新聞のコラムも書きながら、多くの俳句を残すとともに多くの写真を残した。
展示室の中央には、下町の風俗を捉えた彼の写真の円柱がある。
下町風俗だけでなく、自身や家族写真も多く撮っている。
家族を愛した人だと分かる。
彼を描いた絵も飾られている。
好い雰囲気の油絵である。
この絵好きだなあ。
彼の写真に俳句を添えて、いくつかの作品が展示されている。
近隣には地場産業の「江戸切子」の工房があって、
彼の記念碑がある。
砂町銀座を冷かして歩くのも楽しいですよ。